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2022年11月17日

日本の民主主義、法治主義を知らない田原総一朗の「『オール沖縄』市長選7戦全敗も辺野古容認ではない」を批判する

日本の民主主義、法治主義を知らない田原総一朗の「『オール沖縄』市長選7戦全敗も辺野古容認ではない」を批判する

 辺野古移設問題について調べていくうちに知ったのは日本は地方自治体の権利が予想以上に強いことであった。普天間飛行場を名護市に移設するには名護市長の合意がなければ移設できない。合意なしに移設すれば違法行為であり警察が政府を取り締まるのである。日本は地方自治体の権利が強いのだ。
島袋名護市長は辺野古移設に徹底して反対していた。飛行機の離着陸の時に名護市や宜野座村の住宅の上を飛ぶからだ。政府の辺野古移設に反対を続けていた島袋市長は官邸に呼ばれて防衛大臣などに脅迫に近い説得をされた。しかし、島袋市長は頑として首を縦に振らなかった。交渉は決裂したと考えた島袋市長は立ち上がって帰ろうとした。その時に政府は最後の手段として住宅の上を飛ばないためのⅤ字型滑走路を提案した。Ⅴ字型案を持ち帰った島袋市長は議論を重ねて政府の要請を受け入れた。政府と島袋市長は辺野古移設に合意したのである2006年である。


普天間行場移設案で合意、会見後握手する額賀防衛庁長官(左)と島袋名護市長=2006年4月7日午後9時14分、防衛庁(当時)

仲井真元知事も埋め立てを政府と合意した。2013年のことである。

 田原総一朗氏はオール沖縄が市長選7戦全敗したように、オール沖縄がかつてほどの一枚岩ではなくなったのかもしれないが、沖縄県民の多くが辺野古やむなしとの考え方を変えたわけではないと主張する。であれば、県民が変えていない根拠を説明するかと思えば予想に反してしない。県民が代えていないことを説明するのではなく、
「何としても取り上げておかねばならないのは、日米地位協定の存在である」と日米地位協定を問題にする。日米地位協定と辺野古移設は関係がない。ところが田原氏は強引に結びつけるのである。関係ないことを強引に結びつけるために話をでっち上げる。

民主党政権で最初の首相となった鳩山由紀夫氏は、沖縄県民の大多数が普天間飛行場の移設先を国外、あるいは県外に求めていることを知って、「移設先は辺野古ではなく、最低でも県外にする」と宣言した。
 鳩山氏は移設先として徳之島を考えていたようだ。ところが、そのことを知った外務省と防衛省の幹部が、鳩山氏に日米地位協定の説明をした。
 『オール沖縄』市長選7戦全敗も辺野古容認ではない」

県外移設を最初にやろうとしたのは小泉首相である。しかし、普天間飛行場を受け入れる自治体はひとつもなかった。当然である。普天間飛行場移設の原因は米兵による少女への性暴行である。性暴行する米兵の軍隊を受け入れる自治体があるはずはない。
県外移設は絶対に無理であることは小泉首相がやる前から知っていた。県外移設ができなかったので小泉首相は辺野古移設に戻ったのである。この事実を田原氏が知らないはずはない。確実に知っている。
しかし、鳩山首相はこのことを知らなかった。信じられないことであるが本当である。だから、県外移設ができると思って県民に宣言して県外移設を目指した。私は知らないことに驚いた。彼が首相になったのは莫大なお金を持っているからだと知った。政治センスはゼロ以下マイナスだつた鳩山首相であった。。
鳩山首相は県外移設場所候補地を次々と取り上げたが、全て駄目だった。苦し紛れに離島の徳之島を候補地にしようとしたが駄目だった。県外移設ができる場所を鳩山首相は見つけることができなかった。だから、辺野古に戻ったのである。
ところが田原氏は移設できなかった理由を日米地位協定が原因であるという。

日米地位協定によって、日米合同委員会なるものが設置されていて、その委員会で米国が定めた内容は、首相といえども否定できないことになっている。そして、その委員会で、米国は普天間飛行場の移設先を辺野古と定めている。首相といえども辺野古を否定はできないのだ、というのである。
『オール沖縄』市長選7戦全敗も辺野古容認ではない」

 普天間飛行場の移設先を辺野古に決めたのは米国ではない。日本政府である。橋本首相の時に普天間飛行場を移設する決心をした。橋下首相が米国を説得して移設を承諾させた。小泉首相の時に辺野古の海上に移設しようとしたが反対派の妨害でできなかった。稲嶺知事の要求もあって県外仮設をしようとしたができなかった。最終的に辺野古のキャンプ・シュワブの沿岸に移設することにした。辺野古移設が決まるまで日米合同委員会は登場しない。日本政府は米国を説得して辺野古移設を了承させたというのが事実である。断言できる。

日本は間接民主主義国家である。法律を制定するのは選挙で選ばれた議員が国会で制定する。制定された法律に従って政治を行うのが内閣である。政治決定は内閣がやる。日米合同委員会はやらない。できない。

 鹿児島県に馬毛島(まげしま)という無人島がある。


10年以上前に政府は馬毛島に滑走路をつくり、米軍と自衛隊の戦闘機の離着陸訓練する計画を立てた。しかし、まだ実現していない。実現していないのは馬毛島の地元・西之表市の市長が承諾していないからである。たとえ、鹿児島県知事が賛成しても西之表市長が反対であれば飛行場建設はできない。容認するか否かの権限は県知事ではなく市長にあるからだ。日米政府は西之表市長を反対を権力で押しつぶて強引に建設することはできない。日本は地方自治権を認める民主主義国家だからだ。
 
 日米合同委員会は専門家が会議をして政府にアドバイスする組織である。政治決定ができる組織ではない。日米合同委員会が決めたことは首相といえども否定できないという田原氏の考えは間違っている。そもそも辺野古移設の決定は日米地位協定には関係ない。

日米地位協定は、日米安全保障条約の目的達成のために日本に駐留する米軍との円滑な行動を確保するため、米軍による日本における施設・区域の使用と日本における米軍の地位について規定したものである。在日米軍が日本国内で円滑に活動できるようにするために特別な権利を定めた協定だ。

 地位協定は28条で構成される。
2条で日本国内の基地使用を米側に認め、
3条で基地内の管理・運営などのために米側が「必要なすべての措置を執ることができる」としている。
基地返還時に米軍が原状回復義務を負わない
▽米軍の船舶・航空機・車両や米軍関係者とその家族が基地間の移動を自由にできる
▽米軍人は出入国管理法の適用から除外され旅券や査証(ビザ)なしで日本に出入りできる
▽米軍が日本に持ち込む品に関税を課さない
▽米軍関係者による公務中の犯罪は米軍が裁判権をもつといった取り決めもある。協定に実効性をもたせるため複数の特別法も制定されている。

 1995年(平成7年)9月4日に沖縄県に駐留するアメリカ海兵隊員2名とアメリカ海軍軍人1名の計3名が、女子小学生(12)を拉致した上集団扶助暴行した、
“起訴に至らなければ、関与が明らかでもアメリカ兵の身柄を日本側に引き渡すことができない”という日米地位協定の取り決めによって、実行犯である3人が引き渡されなかったことが大きな問題になった。これが地位協定問題である。
実行犯が引き渡されない決定に対し、沖縄県民の間に燻っていた反基地感情及び反米感情が一気に爆発し、同協定の見直しのみならず、アメリカ軍基地の縮小・撤廃要求運動にまで発展する契機となった。
1996年(平成8年)3月7日、那覇地方裁判所は3人に対して懲役6年6ヵ月から7年の実刑判決を言い渡し、このうち2人はその後福岡高等裁判所那覇支部に控訴するも棄却され刑が確定している。

少女性暴行をきっかけに普天間飛行場返還を橋本龍太郎首相は米側と協議し、県内移設を条件に合意した。裁判に米兵の家族は差別していると反発し、裁判は荒れた。地位協定への県民の怒りや米兵華族の反発を穏やかにさせる方法として橋本龍太郎首相は普天間飛行場の返還をする決心をした。米側と協議し、県内移設を条件に日米は合意した。1996年4月12日、首相官邸で駐日米大使モンデールと共に記者会見に臨んだ首相橋本龍太郎は、満面の笑みを浮かべてこう述べた。「沖縄の皆さんの期待に可能な限り応えた」「最良の選択ができた」。日米両政府による米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)返還合意は、文字通りのサプライズ発表だったのである。
辺野古移設は不平等な地位協定に対する県民の怒りを鎮めるために橋下首相が考えたものだったのだ。

地位協定への反発をなくす目的で考え出したのが辺野古移設である。地位協定と辺野古移設は性質が違うことを認識するべきである。


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Posted by ヒジャイ at 22:55│Comments(0)辺野古移設問題
 
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