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2017年04月26日

沖縄タイムス、琉球新報の紙の上で辺野古「動乱」が起きたあ



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沖縄タイムス、琉球新報の紙の上で辺野古「動乱」が起きたあ

 ネットニュースのほうに昨日のキャンプ・シュワブの工事着工についての記事があった。読んでみると、辺野古基地建設反対派の参加者は少なく意気は上がっていないし、翁長知事は怒りを示しながらも撤回や訴訟などをしないので「工事着工、辺野古基地建設反対派と翁長知事は敗北のレールの上を着実に進んでいる」と昨日のブログに書いた。沖縄タイムスや琉球新報ではいつものように工事着工について一面で大きく扱うだろうと予想はしていたが、沖縄タイムスを池原内科で見て驚いた。
 今日は血圧と糖尿の薬をもらいに嘉手納町の池原内科に行った。待合室で沖縄タイムスを見た。なんと沖縄タイムスは1面だけではなく2面3面も辺野古の工事着工に関する記事であった。苦笑しながら、新聞をめくっていくととても驚いた。なんとテレビやラジアの記事が載る30面も辺野古工事着工に関する記事であった。これには唖然としてしまった。
 山城議長は近いうちに沖縄で「動乱」が起こると豪語していたが、このことだったのかと思ってしまったくらいだ。
 病院から帰る途中で、コンビニエンスで沖縄タイムスと琉球新報を買い、家で辺野古についての記事を調べた。沖縄タイムスは1、2、3、4、6、28、29、30ページの8面、琉球新報は1、2、3、4、7、26、27ページの7面を辺野古基地着工の記事で埋めていた。これはまさに紙の上の「動乱」である。紙の上では「動乱」が起きた。しかし、辺野古の現場は反対派の数は少なかったし、工事を止めるために過激な行動をする反対派は一人も居なかったので、平穏な一日であったようである。
 紙の上で「動乱」を起こしても辺野古の現実は「動乱」は起こらなかった。むしろ辺野古は「動乱」とは逆の方向に進んでいる。「辺野古基地建設反対派と翁長知事は敗北のレールの上を着実に進んでいる」のは確実である。

 沖縄革新や沖縄2紙は都合の悪いことは歴史上の事実であっても消したり隠ぺいしたりする。
 明治になった時、日本派と清国派に沖縄は二分していた。清国派の勢力が強い時期もあった。沖縄革新や沖縄2紙は清国派が強かった時期を強調し、それが沖縄の歴史であったように指摘するが間違いである。清国はの勢力が強かったのは日清戦争が起こる前までである。日本が清国に勝った後の沖縄は日本であることを主張するようになる。人類館事件で沖縄の遊女が展示されたことに対して、沖縄は反発した。反発する理由は沖縄県民は日本国民である。それなのにアイヌや台湾の奴隷と同じ場所で展示するのは間違っていると主張した。戦前の沖縄は日本国民であろうとしたことが歴史的事実である。しかし、沖縄革新や沖縄2紙は日清戦争以前の歴史にこだわり、沖縄は清国との関係が強かったことを強調して、日清戦争後の沖縄の歴史を消している。
 これと同じように都合の悪い歴史的事実を消しているのが琉球新報の「辺野古基地を巡る動き」である。
琉球新報では、
1995年9月4日 米兵による少女乱暴事件
1996年4月12日 日米両政府が普天間飛行場の返還に合意。
1997年12月24日 比嘉鉄也名護市長、海上基地受け入れと辞任を発表。
1998年2月6日 太田昌秀知事が海上基地受け入れ拒否を表明
1999年11月22日 稲嶺恵一知事が移設先を名護市沿岸域と発表。
     12月13日 岸本建男名護市長が受け入れ表明。
 ※稲嶺知事は名護市沿岸域とは言っていない。辺野古沿岸海域と言っている。名護市役所の「移設問題の動向」にそう書いてある。琉球新報は名護市沿岸域と書いて現在の辺野古飛行場建設予定地をイメージさせようとしている。 
稲嶺知事時代に持ち上がったのは辺野古の海上に飛行場をつくることであった。だから沿岸海域と書いている。現在の建設予定地とは違う。

2004年8月13日 米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落。

 琉球新報が書いてある歴史はこの記事から8年間も飛ばして、2013年の記事になる。
2004年に米軍ヘリが墜落したが、反対派は普天間飛行場の移設先である辺野古海上沖の飛行場基地の建設に反対し、ボーリング調査を妨害した。ボーリング調査が困難になったので小泉首相は海上飛行場建設を断念し、県外移設を試みる。2004年から多くの紆余曲折があって辺野古飛行場は陸上と埋め立てによる建設が決まる。この歴史を琉球新報は消している。辺野古沿岸海域を名護市沿岸域と隠ぺいし、8年間の歴史を飛ばすことによって稲嶺知事時代に決まった海上移設があたかも現在の辺野古飛行場建設予定地であるように読者に思わせようとマインドコントロールをしているのである。私は「捻じ曲げられた辺野古の真実」で2004年から2013年までの歴史事実を丹念に書いた。本で書いたのをピックアップする。

2004年10月1日 小泉首相が在沖米軍基地の本土移転推進の意向を初表明
2005年小泉首相が辺野古移設の見直しを指示していたことが判明。海上移設を断念した小泉首相は、稲嶺知事の要求もあり、県外移設を目指し、調査を開始した。
6月23日 小泉首相「自分の所へ来てくれるなという地域ばかりだ」と普天間飛行場の本土移転を困難視。本土の自治体の「総論賛成、各論反対」のために県外移設を断念する。
9月27~30日 日米審議官級の非公式協議で、日本のキャンプ・シュワブ陸上案と米側の辺野古リーフ内縮小案(浅瀬案)で調整難航
2006年
1月22日 名護市長で沿岸案に反対し、修正案に柔軟姿勢を示す島袋吉和氏が初当選。
4月7日 島袋名護市長が滑走路2本案(V字形案)で政府と合意。宜野座村も政府と基本合意書締結。
2008年
2月7日 第6回協議会で町村官房長官が「沖合い移動も念頭に置き、建設計画の問題などについても協議する」と表明。
2009年
3月7日 麻生太郎首相が就任後初来県し、仲井真知事が沖合修正をあらためて要請。
4月1日 沖縄防衛局が環境影響評価基準書を県へ提出、沖合移動の複数案を比較検討した結果、日米両政府合意案で準備書を作成。
9月25日 鳩山連立政権発足。鳩山首相は県外移設が前提との考えを表明。
2010年
4月9日 鳩山首相が移設先として鹿児島県徳之島を明言。
4月20日 徳之島3町長が平野博文官房長官との会談を拒否、徳之島の強烈な反対運動に徳之島案はあっけなく頓挫した。鳩山首相は県外移設を諦める。
5月4日 鳩山首相が初来県し県内移設を明言。
6月4日 鳩山氏が首相退陣、菅直人氏が首相に就任し、日米合意の踏襲を明言した。
※2010年6月4日で辺野古移設の政治決着がついたと判断するのが常識である。辺野古移設が最終的に決まったのは民主党政権時代であった。

 琉球新報は2004年から2010年までの辺野古移設が決まるまでの歴史を消している。小泉首相、鳩山首相が県外移設をやろうとしたができなかったという史実。辺野古移設に最初は地元の住民は反対していたが現在の辺野古飛行場案に賛成したという史実等々。歴史的事実を隠した。もし、歴史的事実を隠すことなく正確に明らかにすれば、多くの県民は辺野古移設を容認するはずである。しかし、8年間の歴史的事実を隠して、琉球新報の書く歴史は2013年3月22日に移る。
 琉球新報は、
2013年
3月22日 沖縄防衛局が環境影響評価条例に基づく工事着手届書を提出。

と書いてある。同じことを「捻じ曲げられた辺野古の真実では」
「沖縄防衛局は22日午後3時40分、米軍普天間飛行場の名護市辺野古沖への移設に向けた公有水面埋め立て承認申請書を名護市の県北部土木事務所に提出した。申請書には埋め立て水域の漁業権を持つ名護漁業協同組合の同意書も添付した。県は申請書類を確認し、不備がなければ受理することになる」
と書いてある。「工事着手届書」と「公有水面埋め立て承認申請書」では重みが全然違う。
琉球新報はそれから2017年の昨日(25日)までを書いている。

沖縄タイムスと琉球新報は歴史の事実を隠ぺいしたり隠したりしたから、今日の紙の上の「動乱」を起こすことができたのである。「捻じ曲げられた辺野古の真実」のように歴史の事実をありのままに書けば県外移設の真実が分かり、宜野湾市民の安全を考えれば辺野古移設を容認するしかないと理解しなければならない。沖縄タイムスと琉球新報はたとえ辺野古移設反対であっても紙の上で「動乱」は起こせない。

沖縄タイムスと琉球新報は辺野古を「動乱」のように思わせたほうが新聞は売れるという考えで紙上の「動乱」を起こしているのだろうか。多分、そうかもしれない。まあ、新聞も商売だし、売り上げを伸ばさなければならないからそれもありである。
それにしても、辺野古のインタビュー記事は沖縄県民の場隊は北谷町の無職、知念良吉さん(77)、沖縄県東村高江の無職、松葉孝雄さん(74)、ヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表(70)、沖縄県うるま市の農業伊波義安さん(75)と老人が多く、カヌーチームの吉岡千絵さん(38)、抗議船船長の相馬由里さん(39)と若い人なら本土の人間が多い。これも辺野古現場の特徴である。


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Posted by ヒジャイ at 15:55│Comments(0)辺野古移設問題
 
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