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2022年10月12日

ひろゆき氏の「普天間の周りは何もなかった」発言に“デマ”と批判殺到 ひろゆき氏が正しいことを沖縄から発信する

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ひろゆき氏の「普天間の周りは何もなかった」発言に“デマ”と批判殺到 ひろゆき氏が正しいことを沖縄から発信する

ひろゆき氏の「普天間の周りは何もなかった」発言に“デマ”と批判殺到しているという。ひろゆき氏は10月7日、YouTubeでユーザーから「なぜ東京や神奈川の基地の周りには座り込みをする団体がいないのでしょうね」という質問を受けた。ひろゆき氏は、
「沖縄の場合はもともと、普天間の基地があって、その普天間の基地の周りに住宅を作っちゃったんすよね。普天間の周りってもともと何もなかったところだったんですけど、基地の需要があったり、米兵だったりとか、基地で働く人の需要があったりして、結果として住宅街ができてしまった」
と答えたらしい。
*「もともと」は間違い。正確には「戦後」である。 歴史用語は正確にね、ひろゆきさん。
ひろゆき氏が述べているように戦後の普天間飛行場の周囲には住宅はなかった。何もなかったのではない。林と畑があった。



上は黙認耕作地があった時の写真。下は黙認耕作地が返還されて住宅がどんどん建ち、住宅密集地になっている写真。

米軍は普天間飛行場の周囲に安全地帯として軍用地でありながら出入りは自由で、畑作ができる地帯を設定していた。その地帯を黙認耕作地と呼んだ。黙認耕作地は畑を営むことはできても住宅などを建てることはできなかった。宜野湾市に住む人がどんどん増えたので市は黙認耕作地を返還するように米民政府に要求した。米民政府は宜野湾市の要求に応じて黙認耕作地帯の軍用地を返還した。返還した場所に住宅が増えていった。普天間第二小学校と沖縄国際大学も返還地に設立した。普天間飛行場の周囲に住宅や学校をつくったのは沖縄県のほうである。何もなかった場所に住宅が増えて行ったというひろゆき氏の説は正しい。

ひろおき氏が基地の周辺に住宅が密集していることを座り込みの理由にしているのは間違っている。基地の周囲で長期間座り込みをするのは長い反米軍運動でも辺野古が初めてのことである。キャンプ・シュワブ前で座り込みをしているから沖縄では座り込み運動が昔からあったと思うのは間違いである。ひらゆき氏は沖縄の反米軍運動に無知である。

ひろゆき氏の「住宅はなかった」にさっそく光文社発行の週刊誌女性自身がかみついた。女性自身は沖縄県が発行している冊子「沖縄から伝えたい。米軍基地の話。Q&A Book 令和2年版」に「何もなかったところに米軍基地ができて、その周りに人が住んだのではないですか」という質問に対して、「それは、誤った認識です」と答えていることを引用している。県が出版しているから真実であると思い込んでいるのだろうか。県発光だから事実であると思い込むのは危険である。今は左翼県政である。県というより左翼団体が発行したと思ったほうがいい。左翼はでっち上げ専門である。

「沖縄から伝えたい」冊子に
「たとえば、米軍上陸前年の宜野湾村には多くの集落が存在し、約1万4千人(琉球新報は8800人)の住民がいましたが、沖縄に上陸した米軍は普天間飛行場建設のために宜野湾、神山、新城、中原の4つの集落を中心に広い範囲を強制接収しました。
なかでも、普天間飛行場が建設される前の当時の宜野湾村の中心は字宜野湾という場所で、現在の普天間飛行場の中にありました。そこは、もともと役場や国民学校、郵便局、病院、旅館、雑貨店がならび、いくつもの集落が点在する地域でした。
・・・接収は(戦中である。戦前、戦後ではない)・・・
《沖縄の人たちがずっと昔から何度も訂正し、事実を突きつけてきた、ちょっと調べればすぐ分かるデマを、いままた影響力のあるひろゆきが広げてる》
《ひろゆき氏がデマを信じるのは別にどうでもいいんですけど、それをこうやって堂々と語ることで信じる人が量産されるのが本当にダメ》
《なぜ沖縄県が「何もなかったところに米軍基地ができて、その周りに人が住んだのではないですか。」という質問にわざわざ回答しているかと言えば、これがネット上で繰り返し流されてきたデマだから》

と女性自身はひろゆき氏を批判している。いや、批判していると妄想している。
 ひろゆき氏は戦後のことを話している。戦後、普天間飛行場の周囲にはなにもなかったと指摘している。写真を見れば一目瞭然である。ひろゆき氏は何もないところに米軍基地ができたとはいっていない。普天間飛行場ができた頃は周囲に住宅はなかったと言っているのだ。写真がひろゆき氏が正しいことを示している。
 県の冊子は戦争前には住宅や公共施設があったということを述べているだけである。
 
 琉球新報も戦前、戦中、戦後をごっちゃにすることによってひろゆき氏を批判している。
琉球新報は2019年2月17日に〝「普天間飛行場の成り立ちは?」 8800人の集落を破壊、接収〟を掲載して、沖縄戦中に米軍が普天間飛行場を建設したことを詳しく書いている。土地を強制接収して造られた普天間飛行場は、戦争中の民間地奪取を禁止している国際法のハーグ陸戦条約に違反していると新報は指摘している。
ひろゆき氏が戦後の宜野湾市の普天間飛行場について「何もなかった所だったが、米兵や基地で働く人などの需要があり、結果として住宅街ができてしまった」と発言したことが正しいことを琉球新報は「普天間飛行場の成り立ちは?」で実証しているに等しい。ところがひろゆき氏の発言には、ネット上で「明確に誤り」などと指摘があったとひろゆき氏を批判している。「ネットは間違い。ひろゆき氏は正しい」と新報は指摘しなければならない立場なのに。
ひろゆき氏は戦前、戦中についてはなにも話していない。戦後のことを話している。

 戦前の沖縄は貧困の極みであり、60万人で人口はストップしていた。多くの県民が生きるために本土や外国に移住した。移住しなければならなかった。ところが戦争が終わり米軍基地ができると米軍効果で経済は発展し、人口はどんどん増えた。60万人だった人口は復帰する頃には100万人近くまで増えていた。ひろゆき氏が指摘しているように普天間飛行場の周囲は経済が発展し人口がどんどん増えた。宜野湾市だけでなく米軍基地のある市町村は経済が成長し、人口が増えた。それが沖縄の真実だ。



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