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2022年05月26日

デニー知事「ゼレンスキーです」「冗談です」 唯一の沖縄政治への貢献だ

デニー知事「ゼレンスキーです」「冗談です」 唯一の沖縄政治への貢献だ

25日に県庁で開かれた会議は、基地問題や安全保障に詳しい専門家から意見を聞き、県の施策に反映することを目的としていた。会議の冒頭で玉城デニー知事は「ゼレンスキーです、よろしくお願い致します」とゼレンスキー大統領を名乗って挨拶した。直後に「冗談です」と発言を打ち消した。苦笑する専門家も居たという。
会議後の記者会見でデニー知事は「ゼレンスキーです」発言を謝罪した。しかし、時すでに遅しである。政治家として沖縄県のトップに立つ県知事の発言は重いものである。「冗談です」「謝罪します」で簡単に打ち消せるものではない。
 デニー知事の「ゼレンスキーです」発言に対すてその日の沖縄マスコミや学者が批判した。当然のことである。

ウクライナでは毎日多数の兵士や市民が死んでいく厳しい戦争が続いている。厳しい状況が続くウクライナの大統領の名前を「冗談」として取り上げたことに、「軽率で緊迫する国際情勢に対する知事としての認識が問われる」と批判している。
「命をかけているその国の大統領を引き合いに出すというのは、政治家として私は許されない。センスがないことだと思います」と全国テレビでも批判している。
デニー知事への批判はインターネット上でも広がっている。
「ウクライナの問題をおもしろおかしく利用しようとしたのでしょうか。冗談としてもまったく笑えないです」
「全く意味がわからないんだけど、何がゼレンスキーなの?ゼレンスキー大統領を茶化してるの?」
「今はSNSで離れてても連絡がとれる人もいるが・・・ウクライナからやむなく日本に避難して来て家族離ればなれになっている人がこの日本にいるのに・・・良くこんな体の低い冗談が言えたものだと思う」

 デニー知事の「ゼレンスキーです」「冗談です」はとても分かりやすい政治発言である。分かりやすいということは市民から専門家まであらゆる階層が批判するということだ。

 デニー知事の「ゼレンスキーです」への批判はマスコミ、インターネットにとどまらないようである。デニー知事のおひざ元である県議会でも批判は広がった。県議会の赤嶺昇議長が「議会として決議をロシア側へ発信した。知事の発言は看過できない」とデニー知事の「ゼレスキーです」発言を県議会で問題視する考えを示したのである。
県議会はロシアのウクライナ侵攻を非難し、早期停戦やロシア軍の早期撤退を求める決議を全会一致で可決した。デニー知事の「ゼレンスキーです」「冗談です」は県議会議決を軽視する発言である。県議会が問題にするのは当然である。
赤嶺議長は、今後各派代表者会の開催も視野に、県議会として対応を協議する考えを示した。今度の問題については左翼議員がデニー知事を庇うことが困難である。デニー知事は県議会で窮地に追い込まれるのは確実である。

デニー知事の「ゼレンスキーです」「冗談です」は失言ではなく発言演出の失敗である。
知事が自分の思ったことを自由に発言することはない。発言の中に法律に違反していたり、市民に反感をもたれるような言葉がある可能性があるからだ。知事発言に失言は許されない。失言すれば支持を失うからだ。失言しないためには原稿を書き、チェックするスタッフが存在する。スタッフがつくり上げた原稿をデニー知事は読む。原稿を読んでいる姿はテレビでよく見る。
知事が失言しないためにはスタッフの発言演出が必要であることは明確である。しかし、「ゼレンスキーです」発言に関してはスタッフは関わっていなかった。デニー知事の独断であった。独断が最悪の失言になったのである。デニー知事は「ゼレンスキーです」発言をした理由について、
「たまたまゼレンスキーさんの話をしていたので、席につくときに他意も無くゼレンスキーですと言った」と述べている。デニー知事は急に思いついて「ゼレンスキーです」発言をしたのだ。デニー知事が自分の急な思いつきでスタッフ抜きの「ゼレンスキーです」を発言したのである。だがこの発言にはスタッフが関わっていれば起こるはずのないミスがあった。「ゼレンスキーです」に続く発言をデニー知事は準備していなかったのである。「ゼレンスキーです」の発言が失敗ではない。失敗はその次の展開を準備していなかったことである。スタッフが関わっていたなら次の発言を原稿に書いていただろう。
聞く人が感動するような発言をしていたら成功していた。しかし、次の展開を準備していなかったデニー知事は「冗談です」で終わらしたのである。「ゼレンスキーです」と発言したのを納得させることができる発言を展開していたらこんなひどい批判は受けなかったはずである。

デニー知事は「冗談です」と述べた後に、
「沖縄とウクライナは遠く離れているとはいえ、在日米軍基地(専用施設)の7割を抱える沖縄だから、命の尊厳という観点からも、戦争に向かう危険という意味からも看過できない。一刻も早い平和の回復を多くの国々の支援によって達成できることを強く望む」
と述べた。
 デニー知事は「ゼレンスキーです」の発言から沖縄問題へと展開したかったのである。ところが展開させる言葉が思いつかなかった。展開させることができないことを知ったデニー知事は「冗談です」でごまかしたのである。それが大失敗だった。ゼレンスキーです」の次に、
「ゼレンスキー大統領の名前を拝借したことに深くお詫びします」と言って、深々と頭を下げる。そして、
「毎日兵士や市民が死んでいるウクライナです。私がゼレンスキー大統領の名前を借りた発言に立腹する人も居ると思います。しかし、私が皆さんに知ってほしいのは沖縄の悲惨な現状です。沖縄の現実を皆様に真剣に考えてもらうために、あえてゼレンスキー大統領の名前を拝借しました。どうもすみません。しかし、私の話を聞いてください」
と述べれば、批判されることはなかったし、デニー知事の発言に注目したはずである。ウクライナ戦争、ゼレンスキー大統領を利用して沖縄の米軍基地被害を信じさせ、米軍基地反対、辺野古基地建設反対の市民を増やすことができた。しかし、「冗談です」でご破算にした。

 デニー知事の演出の失敗は左翼系のマスコミや学者でさえもカバーすることができない。普通ならデニー知事をカバーする左翼系の発言がマスコミをににぎわすが、今回はできなかった。左翼系の学者やジャーナリストでさえもデニー知事を批判するようになったから、デニー知事批判はどんどん拡大した。「冗談です」ではっきりしたのはデニー知事の政治家としての能力の欠落である。

 「冗談です」発言は大歓迎だ。左翼の言いなりであるデニー知事の発言は嘘だらけである。「冗談です」はデニー知事の発言を正確に述べたものである。
「知事になって以来述べてきたのは全て私の冗談です」と言ったと解釈しよう。
「冗談です」をデニー知事のキャッチフレーズにしたいな。
 
 左翼の反米軍基地、辺野古基地建設反対に対する県民の支持率は下がり続けている。その最中にデニー知事の「冗談です」発言である。ますます下がるだろう。デニー知事の「ゼレンスキーです」「冗談です」発言に井地藩悩んでいるのは左翼幹部たちだろう。「冗談です」は沖縄政治に貢献したな。デニー知事の唯一の沖縄貢献だ。




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