2011年08月28日

生徒には無縁な争い

生徒には無縁な争い


 慶田盛竹富町教育長は、玉津会長が調査員による順位付けを廃止し、協議会で無記名投票を導入したことを不当だと主張している。驚く主張ことである。

 玉津会長が、調査員が1位に選んだ教科書しか報告しなかったと述べたことに対して、 慶田盛竹富町教育長は、全ての教科書に順位づけを付けて報告していたとする武富町教委の資料を示して、「1種絞り込み」は行われていなかったと反論した。
そして、「順位付けは教師(調査員)が教科書を決めることではない。今までの方法で何の問題があったのか」と発言している。

 今までは教師(調査員)が順位付けをして、一番になった教科書が選ばれていた。 慶田盛竹富町教育長は「順位付けは教師(調査員)が教科書を決めることではない」というが、教師(調査員)が一番に順位付けをした教科書が協議会で選択されるということは実質的に教師(調査員)が教科書を選択したことになる。事実、竹富町協議会では教科書のないように対する討論はほとんどなく、調査員が一番の順位付けをした教科書を洗濯している。
 それでは協議会はお飾りであり、教科書を選択する会議ではない。

 調査員は協議会の委員が教科書を理解しやすいように分析し、教科書の特徴を報告する組織であるべきであり、教科書に順位付けをする権利があってはならない。

 民主主義の基本は三権分立にあるように権力を集中しないことにある。警察に裁判権を与えていないし、自衛隊の現場に指揮権を与えていない。行政に予算の決定権を与えていないし(予算は議会で決める)、公務員に政治的な決定権を与えていない(政治的な決定は議会で決める)。民主主義的に考えれば、現場の教員に教科書を決定する権利を与えてはいけないのだ。
 ところが、現在は現場の教員である調査員が教科書に順位付けをやり、調査員が1位に順位付けした教科書が選ばれている。それは警察に裁判権があるようなものである。

 慶田盛竹富町教育長の発言は民主主義を否定した発言である。調査員段階で育鵬社の教科書を除外するなんてとんでもないことである。調査員は調査をするのであって、Aの教科書はいいBの教科書は悪いと判断してはならない。その判断は協議会が持つべきものだ。
生徒には無縁な争い



 新城沖縄大学客員教授は、「これまでの歴史の流れを振り返れば、戦前回帰は教科書から始まる。現場の教師を黙らせ、管理職の力で進めていくつもりだろう」と述べている。
新城沖縄大学客員教授は本気で日本の戦前回帰の可能性があると考えているのだろうか。これまでの歴史を見る限り「戦前回帰は教科書から始まる」という理論は絶対に成り立たない。

 明治政府は天皇崇拝であり、帝国主義であり、富国強兵を掲げていた。だからそれに沿った教科書ができた。大正デモクラシーで日本は民主主義への兆しを見せたが、軍部によって国民に選ばれた首相や有力政治家の暗殺があり、軍部が政権を握るようになった。国家が軍国主義になったから軍国主義教育が広まった。軍国主義教育が先に始まったのではなく、軍国主義国家ができたからら軍国主義教育が始まったのだ。
八重山の協議会で育鵬社の教科書が選択されたのは自民党系の政治家が市長になったからだ。
 教科書から戦前回帰が始まるなんて妄想だ。

 新城沖縄大学客員教授は、「現状を見るとこの教科書に共感する教師も多いのではないか。そうなれば、教科書をめぐって現場の教師が二分されることになりかねない。教科書を選ぶ段階から政治、行政主導だ」と述べている。
 政府が認定した教科書は七冊ある。本来なら七冊の教科書を学校か教師個人個人が自由に選んで教えたほうがいい。しかし、中央集権制の強い日本は地域を区切り、特定の地域で統一した教科書を使用するように規定している。だったら地域別に自由に教科書を選択すればいい。地域が自由に選択できるようになれば二分どころか七分にもなる。

 地方の教科書選択に沖教祖や日教組や教員OBの市民団体が圧力をかけるから、地方は自由に教科書を選べない。
 現場の教師はそれぞれ自立した存在である。新城沖縄大学客員教授が現場の教師が二分されると危惧することは、新城沖縄大学客員教授は沖縄の教科書は沖教祖が決めた同一の教科書でなければならないと考えているし、沖縄の教師は同一の思想でなければならないと考えている証拠である。それこそ全体主義思想である。
 中央や他地域の圧力をなくし、教科書を地域で自由に選ぶのがいい方法である。

 大田氏は、「平和教育が内部から切り崩された」と述べている。沖縄の教師による平和教育は、軍隊や軍事基地があるから戦争が起こる。アメリカ軍基地を撤去すれば沖縄は豊かで平和になるなどと、子供たちに現実ばなれしたことを教えている。沖縄の平和教育は歴史、現実を無視した独りよがりの教育だ。

元姫ゆり学徒は自分の体験のみから来る反戦平和論であり、朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦など戦後に起こった戦争への理解がない。アメリカ軍による戦争だけに単純に反対するだけだ。
イラク、アフガン戦争ではアメリカ軍の攻撃には猛抗議をしたが、イラク、アフガンがアメリカ軍によって民主主義国家への道を開いたことには無関心である。民主主義を無視する反戦平和主義になんの意味があるだろうか。

生徒には無縁な争い


 「基地・軍隊を許さない」思想家だから、育鵬社の教科書を異常に批判するのだろう。「表面上はきちんと認識しているような書き方をしながら、『でも今までのやり方ではダメ』といっている」という評価をするのは、育鵬社は右翼であり軍国主義回帰を目指しているという高里さんの先入観がある性ではないだろうか。
 戦後はずっと自民党が日本の政治をやってきた。育鵬社は自民党系であり、自民党とは思想的に共通するものがあり、自民党が進めてきた政策は認めている。育鵬社の教科書は「今までのやり方ではダメ」と主張はしていない。

 そもそも中学三年生向けの教科書を問題にしている。高度な思想までこだわるのはおかしい。


 八重山の中学性の教科書選択問題でこんなに盛り上がるのは異常である。
 教科書選択で問題にしているのは教科書の政治問題に関してだけであり、政治以外の問題はないがしろにされている。

 私は学習塾をやっているときに小学一年生から中学三年生まで、国語、数学、理科、社会、英語の全ての教科を教えた経験がある。公民は生徒の嫌いな教科に入る。理由の第一は内容が中学三年生にとって難しいことだ。やたらと法的な専門用語が多く、難しい漢字が多い。そして、ドラマ性はないし、単純に丸暗記をすることが理解につながるというやっかいな面があることだ。とにかく、中学三年生にはないようが難しい。
 公民の最大の課題は中学三年生に理解しやすい内容・文章を工夫することであり、もっと基礎的なものに絞って、内容を減らし、分かりやすくしたほうがいい。

 
 育鵬社の教科書に目くじらを立てて反対しているのは、中学三年生の教科書として適正であるかどうかではなく、文章が分かりやすいかどうかでも、授業がスムーズにいくのを工夫しているかどうかでもなく、息鵬社の政治思想にクレームをつけているた゜けである。八重山の中学性の教科書選択問題は大人の政治の世界の喧嘩であり、中学生とは無縁な争いである。






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