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2021年01月18日

2021年は「オール沖縄」終焉の年になる1


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2021年は「オール沖縄」終焉の年になる1
 
2014年に沖縄県知事選に立候補した翁長雄志氏と左翼政党は「オール沖縄」を結成した。「オール沖縄」は知事選挙、県議選挙、衆参選挙で圧勝した。「オール沖縄」順調に沖縄に定着しているように見える。しかし、左翼と保守は水と油のような関係である。左翼と保守が同じ舟に乗ったら舟は滅茶苦茶に揺れ、しまいには沈没してしまう運命にある。
順調に船出したように見えた「オール沖縄」であったが、次第に揺れが大きくなっていった。「オール沖縄」結成から6年が経ったが揺れは大きくなった。大きな揺れの中で多くの保守系が「オール沖縄」から離れていっている。今の「オール沖縄」は沖縄アイデンティティーが失われ、左翼アイデンティティーになっているといっても過言ではない。
 今年は衆議院選挙がある。小選挙区で全勝してきた「オール沖縄」であるが、今年の「オール沖縄」は名ばかりで、左翼政党対自民党県連の対決になるだろう。五分五分の闘いになるだろう。
 今年は「オール沖縄」が沈没する年になるのは間違いない。
 「オール沖縄」の結成から分裂・崩壊までの過程を説明していく。

県知事選に立候補した翁長氏が共産党の安保廃棄全国実行委員会の全国大会に参加した時の写真である。

 

横断幕には「沖縄県知事選挙勝利を目指す 全国代表者会議 安保廃棄中央実行委員会 2014・9・13 沖縄」書いてある。
故翁長前知事は県知事選に立候補する時に共産党と共闘した。自民党県連のリーダーであった政治家が共産党と共闘したのである。そんなことはあり得ないことである。ところが沖縄ではあり得た。というより翁長氏であったからあり得た。
なぜ沖縄では自民党のリーダーであった翁長氏と共産党の共闘が実現したのか。そのきっかけを作ったのは安倍首相である。
安倍首相は辺野古移設を容認しなければ自民党を除籍すると沖縄の自民党県連に圧力をかけた。辺野古移設反対・県外移設が自民党県連の公約であったが安倍首相の圧力に屈し、自民党県連は辺野古移設を容認する方針に転じた。
県知事選に立候補予定の翁長氏は安倍政権の辺野古移設容認要求を拒否した。翁長氏は翁長派の自民新風会を連れて自民党県連を離党した。新風会だけでは県知事選には勝てない。選挙に勝つには共産党などの左翼政党と連携することだった。翁長氏は県知事選に勝つために左翼政党と共闘したのである。選挙で勝つことを自己目的にしている翁長氏だから自民党保守でありながら左翼政党と共闘したのである。
共産党が自民党系の政治家と共闘するのはあり得ないことである。翁長氏の共闘提案を断るはずの共産党が共闘に賛成した。これもあり得ないことである。それには左翼政党の事情が絡んでいた。県民の左翼政党への支持は低く、左翼政党だけでは知事選に勝てないという事情があった。
復帰後の沖縄では次第に左翼支持が下がっていった。大田知事の後は自民党の稲嶺知事2期、仲井真知事2期と自民党の知事が18年続いていた。左翼政党だけでは勝てる見込みがない状況の沖縄であった。そこに翁長氏からの共闘の提案があったのだ。翁長氏が知事になれば与党になれる。共産党は翁長氏との共闘を歓迎した。だから安保廃棄実行委員会の全国大会を沖縄で開き、翁長氏をゲストで招いたのである。

左翼政党と共闘することになった翁長氏は
「米軍普天間飛行場の県外移設から辺野古移設容認に公約をたがえた県連が、公約を守るわれわれを処分するのは本末転倒だ」
「われわれは昨年7月の市議選で県外移設を掲げて当選しており、市民、県民との約束を破るわけにはいかない」
と自民党県連による辺野古移設容認を拒否し、県外移設を掲げて翁長派の自民新風会は自民党から離党した。 
2014年11月17日 翁長氏は共産党、社民党などの左翼政党と「辺野古移設反対」を公約にした「オール沖縄」を結成する。「イデオロギーは腹八分六分にして沖縄アイデンティティーで保守と革新が一つになる」というのが翁長氏が考え出したオールル沖縄の売りであった。翁長氏の「沖縄アイデンティティー」は県民に支持されて、辺野古移設容認の仲井真知事に10万票差で圧勝した。翁長氏の左翼政党との選挙戦術は大成功したのである。
 翁長氏の「オール沖縄」はますます勢いに乗り、衆議院議員選挙で4つの全小選挙区で勝利する。県議会選でも左翼+保守の「オール沖縄」が過半数の議席を確保する。選挙では勢いに乗った翁長氏であったが、県知事になると次第に共産党に縛られていく。
 
2016年に沖縄県東村と国頭村にまたがる米軍北部訓練場(約7500ヘクタール)のうち過半の約4千ヘクタールが日本側に返還された。翁長知事は歓迎することを記者会見で述べた。するとすぐに共産党から、
「返還は東村高江のヘリパッド建設が条件としている。歓迎することはヘリパッドを容認したということだ」とクレームがあった。翁長知事は「歓迎」を訂正した。
 名護市で開いた返還式典に招かれながらも欠席し、同市で行われていた米軍の新型輸送機オスプレイ不時着事故の抗議集会に参加した。小野寺五典防衛相のほか地元村長や県、県議会関係者ら約120人が出席した米軍北部訓練場の地権者への引き渡し式に翁長知事は招待されていたが、「別の公務」を理由に欠席した。 
翁長知事は自民党政権と対立し左翼政党の意のままに行動した。しかし、翁長知事の右腕である安慶田副知事は違った。何度も上京して安倍政権幹部と会って政治交渉をしていた。翁長知事としては交付金など県政をスムーズに行うには政府の支援が必要であったから安倍政権と対立するのを避けていた。表の翁長知事は安倍政権と敵対し、裏の安慶田副知事は安倍政権と協力関係を維持していたのである。
 共産党は徹底した反自民である。共産党にとって安慶田副知事が安倍政権と通じているのは許せないことであった。安慶田副知事は邪魔者であった。
翁長知事を支配するのに邪魔な存在が安慶田副知事であったのだ。翁長知事が辺野古基地工事で安倍政権と対立していた時、裏で安倍政権とのつながりを維持していたのが安慶田副知事であり、県庁内では人事で翁長知事派の勢力拡大を進めていたのも安慶田副知事であった。安慶田副知事をそのままにしておくと安倍政権とのつながりが保たれ、県庁内の翁長知事の勢力が強くなっていく。それを防ぐために策略で安慶田副知事を辞任に追いやったのである。「邪魔者は消せ」である。
 安慶田副知事を辞任に追いやったのが教育庁の幹部による新聞社への告発であった。告発は安慶田副知事が教員採用試験で特定の受験生を合格させるよう働き掛けたことや、幹部人事へ複数の人物の登用を依頼した事実があったということを沖縄タイムスが報道した。

教員採用試験介入についての報道
・(2015年の)1次試験の後に3~4人分の氏名と受験番号が記された紙を安慶田副知事から渡された。
・その紙はすぐに捨てた・
・安慶田副知事の要求を受けたが、試験結果を触れば大変なことになるのでそのようなことはできないと受け止めた。
・数人で協議し、応じない方針を確認した。
・応じなかったことの報告はしなかったが、試験結果が出て、結果的に伝わった。その後、副知事室に少なくとも1人が呼ばれたらしいが、誰かは不明。
 
教育庁幹部人事以来についての報道
・2015年の末に、特定の人を教育庁内の幹部に据えてほしいという依頼が副知事からあった。
・関係者で緊急会議を開いたが、庁内人事は教育庁の権限であり、副知事の権限ではないから断ろうと決めた。
・応じない考えが副知事に伝えられたが「教育庁幹部に電話があった。
・副知事が就任してすぐのころと、その翌年にも副知事から要望があった。少なくとも15年1月ごろ、会議を開いた。登用依頼は合計で3度あった。
・依頼は複数の名前が挙がっていた。

 県庁は職員から幹部まで左翼である。県庁の中でも教育庁は左翼の牙城である。左翼の牙城である教育庁が安慶田副知事排除を策力したのである。教育庁は2011年の八重山教科書問題で共産党系の竹富町教育委員会を加勢して安倍政権を屈服させたことがある。安倍政権は竹富町が八重山地区協議会規約に違反しているから指導するように県教育庁に要請した。ところが県教育庁は竹富町に味方したのだ。違法行為には罰則規約がなかった。罰則されないことを利用して竹富町は違法行為を続け、県教育庁も竹富町を加勢した。強烈な県教育庁の反抗に根負けしたのが安倍政権だった。安倍政権は白旗をあげた。
強固な左翼勢力である県教育庁を敵にしては勝ち目がない。政治の世界で生きてきた安慶田副知事はそう思ったはずである。無実であることを主張して県教育庁と闘えば翁長知事の立場が悪くなる。安慶田副知事は県教育庁と闘うことより辞職することを選んだ。

 2016年宮古島市長選でオール沖縄選考委員会は医師で宮古地区医師会会長の下地晃氏(62)の擁立を決定した。下地氏は宮古島への陸上自衛隊配備を容認していた。保守と左翼が共闘しているオール沖縄は自衛隊配備を容認したのである。しかし、共産党は違っていた。自衛隊配備反対であった。共産党は自衛隊配備反対を明確に打ち出す奥平一夫氏(67)を担ぎ出した。翁長知事はオール沖縄が支持する下地候補ではなく、共産党が支持する奥平候補を応援したのだ。オール沖縄の左翼政党は共産党以外に社民党と社大党がある。左翼政党内で共産党と社民党、社大党とは対立するところがあった。それが宮古島市長選で表面化したのである。左翼政党同士が対立した時、翁長知事は共産党側についたのである。翁長知事は共産党のいいなりになっていた。
 共産党は反自民で安慶田副知事を辞職に追いやり、宮古島市長選では反自衛隊で社民党、社大党と対立した。保守、共産党、社民党、社大党の対立と主導権争いがオール沖縄の崩壊へと向かわせるのである。





Posted by ヒジャイ at 13:31│Comments(0)
 
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