2011年01月01日

知念ウシ批判

知念ウシ批判


沖縄の大正以前生まれた女性の名前でウシ、カマドの名前は多い。この名前は琉球王朝時代から引き継がれた名前であり、歴史は長い。琉球王朝時代は武士階級が支配する時代であり、王家に生まれた人間は生涯王家の人間であり、武士の家に生まれた人間は生涯武士であった。そして、農民の家に生まれた人間は生涯農民であった。

琉球王朝時代は全ての土地は王家のものであり、農民は王家から土地を与えられていた。農民は王家から与えられた畑で作物を作り、作物の一部を王家に献上をしていた。
ウシとかカマドは農民の女性の名前である。農民の家に生まれた女性は一生農民であり、男尊女卑の思想が根強かった琉球王朝時代には農民の女性は家畜の牛や台所の釜戸と同じ地位であったことがウシ、カマドという名前から想像できる。

ウシという名前は琉球王朝時代の女性が奴隷同様な存在であった頃に生まれた名前であり、差別的な名前である。単なる沖縄の昔の女性の名前ではない。ちなみに王家の女性の名前はウミチルミーなどがありウシやカマドのような名前とは違っていた。

知念ウシがウシという名前が女性差別の名前であることを知った上でペンネームにしたか疑問である。彼女は沖縄がアメリカや日本政府に差別されていることを盛んに主張しているが、琉球王朝時代の差別、明治時代から戦前までの武士階層による庶民への差別については追求していない。(新聞で連載していた「ウシが行く」には書いていなかった)

戦後、家父長制度や大地主制度を廃止し、沖縄の庶民を解放したのはアメリカである。それに沖縄の政治・経済の発展にかかせない政府立琉球大学や琉球銀行をつくり、大学や銀行の運営の仕方を指導していったのもアメリカである。何万人もの軍従業員を雇い、サラリーマンを増やすことによって商業が発展するシステムを作ったのもアメリカである。各地にあったアメリカ通りという商店街がその名残りである。

壷屋焼きなどの沖縄の陶器や紅型を復興させたのもアメリカ人が客となったからであり、経済や政治のノウハウがない沖縄を裏で指導し経済を発展させていったのはアメリカである。戦前の企業といえば製糖産業くらいであり、それも本土の人間が経営者であったので、沖縄人には経済を発展させるノウハウがなかったのだ。アメリカの沖縄の政治・経済発展の貢献度は非常に大きい。

沖縄にアメリカ軍基地が存在し、基地被害があるから沖縄は植民地であると決め付けるのは間違っている。植民地というのは武力で制圧し、現地から搾取することをいう。しかし、アメリカは琉球王朝時代の薩摩藩のように沖縄から搾取はしていない。それどころか軍雇用員、軍用地料などを払って沖縄に金をあげたのだ。そんな植民地などありえない。そもそもアメリカは民主主義国家であり、植民地を持たない主義なのだ。

知念ウシは沖縄は日本の植民地であるというがひどい認識だ。現在の日本は議会制民主主義国家であり、国家の意思は国民に選ばれた議員によって決まる。そして、沖縄は日本一律の法が適用されているのだから、沖縄が日本の植民地というのは余りにも我侭な主張だ。

普天間基地を県外に移転させるというのが沖縄県民の過半数の意見であったら日本政府はそれを実現しなければならないのか。知念ウシの理屈では地方の要求を、政府は全て実現しなければならないという理屈になる。それでは国政はめちゃくちゃになる。

尖閣諸島での中国漁船の巡視船への衝突。中国潜水艦の宮古、八重山間の通過、フィリピン、ベトナムとの領海争いなど、中国の圧力は強くなっている。劉氏のノーベル平和賞の授賞式に参加しないように中国は各国に圧力をかけた。そしてベトナムとフィリピンは参加しなかった。ベトナムやフィリピンは経済的に中国の影響が大きく、中国の政治圧力に屈したのだ。

このような現実があるのに知念ウシは自衛隊の与那国等への駐留に反対している。まるで中国のアジア制圧に賛成しているようだ。

知念ウシは我喜屋監督の「なんくるならない」は「なんくるないさ」を否定したものではないだろうというが、なにを根拠にそう言えるのだ。はっきりいって「なんくるならない」は「なんくるないさ」を否定したものだ。「なんくるないさ」は本土のある知識人が褒めたことから流行した。自然、おおらか、流れるのに任せるとか、都会的な生き方を否定する言葉として用いられ、それが沖縄の長寿にも影響しているとしてもてはやされた。
しかし、「なんくるないさ」とは努力しないことを意味する。いや、もっとつっこんでいうと「夢を持ち努力しても夢は実現しない。だから夢をもたずに自然の流れに任せればいい」という昔の身分制度時代の農民の格言なのだ。「なんくるないさ」は他方では人生に夢を持つことをあきらめた格言であることを忘れてはならない。

我喜屋監督の「なんくるならない」は常に考え努力しない限り夢は実現しないという「努力に勝る天才はなし」の意味であろう。つまり「なんくるないさ」を否定した言葉なのだ。

知念ウシは、庶民が担った「反基地」と思っているようだが、それは違う。「反期地」を担っているのは祖国復帰運動からずっと沖縄の「反基地」を担ってきた教員や地方公務員である。彼らを庶民と呼ぶのはふさわしくない。彼らは税金を支払う階層ではなく税金をもらう側である。いわゆる、昔で言えば武士階級であり、庶民の側に本質的にはなれない階層なのである。

普天間基地の辺野古移設に賛成したことがある仲井間知事が当選し、名護でも伊波候補より仲井間知事の方が票を多く獲得した、それも稲嶺市長よりも差が多かった。沖縄の庶民は必ずしも知念ウシのように「反基地」一辺倒ではない。それよりもあらゆるものを総合した生活第一なのだ。

沖縄の知識人はもっと深くもっと広く沖縄を見つめてほしいものだ。



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