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2015年11月04日

そうだ、琉球処分の再来だ



第1章 日本・沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和に貢献している 第2章 戦後沖縄の非合法共産党・米民政府 第3章 辺野古移設の真実 第4章 辺野古埋め立ての真実 第5章 辺野古の真実を捻じ曲げた者たち 第6章 辺野古の真実を捻じ曲げた沖縄タイムス・琉球新報 第7章 辺野古の真実を捻じ曲げた翁長知事 第8章 辺野古の真実を捻じ曲げた落合恵子 第9章 辺野古の真実を捻じ曲げた宮崎駿 第10章 自民党県連批判 

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そうだ、琉球処分の再来だ

沖縄県名護市辺野古の新基地建設で4日午前、米軍キャンプ・シュワブ前の反対運動に対応する警視庁機動隊と沖縄県警の機動隊200人前後が、ゲート前に集まった市民約130人の排除を始めた。午前9時すぎにはけがをした市民1人が救急搬送され、別の男性1人が警察に拘束された。
警視庁機動隊が新たに参加して強化された機動隊は座り込んだ活動家たちを強制排除し、スクラムを組んで座り込んだ活動家たちもごぼう抜きして鉄柵で囲んだ歩道に拘束した。県議会議員や市町村議員も排除した。
 強化された機動隊に、沖縄平和運動センターの山城博治議長は「琉球処分の再来のようだ。超厳重体制でゲートを固めて基地建設を強行しようとしている。国家権力の弾圧には負けない。県民の皆さん、恐れることなく集まって」と呼び掛けた。

そう、山城議長のいう通り「琉球処分」の再来だ。
琉球処分とは独裁国家琉球王朝を処分して沖縄を四民平等、法治主義の社会にすることだった。
キャンプシュワブの国道は辺野古移設反対派の活動家によって超小さな独裁国家がつくられてしまっている。彼らは彼らの警察をつくり、国道を走る車を停め、キャンプシュワブに入る車であるかどうかを検分し、入る車なら取り囲んで「逮捕」する。彼らは彼らの武器を持たない軍隊をつくり、キャンプシュワブに入るトラックに立ちはだかり、もぐりこみ、しがみつきトラックを排除しようとする。
海ではカヌー対と船が立ち入り禁止のフロートを超えてボーリング台船に突撃してボーリング調査を実力で止めようとする。彼ら独自の警官も軍隊も人数が少なく弱いから日本の警官や機動隊や海保に抑え込まれているが、もし、彼らの人数が多く、抑え込むことができなかった場合はキャンプシュワブに入る車は排除され、ボーリング台船は占拠されるだろう。彼らの力が弱いから彼らの目的を実現できていないのであり、彼らの力が強ければ、キャンプシュワブは彼らが占領し独裁国家といえば大げさであるが、彼らの独裁社会が築かれていただろう。

キャンプハンセンの辺野古移設反対派は宜野湾市民の生存権を認めていない。同じ県民でありながらだ。人間の根本的な権利である生存権を認めない彼らは民主主義思想家ではない。
山城議長は「国家権力の弾圧には負けない」と言った。日本は議会制民主主義国家である。日本の国家権力は民主主義権力である。民主主義権力と対立している山城議長は非民主主義思想家である。ただひたすら辺野古移設反対に走り、国道を占拠し、暴力支配している山城議長は独裁者である。
山城議長が先導している辺野古移設反対派の行動を「抗議」と報道しているがそれは正確な報道ではない。彼らの行為は暴力を使った違法行為である。

キャンプシュワブで行われている機動隊の行動は独裁者琉球王朝を処分して四民平等、法治主義を実現した琉球処分のように、国道を占拠し、日本の法律を破り、独自の独裁小国家をつくっている辺野古移設反対派を議会制民主主義、法治主義の名の元に処分しているのだ。
彼らは日本国民である。日本国民としての権利がある。その権利を警察は守る義務がある。だから、警察は彼らの違法な行為を取り締まる。違法な行為以外は取り締まらない。これもまた四民平等、法治主義の精神であり琉球処分のあり方である。

大城立裕氏の小説・琉球処分は琉球処分の時の沖縄の様子をリアルに描いた小説である。小説・琉球処分は1968年に出版されたが、1959年に琉球新報に連載された小説である。


 小説・琉球処分は、明治五年五月に、明治政府から派遣された三人の男が浦添間切沢岻村から内間村へ向けて歩いている様子から始まっている。三人は沖縄の現状について調べていた。

 断髪の二人は、沢岻村を出る頃から、議論を続けていた。
「七日間をつぶしてこの島の百姓の生活を見てきてその疲弊ぶりに舌をまいた君が、やはりそのようなことしか言わないのか、ぼくとしては納得いきかねる」
・・・・・・・
「確かに貧乏には驚きます。何か腹立たしいものも感じます。だからといって、それをすべてわが責任であるかのように、苦しむいわれはないと思うだけです。正月二十五日にこの島へ来てからずっと、首里の政庁でも調べたではありませんか。なるほど島津が琉球を収奪した。しかし、琉球の百姓をしばりあげたのは、島津が直接にしたのではなくて、琉球政庁の役人どもだ。かれらは島津にひたすら頭を下げて苦しい苦しいといいながら、百姓と同じように苦しもうとはしなかった。自分らはぬくぬくと暮らした。その責任を問うべきですよ。それが琉球の御一新というものだ」
                        「小説・琉球処分」
 三人は元島津藩士である。三人が見た沖縄は百姓の極貧さであった。そして、極貧の百姓を搾取して豊かな生活をしている琉球王朝があった。その事実を小説・琉球処分は元島津藩士である三人の明治政府の男に語らせる。小説は琉球処分官と琉球王朝の駆け引きが中心であるが、沖縄の百姓の貧しさも描いている。

「皮肉を言うわけではないが、きみはやはり、封建政治をにくんだ勤王の志士奈良原幸五郎だ。しかし、きみは、自分が鹿児島の人間だということを忘れている。見たまえ。ぼくらが自分では日本帝国の官員として琉球の人民を解放するために来たつもりでも、百姓どもは、やはりぼくらを島津の片割れとして警戒しているのだ」
「それは思い過ごしだ、伊地知さん。いや確かに百姓たちはまだぼくらをこわがっているかもしれないが、そんなことをいちいち気にしていたってはじまらない。ぼくらとしては、この島の産業開発と教育とに努力をかたむけること。きのう話した通りです。・・・・・」
                        「小説・琉球処分」
 明治維新とは、封建社会の江戸幕府から士農工商の身分制度を排して四民平等の近代国家を築いたものであった。明治政府による琉球処分が沖縄を近代社会にするものであることが三人の会話から分かる。しかし、琉球王朝は沖縄の近代化を理解できない。

明治御一新を説明するのにあれだけ骨が折れるとは思いませんでしたぜ。薩摩の国が鹿児島県になったのがなんだか悪いことをしたみたいで、変な錯覚までおこしましたな」
・・・・・・・
「薩摩への借金も免除してやると言ったとき、いちばん理解に苦しんだらしい。かれらの今までの考え方からすると、こんなことは奇跡ともいうべきものだろうから」
「あの調子では、その金で土民を救済し国本を張る資にするようにと命じたところで、その政策をとれるかどうか、あてになりませんな」
                      「小説・琉球処分」
明治政府は大日本帝国憲法を制定して、法の下での平等を目指して身分制度を廃止し、武士の特権をなくした。しかし、琉球王朝にとって農民を搾取する身分制度は当然のことであり、王朝を廃止して、武士と農民が同じ身分になる四民平等を理解することができなかった。明治維新は琉球王朝にとって予想もしていなかったことであり理解できないのは当然であっただろう。明治政府は琉球王朝を廃止するというのだ。琉球王朝が存在しなくなるということを理解するほうが無理である。自己決定権が明治政府に奪われてしまう。それは琉球王朝にとっては差別に等しい。
 琉球処分は身分制度を排し、四民平等の社会を築くことである。農民は大歓迎した。琉球王朝以外の沖縄のほとんどの人たちは琉球処分に賛成したのである。


2015/10/30 に公開
平成27年10月29日木曜日に放送された『沖縄の声』。本日は、キャスターの又吉康­隆が「日本一国平和主義から日本アジア平和主義へ」、「アメリカ軍イージス駆逐艦の南­沙諸島進出について」、「シールズの主張」、「宜野湾市民12人が翁長知事・県議会を­提訴」のテーマについて解説いただきます。
※ネット生放送配信:平成27年月10月29日、19:00~




Posted by ヒジャイ at 12:08│Comments(0)
 
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