てぃーだブログ › 沖縄・日本・アジア・世界 内なる民主主義 › 沖縄に民主主義は育っているか › 近くの小学校で新型コロナ感染児童

2020年07月21日

近くの小学校で新型コロナ感染児童


本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 FAX 03-3236-6182
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170 FAX 098-861-5499
shopping@o-kyohan.co.jp
沖縄内なる民主主義23新発売中

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
近くの小学校で新型コロナ感染児童

 三線教室から帰ってきてネットを見てびっくり。新型コロナウイルスに感染した男児は読谷村の小学生だという。中部保健所管内在住の10歳未満の小学生男児が、新型コロナウイルスに感染したというのは昼のニュースであった。保健所は沖縄市にあるし、人口も多いので沖縄市あたりの小学校だろうと思っていた。ところが我が読谷村である。まさかである。
息子にこのことを教えようと電話した。息子はすでに知っていた。男児がどこの小学校の生徒であるかも知っていた。小学校名を聞いて驚いた。なんと、その小学校は近くの小学校だったのだ。いつも小学校の側を通っている。毎日見ている小学校の男児が新型コロナに感染したのだ。
今日も小学校側を通った。車ではなく徒歩で。今日は嘉手納町の南区の公民館で三線教室があった。徒歩で40分ほどかかる。健康のために徒歩で通っている。
 三線教室に行くときは5時過ぎに家を出る。学校はすでに終わっている。しかし、普通なら運動場や広場に小学生が居る。今日は一人も居なかった。異様な風景であったがまさか新型コロナに感染している児童が出たとは想像しなかった。感染児童が出たので中部の小学校が全部臨時休校したのかなと思った。そうではなく。この小学校から新型コロナ感染児童が出たから休校にしたのだ。

 近くの小学校の児童が新型コロナに感染したと知ってもなんのショックもないし恐怖もない。一人暮らしであるし、一日のほとんどは家に居てパソコンを見ている。濃厚接触をするのはせいぜい居酒屋かスナックである。当分はスナックに行くのを止めよう。コロナ感染しないように気をつければ感染はしない。近くの小学校で感染者が出ても感染しないように工夫すればいいだけのことだ。

 読谷村は村のホームページや公式LINEで「村で小学生の感染が確認された」と新型コロナ感染したのが読谷村の生徒であることを発表した。発表した目的は「2次感染、3次感染を予防する」ためである。現在濃厚接触者の確認を進めているという。
村民に対し、落ち着いた行動をするように求め「こまめな手洗いやマスクの着用、3密を避けるなど基本的な感染予防の徹底をお願いしたい」と村は呼び掛けている。
石嶺伝実村長は、不確かな情報や根拠のないうわさなどを発信しないよう注意を促し、
「感染者やその関係者、医療機関や職場、学校などに対する誹謗(ひぼう)中傷は絶対に許されるものではない」と強調した。
 村長は村内の小学校とだけ発表した。読谷村には4つの小学校がある。どの小学校なのかは発表しなかった。小学校の近くに住んでいる村民は不安になるだろう。石嶺村長は村民の不安を助長しているのである。不安があるから小学校への誹謗中傷が生まれる。石嶺村長は小学校名を明らかにするべきだ。そうすれば新型コロナに感染していない小学校の周辺の村民は安心するだろう。
 感染者が出た小学校への誹謗中傷をなくすにはPCR検査を徹底することである。児童との濃厚接触者をPCR検査するのは当然であるが、濃厚接触者に限らす、感染不安のある生徒、職員、そして家族などのPCR検査をするべきである。生徒の家族でなくても感染不安のある人ならPCR検査をしたほうがいい。

 石垣市は2時間で判定できるPCR検査機を購入し、八重山病院と提携して市内でPCR検査ができるようにした。読谷村は過去に3人の新型コロナ感染者を出したし、観光客が宿泊するホテルもある。読谷村も石垣市のようにPCR検査機を設置するべきである。読谷村だけでなく全ての市町村は石垣市のようにPCR検査ができる体制をつくるべきである。それが市民の不安を解消することになる。不安がなくなれば感染者やその関係者、医療機関や職場、学校などに対する誹謗中傷はなくなるだろう。
石嶺村長がやるべきことはPCR検査を徹底してやるように県や保健所と交渉することである。PCR検査を徹底してやれば村民の不安は解消する。「誹謗中傷は絶対に許されるものではない」は村民の不安を上から締め付けるものである。それは村民への言論封殺である。政治は村民の言論を封殺するのではなく、村民の不安をなくすために新型コロナ封殺に徹することである。

4月に石垣市で新型コロナ感染者が出た時、中山市長は店名を公表し、感染者との濃厚接触者は100人いることも明らかにした。濃厚接触者は市に相談することを呼び掛けた。石垣島でクラスターの恐れがあるとして、全市民に2週間の自宅待機要請をした。
「感染した人から次の人、その次の人へと無自覚にうつす可能性がある。どうしても止めたい」
中山市長は自宅待機要請に至った決意を述べた。
新しいコロナ感染者は出なかった。包み隠さず公表したと同時にコロナ対策を徹底したことに石垣市民は不安ではなく、中山市長への信頼と安心を得たと思う。石嶺村長の「・・・・・誹謗中傷は絶対に許されるものではない」と似た発言を中山市長がやったという報道は記憶がない。
石嶺村長は中山市長のように新型コロナ対策を積極的にやるだろうか。もしかすると県と保健所に丸投げするかもしれない。


2カ月前につくったアートハイクである。政府が緊急事態宣言をやったので小学校は休校になった。
コロナ感染者は出ていないのに休校をした。生徒がひとりも居ない学校。虚ろな風景。コロナ感染をしていないのに児童が一人もいない学校に奇妙な虚ろを感じた。コロナではなくコロナの亡霊が学校を浮遊しているように感じた。何回かこの風景見ている内にこのハイクが浮かんだ。


 新型コロナ感染の児童が出て、生徒が一人も居ない学校になった。感染児童は早く元気になってほしい。新しいコロナ児童は出てほしくない。生徒が居ないのは虚ろな風景ではなく、心の重い風景だ。多分ハイクは浮かばないと思う。


同じカテゴリー(沖縄に民主主義は育っているか)の記事

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。