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2016年08月06日

あなたたち 沖縄を弄ぶなよ・落合恵子






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高江ヘリパットではない。安波ヘリパットだ。
 安波ヘリパッドだ。高江ヘリパッドではない。
 
建設されるN-1地区、H地区、G地区は国頭村安波である。高江ではない。だから高江ヘリパッドではない。安波ヘリパッドだ。N-4地区だけが高江ヘリパッドである。

高江中学校からの距離
N4地区・・・1,5km    N1地区・・・2,5km    H地区・・・2km   G地区・・・2,8km
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなたたち 沖縄を弄ぶなよ
沖縄の真実を捻じ曲げた落合恵子
◇沖縄の辞書 落合恵子

あなたよ
世界中でもっとも愛(いと)おしいひとを考えよう
それはわが子? いつの間にか老いた親? つれあい?
半年前からあなたの心に住みついたあのひと?
わたしよ
心の奥に降り積もった 憤り 屈辱 慟哭(どうこく)
過ぎた日々に受けた差別の記憶を掻かき集めよ
それらすべてが 沖縄のひとりびとりに
いまもなお 存在するのだ
彼女はあなたかもしれない 彼はわたしかもしれない

沖縄の辞書を開こう
2015年4月5日 ようやくやってきたひとが
何度も使った「粛々と」
沖縄の辞書に倣って 広辞苑も国語辞典も
その意味を書きかえなければならない
「民意を踏みにじって」、「痛みへの想像力を欠如させたまま」、「上から目線で」と
はじめて沖縄を訪れたのは ヒカンザクラが咲く季節
土産代わりに持ち帰ったのは
市場のおばあが教えてくれた あのことば

「なんくるないさー」

なんとかなるさーという意味だ と とびきりの笑顔
そのあと ぽつりとつぶやいた
そうとでも思わないと生きてこれなかった
何度目かの沖縄 きれいな貝がらと共に贈られたことば「ぬちどぅ たから」
官邸近くの抗議行動
名護から駆けつけた女たちは
福島への連帯を同じことばで表した

「ぬちどぅ たから、いのちこそ宝!」
「想像してごらん、ですよ」
まつげの長い 島の高校生は
レノンの歌のように静かに言った
「国土面積の0・6%しかない沖縄県に
在日米軍専用施設の74%があるんですよ
わが家が勝手に占領され 自分たちは使えないなんて
選挙の結果を踏みにじるのが 民主主義ですか?
本土にとって沖縄とは?
本土にとって わたしたちって何なんですか?」
真っ直すぐな瞳に 突然盛り上がった涙
息苦しくなって わたしは海に目を逃がす
しかし 心は逃げられない
2015年4月5日 知事は言った
「沖縄県が自ら基地を提供したことはない」
そこで 「どくん!」と本土のわたしがうめく
ひとつ屋根の下で暮らす家族のひとりに隠れて
他の家族みんなで うまいもんを食らう
その卑しさが その醜悪さが わたしをうちのめす
沖縄の辞書にはあって 
本土の辞書には載っていないことばが 他にはないか?
だからわたしは 自分と約束する
あの島の子どもたちに
若者にも おばあにもおじいにも
共に歩かせてください 祈りと抵抗の時を
平和にかかわるひとつひとつが
「粛々と」切り崩されていく現在(いま)

立ちはだかるのだ わたしよ

まっとうに抗(あらが)うことに ためらいはいらない


落合恵子さんが『沖縄の辞書』という詩を4月10日付の毎日新聞夕刊に発表した。落合さんは自分の目で見たこと読んだこと感じたことを詩に書いているという。
落合恵子さんは1945年1月15日生まれである。栃木県宇都宮市出身。実父の矢野登は参院議員(自民党)である。落合さんは婚外子として母子家庭で育った。元衆議院の矢野哲朗氏は本妻との間に生まれた弟。
落合さんは小学校一年から東京都中野区育ち。明治大学文学部英文学科卒。文化放送に1967年から1974年まで勤務した。1974年から作家活動をしている。1976年に児童書籍専門店「クレヨンハウス」を開く。その経営のほか、近年はフェミニストとしての視点から女性や子供の問題についての評論・講演活動や週刊金曜日の編集委員を務めている。
日本軍慰安婦問題、婚外子差別に反対し、また選択的夫婦別姓制度導入に賛同する。原発や特定秘密保護法案に反対し、マスメディアや関連する集会などで訴えている。「原発を輸出するのではなく、9条こそ輸出したい」とも語っている。
長年、沖縄に通い続ける落合恵子さんは沖縄の基地問題にも関心があり、「新基地はいらないと、沖縄が声を大にして訴えている」「本土との溝を共感で乗り越えたい」という思いから「沖縄の辞書」を発表したという。落合さんは、詩について「平和な日本を守るための自分との約束」と語り、「共に歩かせてください」と述べている。
「ただ、出会っても自分には帰れる場所が東京にあり、沖縄の人はそのまま暮らす。そこに自責の念がある。沖縄を忘れてはならないと自分に確認し、約束するしかない」と言い、「傷め続けられてきた沖縄を防波堤にして、日本の安全や安定があるというのに」とも落合さんは話している。

詩を読んだ後、私が感じたのは、落合さんは自分の目で見たことを書いたと言うがそれは本当だろうかという疑問であった。落合さんは東京に住んでいて沖縄にはたまにしか来ない。沖縄の現実を自分の目で見るには限界がある。沖縄を自分の目で見たことよりも新聞や本などを読んで知ったことのほうが多いのではないだろうか。それは紙の上の沖縄であってリアルな沖縄ではない。
「沖縄の辞書」を書いたきっかけは2015年4月5日の翁長知事と菅官房長官が会談したことにあるという。会談は新聞等で発表した。落合さんは新聞を読んだりテレビニュースを見て会談の内容を知ったのだろう。
菅官房長官と翁長知事の会談の中心テーマは普天間飛行場の辺野古移設に関することであった。辺野古移設とは宜野湾市の人口密集地の中にある普天間飛行場を海と山に囲まれた辺野古崎に移すことである。新しく米軍基地をつくることではない。辺野古基地建設は普天間飛行場の移設であり、普天間飛行場の危険性をなくすかどうかの問題である。辺野古基地建設問題は人道問題であり、米軍基地問題とは違う。

菅官房長官は辺野古移設について翁長知事と会談するために沖縄に来た。そして、普天間飛行場の危険性を除去するのは辺野古移設が唯一の方法であると翁長知事に言った。ところが翁長知事は肝心な普天間飛行場移設問題から逃げた。翁長知事は知事になる前からずっと普天間飛行場の県外移設を主張してきた。仲井真知事が県外移設から辺野古移設容認に変更した時に仲井真知事を厳しく批判し、県外移設を通す自分をぶれない政治家として自画自賛をしていた。菅官房長官との会談で翁長知事は県外移設を要求するのが当然であった。しかし、翁長知事は県外移設を要求しなかった。県外移設を要求するべき相手と会えたというのに要求しなかったのである。なぜか。県外移設が実現不可能であることを翁長知事自身が知っていたからだ。翁長知事は県外移設ができないことを知っていながら県民に県外移設を実現しようと訴え続けてきたのである。なぜか。県外移設は県民の受けがいいからだ。翁長知事は県外移設は県民受けするから公約にしたのであって県外移設を実現するのを目的にはしていなかった。翁長知事は県外移設が不可能であることを知っていながら知事選挙に勝つために県外移設を主張してきたのだ。県外移設が不可能であることを知っていた翁長知事は菅官房長官に県外移設を要求することはできなかった。要求すれば県外移設は現実的ではないと反論される可能性があったからだ。普天間飛行場移設問題から逃げるために翁長知事は「粛々と」「民意を踏みにじって」、「痛みへの想像力を欠如させたまま」、「上から目線で」などと普天間飛行場問題とは関係のない、しかし県民や国民受けする歯の浮くような文言を列挙したのである。

2015年4月5日 ようやくやってきたひとが
何度も使った「粛々と」
沖縄の辞書に倣って 広辞苑も国語辞典も
その意味を書きかえなければならない
「民意を踏みにじって」、「痛みへの想像力を欠如させたまま」、「上から目線で」と

落合さんは翁長知事の言葉を無批判で引用している。翁長知事は会談が普天間飛行場問題になるのを避けて歯の浮くような文言を並べ立てたのに落合さんは気づかないのである。
菅官房長官は会談で普天間飛行場の危険を1日も早くなくすために辺野古移設を粛々と進めていると言った。それに対して翁長知事は上から目線であると菅官房長官を非難した。落合さんが翁長知事に同情する気持ちは分かる。私も地方の人間だから中央からやってきた菅官房長官の淡々とした冷たい言葉には反発する。しかし、中央からやってきた菅官房長官に反発したい気持ちはあるが、やみくもに反発することはできない。どちらが真剣に普天間飛行場について考えているか発言の内容を検討しなければならないからだ。
冷静に考えると、辺野古移設問題は沖縄対中央の問題ではない。また沖縄の米軍基地を撤去するしないの問題でもない。危険な普天間飛行場を安全な辺野古に移設するかしないかの人道的な問題である。淡々として話している菅官房長官の冷たい態度に反発はするが、普天間飛行場の危険性をなくすために辺野古に移設するという菅官房長官の言ったことは正論である。上から目線だと言ってまともな反論をしない翁長知事のほうがおかしい。翁長知事は普天飛行場の危険性除去について真剣に考えていない。沖縄の県知事としては失格である。
人口密集地のど真ん中にある普天間飛行場で飛行機が墜落したら多くの市民の命が失われる。実際に2004年8月13日に在日米軍(アメリカ海兵隊)のヘリコプターが沖縄国際大学に墜落した。飛行機墜落は架空の問題ではない。現実の問題である。飛行機の離着陸の騒音が普天間第二小学校の授業を中断するし、住民も騒音被害を受けている。米軍普天間飛行場の周辺住民約2100人が、米軍機による騒音で被害を受けたとして、那覇地裁沖縄支部は国に約7億5400万円の支払いを命じた。辺野古に移設すれば騒音被害はなくなる。
50年前から沖縄に関心がある落合さんなら普天間飛行場の危険性を知らないはずがない。沖縄国際大学にヘリコプターが墜落した事件を知らないはずがない。落合さんは普天間飛行場の被害に心を痛めたはずである。それならば辺野古移設に賛成すると思うのだが、落合さんは辺野古基地建設に反対している。詩には普天間飛行場の危険性のことは全然書いていない。落合さんは普天間飛行場問題に全く関心がなくなったのだろうか。
普天間飛行場をそのまま維持しながらの辺野古飛行場建設であるなら落合さんが反対するのは理解できる。しかし、辺野古飛行場は普天間飛行場を閉鎖・撤去するのが目的である。そのことを前提にしない限り辺野古移設問題を語れない。普天間飛行場のことを無視している落合さんの詩はおかしい。ヒューマニズムが欠けている。
落合さんは「新基地はいらないと、沖縄が声を大にして訴えている」と述べている。落合さんが辺野古飛行場建設は普天間飛行場を移設するためであることを知らないことはあり得ない。辺野古移設は普天間飛行場が危険だから移設しようということが始まりだった。辺野古海上に移すことから始まり、県外移設、国外移設などを検討した結果、最後に辺野古に移設することが決まった。つまり普天間飛行場の移設が問題の中心であった。そのことを落合さんが知らないはずはない。とすれば「新基地はいらないと、沖縄が声を大にして訴えている」としても落合さん自身で普天間飛行場の危険性と辺野古基地新設の狭間で悩み考え自分の結論を出していくべきである。県民が声を大にしているからといって無批判に県民の声に迎合していくというのは詩人として取るべき態度ではない。それとも落合さんは熟慮した上で自立した詩人として新基地はいらないと思ったのだろうか。
そうであるならば、落合さんは普天間飛行場の危険性やヘリコプター墜落の事実に目を背けたのだと判断しなければならない。なぜ落合さんは宜野湾市民の騒音被害、命の危険性を軽視することができるのだろうか。詩は本当の気持ちを表現するものでなければならない。普天間飛行場の移設が目的であっても落合さんは本当に辺野古新基地はいらないと思っているのだろうか。宜野湾市民の命や人権を無視する落合さんは心の中で何が変わったのだろうか。
落合さんは大学生時代に初来県してから、毎年のように沖縄を訪れているという。50年近く沖縄を見てきた落合さんは、悲惨な沖縄戦を経てなお過重な基地負担に苦しむ沖縄と向き合い、国のあり方、平和について考えを深めていくという。落合さんが沖縄の米軍基地問題に強い関心があるのは理解するが、国のあり方について考えを深めていくのなら、危険な普天間飛行場を安全な辺野古に移設することは市民の安全を守ることであり、正しい国の在り方であると判断すべきではないだろうか。落合さんのいう国の在り方とはどんなものだろうか。分からない。(県民が声を大にしているといっても、それは紙面の上である。現実とはずれがある)。
 
心の奥に降り積もった 憤り 屈辱 慟哭(どうこく)
過ぎた日々に受けた差別の記憶を掻かき集めよ
それらすべてが 沖縄のひとりびとりに
いまもなお 存在するのだ

私は思わず顔をしかめてしまう。沖縄を勘違いしている。「差別の記憶」とはなんのことなんだろう。強制土地接収、基地騒音、戦闘機の墜落、婦女暴行、ひき逃げ、米軍が米兵の裁判をする等々のことを差別の記憶といっているのだろうか。それは本当に差別なのだろうか。
落合さんに話しても理解してくれないだろうが、実は、米軍基地があったおかげで沖縄は戦後70年間平和であった。戦前に比べて生活ははるかに豊かになった。悲惨な戦争を体験したほとんどのおじいおばあは戦前に比べて戦後の沖縄は平和で豊かになったといっている。戦後の沖縄に感謝しているおじいおばあがどんなに多いことか。「米軍基地があるから戦争が起こると真っ先に沖縄が襲われる」と言うおじいおばあも居るが彼らのほとんどは共産党や社民党支持の革新派であり、反米主義思想家である。
沖縄の事実は戦後70年間戦争がなく平和であったことである。人間は不幸を求めては生きていない。幸福を求めて生きている。沖縄の人口は終戦直後はわずか32万人であったが70年後の現在は140万人と4倍以上に増えた。戦前は60万人しか沖縄で生活することができなかったが現在は140万人である。沖縄に幸福があるから人口が増えたのである。沖縄に不幸が蔓延していたら人口は減っていただろう。しかし、沖縄の人口は戦前の2倍以上に増えた。沖縄の戦後の真実は平穏で生活が豊かになったことだ。だから人口は戦前より2倍以上に増えたのだ。
沖縄の米軍統治時代の人口推移である。
1945年(推計人口32万6千 人)
1947年(推計人口53万7千人)
1960年 88万3千人
1970年 94万5千人
 沖縄は赤土で土地は痩せている。毎年暴風がやってきて農業に甚大の被害をもたらす。戦前までの沖縄は極貧の歴史であった。飢えをしのぐために農民はソテツの実を食べた。それをソテツ地獄という。死ぬか生きるかの極貧の中で生まれたのが「命どぅ宝」の格言である。「命どぅ宝」は反戦平和の格言ではない。兎にも角にも生きることが大事だと、極貧の中で必死に生きようとした中から生まれた格言である。
戦前までは60万人以下の人間しか生活することはできなかった。ところが戦後の米軍統治時代は人口がどんどん増えていった。1945年の人口は 32万だったのに1970年には94万になっている。わずか25年間で沖縄の人口は3倍に増えたのである。脅威的な人口増加は沖縄が平和であったこと、基地経済が多くの雇用を生み出したこと、それに米民政府がマラリアを撲滅し医療を発展させて人々の健康を改善し、経済発展に尽力したからである。
 落合さんは沖縄の人々は差別され屈辱的な日々を送ったと詩に書いているが沖縄に生まれ育った私はそのような体験をしたことはなかった。米軍に差別されたことはなかったし差別された人を見たこともない。米国は民主主義国家である。米軍はシビリアンコントロールされた民主主義軍隊である。それに沖縄を統治したのは米軍ではない。米政府だ。だから米軍政府ではなく米民政府という。米民政府時代について調べれば調べるほど米軍が沖縄の民主化、経済発展に尽力していったことが分かる。
沖縄の人口はどんどん増え続け140万人以上になった。東京から沖縄に来た時は那覇空港に降りる。そして那覇市に入る。那覇市、浦添市、宜野湾市の経済発展は目覚ましく、人口は東京都なみに密集している。学生時代から沖縄に来た落合さんは沖縄の目覚ましい経済発展を目にしてきたはずである。でも、落合さんの頭の中には沖縄の目覚ましい経済発展はなく「差別の記憶」があるようだ。

落合さんは東京に住んでいる。東京から沖縄を見るということはマスコミの沖縄関連のニュースを見るということである。その積み重ねによって報道された沖縄を本当の沖縄だと信じるようになってしまったのではないだろうか。きっとそうだろう。沖縄の米軍基地関係の報道を見れば、沖縄は軍事植民地にされ、県民は米軍基地被害に悩まされていると感じてしまう。しかし、沖縄に住み、生活をすれば沖縄は平和でのどかであると感じる。マスコミ報道と日常生活には大きなギャップがある。政治家もマスコミも米軍基地による過重負担と言うが、なにを過重負担と言っているのか日常生活の中で思い当たることはない。
「国土面積の0・6%しかない沖縄県に在日米軍専用施設の74%があるんですよ」というと沖縄が米軍から大きな被害を受けているようにイメージしてしまうが、ほとんどの米軍施設は静かであり騒音を発しない。ただ、建物や荷物や車が並んでいるだけである。普天間飛行場、嘉手納飛行場は騒音被害があるがそれほどでもない。ホワイトビーチは勝連半島の先にあり、人家から遠く離れている。嘉手納飛行場より広い嘉手納弾薬庫は山と原野の中にぽつりぽつりと米軍施設があるだけだ。キャンプ・キンザ、キャンプ・コートニー、トリイ通信基地など多くの米軍基地は静かである。国頭にあるキャンプ・シュワブ、訓練場なども時々は騒音を発するが比較的静かである。落合さんは米軍基地の過重負担というが県民の生活に米軍基地が過重負担をかけていることはない。
テレビで横田基地の近くの住宅でインタビューしている番組を見たが、基地の騒音は沖縄で一番ひどい嘉手納飛行場よりひどいと感じた。騒音は横田基地のほうがひどいのではないだろうか。しかし、報道しないから沖縄のほうが騒音被害はひどいと思われている。

 翁長知事、革新、マスコミが作り上げた紙の上の沖縄が落合さんの沖縄のようである。「国土面積の0・6%しかない沖縄県に在日米軍専用施設の74%があるんですよ」は「専用施設」だけを対象にしたからである。自衛隊との供用施設を入れると沖縄の米軍基地は22・7%である。77・3%は本土である。共用施設を含めると北海道の米軍施設のほうが沖縄より大きい。沖縄の射撃訓練は北海道などに移し、沖縄の海兵隊が激しい射撃訓練をしている。嘉手納飛行場所属の戦闘機も北海道で訓練している。沖縄駐留の米軍は沖縄よりも本土で激しい訓練をしている。それが本当の事実である。74%は沖縄に米軍基地が集中しているイメージをつくるための革新やマスコミがつくりあげたまやかしである。

まつげの長い 島の高校生は
レノンの歌のように静かに言った
「国土面積の0・6%しかない沖縄県に
在日米軍専用施設の74%があるんですよ
わが家が勝手に占領され 自分たちは使えないなんて
選挙の結果を踏みにじるのが 民主主義ですか?
本土にとって沖縄とは?
本土にとって わたしたちって何なんですか?」
真っ直すぐな瞳に 突然盛り上がった涙
息苦しくなって わたしは海に目を逃がす
しかし 心は逃げられない
 
高校生は落合さんが自分の考えをもっともらしくするために作り上げた偶像である。高校生が専用と共用を使い分けることはできるはずがない。「わが家が勝手に占領され」と書いてあるが、米軍が家を勝手に占領した事実はない。1954年の伊佐浜の強制土地接収を例えているのかどうか知らないが、強制土地接収は1960年代からはなかった。「わが家が勝手に占領され 自分たちは使えないなんて」と嘘の話を高校生がでっちあげることはできるはずがない。このような高校生は沖縄には存在しない。詩に登場する高校生は落合さんの頭の中に存在する沖縄の高校生である。詩はまるで米軍が傍若無人であるように書いているが、それは事実と違う。

2015年4月5日 知事は言った
「沖縄県が自ら基地を提供したことはない」
そこで 「どくん!」と本土のわたしがうめく

沖縄に住んでいない落合さんだから翁長知事の歯の浮くような嘘の言葉に「うめく」ことはあると思う。しかし、沖縄の基地問題はそんな単純な問題ではない。沖縄に民主主義と豊かな生活をもたらしたのは沖縄の政治家ではなかった。米民政府であった。米民政府は米大統領の管理下にあったのであり、沖縄を統治したのは米政府であって米軍ではなかった。

沖縄の政治家は沖縄の現実を真剣に考えて言葉を発するのではなく、自分の都合のいいような言葉を発する。翁長知事がそうである。「沖縄県が自ら基地を提供したことはない」と翁長知事は言ったが、土地の強制接収は1950年代のことであり朝鮮戦争などアジアの共産主義と緊迫した状況があった。アジア情勢を考慮すれば簡単に「提供したことはない」と言えるものではない。それに、辺野古は米軍基地のお蔭で経済発展した。それをきっかけに金武町のように自ら米軍基地を誘致した地域も出てきた。翁長知事の発言は正しくない。しかし、落合さんは翁長知事に騙されていることを知らないで、「どくん」とするのである。沖縄問題を自分の目では見ないで紙の上の沖縄を見ているから「どくん」とするのである。

ひとつ屋根の下で暮らす家族のひとりに隠れて
他の家族みんなで うまいもんを食らう
その卑しさが その醜悪さが わたしをうちのめす

 落合さんは本気でそのように思っているのだろうか。沖縄は米軍基地があるゆえに悲惨な生活を送っていてかわいそうだ。沖縄は米軍に弾圧され貧しく不幸だと落合さんは本気で思っているのだろうか。落合さんには経済が発展している沖縄は目に見えないのだろうか。沖縄に住んでいる私でさえ嘉手納飛行場以南の宜野湾市、浦添市、那覇市、豊見城市の経済発展ぶりには仰天している。沖縄には娯楽施設は多いしうまいもんも一杯ある。ところが落合さんは、「それなのに私は平和で豊かな東京に住んでいる」と述べ他の家族みんなで うまいもんを食らうことを落合さんは卑しいと自分を責めている。自分を卑しいと思うのは「沖縄は不幸だ」と信じ込んでいることの裏返しである。落合さんは沖縄不幸妄想という病気に罹っているようだ。
 沖縄の人口は1945年32万人から2016年度143万人に増えた。4倍近い。私は落合さんに言いたい。沖縄は不幸ではない。決して決して不幸ではない。68年間沖縄で生きてきた私はそう確信している。不幸な沖縄であったら人口が32万人から143万人に増えるはずがない。

子供の頃、家の近くに貸家がつくられ,アメリカ兵と沖縄女性のカップルが住んだ。1960年ころのことである。カップルは白昼堂々と一緒に歩いていた。男と女が二人で歩くのは卑しく思われていた時代であり、沖縄の若い男女が一緒に歩いているのを見ることはなかった時代である。2人は友達のようであり、女性はいつも楽しそうであった。男と女の上下関係は感じられなかった。沖縄の女性差別社会を嫌い、自由を甘受できる米兵との恋に走った沖縄女性は多かった。膚で感じる自由、平等、民主主義は米兵にはあったが沖縄人にはなかった。基地被害はあったが自由、平等、民主主義の思想を沖縄に広めたのは米兵であったのは事実である。

東京に住んでいる落合さんは東京と沖縄を比較するだろう。沖縄に住んでいる私は戦前の沖縄と戦後の沖縄を比較する。大人から聞いた戦前の沖縄はとても貧しかった。女の子は辻(遊郭)売り、男の子は糸満(漁師)売りが戦前まであったという。貧しいゆえに屈折した思想、差別が沖縄にはあった。戦後は基地のお蔭で経済は発展した。戦前に比べて生活は豊かになった。しかし、沖縄の思想や差別は戦後も根強く残った。落合さんは復帰するまで沖縄では売春が公認されていたことを知っているだろうか。本土では売春禁止法は1957年に施行されたが、沖縄では売春禁止法は復帰するまで施行されなかった。売春が公認されていたのは米民政府が統治していたのが原因ではない。米兵相手の売春宿をつくるのを米民政府が禁止したことを落合さんは知っていないと思う。米国は売春を禁止している。だから、米民政府も米兵相手の売春は禁止していたし米兵相手の売春宿はなかった。米兵相手の売春はAサインバーで働く女性やコールガールがホテルを利用していた。
沖縄に関する法律を制定するのは琉球立法院であった。琉球立法院が売春禁止法を制定しなかったのだ。だから、沖縄では売春は戦前のように公認されていた。復帰して自動的に売春禁止法が施行されたが、復帰していなかったら現在も売春禁止法はなかったかもしれない。それが沖縄の政治である。
落合さんは沖縄の米軍基地のある沖縄を東京から見て、沖縄は米軍支配に苦しめられているだろうと思っている。沖縄の嘉手納米軍基地の隣に住んでいる私は米軍基地の功罪を直視する。米軍が沖縄に与えてくれた功の大きさを認識する。

東京から沖縄だけを見る落合さんと違って、沖縄に居る私は沖縄からアジアも見る。落合さんは「傷め続けられてきた沖縄を防波堤にして、日本の安全や安定があるというのに」と沖縄が痛め続けられてきたと思っているがそれは間違っているし、沖縄の米軍基地は日本の防波堤になっていると思っているのも間違っている。日本の防波堤になっているのはむしろ自衛隊である。中国軍機が沖縄の日本領空に侵入した時にスクランブルをかけるのは自衛隊機である。米軍機ではない。日本には22万人の自衛隊員がいる。自衛隊が日本の防波堤になっている。沖縄の米軍基地が日本の防波堤になっていると考えるのは間違っている。沖縄が日本の防波堤になっているというのも間違っている。
現代の戦争は70年前の戦争のような兵士同士の肉弾戦ではない。ミサイル戦である。もし、中国と戦争になったら一気に九州から北海道までミサイルが飛んでくるだろう。現代戦争に沖縄戦のような肉弾戦はない。沖縄が防波堤になっているというのは間違っている。沖縄はアジアの扇の要の位置にある。韓国、台湾、フィリピンなどに非常事態が起こった時米軍機が沖縄から飛び立つ。沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の防波堤であるというのが正しい。
落合さんは沖縄は過重な基地負担に苦しんでいると思い込んでいるから、沖縄の米軍基地のアジアにおける働きを見ることができない。沖縄がかわいそうだと思いこんでいるから米軍がアジアの平和を守っていることを認識することができない。
韓国に北朝鮮が侵略した時、嘉手納飛行場からすぐに戦闘機が韓国に飛び立つ、オスプレイも飛び立つ。中国が台湾に侵略した時も同じだ。そのような体制を取っているから北朝鮮も中国も侵略をしなかったのだ。
フィリピン軍と一緒にミンダナオ島のイスラム原理主義ゲリラと戦ったのも米軍である。現在、中国が南沙諸島周辺で埋め立て作業しているのをけん制しているのも米軍である。もし米軍がいなかったら中国はフィリピンの領土にもっと侵略していただろう。米軍はアジアの民主主義国家を守っている。東京から沖縄だけを見る落合さんには見えないことが沖縄からアジアを見る私には見える。

 東京から沖縄を見る落合さんの情報は沖縄二紙や本土のマスコミ報道に頼る。
沖縄県知事選で翁長知事が当選した。だから落合さんにとって翁長知事の主張が本当であり、民意である。「民意を無視して政治に何が可能なの。民意を聞こうよ」と語り、「書き続けないといけない」と落合さんは言う。翁長知事の「民意を踏みにじって」、「痛みへの想像力を欠如させたまま」、「上から目線で」をそうだそうだと受け入れる。東京の報道世界に埋もれて生きている落合さんは報道の川の流れに身を任せているから、「あれ、辺野古移設が駄目だったら普天間飛行場はどうなるのだろう」と立ち止まり、疑問を持つ能力を失っている。落合さんは覚悟を込めた詩『沖縄の辞書』を書いたが、落合さんが覚悟を込めた詩といっても、結局は紙の上の報道の流れに流されたまま適当に他人の言葉を寄せ集めた詩でしかない。真実とはかけ離れた詩である。
落合さんの詩は安易に他人の言葉を受け入れている。落合さんは沖縄を素直な目ではなく先入観で見ている。紙の上の沖縄を本当の沖縄だと勘違いしている。落合さんは「沖縄の辞書」を覚悟の詩というが、紙のように軽くて安直な詩である。
 沖縄を安直に捻じ曲げた落合さんの詩が多くの人に読まれ、沖縄を誤解してしまうのは残念である。

だからわたしは 自分と約束する
あの島の子どもたちに
若者にも おばあにもおじいにも
共に歩かせてください 祈りと抵抗の時を

落合さんが一緒に歩もうとしているのは沖縄の子供たちではなく、若者でもなく、おばあでもなくおじいでもない。反米主義、日米安保廃棄を掲げている社会主義の革新の人たちである。

落合さんは大学生時代に初来県してから、毎年のように訪れているという。落合さんは悲惨な沖縄戦を経てなお過重な基地負担に苦しむ沖縄と向き合い、国のあり方、平和について考えを深めてきたという。落合さんは出会っても自分には帰れる場所が東京にあり、沖縄の人はそのまま暮らす。そこに自責の念がある。「沖縄を忘れてはならないと自分に確認し、約束するしかない」と述べている。
数年前に東京に行った。私が思わず苦笑したのは駅の様子であった。多くの人間が早足で軍隊のように一糸乱れずに歩いているのだ。沖縄の人間の二倍近い速さで歩いている。私はどんどん追い抜かれていった。沖縄でのんびり生活している私には川の激流を思わせた。「そんなに急いでどこへ行く」と思わず言いたくなった。しかし、その内に流れに巻き込まれて私も早足になっていた。
翌朝、ホテルから眼下の道路を見下ろすと清掃車が止まっていてゴミ袋を回収していた。その様子を見て驚いた。歩くのが早いのだ。足が速いのは通勤だけではなく仕事の時も早い。日常的に東京の人は沖縄の人より二倍近く早く動き、合理的で無駄がない。だから、東京の政治、経済、文化などのあらゆる面で進歩が速いのかも知れないなと私は思ったものだ。
沖縄に帰って来て、モノレールに乗るとBGMから「お菓子御殿の・・・・・」とお菓子御殿のコマーシャルソングが流れてきた。本土の音楽にはないのんびりとした歌を聞いた瞬間に「ああ、ここは沖縄だ。東京とは違う」とふわーっとした心になり、懐かしい気持ちが湧いてきた。東京は緊張した空気に包まれている。沖縄はのんびりとした空気に包まれている。落合さんは出会っても自分には帰れる場所が東京にあるといい、沖縄より東京の方がいいと思っているようだが、沖縄に住むことは不幸だと思っているようだが、そうでもない。沖縄も幸福に包まれた島である。私に帰れる場所は沖縄である。
沖縄は1945年の人口は 32万だったのに2016年には143万人の4倍以上の人口になった。本土から多くの人が沖縄に移住してきたからこんなに増えたのだ。沖縄は暮らしやすいところなのだ。「自分には帰れる場所が東京にあり、沖縄の人はそのまま暮らす」と沖縄を憐れむのは、落合さんが米軍基地のために沖縄は不幸な目に合っているという妄想に陥っているからだ。もっと素直な目で沖縄を見てほしい。
東京で生まれ育った女性が沖縄の男性と結婚して沖縄で暮らすようになった。しかし、離婚をした。彼女は生命保険の勧誘員をしながら二人の子供を育てていた。勧誘員の仕事では生活が苦しいので私が通っているスナックでパートをしていた。彼女はネーネーズの「黄金の花」が大好きだった。「黄金で心を汚さないで 黄金の花はいつか散る」「黄金で心を捨てないで 本当の花をさかせてね」の詞が彼女は好きだった。お金のほうが大事だと私が冗談で言うと私を睨み、お金より心が大事であると私を説教した。大真面目にだ。彼女は東京より沖縄が好きといって親兄弟の住んでいる東京には帰らなかった。彼女は彼女の幸せのために沖縄に住むことを選んだ。彼女以外にも沖縄が好きだと言って移り住んだ人は大勢いる。
落合さん。「自分には帰れる場所が東京にあり」は沖縄を差別しているよ。沖縄が好きで沖縄に住んでいる人を侮辱していることを自覚してほしい。

なぜ落合さんの帰れる場所が東京なのか。東京以外の地ではないのか。落合さんが東京に住んでいるから・・・いや、違う。日本の中心地大都会東京、富が集中している東京だから「自分には帰れる場所が東京にあり」と書いたのだ。島根県の過疎地に住んでいても「自分には帰れる場所が島根にあり」と落合さんは書いただろうか。もし、奄美に住んでいたら「自分には帰れる場所が奄美にあり」と書いただろうか。戦後の奄美は人口が3分1近くにまで減少している。奄美から多くの人が沖縄に移住した。それでも「自分には帰れる場所が奄美にあり」と書いただろうか。

東京の奢りを生きている落合さんの「沖縄の辞書」には、翁長知事やマスコミがつくり上げた紙の上の沖縄だけがある。

「沖縄の辞書」は沖縄の真実を捻じ曲げた。
「沖縄の辞書」は辺野古の真実を捻じ曲げた。
「沖縄の辞書」は沖縄の真実のひとかけらさえない。

【沖縄の声】高江ヘリパッド反対運動は市民運動ではなく共産・社民・社大党の政治運動[桜H28/7/29]
チャンネル桜沖縄支局「沖縄の声」
2016/07/29 に公開
平成28年7月28日木曜日に放送された『沖縄の声』。本日は、キャスターの又吉康隆氏が前半「高江ヘリパッド反対運動は市民運動ではない。共産党・社民党・社大党の政治運動である」、後半のコラムコーナー”又吉康隆のこれだけは言いたい”では「自民党と対峙できる政党は民進党ではない。おおさか維新の会である」のテーマについて解説いただきます。
※ネット生放送配信:平成28年月7月28日、19:00~
出演:
   又吉 康隆(沖縄支局担当キャスター)
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Posted by ヒジャイ at 10:24│Comments(1)評論家への批判
この記事へのコメント
落合恵子は本当のところ、沖縄に関心なんてないのではなかろうか。でなければ、あのような愚劣な詩のごときものを書き散らして沖縄県民を愚弄することなどできないだろう。私は37年前に初めて沖縄に行き、それからずっと関心を持ってきた。しかし、2007年の夏だっと思うが、那覇の食堂で昼飯を食いながら読んでいた沖縄タイムスで、伊波普猷が戦時中に戦争協力をしていたとして非難する「識者」の一文を読んで、沖縄ジャーナリズム・「識者」への懐疑は決定的になった。それは60年代末の左翼雑誌の文体・論調そのままの稚拙な文で、何十年も前の学生時代にタイムスリップしたかのような感覚に陥ったのだった。本当に沖縄が好きで沖縄に関心を持ち続けていれば、その本当の姿もおぼろげながらでも見えてくるものだ。私は5年ほど前に落合恵子とあるTV番組で同席したことがある。それは若者の就職難をテーマとするもので、私は現場関係者として出演したのだが、彼女がなぜそこにいるのか全く理解できなかった。しかし、沖縄県民、障害者、貧困層等々の「あらゆる弱者の味方」であることが彼女の職業でありアイデンティティーでもあると考えてみれば理解できるかも知れない。極論すれば弱者を食い物にして生きながらえている自分に気づいていないのだ。無残な70年の人生だったようだ。
Posted by 道産子893号 at 2016年08月06日 22:24
 
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