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2011年10月25日

軍国主義がトラウマになっている人たち

軍国主義がトラウマになっている人たち


 満州事変が始まり、中国、東南アジアに日本軍が進出するにつれて天皇崇拝・軍国主義はどんどん強化していった。玉音放送が流れ終戦する間際が天皇崇拝・軍国主義は最高潮に達していただろう。天皇崇拝・軍国主義を心のそこから信頼していたほとんどの日本国民は玉音放送が流れるまで日本が勝利することを信じていた。
 杉本信夫氏は少年の頃の天皇制国家の体験を述べている。杉本氏の少年時代は天皇制帝国主義の被害者であったかのように述べているが、都会人が閉鎖的な田舎に転向すれば苛められるのは普通であり天皇制帝国主義とは関係がない。杉本少年が田舎に転向した時期が日本の軍国主義時代であり、軍国主義に染まった田舎の少年たちに苛められたということだ。

 杉本信夫氏は軍国主義時代のひどい状態は述べているが、自分が天皇を崇拝していたかどうかは述べていないし、軍国主義教育を受け入れていたかも告白していない。問題にするべきは杉本氏の思想である。軍国主義教育を受け入れていたなら、自己批判をしなければならない。うやむやにしながら戦後の民主主義思想を受け入れることはできない。
 杉本氏は、敗戦後に廃墟の中から「自由の風」を得たと述べているが、廃墟が自由を与えるはずがない。戦後の自由は日本軍国主義を敗戦に追い込んだアメリカが与えたものであり、廃墟が与えたものではないし、天や神が与えたものでもない。

 日本国憲法が制定され、立法、行政、裁判の三権分立の確立、財閥の解体などが行われた結果、杉本氏は廃墟の中から自由を得たのだ。そのことは中学や高校の教科書にも書かれている。
 杉本氏は、敗戦後に廃墟の中から「自由の風」を得たと述べているが、そのように「自由」を理解しているということは天皇崇拝・軍国主義を信じていたことをうやむやにしながら、戦後の「自由」がどこからやってきたかも理解しないで「自由」を享受したと思われる。

 戦前の天皇制国家の教育を受けた人たちは、国家とは天のような手の届かないところに存在し、民の意思とは関係なく、上部で変化すると思い込んでいる。だから、戦前の軍国主義に戻るかもしれないという恐怖心があってしまう。
 そのような人たちは戦後60年以上も続いてきた民主主義国家が簡単に崩れたり、国民が簡単に軍国主義思想に戻ったりするかもしれないと思っている。しかし、国や国民は簡単に変わるものではない。杉本氏がそのような危惧を持つのは杉本氏の間違った歴史観によるものである。

 日本が軍国主義国家になるのは不可能であると断言できる。明治政府は富国強兵を掲げて、軍隊を強化した。軍隊を強くした目的は他国に戦争をしかけて植民地にするのが目的であった。帝国主義日本は、協力な軍隊つくり大陸や東南アジアに進出して次々と植民地を拡大していった。
 しかし、日本が軍事力で他国を制圧して植民地する時代は終わった。もう日本軍が他国に攻め入って植民地をつくることができる時代ではない。日本軍が韓国、中国、フィリピン、台湾、カンボジアの国々に進出すれば侵略された国は激しく反撃するだろうし、国際社会も許さない。戦争をすれば外国との貿易はストップして日本の経済が破綻する。国際貿易時代の現在は隣国を軍隊で攻めて植民地にできる時代ではない。
 国際状況を冷静に見れば、日本が軍国主義国家になるのは不可能であることが認識できる。

 国内的に見れば、日本が軍国主義国家になるためには、民主主義社会ではなくするために、日本国憲法を廃棄し、選挙制度を廃止しなければならない。全てのマスコミを軍が統制しなければならない。経済を軍が握らなければならない。
 日本の選挙制度を廃止することができるだろうか。それは不可能だ。自衛隊が政府や国民を支配することはできない。 国内を見ても日本が軍国主義に戻る可能性ゼロだ。

 杉本氏は、「沖縄の『教科書問題』は『日米合意』による日米軍事基地強化と連動します」とめちゃくちゃな解説をしている。教科書問題は八重山の石垣市長が革新系から保守系に変わったからである。尖閣諸島における中国との緊張の高まりが革新系から保守系に変わった原因のひとつだろう。教科書問題は日米軍事基地強化とは関係がない。

 杉本氏が八重山の教科書問題くらいで、日本が再び軍国主義、全体主義的なファシズムへ進むかもしれないと思ってしまうのは、日本の天皇崇拝、軍国主義の歴史を正確にしらないからであり、天皇崇拝、軍国主義体験がトラウマとなって国民や国家が簡単に変わると思い込んでいるからでいる。
 
 杉本氏の「自由」は政府が守り保障しているから得られている「自由であり、政府なしには杉本氏の「自由」はない。日本国民の自由を保障している法律、日本国民の「自由」を守る警察、裁判があるから杉本氏は「自由」を生きることができる。杉本氏は民主主義国家に守られていることを理解していない。

 杉本氏は、「過去の悪夢に戻そうとする、政府加担の今回の八重山における『教科書問題』は決して許すことはできない」と述べている。杉本氏にとって国の介入は悪夢を戻すものらしいが、杉本氏が「自由」を享受し、暴力に見舞われない平穏な生活をおくっているのは国が介入しているからである。国が介入していなければ無法地帯になってしまうのだ。

 八重山教科書問題で国が介入したのは、八重山地域で公民の教科書をひとつにまとめることができないので、県にまとめるように指示した点である。ところが県は教科書無償化法の規定を破って強引に東京書籍を選択した。
 戦前の軍国主義的な乱暴なやり方をしたのは県教育庁のほうであり、国は法律の規定に従って処理しようとしているだけだ。国は県に法律を守らせようとしているのだ。
 国は悪であると決め付けるような杉本氏は戦前の天皇崇拝・軍国主義がトラウマとなっていて、民主主義国家を理解できないからだろう。

 天皇崇拝・軍国主義がトラウマとなっていて、本来の民主主義を理解できない彼らが「国家」「自由」「民主主義」を謳歌して戦後生まれの人間たちに影響を与えている。残念なことである。


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