2012年02月29日

野田首相批判の我部琉大教授批判





我部琉球大学沖縄国際研究所長は沖縄に米軍が駐留していなかった場合をシュミレーションしたことがあるだろうか。
もし、米軍が沖縄に駐留していなかった場合はウィグル地区やチベットのように中国の人民解放軍に沖縄は武力制圧されていただろう。中国に支配された沖縄とアメリカ軍が駐留した沖縄を比べると、アメリカ軍が駐留してきた沖縄のほうがずっといいことがわかる。
 チベットは民主化を求めて若い僧や僧侶が痛ましい焼身自殺をしている。ウィグル地区ではテロで差別に反抗している。沖縄では民主化を求めた焼身自殺はない。テロもない。戦前までつづいていたソテツ地獄(飢饉のために毒性の強いソテツを食べた)も戦後60年以上ない。

 世界一の経済国であり、民主主義国家アメリカの軍隊が駐留したから沖縄の経済はよくなり、政治も民主主義政治になった。もし、戦後沖縄が独立国になっていたらどうなっていただろう。戦前の沖縄の思想は武士支配思想、軍国主義、共産主義はあったがが民主主義思想はなかった。もし、沖縄が独立していたら独裁政治国家になっていただろ。独立国沖縄には外国の経済援助がなかったはずだから琉球王朝時代から戦前まで続いていた飢饉によるソテツ地獄を繰り返していただろう。
アメリカ軍が駐留していなかったら沖縄は中国に支配されていたか、ソテツ地獄の貧しい沖縄になっていたはずである。

沖縄が民主主義社会になったのも140万人もの人間が住めるようになったのも米軍の駐留が強く影響している。だから米軍さまさまといっているのではない。評価するべきことは評価したうえで批判をするべきであるといいたいし、今後の沖縄経済を考えると、基地経済からの脱出は簡単ではないことを覚悟するべきであるといいたいのだ。

自衛隊員は全国で230000人である。在日米軍人は全国で44000人である。米軍より圧倒的に自衛隊が多い。「沖縄に来て、日本の安全のために沖縄の人々に米軍基地を今後も引き受けてもらわねばならない」と野田首相に皮肉を言い、まるで米軍が日本防衛をやるように我部氏は述べているが、23万人の自衛隊と4、4万人の米軍ではどっちが日本を防衛することができるか明白だ。たった4.4万人の米軍が自衛隊より防衛能力が優れているはずがない。防衛の役目は自衛隊だ。米軍ではない。

「日本政府は、米国の戦略とは関係なく、沖縄に米軍基地が存続することを当然視し、そのことが沖縄を除く日本の利益だと考えてきた」と我部氏は分析する。我部氏の分析は日本政府の政治家や官僚が裏でアメリカと日本の国益のために激しい交渉をしてきたことを軽視している。

沖縄に関する特別行動委員会(SACO)は、1996年に嘉手納飛行場以南の米軍基地の返還、在沖海兵隊8000人のグアム移動、普天間飛行場の辺野古移設を発表した。在沖米軍は22000である。そのうちの8000人を移動するということは半分近くの海兵隊が沖縄から減るということである。基地も海兵隊も激減させる案であり、アメリカ側は強く反対したが橋本首相の強い要求が働いて実現したはずである。
16年前のSACOの発表を見ても、「沖縄の基地を固定化するための論理として」うんぬんというのだからあきれる。日本政府もアメリカも沖縄に基地を固定化することは考えてはいない。中国、北朝鮮の脅威を抑止する必要がなければアメリカ軍は沖縄から撤退する。なぜ、我部氏はアメリカ軍が沖縄に駐留している理由を正確に理解しようとしないのだ。学者は政治屋のような嘘をつく必要はない。学者は客観的な事実を積み重ねて論理的に解明する存在であるべきだ。沖縄に住んでいる国際政治学者なら日本やアメリカだけでなく、中国や北朝鮮やアジアの国々の政治状況を真摯に分析するべきだ。その上でアメリカ軍がアジアでどんな役割をしているか、そして、アメリカ軍の中で沖縄のアメリカ軍はどんな役を果たしているのかを明確にし、沖縄の人々に伝えるのが沖縄に住んでいる学者の役目ではないか。野田首相へのケチツケの理論なんてつまらない。

ケチツケの理論の果てにたどりついたのが「多数者に対抗する少数者には哲学が不可欠だ」の発言となった。哲学が不可欠だといったからといったちころですばらしい哲学が生まれるものではない。我部氏が望む哲学は我部氏のの染む哲学であり、他の人が望む哲学ではない。我部氏の望む哲学は我部氏が生み出すのであり、他人が生み出すものではない。理想な哲学が生まれてくるまでいかに生き延びていくのかという発想は苦笑するしかない。理想な哲学を期待するより、自分自身の哲学を半歩でも前進させることが大事だ。

現代沖縄の課題は理想の哲学が生まれるのを待つのではなく、沖縄・日本・アメリカ・アジアの国々の事実を正確に把握したうえでこれからの沖縄を考えることだ。
  

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2012年02月28日

首相・知事対談・・佐藤学沖国大教授批判









 仲井真知事は、「日本の中のどこかの地域に探してもらった方が早いので『県外』を目標にしている」と野田首相に話している。しかし、仲井真知事は野田首相に「県外移設」を要求しているのではない。仲井真知事は「私はこの通り、野田首相に県外移設を要求していますよ」と県民にアピールしているのだ。
仲井真知事は辺野古移設の推進派だった。しかし、去年の県知事選で辺野古移設を公約にしたら落選する恐れがあったので、県知事選の幹事長だった翁長那覇市長の忠告で仲井真知事は辺野古移設をひっこめて「県外移設」を公約にしたのだ。「県外移設」は当選するための公約であり仲井真知事の本心ではなかった。2007年には滑走路を沖の方に5メートル以上移動させないと埋め立てを許可しないと政府に要求したのは仲井真知事だった。仲井真知事は海の埋め立てを広げた人間でもある。
 仲井真知事の本音は「辺野古移設」である。「県外移設」を口にしながら内心は辺野古移設を実現するために色々考えているのだろう。

 野田首相と仲井真知事は前日の夜に1時間食事をしている。前日の食事談話のほうが本格的な対談であり、昨日は県民向けの儀式的な対談であっただろう。

 佐藤学沖縄国際大学教授(政治学)は、「さまざまな案を検証」した結果辺野古移設に戻ったことを「さまざまな案」には内実がなかったといい、政府が県外移設を真剣に模索しなかったから実現しなかったと暗に述べている。ほとんどの沖縄の知識人は佐藤氏のように政府が真剣に県外移設に取り組まなかったから「県外移設」を実現できなかったと主張している。
 しかし、沖縄の知識人や政治家は政府を一方的に避難するだけで、自分たちで「県外移設」の可能な場所を指摘したことは一度もない。鳩山元首相の時代に「県外移設」の候補地が色々上がったが、普天間飛行場の移設場所としての条件が満たされていなかったり、住民の猛反発などで移設場所を見つけることはできなかった。
 普天間飛行場の「県外移設」が非常に困難であることを知ったのが鳩山元首相の時だった。もし、沖縄の知識人や政治家が真剣に「県外移設」を求めるのなら、鳩山元首相の時に候補地に上がった場所以外を探すべきだ。しかし、一人も探そうとしない。政府を非難するだけである。非難するのは口があればだれでも簡単にできる。真剣に「県外移設」をしたいのなら移設場所を探すはずである。
 
 佐藤氏は日本政府が「米国に対して、一度も『県外・国外』を実現すべく交渉しなかった」ことを批判しているが、辺野古移設は日米両政府が話し合って決めたことであるのにどうして日本政府が辺野古移設案をゼロに戻して「県外・国外」を米国と交渉しなくてはならないのか。そもそもは民主党政権の前の自民党政府の時に県も名護市も辺野古移設に賛成していていたのだ。あとは工事を始めるだけであったのに、鳩山元首相が「県外移設」を主張して、米国と約束していた辺野古移設を反古にした。
国と国の約束を鳩山元首相は破ったのだ。佐藤氏が政治学者であるなら、国のトップの人間が国際条約を破ることがいかに愚かであることを知っているはずだ。こんなことをやれば日本の国際的な信用を失墜する。鳩山元首相はやってはいけないことをやったのだ。
まあ、佐藤氏が学者である前にウチナーンチュであり政治屋であるなら鳩山元首相の「県外移設」を歓迎しただろう。

 佐藤氏は、「在沖海兵隊抑止論への具体的批判が数多く出た今、なおも、事務方が用意した『抑止力』論を強調する点に、不誠実さが如実に表れている」と野田首相を批判している。首相は細かいところまですべてを頭の中にいれているのではない。在沖海兵隊の抑止論は高度で複雑な軍事論であり首相が専門的な見識まで持つのは無理だ。国家は首相、大臣、副大臣、実務員などそれぞれの仕事を分担して成り立っている。細かい問題は事務方が用意するのは当然だ。

沖縄の海兵隊は韓国からフィリピン、カンボジア、タイなど中国の周辺国の軍隊と演習や訓練をやって周辺国の軍事力を高めて、周辺国との連携で中国への抑止しようという米軍の作戦を展開している。グアムには周辺国を招いて規模の大きい軍事演習を行っている。日本には自衛隊の設備があるのになぜグアムでやるのかと言えば日本でやれば社会問題化するからだという。

アジアでの海兵隊のローテーションは沖縄を中心にやって、グアムでは大掛かりの演習をするというのがアメリカ軍の計画である。すでにグアムでは自衛隊やオーストラリアなどの軍隊が海兵隊の指導で演習を実行している。
佐藤氏は「米側の大きな状況の変化に目をつぶり続け」と野田首相を非難しているが、米側はアジアの状況を分析し、中国への抑止として最良と思われる作戦を立てたのであり、「目をつぶり」というのならアメリカの作戦の欠点を示して、「目をつぶったことは日本に不利益をもたらした」ことを証明するべきだ。アメリカの作戦変更に口出しをしなかったからといって非難するのはおかしい。

佐藤氏「ひたすら辺野古を差出すれば」と述べているが、鳩山元首相は真剣に「県外移設」を目指した。しかし、移設場所を探すことができなかった。「県外移設」の実現は不可能であるという厳しい現実を鳩山元首相の時に思い知らされたのであり、以後の菅首相や野田首相はそのことを痛感し、辺野古移設しかないと考えるようになった。
沖縄の知識人や政治家は鳩山元首相が辺野古移設に戻ったことを「約束を破った」と非難するだけで、鳩山元首相の努力を無碍にし、「県外移設」の厳しさを理解しなかった。

辺野古移設しかないと考えている政府は佐藤氏のいう通り強引に辺野古移設を進めていくだろう。

佐藤氏は、「日本政府は、自ら変わる意思を放棄した」と民主党を批判しているが、それば逆だ。「日本政府は、変わることができなかった」だ。国内問題は民主党自身に問題があるが、辺野古に関係するのはアメリカ、中国、北朝鮮、フィリピン、台湾、ベトナムなどアジアの国々の政治・軍事が複雑に絡んだ問題であり、自民党から民主党になったところで簡単に変われるものではない。変われると思う方が浅はかな考えである。

中国と北朝鮮が社会主義である限り、アジアの国々は中国や北朝鮮の圧力を跳ね返す軍事力を持つ必要がある。アメリカ軍の存在は中国の抑止に大きい影響を与えている。沖縄が日本返還されてアメリカから日本に管理が移ると、中国は尖閣諸島の領海を荒らした。フィリピンもアメリカ軍が徹底すると領海を中国に取られた。

佐藤氏はアジアに背を向けたまま日本政府とアメリカ政府を見て、普天間飛行場の移設を問題にしている。佐藤氏は背中に矢を刺されてからアジアを振り向くタイプだ。それでは遅すぎる。
沖縄の海兵隊は、周辺国と中国が紛争も起こさないために、周辺国と軍事演習をしたり訓練をして軍事力を高めている。
  

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2012年02月27日

大阪市・市バス運転手年収38%減提示へ

 
  大阪市交通局は、市バス運転手の年収(平均739万円)を38%減の約460万円、地下鉄運転士の年収(同734万円)を5%減の約700万円とする給与カット案をまとめた。

 「民間並みに合わせる」との橋下徹市長の方針を受け、民営交通の平均水準まで引き下げる。

 4月の給与改定を目指しているが、異例の大幅カットに組合側の反発は必至で、段階的に削減する案も浮上している。

 交通局によると、市バス運転手(約700人)の平均年収は、在阪大手5社の544万円より36%高い。しかし、市バス事業は28年連続の赤字決算で、累積赤字は2010年度で604億円に上っている。

 同局は、在阪大手5社だけでなく、中小も合わせた民営バス運転手、鉄道運転士の平均を算出。それぞれ約460万円、約700万円とはじき出した。

 給与改定には、労使交渉で協約を見直す必要がある。同局は、近く橋下市長に給与カット案を提示する方針で、実現すれば、年20億円以上の人件費減になるという。

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 38%カットか。すごいカットだ。バス運転手たちはパニック状態かもしれない。運転手側の反発はものすごいだろうな。しかし、民間より38%も高級だったことは問題だ。38%は確実に削減するべきだ。運転手が納得するように2,3年をかけてやらざるをえないかもな。
 
 橋下市長の政治改革は本物だ。

 教育行政基本条例は公明党との連携で大阪市議会でも成立しそうだ。大阪の改革は着実に進んでいる。
  

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2012年02月27日

太田元県知事批判・辺野古の現実を知ってくれ





太田昌秀氏は元琉大学長であり元沖縄県知事である。太田氏は沖縄の最高の知識人にして最高の政治家である。太田氏は沖縄の人々に尊敬され、太田氏の発言は多くの沖縄の人々に影響を与える。であれば太田氏は客観的な事実に踏まえて考慮し、自分の発言は責任を持って発言しなければならない。
 
 しかし、残念ながら太田氏は妄想癖があり、現実を無視したとんでもない理論を展開し、超楽観的な将来を描く。「こんな沖縄に誰がした」という太田氏の本を読んでたまげた。こんな荒唐無稽なことをべらべらとよくも書けるものだとあきれた。しかし、内容が沖縄の軍事基地と経済のことであり、太田氏の理論が現在の県事務局に影響を与えているのであれば、あきれただけでは済まされない。

 太田氏は「こんな沖縄に誰がした」で、ハンビー飛行場が返還され民間に利用されたら、雇用が100人から数千人以上になり、固体資産税が357万円から1億9507万円にも増えた事実を参考にして、だから軍用地が返還したら何十倍も経済が発展すると述べている。普天間飛行場はハンビーよりも11倍広いからハンビーの11倍もの経済効果があると述べている。
太田氏は、嘉手納飛行場は成田飛行場の2倍の大きさだが雇用されているのは成田飛行場が4万人以上であるのに嘉手納飛行場は2734人しか雇用されていない。もし嘉手納飛行場が民間空港になったら成田飛行場の二倍の雇用が見込まれると「こんな沖縄に誰がした」で断言している。雇用は飛行機の利用客数に左右される。利用客数が多ければ雇用は増えるし、利用客が少なければ雇用減る。太田氏は飛行場が大きければ大きいほど利用客も多いと考えているが、利用客は飛行場の大きさに比例しない。むしろ利用客が多ければ滑走路を増やし飛行場を広くし、利用客が少なければ飛行場は小さくする。これが普通の考えだ。

嘉手納飛行場が民間空港になると、同じ沖縄にある那覇飛行場の客が嘉手納飛行場に流れるのは当然である。ところが太田氏の考えにはそれがない。太田氏の考えは、那覇飛行場の利用客は一人も減らないで、嘉手納飛行場の利用客が成田空港の利用客の2倍になる考えである。こんなことはありえないことだ。嘉手納飛行場が民間空港になったら那覇飛行場の客は確実に激減するだろう。
成田空港は日本の玄関とも呼ばれる国際空港である。成田空港と沖縄にある空港とは広さは関係なく成田空港の客が多いのは当然である。ところが太田氏は飛行場が広ければ客も多いという理屈であり、嘉手納飛行場のほうが広いから客は成田空港以上だという。そんなことはありえない話だ。嘉手納飛行場が成田空港の二倍の広さがあるからといって客も二倍になるなんて荒唐無稽の理屈だ。誰も太田氏の理屈に納得しないだろう。

ところが太田氏の理屈は県事務局に受け継がれていた。太田氏の理屈を踏襲した県事務局は那覇新都心の経済成長を参考にして、沖縄の全軍用地がすべて返還されたら現在よりも9000億円以上の経済効果あるという試算を去年発表した。那覇新都心もハンビータウンと同じ消費経済である。那覇新都心の店が売り上げた分だけ県内の別の店の売り上げが落ちただけだ。那覇新都心経済は県内でお金が移動する経済であり、県全体から見たら0成長である。
しかし、基地経済は違う。お金が日米政府から沖縄県にお金が入ってくる。約4000億円であり、観光の売り上げ4300億円に近い。基地が返還されたら沖縄県に約4000億円の金が入らなくなり、一兆円余の商品移輸入のうち4000億円分商品の移輸入が減るということになる。約4割の商品が県内に入ってこないから沖縄の経済はパニックになる。

基地返還をしても沖縄の経済が現状維持を実現するには観光産業や沖縄のベンチャー企業の売り上げが4000億円増えなければならない。企業の成長に必死に取り組まなければ沖縄経済は危うくなる。
沖縄の経済を発展させる理論が太田氏にはない。

インタビューの中にも太田氏らしい楽観論がある。「大浦湾が地域住民にとってどんなに大事な所か知らないだろう。戦中戦後の食糧難の時代に生活を支えた豊かな漁場であり、沖縄県が『一切の開発を認めない、現状のまま保全すべき場所』にした。さらに沖縄の経済を支える観光にとってエコツーリズムのメッカになる自然のきれいな場所だ」

半世紀前に、沖縄中が米軍の強制土地収用に反抗し闘っているさなかに辺野古は土地収用に賛成した。これには沖縄中を驚かせ怒らせたが、それは辺野古が悩みぬいた結果の苦渋の選択たった。「どうせ接収されるなら、接収を受け入れて、逆に自分たちの要求を聞き入れてもらう」という条件闘争を辺野古はやったのだ。米軍と対立するのではなく協力しあうという辺野古独自の方法を選択した。
その後、基地建設で辺野古は空前の活況を呈することになる。辺野古の人口も4倍になった。辺野古の人々は女子供を守るために自警団を結成する一方、米軍とは親善委員会をつくって村の行事に米軍も参加させて米軍と有効関係を築いた。犯罪防止についても米軍と相談をした。それが辺野古のやり方だ。
しかし、基地は整理縮小し、アメリカ兵が激減した。辺野古の経済はアメリカ兵の減少につれて落ちていき、今は過疎化の危機が襲ってきている。

太田氏は辺野古の人々の苦渋の選択を知らない。辺野古の戦後の歴史を知らない。それに沖縄の自然が生活を豊かにしてくれない事実を理解していない。沖縄は海岸が自然に恵まれていても、海岸の恵みはお金に換算するとわずかであり生活を維持することができない。沖縄の漁はパヤオ漁によって生活を支えている。「戦中戦後の食糧難の時代に生活を支えた豊かな漁場」と太田氏はいうが戦中戦後から半世紀も過ぎた今は昔の漁では生活できない。
「一切の開発を認めない」のならなおさら漁師を貧しくさせるだけだ。海の一部は鉄条網で閉ざされ基地になっている。基地が隣接している辺野古の海がエコツーリズムのメッカになるというのは妄想だ。それにエコツーリズムのメッカになったところで辺野古の住民の生活がよくなるわけではない。
太田氏の理屈は辺野古を過疎にしていく理屈である。

辺野古の住民は過疎化を防ぐ方法として普天間飛行場の受け入れを認めている(全員ではない。移設に反対している住民もいる)。
太田氏は県知事であったにも関わらず、過疎化に苦しんでいる県民のことを知ろうとしない。太田氏は県知事であったにも関わらず、辺野古の人たちが普天間飛行場の移設を受け入れるという苦渋の選択を無視している。太田氏は県知事であったにも関わらず、辺野古の人々の悩みに見向きもしない。

「新聞などの投書で沖縄の基地問題を称して『差別』という言葉が増えたのは戦後ないこと。基地の過重負担は差別から発していることに県民は気付き、怒りを感じている」などと、『差別』の理論が反戦平和主義による米軍基地撤去から、反差別主義による本土への基地移設と変わり、米軍の日本駐留を認める思想に変わったことも知らないで、「首相が県民感情を軽く見たら、安保そのものが危うく」なると呑気なことをいう。太田氏は「構造的差別」だなどという言葉の流行に流されてもっともらしいことをいう。呑気なお人だ。

太田氏のいう通り沖縄は人間の住む島だ。人間はかすみを食って生きていくことはできない。太田氏は21世紀ビジョンなどと上だけを見て妄想しないで、沖縄の底辺の生活者に目を向けてほしいものだ。
  

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2012年02月26日

新報社説批判・大阪府教育条例は拙速ではない




 毎日社説を書かないといけないから、できるだけ多くの情報を分け隔てなく集めて、その日その日でまとまった評論を書かないといけないから、社説を書く人の知識は広く浅くなってしまうのは仕方がないのかも知れない。紋切型の文句を使うのも仕方がないのかもむしれない。

今日の新報社説は大阪府条例が議会に提出されたことについて「拙速避けて徹底討論を」の見出しで、「あまりに急すぎる。丁寧な議論を欠いたスピード優先の変革だ」と述べている。拙速に見えるのは社説の筆者が大阪府知事時代の橋下氏に関心がなかったせいだろう。橋下氏が大阪市長選で自民党、民主党、共産党の結束を跳ね返して当選してから俄然マスコミに注目された。そのあたりから新報社説も橋下市長に興味を持ったのだろう。だから、「拙速避けて徹底討論を」と忠告するのだ。

 橋下氏の教育改革は大阪府知事になってからすぐに始まっている。府の教育委員は全員入れ替えて今は全員橋下市長が招聘した人たちであり、教育に情熱のある人たちである。橋下市長が府知事の時には彼らと何百時間も討論をした。大阪府教育条例については橋下氏と教育委員は激しい討論を何度もやっている。教育委員たちは大阪府教育条例を議会に提出するなら全員教育委員を辞職するとまでいって橋下氏と激しく対立した。橋下市長は維新の会の教育条例案に反対なら対案を出すように教育委員たちに要求したこともあった。教育条例案を提出しないように泣いて訴えた教育委員もいた。

 辞職すると宣言した教育委員たちは辞職宣言を撤回し、最後まで橋下市長、維新の会と闘うことを宣言した。そして、教育委員たちは妥協できるところは妥協し主張すべきところは主張した。最初の教育条例案では、知事が教育の方針を決めるであったが、教育委員からの提案で、知事と教育委員が協議して決めることに訂正した。

 知事が教育委員と真剣に徹底討論したのは日本の歴史上はじめてだろう。残念ながら新報社説はこの事実を知らないようだ。だから、「拙速を避けて徹底討論を」などという見出しを出すのだ。

 社説は「現場とも徹底的な対話、議論を繰り返して」などと書いているが、橋下市長は知事時代から徹底的な議論をやっている。
 その現場のビデオがある。

 

 
橋下知事が教育について保700人府民との討論会を開いた。討論会には教職員が乗り込んで激しいヤジを飛ばし、橋下知事非難の発言もした。橋下知事は教師を真っ向から批判した。
橋下知事の教育への情熱を知ることができる。教師たちが府民から浮いているのも明らかである。

橋下府知事の発言。
「学校の先生は府民から選ばれたわけでもなんでもない。僕は失敗した責任をとらなければならない。学校の先生は責任を取らない。一生身分保障がある公務員の生活の中でぬくぬくとやっていけるわけですよ。どこの会社で社長の方針に従わない部下がいますか。それならクビでしょう。

大阪の子供たち、夢や希望を持っていない子供たちの率がものすごく高い。
(会場から、教師にも意見を言わせてくださいよとヤジが飛ぶ)。
まず保護者の方に意見をきいているから、まずは(教師は)黙りなさい。聞こえないじゃないですか(大拍手)。
家庭のみなさんがコントロールしてください。よろしくお願いします。

ヤジが激しく飛ぶ。
橋下知事
「大阪の教育現場の本質を見てください。皆さんが学校の運営に入ってください。
9割は一生懸命になっている先生がいる。みんな疲れきっている。だから地域・家庭で学校の先生を支えて学校の運営の中に入ってください。そして、1割のどうしようもない先生を排除してください。

日教組の小学校の教師の発言
「私は日教組の組合員ですが、中山氏の発言は絶対に許せません。
(橋下府知事は2008年の中山大臣の「日教組は教育のガン」「子供の教育よりは政治活動に力をいれている」発言に賛同した)。
さすがに中山氏は全国民から非難され、大臣を辞任しましたが、橋下知事だけがこの発言は「なかなか本質をついている」と擁護しました。ちょっと汚い言葉ですがくそ教育委員会とか(学力テスト)非公表の地域に予算を下ろさないなどと橋下知事の暴言こそルール違反、マナー違反ではありませんか」

橋下府知事の発言
「僕が考えている学力というのは子供たちがちゃんと社会に出て壁にぶつかった時に自分の頭で考えて、その壁を乗り越えられる能力。これが絶対に必要なんです。そのためには子供たちに分かる・できる自分は分かるんだ。自分はできるんだということを繰り返し繰り返し積み重ねをして、子供たちにその体験をさせることがどうしても必要なんです。子供たちが途中で自分は分からない自分ができないとなった途端に自分の将来に夢や希望は持てなくなります。大阪の子供たち、夢や希望を持っていない子供たちの率がものすごく高いんです。
大阪のものすごく高い(教師のヤジが多い)。(教師集団に向かって)まず保護者の方に意見を聞いてるから黙りなさい。まず聞こえないじゃないですか(保護者大拍手)。まず黙って話を聞きなさい。いい大人なんだから。やっぱりちゃんとね、子供たちにはしんどいかもわからないけど、最初の基礎中の基礎の部分は絶対に積み重ねないといけない。
これが小学校4年5年、中学になって学校に行きたくなくなる。大阪の中学生、犯罪率一番高いんです。
学校に行きたくなくなる。ドロップアウトしてしまう。それは途中で自分はできないんだ。分からないんだということで自暴自棄になってしまう。
だから必ず子供たちに夢や希望を捨てさせないためにも僕は必ず学力から真正面に取り組んで今のこのような教育のね、こんな先生方、こういう状態にならないように子供たちをこんな先生に任せられないんですよ。僕は絶対に任せられない(大拍手)。
中山大臣の発言。あの発言こそまさにまさに正しいじゃないですか。この大阪の現状を見てくださいよ(大拍手が続く)。
学校現場をまず変えていかなければいけない。こんな先生方に子供を安心して預けるわけにはいかないんです。
だけれども、やっぱり子供が走り回って授業にならない。何か注意すれば保護者がワーワー叫んでくる。ちょっと叱って頭をごっつんしようものならやれ体罰だと叫んでくる。こんなことで赤の他人の先生が子供を教育なんかできるわけがありません。それはやっぱし叱るところは叱らなければしょうがないし、口で言って聞かなければ手を出さなきゃしょうがないんですよ。
あとはどこまでそれを許していくのか、どこまで教育を認めていくのかはそれは先生だけの判断に任せるわけにはいきませんから。それは家庭なり地域なりがきちんとコンセンサスを形成していくこれが第一なんです。


保護者の感想
きょう、うちの娘が来ています。これだけの大人が真剣に自分のことを考えていることをうれしく思っていると思います。

橋下府知事の感想

「(会場に)子供たちがいる中で政治的闘争を繰り広げる先生」とくくってもらえればいいと思う。
全く支持されているわけでもない。全く反対されているわけでもない。賛否両論あるのであれば自分が思った通りに勧めます。


  



 橋下市長の教育への情熱に触れれば触れるほど、八重山教科書問題がとても馬鹿らしくなってくる。
  

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2012年02月25日

橋下市長、来県するかも





 普天間飛行場の県外への分散移設について、橋下市長が「全く何も固まっていない」と発言したことにほっとした。米軍基地は分散移転できるはずがない。分散移転は勝手に「県外移設」を主張した人やマスコミが問題にしたことである。

 普天間飛行場問題は裏と表が捩じれている。安易に首を突っ込むと首がねじれてしまう恐れがある。仲井真知事の本音は辺野古移設に賛成だ。2007年に、沖に5,5メートル移動するように政府に要求しているように仲井真知事は辺野古の海の埋め立てに積極的だった。

 辺野古移設を実現するためには知事であり続けなければならない。革新知事になったら辺野古移設は完全に駄目になる。だから、仲井真知事は知事選の時、当選するのを最優先にしたために、本音である「辺野古移設」を下ろして「県外移設」を公約にした。そして、当選した。
仲井真知事は「辺野古移設」は不可能と革新政治家と同じ発言をしている。しかし、仲井真知事が「辺野古移設」不可能と言っているのには裏がある。名護市長が「辺野古移設は不可能」と言っているから不可能であって名護市長が「辺野古移設可能」と言ったら辺野古移設は可能であるという理屈である。
仲井真知事は「辺野古移設は不可能」と言いながら、辺野古移設が可能になる環境をつくるのに必死である。宜野湾市長選で自民党が勝利したのは辺野古移設に少し近づいたということであり仲井真知事はほっとしているだろう。次は6月の県議会選で自民党が過半数になることである。自民党が過半数を握れば辺野古移設の環境がかなり好転する。

一括交付金の500億円の増加や今月末に首相が来県するのは辺野古移設実現に重要な意味が隠されている。一括交付金の500億円の増加は仲井真知事が辺野古移設について首相と確約したからであろう。首相は辺野古移設へのレールがかなり高い確率で敷かれていない限り来県しないだろう。

橋下市長が普天間飛行場の県外移設に協力を申し出ても。仲井真知事にとって迷惑な話である。普天間飛行場は辺野古移設することが仲井真知事の目的であり、普天間飛行場以外の米軍基地はグアムに移設するか県内移設する計画はすでに進められているから県外に移設するような米軍基地はない。

革新政党は教職員組織や公務員組織を母体としているから、教育改革、行政改革を掲げている橋下市長に反感を持っている。革新政党が基地問題で橋下市長と手を取り合うことはないだろう。
橋下市長は知事にも自民党にも革新政党にも歓迎されていない。

沖縄に必要なのは基地の分散移設ではなく、大阪市と同じような教育改革であり行政改革だ。沖縄の深刻な問題は基地問題ではなく沖縄の社会問題だ。県民所得全国最下位、あらゆる社会保障が最悪、学力テストは全国最下位なのに教員は学力向上無視、教員や公務員の給料や待遇は全国並み。国家公務員なみの給料をもらっている市町村もある。沖縄に必要なのは大阪と同じ維新改革だ。
  

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2012年02月25日

竹富町方式を全国に広めよう




竹富町は採択地区協議会に縛られない自由な教科書採択をやった。八重山採択地区協議会が採択した教科書を採択しなかったから国から無償給付されないのは当然ことであるが、その代わり市民が教科書の現物支給をやるという。国の税金も使わないし竹富町の税金も使わない。素晴らしい教科書の採択方法である。

竹富町のやり方に文科省はお墨付きをつけた。文科省は竹富町のやり方を認めたのだ。来年からは全国の市町村の教育委員会は教科書の料金を市町村か市民が負担すれば採択地区協議会の採択に縛られないで自由に採択してもいいということを竹富町は見本を示してくれた。

竹富町の自由な採択に大賛成だ。

「法的瑕疵があるならば3市町は『同罪』なのに、竹富だけ有償なのは不当な差別そのもの」は法律に無知な中村代表の愛嬌として、「教科書問題は大人の責任で、子供に押し付けてはいけない。大人が目の前の問題をしっかりと解決する必要がある」と考え、竹富町に東京書籍版教科書の現物寄贈をするのは立派な考えである。

市町村が自由に教科書を採択する竹富方式は全国に広がってほしい。
  

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2012年02月24日

沖縄のマスコミは反橋下市長派だ



 

 「『私はなんてことをしたのでしょう』。泣き崩れる女性教員。クラス間の学力競争にさらされ、同僚とも仲たがい。テストの日に、点数の取れない生徒を休ませたー」。琉球新報は教員が自分勝手につくった寸劇を紹介している。教育基本条例が実施されたらこのような悲惨な現実になると大阪市の教員たちはいい、琉球新報も賛成している。
 でも、この寸劇で「点数の取れない生徒を休ませた」のは教員である。生徒や保護者が望んだことではない。生徒を休ませた教員の考えがおかしいのだ。全国学力テストで答えを教えたり、成績の悪い生徒を休ませたりしたのは校長や教員であった。生徒や保護者ではなかった。

学力競争で意識過剰になるのは生徒や保護者ではなく校長や教員であることは過去で証明済みである。保護者はいづれは社会に出ていく自分の子供の将来を案じて、子供の全国的な実力句を知りたいのであって、競争に勝つのが目的ではない。橋下市長の教育改革案を実施すれば、「クラス間の学力競争にさらされ、同僚とも仲たがい」になるというのは被害妄想である。
橋下市長の教育改革案を実施すれば教員の実力が問われる。実力のない教員には実力がないとはっきり判断されるようになる。生徒や保護者の厳しい目にもさらされる。ぬるま湯の今の教育現場に居たいから橋下市長の教育改革案に反対しているのだ。
 
 育鵬社の教科書が使われるようになると軍国主義国家になるという寸劇を八重山でやったが、事大主義に誇張するやり方は八重山の寸劇と同じである。教員組織は子供を使ったり、自分で演じたりして荒唐無稽な寸劇を発表するのが好きなようだ。
 
 大阪府立高校教員の8割超が教育基本条例案反対に署名して撤回を要求している。橋下大阪維新の会と大阪教職員とのし烈な戦いは橋下市長が大阪府知事になったときからずっと続いている。大阪府は維新の会が過半数を占めているから教育基本条例案は成立する。大阪市の場合は維新の会は過半数に達していないから成立するかどうかは不明である。公明党が賛成すれば成立する。橋下市長と大阪教職員との闘いは次第に橋下市長が有利になってきた。
 
 橋下市長が府知事時代に、高校の授業料を公立・私立の分け隔てなく無料にした。非常に画期的なことだが、琉球新報はそのことは書かない。橋下市長の教育の理念は「家が貧しいから成績が悪いとはいわせない」ような教育体制をつくることだ。橋下市長は授業料、給食費など教育の保護者負担を無くす努力をしているが琉球新報は報道しない。
その代わり「トップダウンで選ばれた学校に金を落とすのが橋下流。教育は人気取りではない」とデッチ上げの記事を書く。

橋下市長は留年制の活用を教育委員会に提起した。生徒全員に最低基礎学力を持たして中学を卒業させたいから留年制を問題にしたのだ。留年制を提案した橋下市長に「トップダウンで選ばれた学校に金を落とすのが橋下流。教育は人気取りではない」と言えるのか。ひどいデッチ上げである。
基礎力が全然なくても進級させて、漢字がほとんど読めなくて、掛け算割り算さえスムーズにできないのに中学を卒業させるのが今の教育だ。

生徒のほとんどはちゃんと教えれば普通以上の成績になる。学習塾を15年やり、浪人生を教えた体験から自信を持って言える。漢字がほとんど読めないで、掛け算九九も満足にできない生徒でも一年間真剣に教育すれば普通の学力を持つことはできる。
漢字がほとんど読めないで、掛け算九九も満足にできない生徒が浪人クラスになんと九人も入塾したことがあった。彼らと出会った時、想像を絶した彼らの学力にとてもショックを受けた。会話から彼らが認知症の生徒ではないことは確実であった。漢字が読めない彼らはマンカを読まなかった。ウチナー方言を使っていたのでテレビも見なかった。
高校を合格させるのが塾の商売であり使命だから、必死に教えた。無料で泊まり込みの授業もやった。漢字の読めない彼らに粘り強く本読みをさせ、足し算引き算掛け算を教えた。学力がつき文章が読めるようになるとマンガを読むようになりテレビも見るようになった。それは教養であり教養を身に着けると次第に性格もよくなっていった。そのようになるまで半年以上もかかった。
彼らのほとんどはランクの低い農林高校に行ったが、学校で彼らのような落ちこぼれに特別従業をやっていれば普通の成績であったはずである。

留年制度は日本の学力が世界と比べてどうであるかという問題とは関係がない。子供が高校を卒業したときに社会で一人前の人間として生きていけるかどうかの問題である。

今は、全員が高校進学できる時代になった。昔は学力の低い生徒は浪人をして一年間学習塾で勉強してから高校に進学していたが、全員が高校進学する今は成績の悪い生徒はそのまま高校に行く。そのような生徒は高校の勉強ができない。

高校でちゃんと勉強できるようにするには留年制度を設ける必要がある。しかし、留年制度をつくるだけでは本当の効果はない。留年制度をつくると同時に、小学一年生から成績の悪い生徒には専門の教員が個人指導するシステムをつくるべきである。
学力世界一のフィンランドがこの制度を徹底して活用している。

 琉球新報は橋下市長の教育改革に反対の立場である。八重山教科書問題の報道を見ればそれが当然であることがわかる。
 橋下氏は人気とりのために教育改革をしているのではないことは明らかである。大阪の教員が教育よりは政治活動に熱心であるのを嫌い、教員が教育に汗水を流す教育体制をつくるのが橋下市長の目的だ。

 橋下市長は沖縄の米軍基地の負担を日本全国で分担するというマニフェストをつくるので、沖縄に来るようだ。正直いって魑魅魍魎の世界である沖縄問題には触れないほうがいいと思うが、橋下市長が沖縄に来るのは歓迎だ。
 橋下市長の来沖に刺激を受けて、沖縄にも大阪維新の風が吹くかもしれない。
  

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2012年02月24日

八重山採択地区協議会規約には大きな間違いがある


 

教科用図書八重山採択地区協議会規約


第3条 協議会は、採択地区教育委員会の諮問に応じ、採択地区内の小中学校が使用する教科用図書について調査研究し、教科種目ごと一点にまとめ、採択地区教育委員会に対して答申する。

教科用図書浦添・那覇採択地区協議会規約


 第3条 協議会は、採択地区教育委員会の諮問に応じ、採択地区内の小中学校が使用する教科書について調査研究し教科種目ごと一点にまとめ、採択地区教育委員会に対してそれぞれの教育長を通じて答申することを目的とする。

  
 去年、教科用図書八重山採択地区協議会規約をネットで探したが見つけることができなかったので他の県の採択地区協議会規約を参考に意見を述べた。昨日、ネットで教科用図書八重山採択地区協議会規約を見つけ、読んで驚いた。国が無償給付する教科書を採択する内容の規約になっていない。他の採択地区協議会規約も同じなのかどうかを確認するために浦添・那覇採択地区協議会規約を見た。内容は同じだった。八重山と浦添・那覇の規約が同じであるから沖縄の他の採択地区協議会も規約は同じだろう。

 「採択地区内の小中学校が使用する教科用図書について調査研究し、教科種目ごと一点にまとめ」という文章にはっきりと「使用する」と明記してある。私が見た他の県協議会規約は「使用する」という文はなく、教科書を「採択する」となっていた。

 教科用図書採択地区協議会は地区の小中学校の使用する教科書を決める機関ではなく、地区に無償給与する教科書を決める機関である。
無償措置法の正式名称は「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」であり、第1条には「この法律は、教科用図書の無償給付その他義務教育諸学校の教科用図書を無償とする措置について必要な事項を定めるとともに、当該措置の円滑な実施に資するため、義務教育諸学校の教科用図書の採択及び発行の制度を整備し、もつて義務教育の充実を図ることを目的とする」と教科書の無償給付するための法律であることを明記している。

 沖縄県の教科用図書採択地区協議会規約は地区の小中学校で使用する教科書を決める機関としているが、教科書を使用する法律は地方教育行政法である。無償措置法による採択地区協議会の規約としては沖縄の規約は間違っていると言わざるを得ない。

 「採択地区内の小中学校が使用する教科書について調査研究し教科種目ごと一点にまとめ」は採択地区協議会が教科書を無償給付する内容になっていない。教科用図書八重山採択地区協議会規約と教科用図書浦添・那覇採択地区協議会規約は、国が無償給付する教科書を決める機関であるという内容に訂正するべきである。
  

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2012年02月23日

憲法精神が欠落した竹富町




 

教科書独自採択 残念な竹富町のルール逸脱(読売社説)


 中学校の公民教科書選びを巡る混乱が続いていた沖縄県八重山地区で、竹富町の教育委員会が教科書の独自採択を貫くことを最終確認した。
 同一地区内で異なる教科書を使う異例のケースだ。教科書採択制度のルールを逸脱した残念な事態と言わざるを得ない。
 国費による教科書の無償配布を定めた教科書無償措置法は、複数の市町村からなる広域地区で同じ教科書の採択を義務づけている。教師が教材の共同研究をしやすいなどの利点があるためだ。
 石垣市、竹富町、与那国町で構成される八重山採択地区協議会は昨年8月、育鵬社版の採択を答申した。ところが、竹富町だけは答申に反して東京書籍版を採択した。文部科学省から一本化を求められても譲らなかった。
 文科省は、独自採択は無償措置法に抵触しており、教科書を無償配布することはできない、との見解を示してきた。
 このため、竹富町では生徒が必要とする公民教科書22冊の購入費を町民有志が負担するという。
 1963年の法施行以来、教科書の無償配布が行われなかった例は一度もない。竹富町は文科省にあくまで無償配布を求める方針だが、国費の支出が認められないのは当然だろう。
 県教委の責任も重い。本来、法律を順守するよう竹富町教委を指導する立場にありながら、適切な働きかけを行わず、混乱を長引かせたと言える。
 育鵬社の教科書は、内容について国の厳正な検定を受け、合格したものだ。採択協議会が選択したことに何ら問題はない。
 国境に近い八重山諸島は、一昨年に起きた尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件以降、緊張を強いられている。育鵬社版が選ばれた理由の一つは、領土問題の記述が充実していることだったという。
 一方で、沖縄県内には、「新しい歴史教科書をつくる会」の元メンバーらが執筆した育鵬社の教科書への根強い抵抗感がある。
 次回以降の採択で、竹富町は同じルール違反を繰り返すべきではない。生徒数が多い他の自治体で同様の問題が起これば、さらに混乱が深まる恐れもある。
 今回の問題を契機に、教科書の「広域採択」の見直しや、学校単位での採択を求める声も出ている。しかし、採択の単位を狭めすぎると、特定勢力の圧力に影響を受けやすくなる危険がある。
 制度改正の検討については慎重であるべきだ。

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八重山採択地区協議会が無償給付する教科書として育鵬社の教科書を採択したが、竹富町は八重山採択地区協議会の採択に従わないで東京書籍の教科書を採択した。国に圧力をかけるために、無償給与するための町の予算を計上しなかった。1963年の法施行以来、教科書の無償配布が行われなかった例は一度もないという。50年も日本の教育界が守ってきた無償配布を竹富町は破った。なぜ、竹富町は東京書籍の教科書を採択したのだろうか。恐らく竹富町だけの決断では東京書籍を採択することはいできなかっただろう。
 
 9月8日には県教育庁の介入で、「全員協議」のもとで東京書籍版の教科書が無償給付する教科書に採択された。沖教祖、教員OBの団体、大学教授、平和団体など、多くの団体や知識人が育鵬者版の教科書を非難し、9月8日の全体協議を支持した。沖縄の革新系の団体が総力をあげて竹富町を支持した。そういう計画があったから竹富町は東京書籍の教科書を採択したのだ。

 竹富町は1963年の法施行以来、破られなかった教科書の無償配布を破った。そして、竹富町は、憲法に義務教育は無償であるという条例があることを取り上げて、国に無償給付を要求する一方、町は採択した東京書籍の教科書を生徒に無償給付するための予算を組まなかった。最悪の場合は有償給付になる。
 憲法は政府だけが守るものではない。国民全員が守らなければならない。特に税金の世話になっている役所は憲法を順守しなればならない。竹富町に憲法順守の精神があれば無償給付するための予算は当然組まなければならない。ところが竹富町は国を追い込む戦術を優先させ、国に圧力をかける目的で予算を組まなかった。
 
 八重山採択地区協議会の採択した国が無償給付する教科書を採択しないで、無償給付のための予算も組まなかった竹富町には義務教育は無償であるという憲法の精神がない。

 育鵬社の教科書を採用させないためにあらゆる戦術を使った竹富町、県教育庁、沖教祖、教員OBの団体には子供たちへの愛情が感じられない。子供の将来を案じ、子供の将来のための教育に情熱があるとは思われない。
 
 八重山地区の中学三年生の公民の教科書問題は小さな問題であり、教科書が育鵬社版にしようが東京書籍にしようが大した問題ではない。ところがとても小さな問題を一方的に大きな問題にしてマスコミを賑わし、法律を破り、県民集会までやったのにはあきれてしまう。

 沖縄の学力は全国最下位である。この情熱を学力の向上に注いでもらいたいものだ。沖縄の生徒の学力が低いのは昔からである。だからこそ、他の県の教師よりも強い情熱が必要なのだ。
 沖縄の教師の情熱が他の県の教師と同じ情熱ならば、沖縄の生徒の学力は全国最下位から脱することはできない。沖縄の教師は他の県の教師より学力向上に情熱をもやすべきであり、沖教祖のリーダーたちも政治より生徒の将来を考え、学力向上をテーマにするべきだ。沖縄の生徒の学力が低いのは教師に責任があるのは確実だ。
 小学一年のときから「落ちこぼれは絶対に出さない」の精神で学習指導をやれば沖縄の生徒の学力は飛躍的に向上する。

1977年に、大浜病院長であり教育委員長であった大浜方栄氏は「教師は学力低下の最大責任者」と断言した。あのときには世間を巻き込んで教育論争が巻き上がったが、残念ながら沖教祖は大浜氏の発言に反論し、学力向上には興味を持たなかった。あれから40年以上もたつが沖縄の教師は相変わらず生徒の学力向上には情熱がない。相変わらず政治関連には情熱を燃やしいている。

ソ連が崩壊し、多くの社会主義国家は民主主義国家になった。中国も市場経済を導入したから崩壊を免れ、中国の資本主義経済は拡大し続けている。
 もう、社会主義社会を求める時代ではない。日本が軍国主義になることもない。イテオロギーにこだわる時代は終わっている。

八重山教科書問題はとても小さなちょろちょろ火でしかない問題だ。それなのに大火事のように妄想を抱いて騒いだのが左系の教師、政治家、運動家、団体だ。大騒ぎも4月が近づくにつれて沈滞化していき、やがて終わる。終わってみれば石垣市、与那国町の中学三年生は育鵬者版を使用し、竹富町は東京書籍版の教科書を使っている。なにごともなかったように。

ふたつの教科書を比べても内容の違いは生徒にはわからない。保護者や市民にも違いは分からない。なぜあんなに大騒ぎしたのかほとんどの人は理解できないまま、八重山教科書問題はなにごともなかったように消滅していく。一部の人たちを除いては。

 橋下大阪市長は「子供の将来を明るくするには学力向上をしなければならない」と、大阪の学力向上を目的に教育改革をしている。沖縄にも大阪市のような教育改革が必要だ。いつか、沖縄にも橋下市長と同じ考えを持つ政治家が登場してほしい。

  

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2012年02月22日

民主主義・法治主義を破壊する者たち

八重山日報より転載


 竹富町教委では慶田盛安三教育長が住民の会メンバー8人と会い、要請に理解を示すとともに「(東京書籍版の)無償給付を求め続ける。皆さんの支援や激励で持ちこたえている」と述べた。


 今後も無償給付が認められない場合の対応について、メンバーからは「保護者が自分たちで教科書を買った、という形にして、あとで(教科書代を)払い戻してはどうか。保護者の負担という形になれば、文科省には痛手だ」という提案も出た。


 住民の会メンバーは市教委も訪れ、職員が要請書を受け取った。玉津博克教育長は取材に対し「裁判で係争中のためコメントできない」としている。


 要請書では、東京書籍版を採択した昨年9月8日の全教育委員による協議を有効としながら、石垣市、与那国町教委が無効とするなら「同一教科書採択へ新たな協議をしなければならない」と主張している。


 要請後の記者会見で、住民の会の仲山忠亨共同代表は「八重山でいまだに教科書が定まらず、保護者、先生は不安。何とか打開しなくてはならない」と述べた。


 メンバーの富里八重子さんは「育鵬社版が子どもの手に渡ると、どうなるのか。地元が主体性を持って、再協議するべきだ」と訴えた。

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9月8日は無償措置法第13条4項を根拠にできない


無償給与教科用図書の採択 第13条

 4 「第1項の場合において、採択地区が2以上の市町村の区域をあわせた地域であるときは、当該採択地区内の市町村立の小学校及び中学校において使用する教科用図書については、当該採択地区内の市町村の教育委員会は、協議して種目ごとに同一の教科用図書を採択しなければならない」
 
 県は3市町の教科書が統一しなかったという理由で第13条4項を根拠にして9月8日に全員協議を開いて賛成多数で全体協議を教科書を無償給与する協議会に決め、そして、賛成多数で東京書籍の教科書を採択した。
 しかし、無償給付する教科書は3市町のそれぞれの教育委員会が中学で使用する教科書を採択する前に決めなければならない。そうでなければ3市町の教科書はいつもばらばらになってしまう。ばらばらにさせないためには無償給付する教科書を先に決めなければならない。第13条4項の条例は3市町がそれぞれの中学で使用する教科書を決める前に実施しなければならない法律なのだから、採用を決めた後に開催した9月8日の全員協議は無償措置法13条4項を根拠にすることはできない。9月8日の全員協議は法治主義に反する行為である。

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全員協議は採決機関になれないことを説明する


2010年の八重山地区の人口は、石垣市46938人、竹富町は4058人、与那国町は1695人である。与那国町を1とすると、石垣市は約28、竹富町は約2となる。与那国町の教育委員は3人だから、人口に比例させて教育委員を選出すると、石垣市は約84人、竹富町は約6人、与那国町は3人となる。

  全員協議は民主的に見えるが実際は住民の一票も重みが全然違う。石垣市の人口46938人から選出された教育委員5人と竹富町の人口4058人から選出された教育委員5人では一票の重さが違いすぎる。協議や討論なら5対5の同じ人数でもいいが、無償給付の教科書を決定するには不公平である。衆議院選挙の票で2倍以上の差は憲法違反だと最高裁は判決を下している。一票の重さを同じにすると八重山地区の人口比は、28:2:1となる。石垣市は、竹富町とは14倍、与那国町とは28倍の格差がある。
 全員協議の人口の比は28:2:1であり、教育委員が5:5:3人の全員協議で無償給付の教科書を決めるのは民主主義に反する。
 
 教育委員会はそれぞれの市町村の教育に関することを運営する目的のためにつくられた機関であり、教育委員の人数はそれぞれの市町村が決めるものであり人口に比例させて人数を決めてはいない。教育委員はそれぞれの市町村の運営では賛成多数による決定は民主主義に準じているが、3市町が合流する地区協議会の場での全教育委員の賛成多数による決定権は民主主義に反する。だから、全員協議の賛成多数で教科書の無償給与を決める法律は地方教育行政法にもないし、無償措置法にもない。

 9月8日の全員協議で、石垣市教育長と与那国町教育長は無償措置法の協議会にすることに反対し、採決にも参加しなかったから9月8日で全員協議は無効であるのは確実である。

県は9月8日の全員協議は教育委員全員が参加したから民主的であると主張している。それは正しいか検討する。

 全員協議といっても石垣市:竹富町:与那国町の人口比は28:2:1であるのに、教育委員の比率が5:5:3である。人口に比べて不公平な全員協議の賛成多数で無償措置法の機関にすることは非民主的であり、憲法の精神に反する。
だから、全員協議は教科書を無償給与する協議会にすることはできない。3市町が特別に合意しない限り、全員協議は教科書を無償給与する機関にはなれない。
 
 もし、人口の比率で無償給与する教科書を採択する機関をつくるなら、石垣市84人、竹富町6人、与那国町3人になる。そうなると総勢93人で協議をすることになり、協議が大変なことになる。協議会をスムーズにし、民主的な要素も採用して作ったのが3市町の教育長と教育委員長が加わり2人は有識者を採用した八重山採択地区協議会だ。八重山採択地区協議会にはちゃんとした規定があり、規定にしたがって無償給与する教科書を採決する。八重山採択地区協議会の規定を変更するときには全教育長の賛成が必要となる。
 
 中学の無償給与の教科書を採択する八重山採択協議会は4年に一度特別に開く協議会である。今回の八重山採択協議会は2012年度から4年間国が無償給与する教科書を採択するために結成された特別な協議会であり、無償給与する教科書を採択した後には解散することになっている。規定によれば八重山採択地区協議会は問題が生じたときに8月31日に3市町の教育長が協議した後に閉会することになっている。そして、八重山採択地区協議会の協議委員はお役御免となる。
玉津教育長は規定通りに八重山採択地区協議会を運営し、無償給与する教科書を採択し、規定通りに八重山採択地区協議会を閉会つまり解散した。

 閉会した八重山採択地区協議会が採択した教科書を破棄する法律はない。だから、八重山採択地区協議会で採択した教科書を変更する方法はないのだ。
八重山採択地区協議会は8月31日の3教育長の再協議を最後に規約通りに閉会した。そして、3市町に無償給与する教科書を伝える(答申)と、八重山採択地区協議会の運営は終了する。つまり八重山採択地区協議会は消滅するのだ。

9月8日に全員協議の賛成多数で八重山採択協議会で採択した育鵬社版を破棄したが、法律としては破棄できない。全員協議で八重山採択協議会が採択した教科書を破棄できるという法律がないからだ。全員協議ならなんでも賛成多数で決められるかと考えるのは大間違いだ。

現在、「押し買い」が問題になっている。年寄りから言葉巧みに金やダイヤなどの貴重品を安く買い、後で返品してほしいと頼んでも返品しない。このような被害が増大しているが「押し売り」を取り締まる法律はあるが「押し買い」を取り締まる法律がないので取り締まることができない。国会で「押し買い」を取り締まる法律ができない限り、「押し買い」はやりたい放題である。

法律に明文化されていない限り行動をすることができないのが法治主義である。法律の欠点に気付いた時は法律を改正したり新しい法律をつくることで問題を解決するしかない。法律ができる前の行為は裁くことはできない。全員協議でも法律に従った行動しかできないが、全員協議については無償措置法にも地方教育行政法にも書かれていない。

県は3市町の教科書が統一されていないことを理由に9月8日の全員協議を正当化しようとしているが、国が無償給与する教科書は八重山採択地区協議会によって育鵬社版に統一されている。統一されていないのは3市町の中学で使用する教科書である。使用する教科書は地方教育行政法によって決めるのだから、無償措置法は国が無償給与する教科書を統一することはできても、3市町の中学が使用する教科書を統一することはできない。地方教育行政法は石垣市の教育委員会は石垣の中学が使用する教科書を採択し、竹富町の教育委員会は竹富町の中学が使用する教科書を採択する法律である。地方教育行政法は3市町が統一した教科書を採択するための法律ではない。
実は、3市町が使用する教科書を統一しなければならいという法律はない。

メンバーの富里八重子さんは「育鵬社版が子どもの手に渡ると、どうなるのか。地元が主体性を持って、再協議するべきだ」と訴えている。

9月8日の全員協議が有効であると主張している人たちは富里八重子さんの発言で分かるように、八重山地区で育鵬社の教科書を使用させないのが目的であり、民主主義も法治主義も関係がない。いや、民主主義のルールを破り、法治主義を破壊してまで育鵬社版を八重山で使用することを阻止しようとしているのだ。

 これが沖縄で最高学府を出た、一番教養のある教員の団体やOB団体の行動かと思うととても残念に思う。
  

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2012年02月21日

橋下市長は徹底して大阪市を改革する





橋下氏を「橋下氏がターゲットにしているのは、既得権益だけではない。首相公選制や参院廃止の検討など、国の統治機構そのものが橋下流改革の対象になっている」と述べながら、橋下氏が大阪府知事時代から大阪市長になってもずっと固執している教育改革ついては一言も述べていない。橋下市長は教育の目的を「学力向上」だと主張して、大阪教祖と大バトルを演じたが、橋下市長の主張が実現しつつある。
 橋下市長の教育改革を取り上げれば沖教祖の否定に発展してしまう。沖教祖とは呉越同舟のマスコミは橋下氏の教育改革を評価するわけにはいかない。
 あたりさわりのないような社説である。

  


橋下市長、生活保護受給者受診病院に登録制


 
大阪市の橋下徹市長は20日、過剰診療などの不正請求対策として、生活保護受給者が受診する医療機関の登録制度を導入する方針を明らかにした。
 政令市では初の取り組みで、新年度から生活保護率が突出して高い西成区で先行実施する。

 受給者の受診医療機関を診療科目ごとに指定、登録し、調剤薬局は原則1か所にする。重複受診や不必要な訪問診療を抑制する狙いがある。

 生活保護受給者は自己負担なしで診療や投薬を受けられ、費用は医療扶助として全額公費で支払われる。医療機関側が不正請求を重ねても発覚しにくく、橋下市長が対応策の検討を関係部局に指示していた。

 また、生活保護法に基づく医療機関の新たな指定は、市独自に厳格化。過去5年に行政処分を受けた医師らが在籍すれば認めない。申請があった病院などに「仮免許」を与え、3年間は立ち入り検査などで不正がないかをチェックする。

(2012年2月21日00時08分 読売新聞)

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  橋下市長のすごいところはこのような細かいところまで真剣に検討していることだ。テレビのコメンテーターは「船中八作などというのは簡単だが、国に進出するとかと考えるより、大阪市長なんだかまずは大阪市で実績をあげることだ」と言っていたが、そのコメンテーターは橋下市長が大阪市でやっていることを全然知らない。コメントをするならちゃんと橋下市長の活動を調べてから言えよと思った。

 生活保護受給者受診病院に登録制は素晴らしいアイデアだ。橋下市長は税金の無駄遣いを徹底してなくす努力をしている。他の市長がやっていない小さなことをこつこつと実行している。その積み重ねが実質的な改革であり、実のある改革だ。

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橋下予算案、自治会交付金や文化助成に大なた


 「ゼロベースの見直し」を掲げ、橋下徹大阪市長が凍結や暫定的な予算措置で545事業に「待った」をかけた市の2012年度当初予算案。

 昨年の市長選で前市長を支えた地域団体、医師会への補助金や、知事時代にも大なたを振るった文化事業の多くが棚上げされ、7月に編成する本格予算案に向けて、公金投入の是非が裁定される。「市からの助成がなくなれば、活動に支障が生じるのは確実」と、関係者は戦々恐々だ。

 ◆市長選の後始末

 「公金で政治活動をしている」と、橋下市長が批判の矛先を向けてきたのが市内24区にある地域振興会。自治会幹部らで構成され、歴代市長の「集票マシン」と指摘されてきた。

 平松邦夫・前市長が創設した領収書不要の交付金制度(4億3600万円)は1年で廃止。新予算では、使途を明確にするため、地域行事や防犯活動など目的ごとの補助金に切り替えた。

 役員の市長表彰や年1回の大会開催補助は凍結され、会長の1人は「選挙はもう終わった話なのだが……」と困惑する。

 地域振興会と同様に役員が歴代市長の後援会幹部を務めた各区の社会福祉協議会への交付金(16億8420万円)も凍結された。

 市長選で前市長を支援した大阪府医師会も、健康相談など健康増進事業や看護師養成事業の補助金が棚上げになった。医師会幹部は「看護師を目指す学生に学費の負担増を求めることも予想される」と頭を抱える。

 ◆文化がターゲット

 橋下市長が知事時代に「文化は行政が育てるものではない」として大胆に支出をカットした文化事業予算も見直しのターゲットだ。

 知事時代に約6300万円の府補助金を全額カットした大阪フィルハーモニー交響楽団に対しては、市からの助成金1億1000万円を凍結した。大フィル担当者は「市の文化振興に貢献していることをアピールしたい」と理解を求める。

 府からの補助金がほぼ半減した財団法人・文楽協会も年5200万円の市補助金が凍結され、担当者は「公演だけで採算を取るのは難しい」と漏らす。

(2012年2月20日15時01分 読売新聞)

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 なんと、2012年度当初予算案の545事業に「待った」をかけた。ひとつひとつ検討して無駄を省くつもりだ。やりすぎではないのかなと思わないわけではないが、でもこのくらいやらないと本当の改革できない。  

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2012年02月21日

沖縄の歴史、現実を捻じ曲げる者たち





中学生の時、時代劇映画で木製の鍬を使っているシーンを見て驚いたことがある。沖縄の畑を耕したことがある人はわかるが、沖縄の畑は土が固くて木製の鍬では耕すことはできない。鉄の鍬でも勢いをつけないと耕すことはできない。木製の鍬なら表面をなぞるだけで数センチも耕すことはできない。

 本土の土は長い間腐れた植物が混ざり、腐葉土となっているから、栄養は豊富で土は柔らかくなっている。沖縄の赤土は歴史が浅く、腐葉は混ざっていないから栄養は少なく土は固い。
本土は冬に雪が山につもり、春から夏にかけて雪の溶けた水が川に流れて、年中水が豊富だ。沖縄は小さな島であり、水は豊富ではない。沖縄では水田ができる場所は非常に限られているから米の生産は少ない。だから沖縄の主食は米ではなく芋だった。
 1605年に野国総監が中国から芋苗を導入した。芋はやせた土地でも育ち、水がなくても育つ。野国総監が芋を導入し、儀間真常が広めることによって沖縄の飢饉が救われたというのは有名な話だ。沖縄は芋が広まるまでは頻繁に飢饉に見舞われていた。芋がひろまったから飢饉がなくなったかといえばそうではない。芋があっても沖縄の農民は何度も飢饉に見舞われた。
飢えをしのぐために農民は毒性の強い、調理の仕方を間違えれば死んでしまうソテツを食べなければならなかった。沖縄は何度も飢饉に襲われた。飢えをしのぐためにソテツを食べたので、沖縄の飢饉をソテツ地獄と呼んでいる。農民は餓死を免れるために、畑の近くにはソテツを飢えていたという。
ソテツ地獄は琉球王朝だけではなく大正末期から昭和にかけてもやってきた。

戦前まで沖縄は農業が中心だった。だから非常に沖縄は貧しかった。農業で生活するためには広い土地が必要だ。だから長男ひとりしか畑を引き継ぐことはできない。次男三男は村を出ていかなければならなかった。
当山久三は移民をすることによって次男三男の生きる道を開いた。日本軍が武力で南方の国々を制圧して植民地にした時、沖縄の多くの農民の次男三男が南方に移民した。

 農業に向いていない赤土を耕した沖縄の農民は何度も飢饉に襲われた。沖縄の歴史本を読めばソテツ地獄のことはすぐに分かることであるが、左系の知識人や政治家、マスコミは、琉球王朝時代は中国と貿易をして豊かであったとか、戦後の沖縄は豊富な土地を米軍に取られて、農業ができなかったと吹聴している。彼らは米軍によって沖縄の農業がだめになったと県民に思わせるために、沖縄の農業のきびしさを象徴しているソテツ地獄のことは話さない。
だから、山城藍子さんのように、「米軍に農地を奪われていなければ、温暖な気候の沖縄県は、1次産業で栄えた豊かな県になっていた」という妄想を抱くのだ。
沖縄で畑に向いている平野部は那覇市以南の南部のほうだ。南部は米軍用地がほとんどない。米軍が農地を奪ったというのは本当ではない。普天間飛行場は平地であるから畑に向いていたかもしれない、しかし、丘の頂になっているので水は少なく豊かな農地とは言えない。普天間飛行場の畑はさとうきびや芋の栽培しかできなかっただろう。普天間飛行場の隣のズケラン部隊は海の近くは平たんであるが国道331号線あたりの広い軍用地は凸凹であり、戦前は山だっただろう。ズケラン部隊のほうが普天間飛行場より広い。
中部では海沿いや嘉手納飛行場が平野である。嘉手納飛行場より広い嘉手納弾薬庫は山である。読谷村は平野が多いし、かなりの土地が軍用地である。しかし、軍用地ではあっても畑のほとんどは黙認耕作地となっていてさとうきびや芋をつくっている。

恩納村はほとんどが山である。名護市も多くは山地である。国頭はほとんどか山地だ。沖縄の地図をみればわかるが沖縄本島の中心は恩納村の中心あたりであり、恩納村から北は山地が多く、沖縄全体は山地のほうが多い。
米軍が沖縄の広大な畑地を接収したというのは間違いだ。むしろ畑を潰していったのは沖縄の政治だ。普天間飛行場の周囲は黙認耕作地だったが、黙認耕作地が返還される畑を住宅地に転用して、畑を潰してどんどん建物をつくった。
宜野湾市から那覇市まで昔は畑があったが、今は畑がほとんどなくなっている、畑を宅地に転用して畑を潰し住宅や商業地にしたからだ。中城村は畑が多い。中城村は農業を重視して役所が畑を宅地に転用させなかったからだ。

沖縄全体では畑と軍用地ではどっちが広いだろうか。当然のことながら圧倒的に畑が広い。しかし、養豚などの畜産業を含んだ一次産業の産出額は930億円前後であり、軍用地料も930億円前後である。農業と軍用地料のふたつは収入金額が肩を並べている。いや、農業の場合は肥料や器具などの出費があるから数百億円は収入にはならない。
だから、農業収入と軍用地収入では軍用地収入のほうが多いといえる。農業収入と軍用地収入の坪単価は圧倒的に軍用地のほうが勝っている。うれしいことではないが、それが事実だ。

山城さんの意見は間違った事実認識から述べられている。その原因をつくったのがマスコミであり、左傾の政治家、知識人である。

沖縄の歴史を捻じ曲げ、戦後の沖縄の歴史を捻じ曲げ、沖縄の現実を捻じ曲げているのがマスコミであり、左傾の政治家、知識人である。そうであってはいけない。現実を正しく認識しないと明日の沖縄の設計図を描くのは無理だ。
  

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2012年02月20日

そうだ゛。あなたが東京の人だからなのだ、遠藤さん




遠藤幹子さんは、沖縄から遠い東京に住み、マスコミの沖縄の基地報道をうのみにするから、県知事選、宜野湾市長選で自・公の推した立候補が当選したことに納得しないのだ。東京だけではなく沖縄にもその遠藤さんのような人はいるだろうな。

マスコミが連日取り上げるのが「日本全国の74%の在日米軍基地を押し付けられ」「沖縄差別」され。「辺野古移設反対はオール沖縄の意思だ」である。新聞やテレビなどの報道をうのみにしている人は革新系の候補者が圧倒的な有利であり、当然のごとく当選すると思い込んでいる。

マスコミ報道を信じている人は、沖縄の人たちは毎日基地被害に悩まされて、基地へ怒りながら生活していると思っている。しかし、現実はほとんどの人が基地のことは考えないで生活している。基地被害といっても飛行機の離着陸のときに発する騒音が膚で感じる被害であり、そのような人たちは嘉手納飛行場や普天間飛行場の近くで住んでいる人たちであり、少数の人たちである。
最近の嘉手納飛行場は離着陸が少なく、静かだ。
実際には多くの人たちが基地被害を感じない場所に住んでいる。アメリカ兵の事件はほとんどの人はマスコミ報道で知る。沖縄の多くの地域でアメリカ兵を見ることはない。だからアメリカ兵の事件に巻き込まれるかもしれないと日常生活で感じることはない。

沖縄の人々は他の地域の人たちと同じように自分の生活に一番関心がある。生活のために働き、恋をし、遊んで生きている。

宜野湾市でも、普天間飛行場の騒音がひどいのは限られた場所であり、多くの人は普天間飛行場の騒音被害は受けていない。特に国道58号線の西側は騒音被害はほとんどない。

遠藤幹子さんは、沖縄の県民が自・公の推薦した候補が当選したことに納得いかないようだが、しかし、当選したことは現実であり、「当選するはずがない」と思うのは遠藤幹子さんがマスコミに洗脳されたための「思い込み」である。マスコミの報道が現実なのではない。自・公の推薦した候補が当選したことが沖縄、普天間の現実だ。その現実を受け止めることが沖縄への理解が広がる。マスコミ報道だけを信じているようでは沖縄の現実を知ることはできない。

普天間の選挙戦の現実をもっと伝える。共産党は11台の選挙カーを投入し、ものすごい人数の選挙運動をする人間たちを本土から送ってきた。それに比べて革新地盤の宜野湾市では当選する可能性はないだろうと思い、自民党側は選挙運動は熱心にはやらなかったらしい。それでも自民党の立候補が勝ってしまった。勝った本人が驚いたらしい。

伊波候補が負けた原因は色々あると思うが、そのひとつに沖縄の革新政党が自民党だけでなく新しく政権をとった民主党とも対立したことがあるだろう。沖縄の革新政党は民主党が政権を握っても、政府とは対立したので、革新政党はいつまでもどの政権とも対立する宿命を持っていると考えるようになっただろう。民主党政権が登場してからの2年間の革新政党の行動がそれを明確にした。
政府と対立だけをやる革新政党の主張が実現するのは不可能に近い。そのように感じて革新政党から離れた市民もいただろう。

マスコミの報道をうのみにしている遠藤さんは、沖縄では革新政党が圧倒的に強いと思っているだろうが、意外にそうではない。嘉手納飛行場のある嘉手納町は昔から保守地盤である。革新の市長になったことは多分一度もなかったと思う。コザ市も昔は保守が強かった。美里など嘉手納飛行場と隣接していない市町村と合併して沖縄市になってからは五分五分というところか。読谷村はずっと革新地盤だ。

読谷村は革新地盤、嘉手納町は保守地盤であるように、昔からの地盤が選挙を大きく左右する選挙があり、生活問題を優先して立候補者を選ぶ市民もいる。また、革新だからとか保守系だからというよりも人物に期待持てるかどうかで選ぶ市民も多い。
遠藤さんは意外に思うかもしれないが基地問題を重要視して候補者を選ぶ市民は意外と少ない。

遠藤さん。沖縄の人間は普通の人間だよ。自分の幸せを優先する人間が圧倒的に多い。多くの沖縄の人々は日常の生活が豊かになるのを望んでいる。沖縄は学力が全国一低く、失業率が高い。貧富の差も大きい。国民所得もとても低い。沖縄の人たちにとって基地問題よりも生活問題のほうが関心は高い。遠藤さん。そうなのです。
  

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2012年02月19日

八重山教科書問題・裁判の意見陳述書への反論

八重山教科書問題で、石垣市教育委員会が採択した育鵬者版公民教科書を使用する可能性がある同市内の子供2人とその親2人の計4人が、市と県を相手に、東京書籍版公民教科書の無償給付を受けることを確認する訴訟の第一回弁護が8日、那覇地裁であった。
原告の弁論の全文である。




平成24年(行ウ)第29号 教科用図書の無償給付を受ける地位確認請求事件
原 告 ○○○○○外3名
被 告 沖縄県外1名
            
                    意 見 陳 述 書                                                                                              
平成24年2月8日

那覇地方裁判所民事第1部合議B係 御中

                                  原  告  ○ ○  ○ ○ ○

                                  原  告  ○ ○  ○  ○
平成24年(行ウ)第29号 教科用図書の無償給付を受ける地位確認請求事件
原 告 ○○○○○外3名
被 告 沖縄県外1名
            
                    意 見 陳 述 書                                                                                              
平成24年2月8日

那覇地方裁判所民事第1部合議B係 御中

                                  原  告  ○ ○  ○ ○ ○

                                  原  告  ○ ○  ○  ○

 本日、第一回口頭弁論期日を迎えるにあたり、私たち原告の思いを述べさせていただきます。
 
 私たちは、石垣市で暮らす、普通の一市民であり、一母親に過ぎません。そんな私たちの一番の関心事は、子どもたちの成長です。私たちは、子どもたちが、健全に育つように、そして、未来の社会を支えていく子どもたちが、夢や希望を持ち、社会に貢献できる人に育っていけるように、微力ながら、試行錯誤で、子育てに向き合っております。



 さて、昨年、八重山におきまして、中学3年生で使用する公民の教科書の採択を巡って問題が起こりました。
 
 私たち一般市民は、新聞やテレビの報道を通して、私たちの住む八重山での教科書の採択の問題を知りました。そのよう中、アメリカ留学を終えて帰ってきたばかりの八重山高校3年の女子高生の新聞への投稿文「八重山の民主主義は大丈夫?」の問いかけは、私たちを含め、八重山の大人たち一人ひとりのあり方が揺さぶられました。

 私たちは、一母親として、子どもを取り巻く環境で、私たちの知らないところで、何かが決まろうとしていることに危機感を覚えました。私たちが、教育行政に不信感を持ったのは、何よりその採択が、市民にまったく公開されず、何の説明もなく不透明に
進められていることでした。

 「なぜ、こんな問題になってしまったのだろう?」母親仲間で、集まるたびに、そのことが話題に上がっていきました。このよう
に問題になるまで、私たち母親は、教科書が、地域ごとに選ばれている現状すら知りませんでした。私たちは、報道や聞きかじりの情報からでなく、事の実際を知ろうと、仕事が終わってからや、休みの日に、自分たちで、資料や情報を集めることから始めました。

 私たちは、教育行政の仕組みさえ知りませんでしたので、教育委員とは、教育長とは、というところからはじめました。そして教科書の採択の仕組みも勉強しました。八重山採択地区協議会という組織があること、その規約がどのようになっているのかなどを調べました。関係者には、直接、聞き取りもしました。このようにして、私たちは、資料を整理分析し、事の実際を把握して
いきました。

 この問題では、平成23年8月23日の八重山採択地区協議会と平成23年9月8日の教育委員全員協議の二つの採択のどちらが有効かが争点となっています。

 しかし、私たちが調べた結果では、8月23日の八重山採択地区協議会の答申を受けた各教育委員会の採択で、同一の教科書にならなかったことから、県教育委員会の指導助言のもと、教科書無償措置法に基づき、八重山地区教育委員協会で早期解決の方法を探る協議を経て、9月8日、教科書の同一化に向けて行われた八重山地区全教育委員による協議によって、適正に東京書籍の公民教科書が採択されたことははっきりしています。

ところが、石垣市と与那国町の両教育長は9月8日の採択は無効であるとする文書を文科省に提出し、これを受けた文科省は、教科書の採択として無効であることが明らかな8月23日の答申の採択の方が有効との見解を示すに至りました。

 そしてさらに文科省は、東京書籍の採択が有効であると正しく主張している竹富町に対して、教科書無償配布の対象としないとの措置までをとろうとしています。

 私たちは、八重山地区の教育委員全員の協議で決定した9月8日の採択を、文科省というお役所が八重山地区の決定を無視して強権的、一方的に八重山の教科書を決めようとする事態に、民主主義とは何かをあらためて考えさせられました。
 
 私たちは、子どもたちに、相手の話をよく聞いて、言いたいことは、はっきりと伝えるようにと、日頃から教えています。私たちは、この法廷の場で、真実を明らかにし、適法な教育行政が行われたのかどうかを問うことにより、民主主義とは何かを身をもって教え、親としての責任を果たしたいと決意し、裁判を起こしました。

 原告になった私たちは、この問題を八重山の方々と学ぶため、石垣市で2回、西表島で1回、与那国島で1回、勉強会を開きました。各地域で、教科書を受け取る対象の生徒さん、父母、地域の皆さん方の参加があり、活発な意見交換も致しました。各地で、応援の和が広がり、この訴訟が注目されているのを肌で感じてきました。

 八重山で起こったこの一連の騒動は、八重山の子どもたちの目にも映っています。私たち大人の姿勢は子どもたちに見られています。

 八重山で起こったことは、八重山の住民の手で、民主主義社会の仕組みに則って解決したいと思っています。

 私たちは、母親として、未来の民主主義社会を支えていく子どもたちに、この教科書問題は、民主主義社会の仕組みを知る生きた公民の学習であり、民主主義を問う良い機会だったと胸を張って話せるようにしたいと思います。

 新しい教科書が配布される4月が目前に控えています。この裁判で、速やかに、このたびの教科書採択に関する一連の事実が明らかにされ、八重山の中学生に正しく採択された公民の教科書が配布されることを強く望みます。

 そして、被告の石垣市、沖縄県の関係者の皆さまは、この問題からに逃げることなく、早急な解決へ向けての事実を明らかにしていく努力をしていただきますようお願い申し上げます。

 裁判所には、以上の私たちの思いをご理解いただき、迅速公平に審理をお進めいただきますよう切にお願い申し上げます。
                                     



親子4人はなぜ石垣市と県を相手に訴訟を起こしたのか。理由がわからない。無償給付する公民の教科書を育鵬者版に決めたのは文科省である。石垣市ではない。もし、石垣市が原告の訴えを受け入れて東京書籍を採択したとしても、無償給付の決定権は文科省にあるのだから、東京書籍の教科書が石垣市の無償給付されることはない。東京書籍を無償給付するには文科省を相手に裁判を起こして、文科省に東京書籍版の無償給付を決断をさせなければならない。

原告側には弁護士もついている。弁護士なら文科省が無償給付する教科書を育鵬者から東京書籍に変更しない限り、石垣市に東京書籍版を無償給付させることはできないということを知っているはずである。
この裁判に勝ち、次に文科省を相手に裁判を起こすという時間のかかる方法を選んだのは理屈に合わない。

石垣市は9月8日で起こったことの事実を文科省に報告しただけであり、文科省が8月23日の八重山採択地区気宇議会が育鵬社版を採択したのは有効であり、9月8日の全員協議による東京書籍版の採択は無効であると判断した。
親子4人が問題にしているのは8月23日の八重山採択地区協議会は諮問であり、「9月8日、教科書の同一化に向けて行われた八重山地区全教育委員による協議によって、適正に東京書籍の公民教科書が採択されたことははっきりしています」と主張している。
親子4人の主張と対立しているのは文科省であり石垣市ではない。石垣市の教育長は9月8日の事実を文科省に報告して、文科省の判断を仰いだだけである。事実を報告をした石垣市教育長は文科省が8月23日は有効であり9月8日は無効であるという判断に従っているだけである。もし、親子4人が石垣市を訴えるとしたら、石垣市の教育長が虚偽の報告をして、そのために9月8日の全員協議を文科省が無効と判断したというようなことを根拠にしなければならない。しかし、石垣市の教育長は文科省に虚偽の報告をしてはいないし、親子4人もその件で石垣市を訴えてはいない。
親子4人は石垣市に対して、9月8日が有効であると訴えることはできないし、9月8日が有効であると文科省が認めていないのに石垣市に東京書籍の教科書を無償給付するように訴える権利もない


弁論には「民主主義」を何度も主張している。「私たちは、子どもたちに、相手の話をよく聞いて、言いたいことは、はっきりと伝えるようにと、日頃から教えています。私たちは、この法廷の場で、真実を明らかにし、適法な教育行政が行われたのかどうかを問うことにより、民主主義とは何かを身をもって教え、親としての責任を果たしたいと決意し、裁判を起こしました」と述べられている。

民主主義は法治主義がコンビになっている。民主主義を守るには市民の代表者が法律を決め、それを明文化し、すべての人に平等に法を適用する。法治主義が徹底されなければ民主主義も単なる数の暴力になる。

原告が民主主義を主張するなら、八重山採択地区協議会と全委員協議はどちらが民主主義のルールをまもったかを検討するべきである。八重山採択地区協議会の正式名称は「教科用図書八重山採択地区協議会」である。弁論では八重山採択地区協議会は答申と決めつけているが、八重山採択地区協議会にははっきりと「採択」という名称がつけられている。普通の主婦なら「採択」という名称なのになぜ「答申」なのか問題にするはずである。
教科用図書八重山採択地区協議会という名称であるのなら、協議会は「答申」機関ではなく「採択」機関と思うのが普通である。しかし、原告は八重山採択地区協議会は答申であると決めつけている。決めつけている理由を述べていない。

無償措置法の正式な名称は「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」である。この法律の趣旨に基づいてつくられたのが「教科用図書八重山採択地区協議会」である。教科用図書八重山採択地区協議会をもっと詳しい内容の名称にすると、「無償給与」教科用図書八重山採択地区協議会となる。つまり、八重山採択地区協議会は八重山地区へ文科省が無償給与する教科書を「採択」する協議会であるのだ。決して答申機関ではない。

八重山採択地区協議会には規約がある。規約は全国共通している規約であり、協議会は規約を守って採択委員を選び教科書を採択する。民主主義のルールに従って規約はつくられ、民主主義のルールに従ってつくられた規約に従って協議会は国が無償給付する教科書を採択したのだ。
つくられた法律はすべてが完全とは言えない。訂正しなければならない箇所があれば民主的なルールを通して訂正していく。しかし、訂正しない限り明文化した法律が有効である。
9月8日の全員協議には何の規約もない。教科書を無償給付するためにつくられた八重山採択地区協議会の規約を破棄または改正をしないで、また、二人の教育長が採択協議会として運営するのに反対したから正式な採択協議会として成立をしていないにも関わらず、教育委員の賛成多数の論理だけで、しかも教科書の無償給付する協議会として明文化させることもなく、正式な記録もつくらず、東京書籍版を無償給与すると決めた。
普通の人が9日8日の全員協議の内容を知ったら、教科書の無償給付を採択する正式な協議会として認めないだろう。

八重山採択地区協議会は無償措置法の第13条4項「第1項の場合において、採択地区が2以上の市町村の区域をあわせた地域であるときは、当該採択地区内の市町村立の小学校及び中学校において使用する教科用図書については、当該採択地区内の市町村の教育委員会は、協議して種目ごとに同一の教科用図書を採択しなければならない」に従って設立した機関である。9月8日の全員協議もこの法律を根拠にしている。

「当該採択地区内の市町村の教育委員会は、協議して種目ごとに同一の教科用図書を採択しなければならない」は全員協議をやらなければならないということではない。採択地区協議会には教育委員長、教育長は必ず協議委員にならなければならないし、あとは地区の状況に沿って地区の校長や有識者を委員にしている。

被告は「八重山で起こったことは、八重山の住民の手で、民主主義社会の仕組みに則って解決したいと思っています」と述べている。被告の民主主義には選挙の思想がない。八重山は石垣市、竹富町、与那国町に分かれ、それぞれの市長では市民の選挙で首長と議員を選び、首長と議員が市町の政治を行っている。もし、民主主義の仕組みに則るのなら、市民に選ばれた市長、議員による政治に信頼を持つべきである。

被告は民主主義の仕組みに則ると述べているが、被告は9日8の全員協議が有効であると主張している。政治や法律を詳しくはしらない普通の主婦であるといいながら9日8の全員協議が有効であると強く主張するのはふつうの主婦とは思えない。
もし民主主義の仕組みに則るなら八重山採択地区協議会と全員協議のどちらが法的に正しいかを裁判に問うべきである。被告の態度は普通の主婦と言いながら全員協議が正しいと自信をもち、東京書籍の教科書を石垣市で採用するように主張している。普通の主婦とは思えない主張である。

八重山教科書問題は無償措置法と地方教育行政法の二つの法律の問題である。法律の問題なのだから、ネットなどを利用して法律や教育の専門家の意見を収集して勉強をするべきであって、法律に素人である住民たちが意見交換をしても八重山教科書問題の本質を理解しあうことにはならない。民主主義を主張するなら民主主義のルールを積み上げている法律を勉強するべきであり、法律や教育の専門家の意見に耳を傾けるべきである。

専門家も二つの意見に分かれているが、八重山採択地区協議会のほうが優勢だ。
  

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2012年02月18日

田原総一朗氏「維新八策」について語る

田原総一朗です。

大阪市長の橋下徹さんが
矢継ぎ早に新たな市政改革を
打ち出している。

橋下さんは、市長就任前から
すでに24区長の公募、
市営地下鉄の運賃引き下げと民営化、
水道事業の統合などの指示を出した。
さらに、人件費や補助金支出の
見直しにも手をつける等、
「大阪から日本を変える」
を実行しようと
しているように見える。


そんな橋下さんが、2月13日、
「維新八策」を発表した。
坂本龍馬がまとめた新国家構想
「船中八策」にちなんで命名した、
次期衆院選に向けた
大阪維新の会の政策集である。

維新八策は、橋下さんが
大阪都構想で打ち出した
政策と重なる部分が多い。

まず統治機構としての
道州制の導入である。
道州制の良い点は
各地域が競い合うことだ。
そして地方交付税は
廃止するという。

また公務員制度改革も
打ち出している。
公務員は「職業」ではなく
「身分」になっていると
橋下さんは批判した。
リストラも降職も減棒もない、
公務員という身分を改め、
一般の「職業」にすると
主張しているのである。

大阪都構想には
教育制度改革も入っている。
現在の教育委員会制度を
改革するため、
複数の仕組みのなかから
各自治体が制度を
選択できるようにした。
つまり、首長に権限を持たせようと
しているのである。

そして、もうひとつ
首相公選制を出している。
この実現のためには
憲法改正が必要である。
だから、橋下さんは
憲法改正に関連する内容も
維新八策に盛り込んだ。

しかし憲法改正については、
第9条や国民の権利と義務など
いろいろな問題がある。
首相公選制のためだけに
憲法を改正するわけには
いかないのではないか。


以前、書いたことがあるが、
僕は橋下さんが主張する、
「大阪都構想」が、
いまひとつわからない。
彼は、非常にセンスがいいし、
ファイトもある。
実行力もある。
僕は彼に期待しているのだが、
それでもわからない。

たとえば、大阪の最大の課題は
経済的な地盤沈下である。
経済が落ち込んでいるので、
大阪のモチベーションは極めて低い。
だから、橋下さんの大阪都構想は、
いかにして経済の地盤沈下を止め、
大阪経済の再興を果たすかが
第一の課題になるのではないだろうか。


この維新八策を見て思ったのが、
橋下さんが本当に
日本を変えられるのか、
変えたらよくなるのか、
やはり曖昧だということである。

日本人の多くは
長引く景気の低迷、
東日本大震災と原発事故災害に
苦しんでいる。
日本人が求めているのは、
どうすれば日本がよくなるのかである。
しかし、維新八策は
それに応えていないのではないか。


維新八策には、実現が難しいと
思われる問題が多い。
一方で、TPP交渉参加や
消費税増税については
賛成としている。
経済にからむ問題は
現実路線をとってはいる。

しかし、この現実路線のために
橋下ブームは下火になるのでは
と僕は懸念する。
先行きが不安で
イライラしている国民に
展望を示せるかどうか、
そこが勝負どころである。
もし展望を示せなければ、
「橋下さんをリーダーにしたい」
という思いは、冷めるのではないか。

長年の自民党政治に
多くの日本人が飽き飽きしていた。
それが2009年の政権交代を
生んだのである。
だが、選ばれた民主党は
国民の期待をことごとく裏切った。
しかも自民党よりも
政治が下手なことがわかった。
しかしながら、いまさら
自民党に戻る気もない。

橋下ブームは、そうした「政治」に
対する不信感と閉塞感から
出てきたのである。


橋下さんは、さまざまな
意見や批判が出ることを承知で
維新八策を明らかにしたのだろう。
これは結論ではなく、
スタートなのだ。

いま、橋下さんを
批判することは容易い。
だが、批判のための批判は
僕はしたくない。
僕は橋本さんに期待している。
だから、ただ批判するのではなく、
曖昧なところを
しっかりと聞き出していきたい。





橋下市長が発表した維新八作は理念と現実問題が整理されていない状態のものであり、すぐに実現するとか実現できないとかというものではない。
田原氏が「維新八策には、実現が難しいと思われる問題が多い。一方で、TPP交渉参加や消費税増税については賛成としている。経済にからむ問題は現実路線をとってはいる」と理解しているのは少し違うのではないだろうか。

理念、戦略、戦術の整理はこれからだ。理念、戦略をしっかりと言っておかないと、既成政党が安易な連携を仕掛けてくるはずだ。安易な連携はしないということと、しかし、維新の会は現実路線をしっかり歩むという二つの思いを表現したのが維新八作だと思う。


  

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2012年02月18日

佐藤優批判・構造的差別論はおかしい





佐藤優氏は、「辺野古移設を容認することは、沖縄に対する構造的差別を維持拡大する」と考えている。母親が沖縄出身である佐藤氏は沖縄人という自己意識を持っているという。佐藤優氏にとって「普天間固定化とは、母の故郷に対する差別を固定化する」ことであり、「それは絶対に認められない」と述べている。
「普天間問題は、沖縄に対する構造的差別を是認するか、脱構築するかの試金石で、沖縄の名誉と尊厳のすべてがかかっている。既に沖縄は、差別について堂々と語れるほど強くなっている。そのために県外移設を、われわれ県外に在住する沖縄人を含め、すべての沖縄人が一丸となって主張することだ」と佐藤氏は述べている。

沖縄が差別されている理由というのは、沖縄は日本の国土の1割以下の面積しかないのに在日米軍基地の7割以上が沖縄に集中していることにある。沖縄だけが一方的に米軍の被害者になるのは不条理であり、米軍の負担を日本全体で平等に受けるべきだと主張しているのが沖縄差別を訴えている人たちである。
この差別論には沖縄民族という意識が根底にある。日本で差別されている民族は沖縄民族とアイヌ民族であるという考えがある。沖縄に米軍が集中しているのは日本政府の沖縄人への差別が原因であると主張し、米軍の負担は日本が平均的に負うべきだと訴えている。

沖縄人も日本人もアメリカ人も他の人も同じ人間であるという考えを基本にしている私には最近の差別論がピンとこない。この差別論は日本に存在する軍隊のアメリカ軍だけを問題にしている。日本には自衛隊がある。自衛隊もれっきとした軍隊だ。
米軍だけを意識しすぎて、自衛隊と米軍を別々な存在であるという思い込みがあるために差別論が出てくるのである。
日本には自衛隊とアメリカ軍が存在している。日本を守るという目的はふたつの軍隊に共通している。自衛隊は専守防衛の軍隊であり、外国に戦争を仕掛けることはできないがアメリカ軍は外国に戦争を仕掛けることができるという違いはあるが、日本もアメリカも民主主義国家であり、社会主義国家である中国や北朝鮮を警戒することでは同じ立場の軍隊である。

沖縄を含めた日本全土で、自衛隊の機能と米軍の機能を考慮した上で基地を配置するのが軍事的に合理的である。自衛隊の戦闘力が高まり、本土に自衛隊の基地が増えるにしたがって本土の米軍基地は不必要になる。不必要な米軍基地は閉鎖したり、自衛隊が使用するようになって米軍の基地は激減していった。自衛隊の強化と拡大が本土のアメリカ軍の減少の原因である。沖縄も昔に比べたら随分と米軍基地は減っている。

日本における軍隊の配置は自衛隊とアメリカ軍をあわせて考えるべきである。自衛隊について調べてみると、自衛隊の兵員数は、陸上16,4万人、海が4.6万人、空が4.7万人で、総勢26万人となっている。アメリカ軍は本土所在が22078人で沖縄所在が22772万人である。アメリカ軍に比べて圧倒的に自衛隊のほうが多い。
自衛隊の基地の数は、海上自衛隊の陸上施設32か所、陸上自衛隊駐屯地168か所、航空自衛隊の基地73か所である。航空基地は那覇以外に15か所ある。

米軍も自衛隊も同じ軍隊であり、それぞれの機能に合わせて日本全国に配置していると考えれば、沖縄に特別軍隊が集中しているとは言えない。米軍だけを特別視するのは軍隊のことを知らなさすぎる。

 沖縄に米銀基地が7割以上集中しているが、米軍の配置人数は本土所在が22078人で沖縄所在が22772万人であり、ほとんど同じ人数である。兵士の数をみれば沖縄に米軍が特別集中しているとは言えない。本土の場合は自衛隊基地が多くあるので訓練や演習には自衛隊基地を利用している。本土に米軍基地が少ないのは、本土には自衛隊基地が多いからである。

差別を問題にするならまずは日本の法律を問題にするべきだ。日本の法律では沖縄人やアイヌ人を他の日本人と区別してはいない。沖縄で仕事や給料や生活で沖縄人は本土人に差別されていない。藤氏の構造的差別論は間違っている。

佐藤氏は「普天間問題は、沖縄に対する構造的差別を是認するか、脱構築するかの試金石で、沖縄の名誉と尊厳のすべてがかかっている」と述べているが、自衛隊が26万人いて、アメリカ兵はたった4万人しかいないのに日本のアメリカ軍を誇大化し、日本全国からみても沖縄全体からみても普天間飛行場が辺野古に移設するだけで大きな変化はないのに「沖縄の名誉と尊厳のすべてがかかっている」いるなどと大げさすぎて笑えてくる。

「構造的差別」というのは自衛隊の存在を無視してアメリカ軍だけを目の敵にしたために生まれた勘違いであり、普天間問題を沖縄人、アイヌ人、グアムのチェロム族の差別問題に発展させるのはおかしい。差別問題は政治・社会問題であって軍事問題ではない。アメリカ軍が沖縄に集中しているくらいで差別だなんて喚くのは馬鹿らしい。
  

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2012年02月17日

普天間基地の危険は宜野湾市政のせい





平安名純代米国特約記者は、アメリカでは米連邦航空法により、民間・軍事にかかわらず、飛行場に「クリアゾーン」(利用禁止区域)が設定されていて、軍事飛行場にはより厳しく「クリアゾーン」の確保を義務つけていることを述べ、アメリカの軍事基地に比べて、普天間飛行場は、「クリアゾーン」の中に住宅が約800戸、公共施設、保育所、病院が18ケ所存在して、約3600人が暮らしていることを明らかにし、米西海岸におけるアセスでは、基地面積の広さから周辺住民に対する騒音の心配はないとの評価が出ているのに、普天間飛行場の場合は、騒音はおろか危険性さえも不確かであると述べている。

平安名純代記者はアメリカの軍事基地と比べて普天間飛行場の危険性を強調しているが、なぜ普天間飛行場が危険な飛行場になったかの説明はしていない。平安名純代記者は宜野湾市の資料を調べて、クリアゾーンに3600人の人間が暮らしていることを伝えている。

平安名記者はその時に普天間飛行場のクリアゾーンにいつから人が住むようになったのか、そして、なぜ3600人もの人口が増えたのかを調べなかったのであろうか。米国の場合は米連邦航空法のことを調べ、米軍の対応のアセスの対応の仕方も詳しく調べているのに、普天間飛行場の場合はクリアゾーンの住宅、建物、人口を調べただけなのだろうか。クリアゾーンについては色々なことを調べたはずである。クリアゾーンの人口が増えた理由を平安名記者は知っているのではないだろうか。知っているがなんらかの理由で書かなかった可能性がある。騒音については日本の環境とアメリカの環境の違いもある。アメリカと同じ騒音レヘルを設定すると、一般社会で飛行機が飛べなくなったり電車が走れなかったりする場所が多く出るだろう。騒音禁止のレベルが国によって違うのは仕方がないことである。

アメリカの飛行場のクリアゾーンと普天間飛行場のクリアゾーンの違いの原因は日本の法律とアメリカの法律の違いだ。日本の法律ではアメリカが設定したクリアゾーンに人が住んでいいがアメリカの場合はクリアゾーンに住むことを禁じている。

普天間飛行場は住宅密集地につくったのではない。普天間飛行場の周囲に住宅や建物が増え、元々は誰も住んでいなかったクリアゾーンに住宅が約800戸増え、宜野湾市は公共施設、保育所をつくり、病院が建ったのだ。クリアゾーンに約3600人が暮らすようになったのは住むことを許可した宜野湾市の政策が原因である。

クリアゾーンに公共施設や普天間第二小学校をつくったのは宜野湾市であって米軍ではない。クリアゾーンの住民の危険の責任は米軍にあるのではなく宜野湾市政にある。クリアゾーンに小学校や公共施設をつくり、3600人もの人が住むようにした宜野湾市政は子供の人権や市民の生命の危険を無視してきた。普天間飛行場を世界一危険にしたのは宜野湾市の政治を行ってきた自民党や革新政党に責任がある。

普天間飛行場を世界一危険な飛行場にした責任を取らないで、実現不可能な「県外移設」を主張するのは二重に無責任である。

日本の法律の問題や宜野湾市政の責任に蓋をして、普天間飛行場の危険性を米軍の責任であるように書いてある平安名記者の記事は隠ぺい記事と言える。
  

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2012年02月16日

佐藤優批判―エリート官僚は万能ではない




佐藤氏はアメリカが辺野古移設と嘉手納飛行場以南の米軍基地撤去を切り離したことで「米海兵隊普天間飛行場の県外移設の現実的可能性が生まれている」と述べている。そして、「日米両政府が辺野古移設について確認したことや、防衛官僚が行っている普天間固定化の恫喝に怯える必要はまったくない」と述べ、「沖縄の死活的運命に関する事項を沖縄の民意に反しては行わないという民主主義の原則に忠実あろうとする政治家と外務官僚が、水面下でさまざまな努力をしている」と述べ、じっと我慢していればきっと民主主義の原則に忠実な政治家と外務官僚が「県外移設」を実現させてくれると匂わせている。

中央のエリート官僚の決断次第で「県外移設」を左右できるという佐藤氏は自分がエリート官僚であった性もあり、エリート官僚の政治力を過大評価している。エリート官僚がその気になれば普天間基地の移転場所を見つけることが本当にできるのだろうか。大いに疑問である。

「県外移転」で一番問題なのは地元住民の考えである。地元住民が普天間基地の受け入れを反対する限り移設はできない。もしかしたら、エリート官僚なら地元住民を説得して普天間基地の受け入れを承諾させることができるというのか。
住民が住んでいる場所から12キロメートルも離れている無人島の馬毛島で離着陸用の飛行場建設が進められていた。しかし、住民の反対で中止させられている。海兵隊1500人の移動でさえ本土は受け入れない状況だ。馬毛島の離着陸訓練用滑走路や海兵隊1500人の移動さえ実現できないのに、どうして規模がけた違いに大きい普天間飛行場の本土移設をエリート官僚が実現できるというのだ。そんなにエリート官僚の権力は絶大なのか。そんなことはありえない。エリート官僚がその気になればなんでもできるという佐藤氏のエリート官僚主義には苦笑するしかない。

佐藤氏は、下地氏が県内移設を容認する限り、一部の外務官僚、多くの防衛官僚が県内移設はなんとかなるという考えを持つことになるから「県外移設」が実現てきないだろうと考えている。それでは下地氏が県内移設を引っ込めれば外務官僚や外務官僚が県内移設をあきらめるから「県外移設」が実現できるというのか。外務官僚や外務官僚の政治力を佐藤氏は買い被りすぎだ。

佐藤氏は外務官僚としてソ連に駐在した経験がある。佐藤氏は社会主義国家の実態、共産党一党独裁の政治の実態を熟知している。無論中国の実態も熟知しているはずである。
社会主義国家中国は領土の拡大や政治・経済の支配地域を広げる野望がある。人民解放軍はシビリアンコントロールはされていない。国内で政治力があるし、領土拡大をすれば人民解放軍を率いている幹部の利益につながる。また、周辺の弱小国に市場を拡大して利益を得れば一部の共産党幹部の利益になる。共産党一党独裁の中国は共産党の幹部が立法し、行政をやり、商売をする。商売の利益は幹部のものとなる。
だから、人民解放軍は軍事力を利用して領土を拡大したり、圧力をかけて周辺国から利益を得ようとする。他の共産党幹部は政治力と経済力を利用して周辺国に進出していって利益をむさぼる。政治力、経済力、軍事力を使って支配地域を拡大していくのが共産党一党独裁国家中国のやり方である。
中国の拡大を防いできたのがアメリカである。アメリカ軍がアジアに存在していなかければアジア全体が中国に支配されていた。アメリカ軍がいなかったチベット、ウイグル地区、モンゴル自治区は人民解放軍によって武力によって支配された。

中国の支配拡大主義は今も同じである。ベトナム、フィリピンの弱小国は中国軍によって領海に侵入された。フィリピンとベトナムは中国との貿易が拡大すればするほど中国の政治的な圧力が強くなった。2010年に中国の作家で人権活動家である劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞した時、ベトナムとフィリピンは中国の政治的圧力があったためにノーベル賞受賞式に参加できなかった。

フィリピンは中国の軍事圧力に屈しないためにアメリカ軍との連携を求めている。アメリカは中国との貿易を拡大し友好関係を築く努力をしながらも、中国の人権侵害に抗議し、周辺国と軍事提携をしながら、中国への抑止力を強化している。抑止力強化の中心になっているのが沖縄に駐留している海兵隊である。海兵隊は周辺国に出かけて軍事演習をしたり軍事訓練をしている。

中国が共産党一党独裁国家である限り、アメリカは中国への軍事的な抑制力を維持していくだろう。抑止の方法はアメリカ単独で中国を抑止するのではなく、中国の周辺国である、韓国、日本、フィリピン、ベトナム、カンボジア、タイ、インドと連携をすることによって中国への抑止力を高めていく。それがアメリカの戦略である

中国包囲網の中心的な存在である沖縄の海兵隊にヘリコプター基地は絶対に必要である。海兵隊だけではなくアメリカ軍にとってヘリコプター基地は必要である。演習や訓練で事故を起こしたときに救出に向かうのはヘリコプターである。ヘリコプター基地は抑止力よりも救出や少数の兵士や物資を運ぶのに必要であり、アジアにアメリカ軍が駐留する限りヘリコプター基地はなくてはならない。

佐藤氏は「公開の席で、沖縄の勝利に向け、われわれは何をなすべきかについて、忌憚のない討論をしようではないか。筆者が下地氏の選挙区に行く」と述べているが、佐藤氏がやるべきことは「県外移設」が理論上可能であることを明確にすることだ。エリート官僚がその気になれば本土のどこに普天間基地を移設させることができるというのか。普天間基地を受け入れてくれる住民はどこにいるのかを明らかにする責任が佐藤氏にはある。

「県外移設」は下地氏やエリート官僚うんぬんの問題ではない。本土に普天間基地を受け入れてくれる場所があるかどうかだ。軍事基地であるから場所は限定される。限定された場所に本当に普天間基地を移設できる場所があると佐藤氏はいうのか。

鳩山元首相が「県外移設」を目指しながらも最後に辺野古に戻った根本的な原因は普天間基地を受け入れてくれる場所がなかったからだ。小泉元首相は防衛省の幹部を使って移設場所を探したが見つけることはできなかった。移設場所を見つけることができなかった理由を小泉首相は「総論賛成、各論反対」と言った。沖縄に同情して本土への普天間基地移設に賛成する本土の人は多いが、自分ところに移設する話になると大反対する。それが本土の実情だ。
過去の二人の首相が実現できなかった普天間基地の「県外移設」をエリート官僚はどのようにして実現するのか佐藤氏は説明しなければならない。

佐藤氏は普天間基地の「県外移設」がどのようにすれば実現できるのかを説明しないで、「県外移設」が可能であるようなことを匂わすのは県民に幻想を抱かせるだけだ。「沖縄の勝利に向け、われわれは何をなすべきかについて、忌憚のない討論をしようではないか」と述べ、下地氏と討論をして嘉手納移設を諦めさせれば「沖縄の勝利」に繋がるのだという思わせぶりな話にはあきれるしかない。
下地氏に嘉手納移設の主張を止めさせるのは簡単だ。本土に移設できる方法を下地氏に教えればいい。しかし、エリート官僚がその気になれば「県外移設」を実現させることができると話したら、下地氏に笑われるぞ。
  

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2012年02月15日

なぜ裁判を起こしたのか・八重山教科書問題

八重山教科書問題裁判を起こした人のブログがあることを知ったのでブログを覗いてみた。とても丁寧で説得力のある文章はかなり鍛えられた人が書いたとしか思えない。親切丁寧で正直に説明しているように見えるが、肝心なところを上手に本当の内容を折り曲げて、もっともらしく嘘の説明をしている。しかも、法律的にまずいところはうまく隠している。
八重山教科書問題裁判を起こした理由は裁判で勝つより、裁判をしながら集会やブログなどて政治運動をするのが目的だろう。

一部分であるが引用して、その文章の嘘部分を説明する。

「八重山では、八重山採択地区協議会が、その諮問機関に当たります。それで、採択権のある石垣市、竹富町、与那国町の各教育委員会は、八重山採択地区協議会に諮問します。(審議調査してもらい意見を求める)八重山採択地区協議会は、調査員(各教科ごと3人の専門の教員が選ばれ、調査研究をする)を置き、共同調査研究を行います。(H24年度使用教科書の採択についての中に示されるH14年文科省の通知に明記)
そして、八重山採択地区協議会は、審議調査し、教科書を選定し、
各教育委員会に答申します。(審議調査した意見を報告)
その答申に基づき、各教育委員会において、審議し、各教育委員会ごとに教科書を採択します。
採択の権限のある教育委員会においては採択、
諮問機関である協議会においては選定
というふうに用語を使い分けます。(石垣市学校指導課長、指導主事の両方とも、同じように教えてくださいました。)
このような用語の使い分けでも、採択権限と諮問機関の役割の違いが、わかるようになっています。
地教法第23条第6項で示されている通り、
採択の権限が、市町村教育委員会にあることから、
八重山採択地区協議会の答申と異なった採択をした竹富町教育委員会は、違法ではありません」

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説明は丁寧であり、やさしさがにじみ出ている文章だから、ほとんどの人は文章の内容を信用するだろう。このような文章は法律に精通し、書くのを鍛錬した人にしか書けない。無償化法と地方教育行政法について精通していない人なら、上の文章を完全に信用するだろう。

八重山採択地区協議会は諮問機関ではない。八重山採択地区協議会は国が無償給与する教科書を採択する協議会であり、八重山採択地区協議会が採択した教科書だけが国が無償給与する教科書となる。だから、八重山採択地区協議会で採択した育鵬社の教科書以外の教科書を採択した竹富町には文科省が無償給付することは絶対にない。もし、文科省が育鵬社の教科書以外の教科書を無償給与したら文科省が無償措置法を犯したことになる。

ブログでは採択権限と諮問機関の用語の違いを丁寧に説明し、役割の違いを述べて八重山採択地区協議会は諮問機関で教育委員会は採択機関であると説明している。このように説明するとほとんどの人が納得するだろう。しかし、八重山採択地区協議会は国が無償給与する教科書を採択する機関であり、諮問機関ではない。一方、教育委員会は地方教育行政法に従って学校で使用する教科書を採択する機関である。

八重山採択地区業議会は国が無償給付する教科書を採択することはできるが、三市町の学校で使用する教科書を採択することはできない。石垣市の教育委員会は石垣市の学校で使用する教科書を採択することはできるが国が無償給与する教科書を採択することはできないし、竹富町と与那国町で使用する教科書を採択することはできない。同様に竹富町、与那国町の教育委員会もそれぞれの学校で使用する教科書を採択することはできるが国が無償給与する教科書を採択することはできないし、他の市町の学校で使用する教科書を採択することもできない。八重山採択地区協議会と各教育委員会は採択機関であり、ただ採択する内容が違うだけだ。

ブログは筋の通った説明をしてきて、「採択の権限が、市町村教育委員会にあることから、八重山採択地区協議会の答申と異なった採択をした竹富町教育委員会は、違法ではありません」と八重山採択地区協議会が諮問機関だから、竹富町教育委員会が八重山採択地区協議会の採択した教科書と異なった採択をしたのは違法ではないと説明している。その説明は間違っている。

竹富町教育委員会が違法でない理由は八重山採択地区協議会が諮問機関だからではない。八重山採択地区協議会は国が無償給付する教科書を採択する協議会であって、市町で使用する教科書を決める機関ではないからだ。八重山採択地区協議会は採択した教科書を市町で使用するように強制することはできない。強制すれば地方教育行政法の教科書を自由に採択する権利を犯してしまうからだ。

無償措置法は国会で審議した法律であり地方教育行政に違反するような条例を導入するわけにはいかない。無償措置法に市町村の学校で使用することを強制する条例を入れてしまうと、憲法が保障している選択自由の権利を犯してしまうからだ。国会は無償措置法に地区の市町村教が使用する科書使用を強制する条例を入れるわけにはいかなかった。
もし、無償措置法で採択した教科書を地区の市町村で使用するように強制する条例を導入しようとしたら、地方教育行政法も改定しなければならないし、憲法に保証する選択の自由を侵してはいけないかという問題や、地方自治の権利を犯してしまうのではないかという問題までおよんでくる。無償措置法に強制力を持たす条例を加えるのは大変な作業になる。反対する議員も多いだろう。簡単に無償措置法に強制力を持たす条例を加えることはできない。

革新系の人たちが八重山採択地区協議会は諮問機関であると言うようになったのは、竹富町が東京書籍の教科書を採択したことに対して文科省が「違反」ではないと答弁したことがきっかけだった。「八重山採択地区協議会の採択が市町に対して拘束力がない。拘束力がないから八重山採択地区協議会は諮問機関である」という理屈をつくったのだ。新聞で見る限りではあるが、最初に八重山採択地区協議会は諮問機関であると主張したのは革新系の弁護士だった。

革新系の人たちやブログを掲載している人は、絶対に無償措置法が国が無償給与する教科書を採択するための法律であるとは言わないし、八重山採択地区協議会は国が無償給与する教科書を採択する機関であるとは言わない。それを認めると、9月8日の全体協議は有効でありしかも拘束力あるという主張が崩れるからだ。
彼らは9月8日の全体協議は無償措置法にのっとった協議であり、全体協議には拘束力があるから三市町は東京書籍の教科書を採択するべきだと主張している。県教育庁も同じ主張をしている。

無償措置法には拘束力はない。国が無償給与する教科書を採択するだけだ。八重山採択協議会が採択した育鵬社の教科書を採択した市町には国は育鵬社の教科書を無償給与する。育鵬社以外の教科書を採択した市町は国が育鵬社の教科書を無償給与するのを断ったことになるから国は育鵬社の教科書を無償給与することができない。だから、無償給与をしない。これで無償措置法についての問題は終わりである。

地方教育行政法は無償措置法と違って強制力がある。地方教育行政法では市町村の学校で使用する教科書を教育委員会で採択して文科省に報告するのを義務化している。もし、国に報告しなかったら国が教科書を採択して学校に給与し、教育委員を罰することになる。

無償措置法と地方教育行政法の違いは、採択と諮問の違いではない。採択内容の違いだ。
  

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