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2011年10月25日

反米主義より民主主義・・・目取真俊氏批判

目取真俊氏のブロクより

「さらし者にされる反米の独裁者」

「スパイク通信員の軍事評論」というブログで、殺害されたリビアのカダフィ大佐の遺体が、ショッピングセンターの冷凍室でさらし者になっている様子が、映像とともに紹介されている。
 それにしても、どうしてカダフィ大佐の遺体がショッピングセンターで保管されていたのか。厳重な管理が必要なら、もっと別の場所があったのではないか。最初からさらし者にし、見物人に映像を撮らせて拡散させるのが目的だったということか。
 カダフィ大佐が兵士らに小突かれて路上を引き回される様子や、血まみれになって車のボンネットに載せられている姿など、カダフィ大佐の最期をめぐる映像が次々に出てくる。冷凍室の遺体の映像を含めて一連の映像を見ていると、反米の旗を掲げた独裁者の惨めな末路を印象づけようというプロパガンダの臭気が漂ってくる。
 中東やアフリカの「民主化」といえば聞こえがいい。しかし、独裁者を排除したあとに行われるのは、石油資源や軍事拠点の確保など、欧米諸国・多国籍企業の利益の追求であり、そのための反カダフィ派への軍事支援であったはずだ。アメリカのいう「民主主義」の胡散臭さは、沖縄にいれば毎日のように目にすることだ。




芥川賞作家目取真俊(めどるましゅん)氏のブログからの転載である。目取真俊氏は有名人であるし、転載して批判するのは有名人を利用しているようで気が引ける。このブログに転載しないで直接目取真俊氏のブログにコメントを書きたいのだが、目取真俊氏のブログはコメントができない。そういう事情があって、目取真俊氏のブログに掲載している「さらし者にされる反米の独裁者」をこのブログに転載して反論することにした。

 目取真俊氏はリビアが市民革命によってカダフィ独裁国家を倒し、民主主義国家つくりを宣言したことよりも、カダフィ大佐の遺体がショッピングセンターで保管されていたことを問題にしている。
 
 カダフィ氏がショッピングセンターの冷凍室でさらし者になっている様子や、 カダフィ大佐が兵士らに小突かれて路上を引き回される様子や、血まみれになって車のボンネットに載せられている姿など映像が次々に出てくるのはカダフィ氏が反米の旗を掲げた人物であり、反米の旗を掲げた独裁者の末路を印象づけようという目的があると目取真俊氏は述べている。
 目取真俊氏はカダフィ氏の無残な姿の映像が流れた裏にはアメリカの存在を感じるようだ。カダフィ独裁政治に自由を奪われ、弾圧され、カダフィ氏に逆らえば有無も言わさずに牢獄にぶち込まれ、今度の内戦では四万人以上の市民が殺されたリビヤ市民の怒りを目取真俊氏は感じないようだ。
 カダフィ独裁国家は石油利権を独り占めにしてリビアの冨を独り占めにした。カダフィ軍はカダフィ独裁国家に抗議する武器を持たない市民のデモにも銃弾を打ち込み平気で市民を殺害した。
  カダフィ独裁国家に抗議する市民が次々と殺されていく現実に、アメリカやEUはカダフィ氏に市民を攻撃しないように何度も要請した。しかし、カダフィ氏は無視して市民への攻撃を緩めなかった。このままだと カダフィ軍の情け容赦ない弾圧によって市民の反政府運動は消滅するかも知れない危機状態に陥ったのでアメリカとEUは空爆を行って市民の反政府運動を支援した。
 欧米諸国の空爆に至るまではカダフィ氏の説得や警告など時間をかけた。 欧米諸国の忠告や警告をカダフィ氏が無視したことが空爆の原因だ。
 
 「中東やアフリカの「民主化」といえば聞こえがいい。しかし、独裁者を排除したあとに行われるのは、石油資源や軍事拠点の確保など、欧米諸国・多国籍企業の利益の追求である」と目取真俊氏は述べている。その通りである。
その通りであるが、、欧米諸国・多国籍企業だけではなくリビアにも恩恵がある。目取真俊氏は欧米諸国・多国籍企業の利益の追求だけに目を向けていて、リビアの国民の利益のことは考えていない。
目取真俊氏は、欧米諸国・多国籍企業の利益だけを見てリビアの市民革命を否定的にみているが、リビアの石油基地を「欧米諸国・多国籍企業が所有して「欧米諸国・多国籍企業だけが儲けるわけではない。「欧米諸国・多国籍企業はリビアから石油を正当な価格で買うのだ。リビアで生産する石油は輸出することによってリビアは莫大な利益を得る。生産した石油を輸出しなければリベアに金が入ってこない。
石油の輸出は欧米諸国・多国籍企業とリビアの両方が儲けるのだ。目取真俊氏はリビアはリビアの利益を無視している。

 カダフィ独裁時代にも欧米諸国・多国籍企業はリビアから石油を買っていた。しかし、カダフィ独裁時代と違うのは、リビアの石油輸出から得る収入はカダフィ氏ではなくリビアの国民の収入となることだ。莫大な石油収入がリビアの民主主義国家再生に使われるのだ。
リビアの石油輸出は、リビアも儲けるし、欧米諸国・多国籍企業も儲けるのが正常な商売である。「欧米諸国・多国籍企業の利益の追求」だから悪いというのはおかしい。「欧米諸国・多国籍企業の利益の追求」は悪いという商売蔑視の目取真俊氏の考えは士農工商という身分制度をつくった江戸幕府の商売蔑視と同じである。

 カダフィ独裁政府の時も欧米諸国・多国籍企業はリビアから石油を輸入していた。だから、カダフィ独裁国家であっても欧米諸国・多国籍企業の利益は確保していたし、、カダフィ独裁国家であっても欧米諸国・多国籍企業は困ってはいなかった。
欧米諸国・多国籍企業の商売から見れば、リビアがカダフィ独裁国家であっても民主主義国家になっても変わらない。欧米諸国にとってはリビアが内戦状態になることが困ることだった。内戦状態になったら石油生産がストップする恐れがあったからだ。だから、欧米諸国は内戦にならないように何度もカダフィ氏の市民攻撃を止めて、話し合いで解決するように要請をした。
しかし、カダフィ軍の市民攻撃は止まらず。多くの市民が殺されていった。政府軍から離脱した兵士が政府軍と戦い、市民も武器を持ち内戦状態になった。カダフィ軍が圧倒的に強く、このまま内戦が続けばカダフィ軍による市民の虐殺が拡大する恐れがあった時にアメリカや北欧が市民を支援するために空爆を始めた。

リビアの内戦は欧米諸国が内戦を仕掛けたのではない。チュニジア、エジプトの市民革命の連鎖でリビア市民は立ち上がったのだ。カダフィ氏がチュニジアやエジプトのように平和的に政権を市民に譲れば内戦は起こらなかった。カダフィ氏は政権を譲るどころか市民の虐殺を始めた。カダフィ氏が市民を弾圧したことが欧米諸国の軍事介入の要因である。

内戦が始まれば欧州諸国は市民の味方をするのは当然である。欧州諸国が軍事介入をしなければリ、カダフィ軍のビアの市民殺戮はずっと続き、四万人どころか恐ろしいほどの死人が出ていただろう。
カダフィ独裁政権でも、「欧米諸国・多国籍企業の利益の追求」は成功しており、欧米の軍事介入はカダフィ軍によるリビア市民の殺戮を止めるための人道主義のほうが強い。 目取真俊氏のいう「、石油資源や軍事拠点の確保など、欧米諸国・多国籍企業の利益の追求」というのは本当ではない。

 目取真俊氏は、最後に 「アメリカのいう『民主主義』の胡散臭さは、沖縄にいれば毎日のように目にすることだ」と述べているが、理解できない内容である。沖縄にはアメリカ軍しかいない。沖縄はアメリカではない。毎日見えるのはアメリカ軍であり、アメリカ軍を見てアメリカの民主主義が見えるなんてあり得ない。
 
 民主主義は民主主義であり、アメリカのいう民主主義とかという問題ではない。民主主義は、基本的には国民の選挙によって国会議員が選ばれ、国会議員によって法律が決まり、法律は条文化され、法律は国民に平等に適用されるということだ。
 民主主義国家にもいろいろな形がある。信教の自由な民主主義が欧米やアジアであるが、イスラム教の民主主義国家では信教の自由が許されない場合もある。それでも国民の選挙で選ばれた議員によって決められるならばそれもよしだ。
 
 民主主義国家こそが国民のための国家である。完成した民主主義国家というものはないが、民主主義国家だからこそ、歴史を経れば経るほど国民のための社会をつくっていく。 目取真俊氏は民主主義よりも反米主義の傾向が強いようだ。反米主義であれば独裁主義者でも歓迎する目取真俊氏に民主主義思想はない。残念である。


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