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2012年01月26日

沖教祖が学力向上の足を引っ張っている

沖教祖が学力向上の足を引っ張っている


昔、学習塾をやって、強く感じたことは小学校と中学校は断絶していることであった。小学校の先生はずっと小学校の先生である。中学校で教えたことはないし、中学校で教えることは一生ない。そのために小学校を卒業した生徒が中学校でどんな変化をしていくかを知らない。知る必要も感じない。ずっと小学生を教えるから、小学生はいつまでも小学生であるという錯覚を持ちながら教える。だから、小学校の教育は小学校で自己完結する。小学校の教育方針は子どもたちが楽しく勉強することである。小学の次に中学があることを前提にした教育はしない。

小学校も学年ごとに断絶している。小学一年生の教育は小学一年生で完結し、小学二年生の教育は小学一年生で完結する。といっても一年生から中学三年生、浪人生を教えた人には「完結する」という説明は理解しにくいと思う。簡単に言えば、一年生が二年生になったら二年生の授業についていけることを重視した授業をしないということだ。一度教えたことは全生徒が100パーセント理解したという前提で小学校の教育は進めるということだ。もちろん中学の教育も同じだ。
だから、授業で復習をするということはしないし、落ちこぼれ対策は疎かである。

沖教祖那覇支部役員宮城正氏は「『中一ギャップ』の解消について心理学や教育学的に実証されていないともいわれている」と述べている。宮城正氏は生徒の学力より「心理」を重視している。「学力」より「心」が沖教祖の教育基本である。
小学一年生には小学一年生の世界があり、それに合わせた教育をする。小学二年生には小学二年生の世界があるというわけだ。勉強嫌いにならないために楽しい授業をする。学校は苦しいところではなく楽しいところであるというわけだ。

勉強ができなくても楽しい学校生活を送れることが沖教祖の方針であり、平和教育、他人を思いやる心、ゆいまーる精神、絆など子どもの精神教育の充実が沖教祖のテーマである。沖教祖は学力向上よりも豊かな心を育てるのである。

学力の差は家庭の貧富の差が原因であるというのが沖教祖の見解である。

沖縄の教育は学力で落ちこぼれる生徒のホローはほとんどない。小学一年生で落ちこぼれたら小学二年以降は落ちこぼれていく。小学三年生で落ちこぼれたら小学四年生以降は落ちこぼれていく。

小学生の間は落ちこぼれても授業を受けることができる。しかし、中学になると自意識が芽生えてきてて自己主張をするようになる。それに授業が小学時代とは一変して勉強中心の楽しくない授業になる。自意識の芽生えと楽しくない授業が原因となり不登校の生徒が増えてくる。いじめやニートが原因ではなく、心の成長と学力の落ちこぼれが原因で不登校になる生徒が多い。

中学の落ちこぼれの原因は小学時代にある。だから、中学の不登校の責任は小学の教育にある。しかし、小学と中学との交流や研究がなく、小学と中学は断絶状態だから中学の不登校の対策を小学で立てることはできない。
中学一年の時に計算力や漢字力を高める特別授業を徹底してやれば落ちこぼれをなくすことができるが、沖教祖は落ちこぼれたい作に興味がないからやらない。

落ちこぼれを救うのは難しいことでない。実に簡単なことである。小学一年生の時から居残り授業をして算数は計算力を国語、理科、社会は漢字の読みを徹底してマスターさせればいい。
これだけを徹底してやれば普通の子が落ちこぼれることは絶対にない。学習塾で落ちこぼれの生徒と15年間付き合ってきた人間がいうのだから間違いない。

落ちこぼれをなくするのを邪魔しているのが沖教祖である。宮城氏は「中学校の教育内容や方法が小学校に下ろされ、『学力対策』に向けた早期教育や学校間競争が激しくなるという指摘もある」と述べ、沖教祖が「学力向上」の教育を嫌がり、早期教育や学校間競争をやりたくないことを述べている。そして、「小学校と中学校の交換授業での準備や打ち合わせで、教師の負担が過重になる」ことを危惧し、沖教祖のよく使う理屈であるが「そのしわ寄せが子どもにいく」と述べている。教師の負担が過重になれば子どもに悪影響を与えると宮城氏は主張している。
教師が懸命に働けば働くほど子どもに悪影響を与え、教師が楽をすればするほど子どもにいい影響を与えるというのが沖教祖の理論である。沖教祖の「ゆとり教育論」がそれを証明している。

那覇市が小中一貫教育の方針を打ち出したのは、少子化の影響で学校の生徒が減少したために、学校統廃合をやって財政の負担を減らすのが目的だ。那覇市が小中一貫教育のメリットを主張してもそれが理由でないことは明らかである。ただ、生徒が少なくなれば財政の都合で学校の統廃合は仕方がない。

那覇市は教育より財政であり、沖教祖は学力向上より先生の楽である。

橋下大阪市長は那覇市のように財政を重視し、財政を徹底して切り詰めてはいるが、教育にはどんどん予算を増やしている。橋下市長は学力向上を堂々と掲げ、高校は私立・公立の授業料を無料とすると同時に学区制を無くして学校間競争を促した。それどころか定員に満たない公立高校は統廃合をするという高校のサバイバル競争までやらしている。

貧困家庭には学習塾に行ける援助もやろうとしている。大阪では「貧困だから成績が悪いとは言わせない」教育を橋下市長は目指している。

大阪の橋下市長の教育には子どもの将来の夢が広がる。





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