2017年09月30日

橋下徹氏でも見抜けなかった前原・小池代表の策略

橋下徹氏でも見抜けなかった前原・小池代表の策略
 橋本徹氏は前原代表が民進党の希望の党への入党を全員入党できるような説明をして、リベラル派の排除を小池代表に任せたことをツイッターで批判した。

「認権を小池さんに委ねずに、自ら公認権を駆使してポンコツ議員を切りまくった方がよかった。希望の党への入党の可否は早速しがらみが影響している模様」
 前原代表に課せられていたのは超短期間でリベラル派を排除することであった。橋下氏が主張するように民進党内で排除しようとすれば、リベララル派の反撃に会い、揉めて、リベラル派排除は失敗していただろう

 民進党総会では希望の党への入党を申し込めば全員が入党できるとイメージしてしまうように前原代表は話した。だからリベラル派も希望の党に入党するのに賛成したのである。ところが民進党が希望の党に入党することを決めた直後に、小池代表は、「『排除しない』のではなく、排除はいたします」
と言い、
「安全保障や憲法観といった根幹部分で一致しない民進党議員は入党させない」
と安保法案と憲法改正に反対する者は入党させないと断言したのである。もし、総会の前に小池代表が排除することを言ったならリヘラル派は反対して、前原代表の希望の党への入党案は破棄されたはずである。希望の党への入党案が決まったから小池代表は間髪を入れずに排除すると宣言したのである。

 リベラル派排除は前原代表と小池代表の二人が示し合わせた計画であった。そのことを橋下氏は気付くことができなかった。しかし、さすが橋下氏である。その後に二人の狙いに気付いた。橋下氏は次のツイッターで前原代表批判を訂正した。
 
 橋下氏のツイッターより、
「でもポンコツ議員をこんな短期間で整理するのは、小池さんの公認権に委ねる方法しか実際はない。僕も無責任な机上の論をほざく自称インテリになったもんだ。とにかく激しいぶつかり合いが政治を以前よりましなものにする。小池さん、前原さんの特大功績」
 
 前原代表と小池代表のコンビによるリベラル派排除の策略は、橋下氏を「僕も無責任な机上の論をほざく自称インテリになったもんだ」
と言わせるほどのものであった。

 短期間で一気にリベラル派を排除する二人の策略には橋下氏も舌を巻いただろう。

 これで、共産党の民進党を含んだ野党4党共闘の戦略は潰れた。自由党も希望の党に合流するから、共産党の目指した4党共闘は共産党と社民党の2党共闘になった。
野党は共産党、リベラル派、社民党の左翼政党と希望の党、維新の会の保守政党にはっきりと分かれることになる。これでいい。

 左翼政党は時代の流れで次第に衰退していくだろう。保守の二大政党時代がやがて始まる。
  

Posted by ヒジャイ at 22:26Comments(0)

2017年09月30日

リベラル派排除に政治生命を賭けた前原代表

リベラル派排除に政治生命を賭けた前原代表
希望の党への合流を積極的に進めた前原代表であるが、自分は希望の党に入党しないで無所属で出馬することを決めた。
 民進党の希望の党への合流を積極的に進めたのは小池代表より前原代表であった。普通に考えれば前原代表が先頭に立って希望の党への入党をやるだろう。しかし、前原代表は希望の党に入党申請をしないで無所属で出馬することを決めたのである。
参議員議員は民進党に残るから民進党の代表としての責任と参議員議員をどうするか責任があるから希望の党に入党しないで民進党に残ると説明した上で、民進党からは全員立候補させないことを決めたから、前原代表は無所属で出馬すると決めたと述べた。

もっともらしい説明ではあるが、それなら民進党から出馬してもいいと思う。希望の党に移りたい議員は希望の党に移り、民進党に残りたい議員は民進党から出馬するようにすれば、前原代表は無所属で出馬しなくていいし、当選する確率は無所属で出馬するよりずっと高い。しかし、前原代表は民進党からは一人も出馬させないことを決めた。民進党から出馬できないという前原代表にとって厳しい条件を自ら課したのである。無所属なら、もしかすると落選するかも知れない。しかし、前原代表は敢えて自分にとって厳しい方法を選んだのである。それには理由がある。

前原代表は憲法違反であるから安保法制には反対であるということを公言している。前原代表が民進党から出馬すれば安保法制に反対しているリベラル派も希望の党から出馬しないで民進党から出馬することができる。リベラル派を民進党から出馬させないためには全員民進党からの出馬させないようにしなければならない。だから、前原代表は民進党からの出馬は全員できないようにしたのである。
前原代表が安保法制反対のまま希望の党に入党するとなると小池代表を追い詰めることになる。もし、前原代表を受け入れたら、安保法制に反対しているリベラル派も受け入れなければならない。それでは希望の党が保守と左翼が同居する第二民進党になってしまう。前原代表と小池代表が目指しているのは左翼を排除した保守政党をつくることだから、前原代表が安保法制反対を掲げて希望の党に入党するのは絶対に避けなければならい。

しかし、希望の党への民進党の合弁を積極的に進めた前原代表の入党を拒否したら小池代表がエゴイストに見え、国民の信頼を失う。
前原代表が確実な当選を目指して希望の党から出馬するには安保法制に賛成するしかない。しかし、前原代表はマスコミのインタビューには安保法制反対を公言した。前原代表は希望の党に入党できないことを公言したようなものである。公言した上で前原代表は希望の党には入党しないと言い、無所属で出馬すると宣言した。
前原代表が安保法制に反対し無所属で出馬することによって小池知事はリベラル派受け入れを拒否しやすくなった。

安保法制反対をし続ける限り前原代表は希望の党に入党することはできない。衆議院選に当選しても前原代表は孤独を貫いていくしかない。政治生命が絶たれる可能性も否定できない。それを知りながら前原代表は民進党の希望の党への合流と自分の無所属出馬を選択したのである。
理由は希望の党、民進党、維新の会の野党共闘から一気にリベラル派と共産党を排除するためである。排除するために前原代表は自分の政治生命を賭けたのである。

前原代表はすごいことをやってのけたのである。
  

Posted by ヒジャイ at 11:15Comments(0)

2017年09月29日

「リベラル派は排除する」小池代表が明言

「リベラル派は排除する」小池代表が明言
 新党「希望の党」代表の小池百合子東京都知事は29日の記者会見で、希望の党からの出馬を望む民進党の立候補予定者の絞り込みについて、「リベラル派を『大量虐殺』するのか」と問われ、「(リベラル派が)排除されないということはない。排除する」と言い切った。その上で、小池氏は「安全保障、憲法観といった根幹部分で一致していることが、政党構成員としての必要最低限」と重ねて強調した。
  

Posted by ヒジャイ at 16:42Comments(0)

2017年09月29日

東京小池・大阪松井・愛知大村が連携!二大政党へ大きく前進

東京小池・大阪松井・愛知大村が連携!二大政党へ大きく前進
衆議院解散から一夜明け、与野党は事実上の選挙戦に入った。こうした中、野党再編の軸になっている希望の党の代表を務める小池東京都知事が、日本維新の会代表の大阪府の松井知事、愛知県の大村知事と政権交代を目指して連携し、30日夜、共同会見を開く。
小池都知事と松井府知事、大村県知事は30日に大阪で会談し、憲法改正や消費増税の再検討、地方自治の推進など、共通政策について話し合い、希望の党と日本維新の会による、東京と大阪での選挙区調整について確認する予定である。
会談終了後、3知事は、午後6時から共同会見を開く予定。3大都市圏トップの連携をアピールすることで、二大政党実現が加速するだろう。
  

Posted by ヒジャイ at 13:19Comments(0)

2017年09月29日

安倍政権が問われる選挙ではない。二大政党誕生が問われる選挙である

安倍政権が問われる選挙ではない。二大政党誕生が問われる選挙である
 安倍政権の政策はうまくいっている。森友学園、加計学園は政治ではない。スキャンダルだ。安倍政権の政策を批判した上での選挙なら安倍政権を問う選挙になるがそうではない。
 今度の選挙は非自民・非共産党・非リベラル派による保守政党の誕生が問われる選挙である。
 希望の党に入党する民進党議員は非リベラル派の保守議員だけに徹することできるか否か。それが重要である。
 リベラル派の支持団体は共産党と同じ日教組・自治労である。民進党は日教組・自治労が支持するリベラル派と連合が支持する保守が同居している政党だ。
 日教組・自治労と連合は対立している。その対立が民進党の左翼と保守の対立でもあった。それを解消するのが希望の党の選別による民進党議員の入党受け入れである。
 
 今回の希望の党への民進党の合流は小池都知事、前原代表に神津連合会長の三者で決めたことである。
 三年前に民主党が下野した時から、左翼は共産党にあげて保守政治家で再興するべきであると主張してきたことが実現しようとしている。
 維新の会の松井代表も「民進党が『丸ごと合流』しては(連携)できない。労組、特に自治労の関係者などは無理。しがらみのある人たちを引き入れたことになる」と忠告している。
 日教組・自治労の支持する民進党議員は共産党・社民党と一緒にさせればいい。絶対に希望の党に入党させてはいけない。もし入党させるなら左翼から保守に転向させるべきである。転向できない議員は入党させてはならない。
 
 希望の党が維新の会と同じように保守政治家だけにによる政党となり維新の会と共闘すれば二大政党誕生の始まりとなる。
 
 東の東京都と西の大阪府の日本を代表する都市の知事が代表者となる希望の党と維新の会の共闘と全国区である民進党の合流は自民党と対峙できる政党の誕生となる。しかし、難題も多い。小池都知事が衆議員に立候補すれば一気に東京都民の信頼を失う。それはできない。
希望の党も維新の会も代表者が知事であるというのは国会の活動が弱体化する。代表者は国会議員でなければならない。この難題を克服できるかどうかが問われる。

とにもかくにも10月の衆議院選挙は自民党に対峙できる保守政党が誕生するか否かが問われる選挙である。安倍政権の政治を問うのは大した問題ではない。
  

Posted by ヒジャイ at 07:30Comments(0)

2017年09月28日

民進保守を希望の党が“吸収”リベラル派、共産党と決別 いいね

民進保守を希望の党が“吸収”リベラル派、共産党と決別 いいね
 民進党の前原誠司代表(55)は27日、党所属の衆院議員らが東京都の小池百合子知事(65)が代表を務める新党「希望の党」に公認申請し、同党から立候補することを認める方針を固めた。党籍を持ったまま、大量の議員が新党入りするとみられ、事実上の合流となる。前原氏自身は選挙区の京都2区から無所属で立候補する方針で、希望の党には入党しない。民進は衆院選の届け出政党としない方針も判明した。28日に臨時国会が召集され、安倍晋三首相(63)が衆院解散に踏み切る。衆院選は、10月22日にも投開票される見通し。

 8月に党代表に就任したばかりの前原氏が野党再編に向けた「ウルトラC」を編み出した。

 前原氏は党に所属する衆院議員が希望の党に公認申請し、同党から立候補することを認める方針。党籍を持ったまま入党する形となり、事実上、希望の党への合流とする。民進党は届け出政党とせず、前原氏自身は無所属で立候補し、退路を断つ形になる。党内には前原氏以外に、野田佳彦元首相、岡田克也元副総理、枝野幸男元官房長官、参院議員の蓮舫前代表ら民主党の与党時代に閣僚として活躍してきた議員が多くいる。こうした議員が民進党の残留を主張するか、希望の党で公認申請をするかも大きな焦点となる。さっそく異論が相次いだが、前原氏は28日に国会内で両院議員総会を開き、自身の方針を説明し、一任を得たい考えだ。

 民進党幹部によると、新たな枠組みで当選した場合、選挙後に所属先を希望の党とするか、民進党とするか選ぶことを想定している。前原氏は仙台市で開いた党関連の会合で「どんな知恵を絞ってでも、安倍政権を終わらせる。野党がバラバラでは選挙にならない」と悲壮な決意を語った。

 こんな選挙戦略では安倍政権を終わらすことはできないだろう。
ただ、リベラル派は保守色を明確にする希望の党への合流はできないだろうし、民進党との選挙協力に前向きだった共産党は希望の党との協力や合流はしない。一方、維新の会は保守が終結した希望の党とは共闘する。
そのため、リベラル派と共産党を除いた野党再編となるだろう。
二大政党への始まりの始まりだ。
  

Posted by ヒジャイ at 10:03Comments(0)

2017年09月28日

チビチリガマは彼らのイデオロギーの私有物



新発売


新発売・沖縄内なる民主主義13 A5版  定価1380円(税込み)
新発売・台風十八号とミサイル 定価1450円(税込み)

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
クリックお願いします

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
チビチリガマは彼らのイデオロギーの私有物
 読谷村波平のチビチリガマが、12日午前までに荒らされていたことが分かった。ひどい荒らされ方であった。
 折り鶴が引きちぎられ、ガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」の石垣が破壊されていた。立ち入り禁止の看板も倒されていた。それだけにとどまらない。壕内では集められた入れ歯は散らかり、真っ暗な場所に集められていた遺品のつぼやガラス瓶は粉々に割られ、遺骨が残る地面に散らばっていた。

 チビチリガマが荒らされたという報道があった時、すぐに頭に浮かんだのが「右翼」だった。しかし、「右翼」がチビチリガマを荒らすはずはないと考えてすぐに「右翼」の犯行を打ち消した。
 「右翼」がチビチリガマを荒らすはずがない。むしろ、「右翼」はチビチリガマの自決には反感ではなく敬意があると私は思っている。
 自決したのは米軍の捕虜になることを拒否したからである。それは日本軍が国民に求めたことである。自決した人の中には「天皇陛下バンザイ」と叫んだ人も居た。そのように自決した人々を「右翼」なら敬うことはあっても嫌うことは絶対にない。「右翼」にとってもチビチリガマは神聖な場所であるのだ。神聖な場所であるチビチリガマを「右翼」が荒らすはずがない。

 1987年、チビチリガマの「平和の像」が右翼団体員によって破壊されたというが、「右翼」は「平和の像」に反感があり破壊したのであって、チビチリガマの自決に反感があったのではない。知花氏は「中の遺品や遺骨は無事だった」と述べているが、当然である。

「平和の像」の破壊は1987年10月6日に地元で開催された沖縄国体のソフトボール会場で球場に掲揚されていた日章旗を知花昌一氏(当時39歳)が焼き捨てた行為(日の丸焼き捨て事件)に対する右翼による報復行為であった。
 現場には「国旗燃ヤス村ニ平和ワ早スギル天誅ヲ下ス」との犯行文が残されていた。
 「平和の像」は彫刻家金城実氏が作成したものであり、右翼からは知花昌一氏と金城実氏は仲間である。だから破壊したのである。金城氏は沖縄靖国訴訟原告団の団長を務めている。

日の丸焼き捨て事件
沖縄県の本土復帰までは日章旗は米軍による占領支配からの解放の象徴であったが、復帰後も米軍基地が相変わらず存在する現状に変わりなく、米軍に加え日本政府に対する反発が根強くあり、そのことが日章旗焼き捨て行為に走らせた背景があった。知花昌一氏は器物損壊罪(刑法261条 なお、刑法92条で規定される国旗損壊罪の対象は外国の国旗であり日本の国旗は対象にならない)で起訴され、1995年に執行猶予付きの有罪判決が那覇地裁から下された。

知花昌一氏に対する右翼側の報復はひどかった。彼が経営していた商店を買い物客が入れないように車で囲み、放火もした。右翼は商店だけでなく彼の家にも押しかけ脅した。知花氏は殺されるかも知れないという恐怖に襲われながら、しかし、右翼には負けない気持ちで頑張った。
波平区民は結束力が強く、知花氏も区民の信頼が厚かったので商店の売り上げはむしろ上がったらしい。
1987年12月19日に右翼団体のメンバー2人が暴力行為等処罰法違反で逮捕され、のちに実刑の有罪判決を受けた。

鎮魂のために建立された平和の塔が破壊されたことに対し、遺族会が「犠牲者は2度殺された」と嘆いたというが、右翼が破壊したのは知花氏と同じイデオロギーの金城実氏が作成した平和の塔から破壊したのであって、チビチリガマの破壊ではなかった。
 右翼にとって「天皇陛下万歳」といって自決したチビチリガマは神聖な場所である。神聖なチビチリガマを破壊するというのは考えられない。
遺族会やチビチリガマ保存会と右翼が違うのは、遺族会やチビチリガマ保存会はチビチリガマの自決は神聖なものではなく、沖縄戦の犠牲となった強制集団死であり無念の死であり、日本政府に殺された死であると考えていることである。
石原昌家・沖縄国際大名誉教授(平和学)は「今回で3度『殺された』」と述べている。遺族会やチビチリガマ保存会にとっては死んだ人たちは自決したのではなく殺されたのである。

 「右翼」が反発しているのは、日章旗を焼いた知花昌一氏のようにチビチリガマで自決した人々は沖縄戦の犠牲者、殺されたという思想があり、右翼はその思想に反感を持っていたのである。知花氏の思想の象徴が「平和の像」だから「右翼」は「平和の像」を破壊したのである。「右翼」が破壊したのはチビチリガマではなくチビチリガマの死を「殺された」とするイデオロギーの象徴である平和の像であった。

 チビチリガマを荒らした犯人は「右翼」ではなく、本島中部に住む16~19歳の無職と型枠解体工の少年4人であった。彼らはチビチリガマを心霊スポットと思い、心霊スポットで肝試しをしたという。

 報道記事を読んで驚いたことがある。チビチリガマにまだ死者の入れ歯や骨があることだ。死んだ人の骨や歯は墓に入れるべきである。まさかチビチリガマに骨があるとは予想だにしなかった。考えられないことである。なぜ、終戦から70年以上も経つのに死者の遺品や歯や骨がチビチリガマにあるのか。
 
歯や骨がある理由が分かった。チビチリガマは墓でもあるようだ。「今も骨片が残り、遺族が神聖な墓と位置付ける壕」という記事があった。
チビチリガマは遺族会が管理し、読谷村が文化財に指定しているが、チビチリガマは墓でもあるし文化財でもあるということのようだ。文化財にしたことは理解できるが墓にしたことは理解できない。
墓であるなら何人も入れないように入口を塞ぐはずである。墓とはそういうものだ。しかし、チビチリガマは塞いでいない。親族ではない赤の他人でも歯や骨があるところまで行ける。ということは、墓というよりチビチリガマは歯や骨を晒しものにしている場所であると言える。

私はあの世の存在を信じていない。霊の存在も信じていない。無論神の存在も信じていない。だから、死んだときに墓に入りたいとは思っていない。死んだら骨を粉々にして海に撒いてほしいと思っている。ただ、粉にするのは息子にとってきついだろうから、海に散骨してもらいたいと思っている。
そんな私でも自分の骨を人の目に触れるような場所に置いてほしくない。ところがチビチリガマでは人の目に触れる場所に自決した人の歯や骨を置いてあるのである。
あの世の存在を信じ霊を信じるなら、歯や骨を人の目につくガマに置かないはずである。ガマは湿気が高いし骨が痛んでボロボロになりやすい。骨にも霊が宿っていると思うなら骨が痛まないように壺に入れ墓に入れるだろう。
なぜ、チビチリガマに歯や骨を置いているのだろうか。引き取る家族が居ないからだろうか。であるならばチビチリガマを文化財に指定した村が墓をつくって骨を納めて魂を安らかにさせるべきである。なぜそれをやらないのか。

チビチリガマが荒らされたことを知った時の遺族会会長、知花昌一氏、読谷村議会長の発言から骨を晒し物にしている理由が予想できる。

遺族会会長の与那覇徳雄さん(63)は
「なぜこんなことが起こったのか。許してはならない。遺族はまた苦しむ。だが、また立ち上がって平和を発信したい。こんなものには負けない」
と話した。

知花氏は、
「今回はより悪質。集団自決を生き延び、罪の意識に苦しんできた遺族にとって、ここは単なる墓ではない。沖縄戦の犠牲者を再び殺す行為であり、沖縄の苦しい歴史をあざ笑う卑劣な行為だ」
と怒りをあらわにした。

読谷村議会の伊波篤議長は
「遺族や生き残った方への冒涜(ぼうとく)であり絶対に許してはならない」
と強い怒りを表した。

 三者ともチビチリガマを荒らした犯人への怒りが激しい。彼らには魂が安らかに眠る場所を荒らされたという悲しみを感じないし、管理する者として荒らされてしまった責任から死者の魂に詫びる感情も彼らに感じられない。彼らに感じられるのは犯人への激しい怒りである。
 
チビチリガマは、1987年11月にも平和の像が破壊されている。その時にはガマの中は荒らされていない。しかし、平和の像が破壊されたということは、いずれガマの中も荒らされるかもしれないと予想するのが普通である。ガマが荒らされても、せめて死者の遺品や骨に被害が及ばないように、それらのものをガマから撤去して人の手に触れることがない場所に移すべきである。内部への立ち入りを禁止する看板があるというがチビチリガマを荒らすことを目的にしている人間にはなんの効果もない。
なぜ、遺品、歯、骨をチビチリガマに置いてあるのか。集団自決現場の生々しさを感じさせるためではないかと憶測してしまう。墓にするならば壁で閉じて骨などは見えない状態するはずである。しかし、墓であると言いながら閉じていないのは遺品、歯、骨をチビチリガマに訪れた人たちに見せるためであるとしか考えられない。72年前に自決した人の遺品、歯、骨を見れば、チビチリガマが生々しくなり72年前の悲惨な状態を想像してしまう。
その効果を狙っていると思わざるをえない。知花氏はチビチリガマは単なる墓ではなく、沖縄戦の犠牲者の墓であることを強調している。彼の発言からも効果を狙っているとしか思えない。
遺族会会長の与那覇徳雄さん(63)は「なぜこんなことが起こったのか。許してはならない。遺族はまた苦しむ。だが、また立ち上がって平和を発信したい。こんなものには負けない」と言った。
伊波議長は「戦後72年がたち、語り部が減る中で、戦世の悲惨さを伝えるためチビチリガマを記録で残そうという思いがある」と言った。
遺族や読谷村にとってチビチリガマは自決した人たちの魂を安らかにする場所ではなく、自決した人達は沖縄戦の犠牲者であるという彼らのイデオロギーを外に向かって発信する場所であるのだ。
チビチリガマを参拝するには彼らのイデオロギーと同じ人間でなければならない。
本土のソフトボールのチームが来た時、チームの監督がチビチリガマで参拝しようとしたら知花昌一氏が立ちはだかり参拝をさせなかったことがあった。チビチリガマは村の文化財であり墓であるけれども誰でも参拝できるという場所ではないようである。特定の思想の人間しか参拝はできないようである。

チビチリガマが少年たちに荒らされた後に本土の学生を引率してきた清水耕介教授は、
「内向きで右傾化する社会の流れとの関係が思い浮かんだ。平和学習に対する非常に強いバックラッシュ(反動)があるのは事実。平和も人権も勝ち取るものであることを学生には学んでほしい」
と述べた。清水耕介教授のような右傾化に反対する人の参拝は歓迎されている。
9・29県民大会決議を実現させる会はチビチリガマ内部が荒らされたことを受け、
「極めて異常な形で死に追い込まれた人々が生の道を奪われ、無念の思いが込められた場所である。極めて独りよがりの思いで、好き勝手に破壊を続けた行為を断じて許すことはできない。満腔(まんこう)の怒りを込めて抗議の意志を表明する」とアピール文を発表した。

 まだ、荒らした犯人が逮捕されていない時の彼らの反応は、チビチリガマを荒らした犯人はチビチリガマの歴史を知っている者であり、犯人は悪意で破壊したと決めつけている。
そのように犯人像を決めつけてこれほどまでに怒るのは本当は彼らのイデオロギーが原因である。彼らのイデオロギーこそが悪意ある犯人像をつくり上げている。そして、自分勝手にイメージした犯人に怒っているのである。

 チビチリガマの自決した人の骨や歯や遺品は彼らのイデオロギーによって私物化をされていると言って過言ではない。
 
 沖縄では亡くなった時に法事が初七日に始まり一周忌、七周忌、二十一周忌と回を重ねていくが、法事をするのは三十三回忌が最後である。死んだ人の魂は法事を重ねる度に天国への入り口が近づき、33回忌でやっと天国に入れるからである。だから、三十三回忌で神様になるので、三十三回忌はお祝い事になる。三十三回忌では紅白饅頭が配られ、香典ではなく「ご祝儀」を納める。

 チビチリガマで自決した人達の魂も戦争の恨み辛みを乗り越えてすでに神様になっている。
 チビチリガマを文化財にしているのなら、魂は神様になったのだから、右翼とか左翼とかの思想を乗り越えて、チビチリガマの自決に対して参拝したい人全てに参拝してもらうようにしたほうがいいのではないだろうか。

 そして、チビチリガマの骨、歯、遺品は全て撤去するべきである。

 チビチリガマで自決した神になった人たちの魂は、チビチリガマを荒らした少年たちに微笑みながら、彼らを許しただろう。
 しかし、神になった魂とは違い、遺族会、読谷村議員、知花昌一氏たちはイデオロギーに凝り固まっているがゆえに怒りと非難に終始している。
 彼らはチビチリガマの死者の魂が神になるのを許さないで彼らのイデオロギーの中に閉じ込めている。そして、彼らの思い通りにチビチリガマの魂を扱っている。彼らはチビチリガマで自決した人達の魂を彼らのイデオロギーによって私物化しているのである。

 チビチリガマの集団自決は読谷村HPに詳しく掲載している。毒薬を注射したという看護婦の知花※※への思い出も載っている。彼女は満州から沖縄に来たが満州には恋人が居て、彼と離ればなれになったことに悩んでいたという。
 同じ波平にあるシムクガマでは集団自決から免れた。シムクガマには一〇〇〇人前後の人が避難していたが、ハワイからの帰国者である比嘉平治(当時七十二歳)と比嘉平三(当時六十三歳)の二人が、「アメリカーガー、チュォクルサンドー(アメリカ人は人を殺さないよ)」と、騒ぐ避難者たちをなだめ説得して、ついに投降へと導いた。
 沖縄戦の時多くのアメリカ帰りの人が居た。彼らの居た壕では彼らが「アメリカーガー、チュォクルサンドー」と壕内の避難民を説得したり、直接アメリカ兵と交渉して、死者を出さなかった。
沖縄戦の時にアメリカ帰りの人が多かったのは、明治時代に沖縄の貧困を助けるために當山久三氏がアメリカ移民を始めたからである。アメリカ移民といっても永住をするのではなく、ハワイなどのパイナップル畑で働いて、お金を貯めて沖縄に帰る目的の移民であった。いわゆる出稼ぎである。だから、沖縄戦の時、多くのアメリカ帰りの人がいたのである。
昭和初期から沖縄はソテツ地獄という不況時代が続いた。貧困から逃れるために多くの県民が海外移民をした。當山久三氏は多くの県民を貧困から救っただけでなく、沖縄戦では多くの県民の命も救ったのである。當山久三に感動する。
 
 読谷村のHPに掲載している「チビチリガマの集団自決」、「知花看護婦の思いで」、「集団自決を免れたシムクガマ」を紹介する。
チビチリガマの集団自決
三月末から激しい爆撃があり読谷村の住民は近隣の者、多くはいくつかの親類で集まってガマで寝起きするようになった。チビチリガマは、読谷村字波平の集落から西へ五〇〇メートルほど行った所にあり、深さ一〇メートルほどのV字型をした谷の底にある。集落内に源をもつ湧水が流れ出て小さな川をなし、それが流れ込む所に位置し、川が尻切れる所といった意味から「チビチリ」(尻切れ)という名が付いたと考えられている。米軍が上陸した海岸からは八〇〇メートルほど内陸である。
四月一日、米軍に発見されたチビチリガマの避難民は「デテキナサイ、コロシマセン」という米兵の言葉が信用できず、逆に竹槍を持って反撃に出た。上陸直後のため敵の人数もそう多くはないと思い込んだのが間違いだった。ガマの上には戦車と米兵が集結、竹槍で突っ込んでくる避難民に機関銃を撃ち、手榴弾を投げ込んだ。この衝突で二人が重症を負い、その後死亡した。避難民の恐怖心はさらに高まった。
米軍の上陸を目のあたりにしたその日、南洋(サイパン)帰りの二人が初めて「自決」を口にした。焼死や窒息死についてサイパンでの事例を挙げ着物や毛布などに火を付けようとした。
それを見た避難民たちの間では「自決」の賛否について、両派に分かれて激しく対立し、口論が湧き起こった。
二人の男は怒りに狂って火を付けた。放っておけば犠牲者はもっと増えたに違いない。その時、四人の女性が反発し、火を消し止めた。四人には幼い子がおり、生命の大切さを身をもって知っていたからだ。結局、その日は大事には至らなかったが、「自決派」と「反自決派」のいさかいはその後も続いた。
前日の突撃で米軍の戦力の強さを思い知らされた避難民は一睡も出来ないまま二日を迎えた。
前日に無血上陸を果たした米兵が再度ガマに入ってきて「デテキナサイ、コロシマセン」と降伏を呼び掛け、食べ物を置いていった。
その間にもいくつかの悲劇は起きていた。十八歳の少女が母の手にかかり死亡したり、看護婦の知花※※らのように毒薬を注射して「自決」した人々もいた。「天皇陛下バンザイ」と叫んで死んだのは一四、五人ほどだったという。
横たわる死体。そこへ再び入ってきた米兵…。ガマの中の混乱は極限に達していた。そんな中ひもじさの余り米兵の持ってきた食べ物を口にする者もいたが、毒が入っているから絶対食べるなと頑として応じない者もおり、避難民は生か死かの選択が迫られていた。
煙で苦しんで死ぬより、アメリカーに撃たれて楽に死のうとガマを出た人もいた。しかし、大半はガマでの「自決」を覚悟していたようだ。
そして毛布などについに火がつけられた。前日は止めたが、もうそれを止めることはできなかった。奥にいた人たちは死を覚悟して、「自決」していった。煙に包まれる中、「天皇陛下バンザイ」を叫んでのことだった。そこに見られたのは地獄絵図さながらの惨状だった。
避難民約一四〇人のうち八十三人が「集団自決」という形で亡くなるというチビチリガマでの一大惨事だが、真相が明らかになったのは戦後三十八年たってからであった。全犠牲者の約六割が十八歳以下の子どもたちであったことも改めて判明した。
数十人はガマを出て米軍に投降した。ガマを出たとたん米兵に大歓迎を受けたと感じる者も殺されるのではないかと思っていた者もいた。

知花※※さんの思い出 玉城※※(字儀間)

 昭和十九年当時、私は大山医院で住み込みの看護婦をしていて、後にチビチリガマで「自決」された知花※※さんとは、とても親しくしていました。みんなは「※※ちゃん」とか「※※さん」とか呼んでいました。彼女は「満州」で従軍看護婦をしていたそうですが、そこで知り合った本土出身の男性との結婚の了解を得るため、両親のもとにいったん帰って来たのだそうです。しかし戦況が悪化して「満州」に戻ることができなくなり、しばらくは大山医院で働いていたそうですが、私が大山医院に勤める頃からは、北飛行場の医務室で看護婦として働いていました。
 彼女は、医務室の薬が切れると大山医院に取りに来たりするので、話をする機会がよくありました。当時は女に生まれて、国のために何が出来るかと考えると、従軍看護婦の道ぐらいしかありませんから、私は従軍して戦場で働き、天皇陛下のために死のうと考えていました。しかし諸事情から、従軍看護婦の道を諦めざるを得なかった私にとって、「満州」で従軍看護婦をしていた彼女は憧れのお姉さんでした。とても有能な人で、看護婦の免許のほかに産婆の免許を持ち、話すことも知的でいつも希望に燃えていました。国のためにという熱意にあふれて力強く話す姿は、今でいうと政治家の土井たか子に似ていました。
 「※※ちゃん頑張るんだよ、大和魂で負けたらいかんよ。最後の最後まで頑張らんといかんよ。最後はどうなるか分からんし、私もどうなっていくのかわからんけど、もし戦争に負けることになったら、生きるんじゃないよ。自分で死んだほうがいい、捕虜になったら虐待されて殺されるんだから」彼女はそう言うと、「満州」で「支那事変」帰りの兵隊に聞いた「戦場での女の哀れ話」を私にも話して聞かせるのでした。その話は非常に恐ろしく、敗戦国の女性がどんな目に遭うのか私にまざまざと感じさせるものでした。
 そういった姿の一方では、彼女には女性らしい面も多くありました。戦争が激しくなると、「満州」にいる恋人のことが心配で落ち着かなかったのでしょう、大山医院の院長先生に相談に来ることもありました。「ねえ、先生、どうしよう、どうしよう」と彼女が言うと、医院長先生は「どうもこうもない。戦争だぞ。お前はもう、ここで働きなさい。満州には帰れないだろう、そうでないと一人の恋人のために命を捨てることになるぞ」と彼女をたしなめていました。
 彼女は「満州」にいる恋人のことを思ってか、さびしく歌をうたったりすることもありましたが、あの姿を思い出すと今でも胸が痛くなります。でも暫くたってから、思いをふっきったのか「私は満州に行けなくなって良かった。家族の面倒がみれるから」と言っていました。
 彼女と一緒にいたのは僅かの間ですが、たくさんの思い出があります。本当に、大好きな人でした。
 ※※さんは戦後、チビチリガマの「自決」のことが明るみに出てから、いろいろ思われたようですが、私は彼女が悪いんじゃない、すべて日本の教育が間違っていたんだと思います。彼女は日本の教育をまともに受けただけなんです。日本の教育が、彼女を「大和魂の女性」にしたんだと思います。
「読谷村史・それぞれの体験」

集団自決を免れたシムクガマ
なお、同じ読谷村内でもチビチリガマがら六〇〇メートル離れたシムクガマに避難した約一〇〇〇人は英語の喋れる男性の誘導で一人も死ぬことなく投降した。こうした経緯は一九八三年ころまでまったく明らかにされなかった、それは率先して死のうと言った者も、その結果死にたくないのに死んだ者も、またその恨みを持つ者それぞれが同じ集落内の隣人や近親者であり、この「集団自決」の忌まわしい記憶を呼び覚ます事に強い抵抗があったからである。読谷村の集団自決については読谷村史がWEB上で公開している。

 シムクガマは波平又川原(マタガーバル)に洞口を開いた天然の鍾乳洞です。資料によると、「洞口はアガリシムクとイリシムクの二つあり、総延長二五七〇メートル」ある。
一九四五年(昭和二十)三月、アメリカ軍の空襲は日を追って激しくなり、やがて艦砲射撃も始まるようになると、波平では約一〇〇〇人の字民がこの洞窟に避難するようになった。
 やがてアメリカ軍の沖縄本島上陸の日、激しい砲爆撃の後、アメリカ軍は読谷山村の西海岸から怒濤(どとう)のような勢いで進撃してきて、戦車をともなったその一部は、シムクガマに迫って来た。
 アメリカ兵が銃を構えて洞窟入口に向かってくると、人々は恐怖の余りうろたえ、洞窟内は大混乱に陥った。いよいよ殺されるのだと、洞窟の奥へ逃げ込もうとするが、足の踏み場もなかった。
 その時、ハワイからの帰国者、比嘉平治(当時七十二歳)と比嘉平三(当時六十三歳)の二人が、「アメリカーガー、チュォクルサンドー(アメリカ人は人を殺さないよ)」と、騒ぐ避難者たちをなだめ説得して、ついに投降へと導き、一〇〇〇人前後の避難民の命が助かった。この事実に基づいて波平では、命を救った二人の先輩に感謝の意をこめて洞窟内に記念碑を建立してある。
  

Posted by ヒジャイ at 01:26Comments(0)

2017年09月27日

朗報!小池新党、維新と協力 候補者すみ分け

朗報!小池新党、維新と協力 候補者すみ分け
 小池百合子東京都知事が代表を務める「希望の党」と日本維新の会(代表・松井一郎大阪府知事)は次期衆院選の選挙協力の検討に入った。候補者をすみ分けることで競合を避け、相互支援することを視野に協議を進める。東京、大阪の東西の知事の共闘で、新たな改革勢力としてアピールしたい考えだ。
 両党は「議員定数・議員報酬縮減」「地方分権の確立」「行政改革」など共通政策が多く、政策ブレーンも重なっている。政策協定を結んだうえで両党の候補者を相互推薦することも検討しており、近く本格的な協議に入る。

愛知県の大村秀章知事との連携も視野に入れており「3大都市圏」の首長連携も模索する。

松井氏は26日、希望の党について「政策を見ると、ほとんど僕らが6年前から言ってること(と同じ)。同じ志を持っているチームが、都知事を先頭にできるのは歓迎する」と述べ、連携に前向きな考えを示した。小池氏も記者会見で「大阪の松井知事も同じような立場だ」と強調していた。

東の東京都、西の大阪府という日本の二つの大都市が共闘し、それに愛知県の大村秀章知事が加われば「3大都市圏」となり一気に全国区になる。

26日夜、民進党の前原誠司代表は希望の党代表の小池百合子東京都知事と都内で会い、衆院選に向けた両党の連携について協議した。

維新の会、希望の党、民進党の揃い踏みは時間の問題だ。

 橋下氏が抜けた維新の会は大阪での政治はしっかりしているが全国的な知名度が低くなった。小池氏が率いる都民ファースト、希望の党は知名度は高いが、実力はない。民進党は党員は多いが国政に失敗したし、保守と左翼が同居している。
 三党の代表がしっかりと手を握ればお互いの弱点を補い、利点を延ばすことができる。三党が共闘して衆議院選挙を闘えばかなりの票を獲得するだろう。

 しかし、三党に過半数を取っては欲しいとは思っていない。三党は選挙の共闘をすることはできても政策を共闘できる段階ではない。政権を取れば政策が混迷し、破綻するだろう。
それに安倍政権には支持できる政策が多い。自民党が過半数を取り、安倍政権は続行してもらいたい。
 安倍政権の次に三党共闘で政権を取ってほしい。
 10月の衆議院選挙は維新の会、希望の党、民進党による安倍政権の次の政権獲得の始まりになるだろう。
  

Posted by ヒジャイ at 14:55Comments(0)

2017年09月27日

前原代表はリベラル派、共産党との対決に政治生命をかけている

前原代表はリベラル派、共産党との対決に政治生命をかけている
 2017年09月23日のブログ「前原代表よ、共産党、リベラル派と対決せよ」で、「前原代表はリヘラル派、共産党との対決に政治生命をかけるべきである」と書いた。つまり、左翼政党とは対決して保守政党の結集をつくることに政治生命を賭けてほしいということである。
 どうやら保守政党の結集をつくることに前原代表は本気で動いたようである。
 前原代表はは24日、自由党の小沢共同代表と会談し、民進党と自由党を軸にした野党勢力の結集を目指すことで一致した。28日の両院議員総会で、自由党との合流を提案する意向を前原代表は発表した。
さらに、近く、希望の党の小池代表とも会談し、野党再編を呼びかける考えであることを発表した。前原代表はすでに維新の会との共闘も呼びかけている。
前原代表の思惑通りなら、民進党、維新の会、希望の党、自由党の共闘が実現する。いわゆる保守政党の結集である。
党内では自由党と合流することに反発が強く、執行部の一部が「役職辞任も辞さない」との構えを示しているというが、そんなことは気にする必要はない。衆院選後の分党も視野に入れ、準備を進めている議員もいるらしいが、そんな議員は旧社会党員の左翼のリベラル派だろう。離党は歓迎するべきである。

共産党の志位和夫委員長は、「新党の希望の党は自民党と同じ流れということではないか」との見方を示し、希望の党参加者を「自民党政治の中枢にいた人、民進党で野党共闘に反対してきた人」たちであり彼らは「ウルトラ右翼」だと断じている。そして、彼らは「自民党政治の補完勢力以外の何物でもない」と決めつけている。同じように維新の会に対しても自民党の補完勢力であると断じた志位委員長である。共産党が希望の党や維新の会と共闘することは絶対にない。民進党が希望の党、維新の会との共闘に共産党は参加しないのは明らかである。

前原代表が自由党と合流し、希望の党、維新の会と共闘する方向に向かえば左翼の共産党、社民党を排除した保守政党の連合が誕生する。共産党が目論んでいる4野党の共闘は崩れる。共産党のほうが野党共闘から孤立する。

民進党、希望の党、維新の会の共闘が実現すれ二大政党の可能性が高くなる。

前原代表は民進党内部のリベラル派と徹底して対決していくべきだ。リベラル派は離党して政党を結成しても崩壊することを知っている。彼らに民進党を離党する勇気はない。リベラル派を保守に変革するのも前原代表の重要な仕事である。二大政党を実現するために、リベラル派の圧力に屈しないで保守に徹することに政治生命をかけるのが前原代表の使命である。
  

Posted by ヒジャイ at 08:44Comments(0)

2017年09月26日

安倍首相も二大政党を望んでいる

安倍首相も二大政党を望んでいる
 安倍晋三首相は2017年9月25日夕方に記者会見し、28日に招集する臨時国会冒頭で衆院を解散することを表明した。解散にともなう衆院選は10月10日公示、22日投開票の見通しである。

安倍首相は衆院選が「厳しい戦い」になるとの見通しを示しながら、同日午後に東京都の小池百合子知事が立ち上げを発表した国政政党「希望の党」については、
「基本的な理念は同じだろう。政治手法において少し違うのかも」
「いずれにせよ、東京都知事である小池知事とは、東京五輪・パラリンピックを成功させなければならないという共通の目標は持っている。その上で、選挙戦はフェアに戦いたい」
と述べ、党名について「いい響き」と新党に秋波を送った。

 自民党一大政党では派閥政治になる恐れが強い。特に、3分の2という勢力になった時、自民党内の勢力争いが激しくなり、強い派閥が権力を握るようになる。二階幹事長は派閥政治屋である。安倍首相としては二階氏を幹事長にしたくなかったが党内をまとめる力があるので彼を幹事長にせざるをえなかった。内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)を島尻愛子の次は鶴保庸介、江崎鉄磨と二回も二階派が続いているのは派閥政治の表れである。二階氏が幹事長であるから能力とは関係なしに強引に二人を沖縄相にした。江崎は自分でも沖縄相になる実力はないと公言した人物である。能力のない人物を二階幹事長が強引に沖縄相にしたのだ。
 能力のない人物を派閥の圧力で大臣にする。それが派閥政治である。自民党が安泰すればするほど派閥政治の傾向が強くなる。
 派閥政治と闘った小泉政権は国民に支持された。しかし、小泉以後は派閥政治に戻り国民の信頼を失う政治になった。だから、民主党政権が誕生した。
 安倍首相は自民党が派閥政治になるのを嫌っている。しかし、圧倒的に自民党が強い状態が続けば安倍首相の次の内閣では派閥政治に戻る可能性がある。自民党が派閥政治にならないためには二大政党でなければならないと安部首相は考えている。だから、保守政党である小池都知事の希望の党に秋波を送ったのである。
 
 都民ファーストも新党も実力のない政治家たちの寄り合い所帯のようなものである。ずっこける可能性は高い。しかし、自民党の派閥政治や共産党などの左翼政党の勢力拡大よりはずっといい。
 二大政党への道のりは厳しいが二大政党時代がやつてくることを期待する。
  

Posted by ヒジャイ at 08:44Comments(0)

2017年09月25日

「若狭新党」との協調に含み=維新

「若狭新党」との協調に含み=維新
 日本維新の会の松井一郎代表(大阪府知事)は25日、東京都の小池百合子知事に近い若狭勝衆院議員らが結成する新党について「われわれと同じ政策を掲げるなら、敵対する必要はない」と述べ、衆院選での協調に含みを持たせた。
府庁で記者団の質問に答えた。
松井氏は「まだ小池氏と話したことがない。候補者調整とか言える環境にない」とも語った。 

 日本維新の会の松井一郎代表、小池東京都知事、民進党の前原代表の三人が共闘に前向きになった時、二大政党誕生の始まりになる。
  

Posted by ヒジャイ at 15:49Comments(0)

2017年09月24日

堺市長選挙で維新の会敗れる。しかし・・・

堺市長選挙で維新の会敗れる。しかし・・・
 任期満了に伴う大阪府堺市の市長選挙が行われ、無所属で現職を2期つとめた竹山修身氏(67)の当選が確実となった。
 大阪維新の会公認の永藤英機は敗れたが、保守の二大政党実現を希望している私はがっかりしていない。
なぜなら、竹山氏は無所属であり彼を推薦したのが「自民党」「民進党」「社民党」「日本のこころ」の4党であるからだ。推薦枠には共産党は入っていないのだ。共産党は自主的に支援した。共産党の推薦を竹山氏は断ったのである。竹山氏は保守であり、保守が堺市長になったのである。

 維新の会は敗れたが、相手は自民、民進、社民、こころに共産党である。一対五の闘いを展開する維新の会の支持率は政党としては一番高いということになる。
 当選した竹山氏は保守である。大阪は保守が強いということである。共産党は弱くなっている。それはいいことだ。

 国会で民進党、新党に維新の会が共闘するようになれば、大阪でも維新の会と新党、民進党が共闘するかもしれない。そうなると維新の会、新党、民進党対自民党になるかも知れない。そうなると共産党はますます孤立していく。大阪も保守勢力がますます強くなっていく方向にある。

竹山氏は3人目以降の保育料無償化実現や、子ども医療費の拡充など2期8年の実績をアピールしているが、それは維新の会と大きな違いはない。大阪維新の会の看板政策「大阪都構想」に反対していることが、竹山氏と維新の会の違いである。
維新の会は「大阪都構想」の選挙を目指しているが、「大阪都構想」が決まれば竹山氏との違いはなくなる。

 地方自治改革を目指している都民ファーストは大阪都構想に賛成する可能性がある。この視点からも衆議院選は注目である。
  

Posted by ヒジャイ at 23:46Comments(0)

2017年09月24日

日本のこころ・中山恭子、成彬、自民・福田が新党に

日本のこころ・中山恭子、成彬、自民・福田が新党に
 日本のこころの中山恭子代表(77)=参院比例代表=が、小池百合子東京都知事の側近らが結成する国政新党に参加する意向を周辺に伝えていたことが24日、分かった。中山氏は同日午後、東京都内で小池氏と会談する。
 関係者によると、中山氏の夫の中山成彬元文部科学相も新党に加わり、10月の衆院選に出馬する意思を示している。

新党を立ち上げる予定の若狭衆議院議員が新しい党に自民党の福田峰之議員が加わることを24日午前に明らかにしました。自民党から若狭議員の新党に加わるのは初めてである。
  

Posted by ヒジャイ at 16:00Comments(0)

2017年09月24日

衆院選の結果は辺野古に全然関係ない

衆院選の結果は辺野古に全然関係ない
 沖縄タイムスは10月の衆院選の議席が辺野古に影響すると報じているが、沖縄タイムスの指摘は間違っている。
名護市長選、県知事選、衆議院選と辺野古移設反対派が全勝したが、辺野古基地建設工事は順調に進んでいる。辺野古移設は県知事選前に決まっていた。だから、辺野古移設反対の翁長氏が知事選に勝っても辺野古移設が中止されることはなかったし、衆議院選で辺野古移設反対派が4小選挙区で勝利しても辺野古移設建設への影響はなかった。
 過去も選挙と辺野古基地建設は関係がなかったように今度の衆議院選の結果も辺野古基地建設は関係ない。建設工事は予定通り進んでいくだけだ。

 そういうことである。
  

Posted by ヒジャイ at 01:09Comments(0)

2017年09月24日

前原代表、新党との連携に前向き二大政党の可能性

前原代表、新党との連携に前向き二大政党の可能性

民進党の前原代表は来月の衆議院選挙に向けて、小池東京都知事に近い若狭衆議院議員らが立ち上げる新党との連携に前向きな考えを示した。
民進党・前原代表「(新党は)第2自民党にはならない、第2民進党にはならないということで、政権交代を目指すということをおっしゃっている。(新党は)同じ方向性を向いている。今後話をしていきたい」
前原代表はこのように述べ、来月の衆議院選挙に向けて若狭氏らが来週立ち上げる新党との連携に前向きな考えを示した。

前原代表は若狭・細野新党との連携を宣言した。前原代表も二大政党を目指している。10月の衆議院選では若狭・細野新党と維新の会、民進党の当選者に注目すべきである。
 橋本徹氏が維新の会に復帰して衆議院選に立候補すれば維新の会は飛躍的に延びるだろう。そうなれば三党共闘で自民党に対峙することができ二大政党時代の可能性が生まれる。
  

Posted by ヒジャイ at 00:28Comments(0)

2017年09月23日

前原代表よ、共産党、リベラル派と対決せよ



新発売


新発売・沖縄内なる民主主義13 A5版  定価1380円(税込み)
新発売・台風十八号とミサイル 定価1450円(税込み)

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
クリックお願いします

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前原代表よ、共産党、リベラル派と対決せよ
 民進党の前原代表は18日、衆院選での野党共闘について、「政権選択選挙で基本的な理念・政策が一致しないところと協力しても、勝った後に連立を組もうとはならない」と述べ、共産党との選挙協力に否定的な考えを示した。
 しかし、一方民進党、共産党、自由党、社民党の野党4党の幹事長・書記局長が会談し、衆議院選挙の小選挙区において、野党候補者の一本化を模索することを確認した。民進党の大島幹事長は「国民としては、『野党候補を一本化してほしい』という声が多く届いているから、そこは承知しながら、慎重な対応を行っていきたい」と述べた。前原代表の思惑とは異なり民進党の幹部は野党共闘を模索している。

 共産党の小池書記局長は「小選挙区なので、与党と野党が1対1で持ち込んでいくのが望ましい。どうすればそうできるか、模索していきたい」と与党対野党の対立を重点視し、小選挙区制では野党共闘して候補者を一人に絞ったほうがいいと主張している。小池書記局長の弁はそれなりに説得力がある。
事実、北海道では民進党と共産党が共闘して一本化すれば。前回衆院選では12小選挙区のうち、自民、公明が旧民主に9勝3敗と勝ち越したが、前回衆院選の得票を単純に合わせると、自民が3勝9敗になる可能性があるという計算が出ている。「与党と野党が1対1で持ち込んでいくのが望ましい」という小池書記局長の弁は地方の選挙区を考えればその通りであり、野党4党共闘を否定しにくい状況でもある。

 しかし、前原代表が主張している通り、自民・公明に勝って過半数を獲得して政権を握った時に共闘できるか否かが重要な問題である。政策で対立すれば4党共闘の政権は分裂し、崩壊してしまう。政権が崩壊してしまうような共闘なら最初から組まない方がいい。もし、共闘するなら中途半端な共闘ではなく、政権を取った時にも政策が一致することを前提にやるべきだ。
 前原代表は共産党とは基本的な理念・政策が一致しないと言っているが、共闘するなら共産党に基本的な理念・政策を一致するように要求するべきだ。
 前原代表は21日の記者会見で、「憲法の議論は野党第一党として堂々とやる。どう政権公約に盛り込むか党内で議論してもらっている」と述べ、憲法改正を次期衆院選の政権公約に盛り込む考えを示した。前原代表は枝野幸男代表代行や武正公一憲法調査会長らとの20日の会談で、調整を急ぐよう指示した。民進党幹部に支持したことと同じことを共産党にも要求すればいい。
 共産党は憲法改正に反対である。そんな共産党に憲法改正を承諾させるのである。受け入れなければ共闘はできないと忠告すればいい。

 共産党と共闘することを嫌って民進党を離党した細野議員たち保守派は共産党と対決するのを避けて逃げたともいえる。民進党の代表となった前原氏は民進党を離党することができない。であるならば自分の保守政治姿勢を徹底して押し通して民進党内のリヘラル派や共産党と対決して、リヘラル派、共産党を保守の政策に変えさせる覚悟で取り組むべきである。
 前原代表はリヘラル派、共産党との対決に政治生命をかけるべきである。

 実は共産党も曲がり角に来ている。共産党が目指しているのは共産党一党独裁の社会主義国家であったが、時代の流れが一党独裁は無理であることを認識せざるをえない状況になった。全選挙区に単独で立候補を立てて国会の過半数を獲得する選挙戦略をやってきたが、莫大な選挙費用をかけるにも拘わらず当選者が少ない現実を長い間体験し続けた共産党は全選挙区に立候補者を立てるのを諦めた。それは共産党単独で政権を握る戦略を放棄することでもあった。その単独政権戦略を諦めた共産党の新しい戦略が野党による連立政権戦略であった。野党が共闘して政権を握り、社会主義国家の夜明けにする。それが今の共産党の新しい戦略である。その戦略によって共産党はしきりに野党4党共闘をやろうとしているのだ。共産党の4党共闘は高度な政治戦略に基づいているから徹底して押し通してくる。共産党は簡単に4党共闘を諦めることはしない。諦めれば新しい政治戦略をつくらなければならないし、新しい政治戦略をつくることは非常に困難である。社会主義国家づくりの理論が崩壊してしまう恐れさえある。
前原代表はそれを逆手にとって共闘と対決して主導権を握ればいい。いわば共産党の保守化を狙うのである。前原代表が民進党の政策に同意することを共産党に徹底して要求すればいい。

 前原代表は8日、各党あいさつ回りの一環として、日本維新の会の片山虎之助共同代表らと国会内で会談し、同党に連携を呼び掛けた。
呼びかけに対して、維新の遠藤敬国対委員長が「野党4党の枠組みはどうなるか」と尋ねた。すると民進党の松野頼久国対委員長は「(維新も加えた)5党でやろう」と提案した。前原代表も、
「冗談抜きに、しっかりと連携してほしい」
と連携を提案した。しかし、片山氏は態度を明確にしなかった。

 共産党が積極的に共闘を進めている野党4党には共通する点がある。全党に左翼議員が存在していることである。共産党と社民党は言うまでもなく左翼政党である。自由党の代表である小沢一郎氏は元自民党員であり保守であるが副代表の山本太郎氏は左翼である。民進党には元社会党員のリベラル派が居るが、彼らは左翼である。4野党には左翼議員が居ることが共通しているのだ。
しかし、維新の会は4党とは違う。維新の会には左翼議員が一人も居ない。このことが他の4党とは違う。4党が共闘する原因は左翼議員が居るからであり、野党共闘に維新の会が参加していないのは左翼議員が居ないからである。

共産党は維新の会を「与党の補完勢力」と決めつけて共闘を避けている。ここに共産党の本性がある。共産党は国民の生活をよくするための政治は二の次である。共産党の目は国民には向いていない。自民党に向いている。自民党政権のあらゆる政策に反対し、政権のアラを探して非難することによって、自民党の信頼を失墜させるのを目的にしている。共産党は反自民党に徹している政党であり、自民党を失脚させることにのみ血眼になっている左翼政党である。
国民生活を豊かにすることを目的にしている維新の会は左翼政党ではなく保守政党である。保守政党ではあるが自民党とは対立している保守政党である。しかし、共産党から見れば自民党と対立している維新の会であっても「与党の保管勢力」にしか見えない。
米国の民主党と共和党は共産党の目から見れば資本主義国家米国を支えている同じ体質の政党でしかない。自民党と維新の会は米国の民主党と共和党のようなものであり、維新の会は「与党の保管勢力」にしか見えないのだ。そのように見えるのは共産党が今の米国や日本の資本主義+議会制民主主義国家を否定して社会主義国家を目指しているからである。だから資本主義+議会制民主主義国家を肯定している自民党と維新の会は同じ性格の政党であり、お互い補完している政党に見えるのである。

大阪では維新の会と共産党は徹底して対立している。そして、維新の会のほうが府民に支持されている。
維新の会が野党4党と共闘するのを共産党は徹底して反対するだろう。共産党にとって維新の会は自民党と同じように天敵に等しい存在であるからだ。維新の会が前原代表の提案に応じて野党共闘に参加するなら共産党は抜けるかもしれない。

保守である前原代表は保守政党である維新の会との共闘を積極的に取り組むべきである。維新の会となら政権を取っても一緒にやっていけるだろう。
維新の会の注目するべき点は、大阪府で8年以上も政権を維持していることである。大阪の政治は維新の会一党と自民党、共産党、社民党、民進党が対立している状況である。自民党が共産党と共闘して維新の会を叩き潰そうとしたが逆に大阪府民の維新の会支持は拡大していった。
大阪府で政権与党としてしっかり政治をやっている維新の会なら国の政権を握っても前民主党のようにずっこけないでしっかりやっていくだろう。前原代表が共闘するべき政党は共産党ではなく維新の会である。
国会議員は維新の会が26人、共産党が35人であり、議員数に大した差はない。政権を握るのを目標とするなら前原代表は共産党ではなく維新の会と共闘したほうがいい。

維新の会と共闘する気持ちで共産党との共闘を進めれば、前原代表の保守としての政策を共産党に要求することができる。共産党が断れば共闘をしなければいい。

東京都議選で自民党と民進党は大敗したが、両党の票を取り込んで大勝したのは共産党や左翼政党ではなく小池知事が率いる都民ファーストであった。小池知事は元は自民党員であり保守である。
自民党は34議席、民進党は2議席減ったが都民ファーストは49議席増えた。単純計算で保守は13議席増えたことになり、共産党の2議席しか増えなかったことに比べれば保守が勝利したことになる。
時代は保守に流れている。前原代表はこのことを念頭に置くべきである。そして、保守政治家として、民進党のリベラル派を保守方向へ導き、共産党に一歩も引かずに対決していくべきである。

残念なのは前原代表が安保法制に反対したことである。北朝鮮が日本上空にミサイルを飛ばし、緊張が非常に高まっている時に安保法制に反対するのは国民の支持を失うだろう。前原代表が安保法に反対したので、また一人保守議員が民進党を離党した。保守議員が離党するということは前原代表の政策が左に向いているということである。それは避けるべきである。むしろリベラル派が離党するような政策をやるべきである。
その第一歩が維新の会との共闘である。維新の会との共闘は真剣に検討してほしい。そして、共産党、リベラル派とは対決していってほしい。
  

Posted by ヒジャイ at 12:46Comments(0)

2017年09月20日

座り込み市民は無知か大嘘つきである



新発売


新発売・沖縄内なる民主主義13 A5版  定価1380円(税込み)
新発売・台風十八号とミサイル 定価1450円(税込み)

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
クリックお願いします

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
座り込み市民は無知か大嘘つきである
19日の琉球新報に苦笑してしまう記事が載った。

名護市辺野古の新基地建設で19日、米軍キャンプ・シュワブのゲート前には市民約40人が座り込み抗議を続けている。
午前9時過ぎ、県警機動隊が市民を排除し、砕石などを積んだ工事車両66台がシュワブ内に入った。市民らは「基地ができれば米軍が犯罪を繰り返す。日本は民主主義、独立国家ではないのか。沖縄差別をやめろ」と訴えた。
         「琉球新報」
別に普通の記事であるように思うかも知れないが、実はこの記事の最初に「米軍普天間飛行場の移設に伴う」と書いていて、その後に「名護市辺野古の新基地建設で19日米軍キャンプ・シュワブのゲート前には市民約40人が座り込み抗議を続けている」と書いてある。
琉球新報はちゃんと辺野古新基地建設は天間飛行場の移設のためだと書いてあるのだ。であるならば辺野古新基地ができた時には普天間飛行場は閉鎖されて、普天間飛行場で勤務している米兵は辺野古基地移に移るのだから沖縄県内で米兵が増えるわけではない。県内の米兵の数は同じである。

キャンプ・シュワブのゲートで座り込みをしている市民は「基地ができれば米軍が犯罪を繰り返す」という理由で辺野古基地建設に反対しているが、辺野古基地が完成すれば普天間飛行場の米兵が辺野古基地に移るのだから犯罪が増えるわけではない。それに彼らの反対運動で辺野古基地が建設できなければ普天間飛行場が維持されるのだから米軍の犯罪が減るわけでもない。辺野古基地が建設されてもされなくても「米軍が犯罪を繰り返す」のに増減はない。同じである。

辺野古基地は普天間飛行場の移設基地であって純粋な新基地ではない。辺野古基地ができれば普天間飛行場は閉鎖されるのだから米兵による被害は同じである。そんなことさえ知らないで「基地ができれば」などと言ってキャンプ・シュワブのゲートで座り込みをしているのが建設反対派の市民である。彼らの無知には苦笑するしかない。

もし、市民が普天間飛行場の移設のために辺野古基地を建設していることを知っていながら「基地ができれば」などと言っているのなら、彼らは大嘘つきである。

無知かさもなければ大嘘つきなのがキャンプ・シュワブのゲートで座り込みをしている市民たちである。
  

Posted by ヒジャイ at 16:24Comments(0)

2017年09月19日

橋下徹氏は衆議院選に出馬するか・・・する



新発売


新発売・沖縄内なる民主主義13 A5版  定価1380円(税込み)
新発売・台風十八号とミサイル 定価1450円(税込み)

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
クリックお願いします

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

橋下徹氏は衆議院選に出馬するか・・・する
安倍晋三首相が臨時国会冒頭にも衆院を解散する公算が大きくなった。衆院選挙は10月10日公示―22日投開票の見通しである。
来年に衆院選はあり、その時には橋本氏は衆院選に出馬すると私は予想していた。
橋下氏が大阪市長を辞めたのは国会での維新の会の拡大失敗にあった。維新の会を立て直して自民党と政権を争えるようになるには、自分が国会に乗り込まなければならないと橋下氏考えただろう。
日本維新の会から石原慎太郎の太陽の党が抜けた。石原氏が維新の党から抜けた原因は橋下氏が結いの党との合併を目指す中、自主憲法制定などを強く主張する石原氏の主張を受けいれない結の党代表の江田憲司に失望したからだった。大阪市長である橋下氏は二人の対立の間に入る余裕がなく、予想していなかった石原氏離党に橋下氏は大きな衝撃を受けた。
維新の会に結の党が加われば党員が75人となり野党の第一党になれる勢いであったが、石原氏のグループが抜けたためにそうではなくなった。
その時に橋下氏が痛切に感じたのは、安易に数を増やすだけでは政党は駄目になることであった。しっかりした政治思想を持って政策をつくるような政党でなければ自民党と対抗できる政党はつくれない。そういう政党をつくるためにも自分が国会議員にならなければならないと橋下氏は考えたはずである。
維新の会を一から立て直すために大阪維新の会を立ち上げて維新の党からは橋下氏は抜けた。党員は激減したがそれが自民党と対峙できるような政党づくりの第一歩であると橋下氏は考えた。元結の党だけになった維新の党は民主党と合併して民進党になった。

その民進党が共産党との連立を巡り、保守政治家が離党する状態になっている。民進党は党員増員を優先して安易な合流をやってきたので内部矛盾が起き、保守議員が離党していったのである。

橋下氏が狙っているのは維新の会を全国区にすることである。そのためには全国を回らなければならない。橋下氏は維新の会を全国区にするために大阪市長に立候補しないで、大阪に縛られてしまう市長の座から離れて自由に動けるようになった。
政治から離れた橋下氏はタレントになり、2016年 4月11日からテレビ朝日 系列の『ネオバラエティ』枠で放送されている討論 バラエティ番組「橋下×羽鳥の番組」のメインキャスターになった。
番組では橋下氏の大阪府知事、市長時代の政治について話し、維新の会の政治を全国の視聴者に伝えている。知事、市長時代には大阪だけにしか伝わらなかった橋下維新の会の政治がテレビを通じて全国に知れ渡ったのである。それが橋下氏の狙いである。

橋下氏が求めているのは自民党と対峙できる政党をつくり二大政党時代にすることである。それは維新の会だけではできない。他の政党との連立も必要である。

「橋下×羽鳥の番組」で先々週は民進党を離党した細野豪志議員をゲストに迎え、先週は前原誠司民進党代表をゲストに、そして今週は都民ファーストの会の若狭勝衆院議員をゲストに迎えていた。
細野議員は二大政党を目指して民進党を離党した議員であり、若狭議員も二大政党を目指している。二大政党を目指している二人が新党結成を計画している。
前原代表は共産党との連立を否定し、維新の会に連立を呼びかけた。
三人を連続してゲストに招いたのは橋下氏が三人のことを知りたかったからだと思う。橋下氏も二大政党をよく口にするようになっている。

維新の会、細野・若狭の新党、民進党の保守議員との連立・結集によって二大政党の可能性が生まれるだろう。

左翼系の共産党、社民党を排除した保守政党の連立でなければ自民党と対峙できる政党をつくることはできない。自民党に反対だけする共産党、社民党の政策では自民党と対峙することはできない。国民に支持される政策をつくって初めて自民党と対峙できるのである。

橋下氏は知事、市長時代に教育政策で共産党、日教組と徹底して闘かった。その結果大阪市民の橋下支持は増大した。

橋下知事 VS 日教組 (2008年)
大阪府の橋下徹知事と府教育委員らが教育行政について一般参加者と意見を交わす「大阪の教育を考える府民討論会」が26日、府立大学(堺市)で開かれた。訪れた教職員の一部が、橋下知事が話すたびに、客席からヤジを飛ばし、橋下知事が興奮して、「こういう教員が現場で暴れている」「(日教組批判などで国土交通相を辞任した)中山成彬前大臣の発言はまさに正しい。これが教育現場の本質」と述べる一幕もあった。討論会は、府民の声を聞くべきと橋下知事が発案。参加者から抽選で選ばれた15人が2分間ずつ意見を述べ、橋下知事らが答える形式で行われた。


保守の結集こそが二大政党への可能性が生まれる。

日本維新の会の政策は現実的であり実現可能な政策である。
○消費増税そのものの凍結。凍結してもやりくりできる。
○消費増税凍結。
○身を切る改革で教育無償化実現。

松井一郎・日本維新の会代表は
「これを大阪でやれているんだから、国でもやれる。これを全面的に掲げて、総選挙を戦いたい」と述べている。そして、
「首相は9条改正、1項、2項を残して3項で自衛隊を明記すると言っているから、憲法も争点になる」
と憲法についても対決姿勢を見せている。
日本維新の会は反自民党の政党ではない。共産党のようになんでもかんでも自民党の政策に反対するのではなく、国民の支持を自民党よりも受けることを目的に政策を模索している政党である。
維新の会の政策をつくった中心人物が橋下徹氏である。彼なくして維新の会の政策はない。

大阪の政治改革、発展のためにも維新の会が国会で活躍できることが必要であるし、それはまた日本の政治改革にも通じる。
橋下氏が衆議員選に出馬すれば維新の会の当選者は倍増するはずである。維新の会が国会で確固たる地位を確保するためにも橋下氏の出馬は必要である。橋下氏もそう考えているだろう。

4月に始まった「橋下&羽鳥」はタイミングよく9月で終了する。

橋下徹氏は衆議院選に出馬する。私は確信している。
  

Posted by ヒジャイ at 22:31Comments(0)

2017年09月19日

前原代表の共産党と「連立組めぬ」選挙協力否定は正しい



新発売


新発売・沖縄内なる民主主義13 A5版  定価1380円(税込み)
新発売・台風十八号とミサイル 定価1450円(税込み)

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
クリックお願いします

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前原氏の共産党と「連立組めぬ」選挙協力否定は正しい
民進党の前原代表は18日、衆院選での野党共闘について、「政権選択選挙で基本的な理念・政策が一致しないところと協力しても、勝った後に連立を組もうとはならない」と述べ、共産党との選挙協力に否定的な考えを示した。
前原代表の言う通りである。連立の目的は政権を握るためである。政策が一致しない共産党と連立しても政権を握れば政策が対立して、行政が躓き国民の不信感を招いて失墜してしまう。連立が組めるのは一緒に政権を運営できる政党でなければならない。
 共産党と連立しないという前原代表は正しい。
  

Posted by ヒジャイ at 14:21Comments(0)

2017年09月18日

沖縄差別の原因は沖縄にある②の1



新発売


新発売・沖縄内なる民主主義13 A5版  定価1380円(税込み)
新発売・台風十八号とミサイル 定価1450円(税込み)

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
クリックお願いします

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
沖縄差別の原因は沖縄にある②の1
ソテツ地獄
 琉球処分により沖縄は琉球王府の支配が終わり明治政府が進める四民平等の社会になった。琉球王府に支配されていた農民は自由になった。砂糖は琉球王府にすべて献納していたが、明治時代になると砂糖は生産した農民のものとなり販売して得たお金は農民のものになった。しかし、地価の2.5%を地租として納めなければならない制度によって農民は高い税金を払わなければならなくなった。
 元王府の武士やノロなどの特権階級だったものは大地主となり小作人を雇って富を得たが、小さな畑を所有していた農民は貧困から抜けることはできなかった。

 沖縄は明治政府の近代化政策により経済は発展していった。琉球処分により日本へ併合され、沖縄県が設置された明治時代から大正にかけての約40年で人口は約20万人増加した。飛躍的な増加である。
 しかし、順調な経済成長に暗雲が垂れ込める時がやってくる。

日露戦争後の不況にあえいでいた日本は、1914(大正3)年に勃発した第一次世界大戦によって撤退したヨーロッパ列強にかわって、アジア市場を独占するようになった。軍需品や鉱産物、薬品関係などの大量輸出によって景気は回復し、日本の工業も発達していった。沖縄もこの大戦景気の恩恵を受けた。沖縄の特産物である砂糖が売れるようになり、大地主は大きな利益をあげて「砂糖成金」が生まれるほどであった。
しかし、この大戦景気は長続きはしなかった。1918年(大正7年)に第一次世界大戦が終わると、西欧諸国の経済は回復していき、西欧諸国が再びアジア市場に進出してきた。すると、日本の輸出は急速に減少していき、国内では過剰生産による戦後恐慌におちいっていった。砂糖の価格は下落し、沖縄に深刻な不況の波が押し寄せてきた。
さらに、1923(大正12)年に起こった関東大震災が日本の経済を悪化させていった。不景気はそれだけで終わらなかった。1929(昭和4)年には世界恐慌が起こり、「昭和恐慌」とよばれる慢性的な不況が日本をはじめ沖縄の人々の生活を襲ったのである。
 1918年から始まった不景気は第二次世界大戦まで続いた。この長い不景気は沖縄ではソテツ地獄と呼ばれるほどに最悪な経済状態であった。

 当時の沖縄の人口の7割は農民であった。砂糖の暴落は農民の生活を直撃し米はおろか芋さえも口にできなかったほどであった。多くの農民は野生のソテツを食糧にした。毒性を持つソテツは、調理法をあやまると死の危険があるにもかかわらず、その実や幹で飢えをしのぐほかないほど、農村は疲弊していった。
しかし、このような県民の貧窮にもかかわらず国税は徴収され、さらに台風や干ばつなどが追い打ちをかけたため、県民の暮らしは文字通り地獄の様相を呈していた。農家では身売りが公然とおこなわれた。
 飢えをしのぐために毒性の強いソテツまでも食べている窮状が『沖縄朝日新聞』に掲載され「ソテツ地獄」として内外のジャーナリズムに伝えられた。一家が同じソテツを口にするため、毒にあたると一家全滅になり、その悲惨さが人々の心に深くしみこんだ。

 世界恐慌は沖縄の農民を困窮に追込んでいったが、他方、明治政府の近代化政策によって沖縄経済の中心である製糖は農家の手作業から、大量生産できる製糖工場に変わっていった。本土から企業家がやって来て沖縄に投資したから沖縄経済の近代化が進んでいった。農村では小規模の製糖農民は貧困化して畑を手放す一方、大地主や製糖工場経営者は富み、より富める者とより貧しき者との差が開いていった。貧しき者は一層貧しくなってソテツを食べて生を食いつないでいった。
 沖縄は大正から昭和にかけてソテツ地獄が続いたが、もし、琉球王国時代なら多くの農民が餓死していただろう。しかし、明治時代になると県外や国外に移住することができた。ソテツ地獄から抜け出すために多くの県民が県外や国外に移住した。
 當山 久三が沖縄の貧困を救うために1899年(明治32年)に始めた海外移民はソテツ地獄時代にも多くの県民を海外に移民させた。1899年から1937年までに約7万人の海外移民がいた。當山 久三は沖縄の貧困を救った歴史に残る人物である。

 1920年以降は、主に大阪府や神奈川県への出稼ぎ労働者が毎年1万人以上に増していった。このソテツ地獄時代の大量の大阪移住が沖縄差別を生み出す原因になるのである。

 海外移住は県が計画し、場所、仕事内容を前もって知っていた。移民の仕事の多くは農業であった。海外移住する人たちは仕事をしてお金を儲けて沖縄に帰るという目標を持っていた。しかし、大阪への出稼ぎは海外移住と違うところがあった。
 ソテツ地獄の沖縄で仕事がなく生活に困窮して喰えなくなった農村の青年男女が阪神や京浜の工業地帯に出稼ぎに出たのである。かれらは主として紡績女工や町工場の工員となり、最下層の低賃金労働者として働かなければならなかった。
大阪大正区
 若い頃に大阪には大正区というところがあり、大正区ではウチナー口で話すことができるという噂があった。沖縄でも共通語で話すのが普通であった時代である。大阪でウチナー口で話せるというのは信じられなかった。
 ところがその噂は本当だった。1970年頃に大正区に行った。友人に連れられて沖縄人がよく集まるという飲み屋にいった。飲み屋ではウチナー口が飛び交っていた。沖縄から遠く離れた本土の大阪で自由自在にウチナー口が話せることに私は感動し、ウチナー口をまくし立て、ぐでんぐでんに酔っ払った。
 若い頃の私は沖縄人なのだからウチナー口を話すことは当然なことだと考えていた。だから、ウチナー口を使うことにこだわっていた。ウチナー口は生活用語、共通語は公用語と考えて両方を使いこなすのが沖縄人のあるべき姿だと私は思っていた。だから、高校の時から演劇をやっていたが、標準語を練習する一方ウチナー口にもこだわっていた。

 沖縄差別の原因は大正区にあったといっても過言ではない。沖縄から大阪に移住した人たちが大正区に集中し、沖縄村をつくったのである。
大正区は、かつての淀川水系と大和川水系により運ばれた土砂により出来た大阪湾の三角州の1つである。荒蕪地や湿地帯が多く、それで干拓や埋立が盛んに行われていたので土木関係の仕事が多かった。三軒家(大正区)や津守(西成区)には紡績工場があり、また従来長堀川にあった材木業者が尻無川や木津川河口方面に移転して、貯木場や製材所を設け、久保田鉄工所や中島製鋼所をはじめ中小企業が盛んに興り、大正橋架橋工事も行なわれていたので働く気さえあれば就職には困らなかった。

大阪に行けば仕事があるという噂で多くの沖縄人が大阪に向かった。
 1935年時点での集計では、住居3600個余で35000人余りの沖縄出身者が大阪に居住していたと思われるが、大正区の北恩加島が集任地区の最大規模であった。
 大正区に沖縄県民が集中した理由は、大正区には広大な土地があり、そこは材木置き場や野っ原であったことである。沖縄出身者は製材所の豊富な廃材を利用して自分たちで家をつくった。
 沖縄の貧しい農民は家を自分たちでつくるのが普通であった。その家は粗末であり雨風をしのげばいいくらいの家であった。貧しい彼らは大正区でも沖縄流の家をつくった。廃材は無料であり土地代も出ない大正区の一角に彼らは家をつくり住んだのである。

 大阪に移住したほとんどの沖縄人は貧しい農民出身であった。彼らは共通語は使えないし、大阪で生活するための基本的な知識もなかった。

沖縄出身の特徴
○共通語が下手だった。
○敬語を知らなかった。
○一軒家を借りて下宿屋をはじめると,そこに沖縄人が殺到した。
○がらが悪い。
○仕事が無いときには部屋の中で角力をして,家は地震みたいに揺れた。
○冬は軒下の板をはいで焚き物にしたりした。
○数人の他府県人の住宅街に引越して来た時は他府県人は沖縄人を馬鹿にして軽蔑するが、芋づるを引くように県人の仲間が漠々多くなって勢力が加わり、おまけに隣人の迷惑などお構ひなしに業苦無人の振舞をやり出すので、後には他県人の方が恐れをなして引越した。
○給料の日払いを要求した。
○仕事を突然辞めた。
○他人の持ち物を勝手に使つた。
○隣近所の迷惑を考えず三線を引き民謡を大声で歌った。
○公園などで沖縄人だけ集まって三線を弾いて民謡を歌った。
 
大阪人や他県人が沖縄出身を嫌った理由が理解できると思う。しかし、彼らのような人間たちだけが沖縄出身者ではなかった。

戦後米国民政府統治時代の初代主席になったのが比嘉修平氏である。また、沖縄の歴史上最初の公選選挙で主席になったのが屋良朝苗氏であるが二人とも読谷村の貧しい農村に生まれながら苦学して教員になった。
教員や軍人は実力主義であり、実力があれば教員になれたし、軍隊で出世できた。明治政府が身分制度を廃止して四民平等の社会にしたからである。 
民間ではまだまだ差別が強かったので貧しい農民の子が出世するのは難しかったが、教員や軍人は実力主義だったので、沖縄の優秀な人たちは教員や軍人になった。
戦後の沖縄は軍国主義を嫌う米国が統治したので元軍人は政治の要職に就くことは敬遠された。だから、教員出身が政治の要職についたのである。
比嘉修平氏と屋良朝苗氏は貧しい農民の生まれでも教員になれた。実力主義であったからである。金のある元士族や資産家の子の多くは高等学校や大学に進学して実力をつけ本土で就職している。彼らは差別されていない。

大阪で差別されたのは貧しい農民で学校も行かず、教養のない人たちであった。
大阪に移住したのは大正区に住んでいる人たちだけではない。大阪に溶け込んでいる人たちもいた。彼らは教養のある人たちであった。同じ大阪に住んでいる沖縄出身者が大正区に住んでいる人たちを批判している。
「今少し積極的に大阪市民としての自覚の下に郷に入れては郷にしたがって貰い度い」
「現在の如く県人のみの密集形成では百害あって、一利なしであろう」
「特に密集生活を廃して、どんどん他県人の中に入って同化して貰い度い」
「住居は貧乏で狭くともいいから清潔に小締鮭にする事」

 大正区に住んでいる沖縄出身者は大阪市民としての自覚を持とうとしなかったことや、郷に入っても郷にしたがわない人たちであると教養ある沖縄出身者は指摘している。そして、沖縄出身者だけ集まって他県人との交流をする努力もしないことを批判しているのである。大正区に住んでいる沖縄出身者たちは大阪の生活になじむことをしないで大正区で独自の沖縄村をつくっていったのである。
 
 大阪で済むのなら大阪人と話し、大阪の習慣を学ぶべきである。「郷に入らば郷に従え」であるが、大正区に住んだ沖縄出身者は大阪の言葉、習慣になじむことなく大阪に住んだのである。
 しかし、それは彼らの責任として彼らを非難できるものではない。もし、沖縄で共通語を徹底して教え、大阪で仕事をする時の心構え、生活の仕方を教育していれば大阪に移住した沖縄出身者は大阪の生活になじみ、大正区で沖縄出身者だけの村をつくることはなかっただろう。
 沖縄差別の原因は沖縄の農民の生活文化と大阪の生活文化は大きく違っていたことにある。琉球王国時代の沖縄の農民は村ごとに自給自足の生活をしていた。私有財産はなく畑も山も所有者は琉球王府であり、農民は琉球王府の所有する山畑を共有で使っていた。農民には財産の私有意識がなかった。琉球王国時代の文化が明治以後の農民にも深く残っていた。
 一方江戸時代から商人の町として栄えてきた大阪は商売中心の社会であった。商品の売り買いが盛んであり、買ったものは自分の財産であるという私有財産の意識が発達していた。
 高度な教育を受けていない沖縄出身者には大阪を理解するのは困難であった。そんな彼らでも高度な経済発展をしている大阪だったから仕事にはありつけた。しかし、大阪の生活にはなじめなかったから沖縄独自の村社会をつくったのである。

   つづく
  

Posted by ヒジャイ at 16:32Comments(0)