2015年06月01日

自民党県連批判


「翁長知事・県議会は撤回せよ謝罪せよ」
「一九七一Mの死」
4月30日より県内書店で発売しました。

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○自民党県連批判

 革新は普天間飛行場の閉鎖・撤去を主張し、辺野古移設を新基地建設と呼んであたかも新しい基地をつくるというイメージを県民や国民に植え付けながら辺野古基地建設反対を主張している。沖縄の革新をリードしているのは共産党であり社民党であり社大党である。彼らの正体は社会主義である。社会主義であるから反米主義であり、日米安保を廃棄し日本の米軍基地をすべて撤去するのが革新の最終目標である。
 彼らは辺野古に飛行場をつくらせないためには嘘を言い、詭弁を使う。新基地建設反対、大浦湾を埋めてはいけない、ジュゴンが危ない、藻が危ない、サンゴが死滅する、辺野古以南のもずく栽培が危ない・・・・すべて嘘である。嘘を振りまいて辺野古移設を阻止しようとしているのが革新である。革新の嘘に振り回されているのが自民党県連である。

琉球新報に掲載された元自民党県連会長外間盛善氏の意見である。
「世界一危険と言われた普天間飛行場を一日も早く移設しないといけない。そのためには人の少ないやんばるへ持っていこうと日米両政府は考えたかもしれないが、私は憤まんやるかたない。知事も両政府には従わざるを得ないと埋め立てを承認されたのだろうが、このことについては県民は納得していないと思う」
「大浦湾は海と山の自然景観のバランスが本当に優れた場所だ。しかもジュゴンやウミガメもいる。きれいな海にしか回遊しないといわれるジュゴンが来る海は沖縄にもなかなかない。『ああ松島や』と歌われた松島湾(宮城県)にも負けないほど景観が豊かだ」
「松島を埋めるのと同じという意味か」という記者の質問に外間氏は「そうだ」と答えている。外間氏は大浦湾のほとんどを埋めると思いこんでいるのだ。外間氏が辺野古埋め立てに興味がなく、真剣になって調べていないから、「松島を埋めるのと同じだ」と自分の無知ぶりをさらけ出すのだ。そして、革新の主張を応援してしまうのだ。埋め立てをするのは辺野古崎の沿岸部であり、大浦湾を埋めるようなことはしない。それに大浦湾にジュゴンが棲んているのでもない。そんなことさえ知らないのが自民党の大御所である。外間氏は辺野古については沖縄二紙の報道を鵜呑みにしている。
 自民党県連は辺野古問題については革新の主張に押され、革新に同調する傾向にある。なぜ、このように革新の主張に飲み込まれるようになったのか。2006年、2010年の知事選を見れば理解できる。

2006年の県知事選に立候補したのは仲井真弘多氏であったが彼は自民党県連の実質的なリーダーではなかった。仲井真氏は社会的実績と知名度があったから自民党県連が県知事に担ぎ出したのである。仲井真氏は自民党県連に担がれたのであり、自民党県連を率いてきたのではなかった。
仲井真氏は通商産業省を務めた後、1987年に民営化を前にした沖縄電力の理事に就任して。1990年に当時の革新系の沖縄県知事・大田昌秀のもとで沖縄県副知事となった。退任後は沖縄電力に戻り、社長や会長を歴任した。
2006年に自民党県連は県知事立候補として仲井真氏を推す。

沖縄は反マニフェスト選挙

日本の政界は有権者の支持を得るために実現できそうもないバラ色的な選挙公約をやっていたが、2003年の衆議院議員総選挙の頃から、実現できるのを選挙公約にするようになった。「政権公約」と言い、それがマニフェストである。日本の選挙はマニフェスト選挙になっていったが、沖縄は反マニフェスト選挙が続いた。
 
2006年の沖縄県知事選挙には自民党県連・公明党陣営の仲井真弘多候補と革新陣営の糸数慶子の闘いとなった。この時普天間飛行場問題については自民党陣営と革新陣営の候補の選挙公約が同じになるという不思議な現象が起こる。糸数候補は革新がずっと主張している普天間飛行場の閉鎖・撤去を掲げていたが、一方仲井真候補は普天間飛行場の3年以内閉鎖を掲げたのである。
糸数候補が当選したとしても普天間飛行場の閉鎖・撤去が実現するはずはない。ただ、米軍基地撤去を目標にしている糸数候補が閉鎖・撤去を掲げるのは選挙公約というより政治的主張として認めることはできるが、日米安保を容認している自民党県連からの立候補である仲井真氏が普天間飛行場の3年以内閉鎖を選挙公約にするのはおかしい。
なぜ、仲井真候補いや仲井真候補というより自民党県連は3年以内の閉鎖を公約にしたのか。それは選挙に勝つためであった。飛行機の墜落、騒音被害、米兵の婦女暴行、交通事故、住宅進入等々革新と沖縄2紙は徹底して米軍の事件・事故を県民にキャンペーンしてきた。米軍を認めることは選挙で不利になると自民党県連は考え、革新の反米軍基地の主張に相乗りしたのである。仲井真候補の3年以内閉鎖は糸数候補の閉鎖・撤去とは「閉鎖」がダブっていた。閉鎖の内容に多少のずれがあるが、革新と同じ閉鎖を公約にすることで基地問題の争点をあやふやにする効果があった。基地問題の争点をあやふやにすれば経済面に強い自民党県連の候補が有利になる。だから、3年以内閉鎖という選挙公約を掲げたのである。その効果もあり仲井真候補は当選した。実現できない反マニフェストの選挙公約の尻拭いをさせられたのが自民党政府である。
仲井真氏が県知事選に当選した後に、久間章生防衛庁長官は閣議後記者会見で「3年での閉鎖は事実上できない」と言明したのである。仲井真氏の公約は、12月10日の知事就任を前に退けられた。選挙に勝つために実現できないことを選挙公約にし、後で政府が尻拭いするというのが自民党県連の選挙パターンである。マニフェスト選挙に逆行していたのが自民党県連の選挙のやり方であった。
仲井真前知事は、3年以内の閉鎖を否定されても久間防衛庁長官に反論はしないで、天間移設問題では「日米間で頭越しに協議が進められたことに強く抗議する」と言い。普天間の早期の「危険除去」に向け「あらゆる方策を検討し解決に取り組む」と発言して、3年以内の閉鎖をうやむやにした。そして、「V字案に賛成できないに尽きる」と述べていた仲井真知事であったが、V字案に賛成する方向に進んでいく。
「3年閉鎖」の選挙公約は当選するための方便であり、本気で「3年閉鎖」をする気はなかった。基地問題に関しては選挙に勝つための手段として選挙公約をするのが自民党県連のやり方であった。

仲井眞前知事は辺野古基地問題に関して、「(掃海母艦を出すのは)銃剣を突きつけているような連想をさせ、強烈な誤解を生む。防衛省のやり方はデリカシーに欠ける」と発言し、政府の強硬策を牽制したが、2008年2月11日に沖縄駐留アメリカ軍兵士が中学3年の少女に対する暴行・強姦容疑で逮捕された件で、「強い怒り」を表明したが、普天間飛行場の機能をキャンプ・シュワブ沿岸部へ移設する計画には全く影響しないと語り、辺野古移設に賛成するようになっていた。
辺野古移設推進派に転身した仲井真前知事は辺野古移設推進の先頭に立ち、県議会では野党と何度もバトルを繰り返してきた。仲井真前知事は読売新聞の取材に、「名護市の意向を尊重して考えたい。移動距離は、政府といったん合意できれば、その後に要求を上積みするつもりはない」と語っている。名護の経済界から辺野古飛行場を海の方へ移動するように要望があり、島袋前名護市長は仲井真前知事に移動するように要求した。仲井真前知事は要求を受け入れて政府に移動を要求した。
自民党政権の時にほとんど決まりかけていた辺野古移設であったが、衆議院選挙で民主党が圧勝し、鳩山政権が誕生することによって事態は急変した。
鳩山元首相は「できるなら国外、最低でも県外」を公約し、県外移設をやろうとした。しかし、本土の壁は厚く、県外移設はできなかった。鳩山元首相は2010年5月23日に再来県し、名護市辺野古への移設を明言した。仲井真前知事は辺野古移設に賛成していたから当然鳩山元首相の辺野古移設に同意した。その年の6月4日に鳩山氏は首相退陣したが、菅直人氏が首相に就任し、日米合意の踏襲を明言した。

2010年6月4日で辺野古移設の政治決着がついたと判断するのが常識である。

ところが自民党県連に異変が起こる。辺野古移設推進派だった自民党県連が急に県外移設を主張するようになった。
2010年6月の第22回参議院議員通常選挙で島尻候補は、辺野古移設を容認していた従来の主張から一転して普天間基地の県外移設を主張したのである。最低でも県外移設を公約にした鳩山元首相が辺野古移設に戻ったが、沖縄2紙は辺野古移設を明言した鳩山元首相を連日非難し、県外移設を信じていた多くの県民は失望した。
鳩山元首相が県外移設を断念したことは政府が努力しても県外移設は非常に困難であることを示したものであったが。沖縄2紙や識者はそのことには触れないで県外移設を断念した鳩山元首相を非難し続けた。沖縄のムードは県外移設であり、辺野古移設を選挙公約にすれば落選する危険があると考えた自民党県連は島尻候補の選挙公約を辺野古移設から県外移設に変えたのである。そして、当選した。

同じ年の11月28日には知事選挙があった。仲井真前知事は辺野古移設を推進してきた。だから、2010年の県知事選では辺野古移設推進を公約に掲げるつもりであった。しかし、選挙公約は県外移設であった。
県外移設を公約にしていたのに結局は辺野古へ回帰した鳩山政権であったが、沖縄2紙や識者は県外移設の熱をかき立てていた。そのムードに乗って県外移設を選挙公約にするように主張したのが当時那覇市長をしていた翁長知事であった。
自民党県連や公明党県本部は、ヤマトへの怒り、沖縄ナショナリズムを追い風にしない限り勝ち目はないとみて、渋る仲井真前知事に「県外移設」への方針転換を明確化するよう迫っていたが、決定打は、「県外移設」を主張してきた翁長氏の選対本部長受諾だった。
仲井真知事と違い翁長氏は叩き上げの政治家である。那覇市議会議員から県会議員になり、そして那覇市長になった。自民県連の裏も表も熟知しているし、自民党県連内の第一の実力者といっても過言ではなかった。翁長知事が県外移設を選挙公約にしないと選対本部長を引き受けないと言われた仲井真前知事はしぶしぶ県外移設を受け入れたのである。
辺野古移設推進をやってきた仲井真前知事が県外移設へ転換するのは考えられないことである。しかも、辺野古移設は政治的に決着していた。県知事が県外移設を覆すことができない状態になったのである。それなのに県外移設を選挙公約にするということは議会制民主主義の法律を無視することである。たとえ、県外移設を選挙公約にしても実現するのは不可能に近い。それなのに県外移設を選挙公約にするということは実現するか否かが問題ではなく、選挙に勝つための選挙公約であった。県外移設を選挙公約にした仲井真候補は当選した。

2012年12月の衆院選は自民党県連の立候補者は県外移設を選挙公約に掲げ1区は自民新人の国場幸之助、3区は自民新人の比嘉奈津美、4区は自民元職の西銘恒三郎が当選した。2区の宮崎政久は比例で当選したので自民党県連は全員当選した。選挙に勝つための選挙公約を掲げる方法は成功し、2010年の参院選と知事選、2012年の衆院選に自民党県連は勝利した。

しかし、選挙に勝つための選挙公約をするやり方が崩壊する時がやってくる。安倍政権の登場である。

 安倍政権の登場により、自民党県連の反マニフェスト選挙が破たんする。
安倍政権は普天間飛行場の危険性除去のために辺野古移設することを明言する。
その時の自民党幹事長だった石破氏は、
「普天間基地の危険性の一日も早い除去が原点でした。これは橋本総理がモンデール大使との間で、不可能とも思われた普天間基地の返還ということで全てが動き出しています。もう一度、この原点は何であったのか。世界で一番危険と言われる普天間基地、そしてその後の10年前、私は当時防衛庁長官でしたが、ヘリ墜落事故も起こりました。一日も早い危険性除去が原点だった。しかし、いろいろな事情があって、今日までそれが進捗を見ておりません。私どもの原点であった普天間基地の一日も早い危険性除去に、もう一度立ち戻ろうということであります」
と述べ、辺野古移設推進に動いたのである。
安倍政権の決意は強く、自民党県連の県外移設の公約にもメスを入れた。
石破前幹事長は一つの政党に辺野古移設と県外移設の違う公約があってはならないと言い、自民党県連の国会議員が県外移設の公約に固執するなら除名すると警告したのである。
石破幹事長の警告に五人の国会議員はあえなく陥落し、辺野古移設を容認した。これをきっかけに国会議員だけでなく自民党県連も辺野古移設を容認した。その時のことを私はブログに、
「石破幹事長が、辺野古移設を容認しないと除籍すると忠告したのは当然だ。実現不可能な県外移設を公約にするのは県民を騙している。沖縄の政治家が本当に悩み苦しむべきは県外移設が可能なのか不可能なのかを突き詰める時である。県外移設ができるかできないかの肝心なことには悩まないで、実現できない県外移設を安易に公約にして、石破幹事長に除籍すると言われて県外移設の公約を下ろすかどうかで悩み苦しむ沖縄の政治家の質の低さにはあきれるばかりであった。この場面は悲劇ではなく喜劇である」と書いた。

 自民党本部の圧力に屈した自民党県連は迷走する。自民党沖縄県連は那覇市内で県議による総会を開き、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設を容認する方針を決定した。それは180度の転換と言えるものである。照屋守之県連幹事長は「県外を求めれば求めるほど、普天間の固定化に向かう危機感があった」と述べたが、それは辺野古移設に方針を変えたためのいいわけであり、県外移設を主張してきたのに急に辺野古移設をする理由を言われても納得できるものではなかった。翁長政俊県連会長は会見で「仲井真弘多知事に対し、私たちの方針に沿うように働き掛けざるを得ない」と言い、本人は「会長として県外移設を主導してきたから、責任を重く感じる」として辞職した。
 仲井真知事は辺野古移設の決定に先立ち、県庁内で記者団に「まだ(方針転換が)分からないからノーコメント」と語った。自民党県連は混乱し、沖縄タイムスや琉球新報は自民党県連を厳しく批判した。

【琉球新報】<社説>
■その職を辞して有権者に信を問う決断を下すことが政党、政治家としての責任の取り方だと自覚すべきだ。自民党県連の翁長政俊会長が、米軍普天間飛行場の県外移設の公約を撤回し、名護市辺野古への移設を容認したことへの責任を取り、辞任を表明した。
県民の反発は想像以上に強かったのだろう。県連を主導し、県議の一人として最終局面まで「県外」にこだわった翁長会長の辞任は当然のけじめである。だが、県連会長辞任だけでは生ぬるい。
 「県外」の公約を下ろした国会議員、県議らは、その職を辞して有権者に信を問う決断を下すことが政党、政治家としての責任の取り方だと自覚すべきだ。
 沖縄の重大懸案をめぐり、最大の保守勢力が中央政府と対峙(たいじ)し、その屋台骨として「県外移設」が息づいてきた。党派を超えた「オール沖縄」の民意が強まり、歴史的な転換点を刻んだ意義は重い。
 だが、本土の無関心に安住した安倍政権と自民党本部は、根拠に乏しい「普天間固定化」を用いて恫喝(どうかつ)した。沖縄に犠牲を強要し、県連に屈服を迫る過程は「現代の琉球処分」と言われ始めている。………(2013年12月2日)
 仲井真知事は「県外移設のほうが早い」「使わなくなった民間飛行場に移設したほうがいい」などと県外移設を主張していたが、沖縄防衛局が提出した辺野古埋め立て申請を承認した。県外移設を選挙公約にしていた仲井真知事が辺野古埋め立て申請を承認したことに沖縄タイムスや琉球新報や革新は非難し、県民も失望した。
 県外移設を主張し続けた仲井真知事が知事選直前になって辺野古移設に転換したのは県民の信頼を裏切ったことになる。
【琉球新報】
 県知事選で仲井真前知事の選挙公約は県外移設から辺野古移設に変わった。
 仲井真前知事は選挙に勝つために「普天飛行場の5年以内閉鎖」を公約にするが、その効果もなく大敗する。
大敗した直後の私の感想と、江崎孝氏「狼魔人日記」を掲載する。

沖縄県知事選開票結果
当360,820 翁長 雄志 無新
 261,076 仲井真弘多 無現
  69,447 下地 幹郎 無新
   7,821 喜納 昌吉 無新
        =確定得票=
仲井真氏大敗する
10万表という県知事選歴史上最大の票差で翁長候補が当選した。
10万票近くの大差である。これだけの差となると沖縄2紙の応援だけが勝利の原因とは言えない。仲井真知事への県民の不信が強かったことを認めざるを得ない。自民党県連の内部分裂、仲井真知事への政治不信が敗北の原因だろう。
仲井真知事は県外移設を公約にし、埋め立て承認をするぎりぎりまで「県外移設のほうが早い」「使っていない民間飛行場に移せばいい」と主張していた。新しい移設先を探すより着々と準備を進めている辺野古移設のほうが早いのは目に見えている。それなのに県外移設が早いなどという仲井真知事の発言は嘘くさかった。嘘くさいことをそれもぶっきらぼうにいう仲井真知事への県民の信頼は落ちただろう。
辺野古埋め立て承認をした時に、仲井真知事は県民への謝罪もなければ承認せざるを得ないことの説明もなかった。県外移設を主張していながら辺野古埋め立てを承認したことは、仲井真知事は主張を180度転換したイメージを県民に与える。それなのに謝罪も説明もないのは県民不信を高めるたけである。仲井真知事の人気が落ちるのは当然であった。
歩けなくなり車椅子の生活を送ったのは高齢による健康不安を与えた。知事選で元気な姿を見せても健康不安を払しょくすることはできなかっただろう。
「辺野古移設を否定したことは一度もなかった」と言い、自分の主張を覆したことにはならないと仲井真知事は弁解したが、そんな弁解を理解できるのは仲井真知事支持者のなかのごく少数の市民であるだろう。ほとんどの県民は自己弁護ための言い訳に見えたはずである。
仲井真知事は県外移設のほうが早いと言い続けたのに、突然埋め立て承認をしたことはほとんどの県民には理解できなかっただろう。無責任な仲井真知事だと反感を持った県民が多かっただろう。
官僚出身の仲井真知事は県民を上から見下ろしているイメージが強い。話はぶっきら棒で独善的である。翁長氏は仲井真知事とは反対である。叩き上げの政治家である翁長氏は県民への説明は穏やかであり丁寧に分かりやすい。オール沖縄、アイデンティティーを繰り返す翁長氏は県民と寄り添っている政治家のイメージが強い。
10万票の差が出たのは仲井真知事と翁長氏の県民受けの違いが大きいと私は思う。(又吉康隆)

「マスコミにやられた」仲井真氏の本音 狼魔人日記日記

仲井真氏の真の敵はマスコミだ、と何度も書いた。
仲井真氏本人は、昨年暮れの「よい正月が迎えられる」と発言して以来、悪意を持って自分に襲い掛かるマスコミのネガキャンを見て、マスコミにいくら誠心誠意説明を尽くしても、さらに彼らの悪意を加速させるだけと判断。
それが今年3月県議会で詰め掛けたマスコミの前で、「(沖縄タイムス、琉球新報は)特定の団体のコマーシャルペーパーと聞いているので購読しない」という有名な発言をした。 
当時はまだ知事選立候補の話はなかったが、仮に3期を狙い知事選に挑戦する場合になっても、新聞のネガキャンは想定の上、マスコミと戦う仲井真氏の覚悟の表明だと考えられた。
ところが総大将の仲井真氏がマスコミと戦う覚悟で立候補したにも関わらず選対本部の指揮官たちは総大将の意図とは裏腹に相手候補の翁長氏よりむしろマスコミを恐れ、マスコミのネガキャンに真っ向から対決する指揮官は1人もいなかった。
それどころかマスコミの懐柔策を図るなど見当違いの戦略に終始し、結局はマスコミの嘘。捏造報道を拱手傍観する体たらくだった。
不退転の覚悟で知事選に臨んだ仲井真氏だったが、水鳥の音に逃げ惑う平家軍のように自陣の指揮官がマスコミの前に平伏してしまっては、仲井真陣営の敗北は当初から決まっていたのだろう。
                               「狼魔人日記」
 冒頭に引用した元自民党県連会長外間盛善氏の意見を見れば、自民党県連が辺野古については沖縄2紙、革新に近い考えであることが分かる。自民党県連は米軍基地が沖縄にないほうがいいと思っているのも革新と共通している。
 自民党本部の圧力によって辺野古移設に変更させられたのは自民党県連に大きな混乱を起こし、県知事選では一枚岩になれなくて、10万票の大差で敗れた。
 知事選だけではなく、衆議院選の小選挙区でも自民党県連は全滅する。
 
沖縄選挙区当選者
【1区】
当選・ 赤嶺 政賢(66)共産・前5
比例・国場幸之助(41)自民1 
比例・ 下地 幹郎(53)維新・元4
【2区】
当選・照屋 寛徳(69) 社民・前4
比例・宮崎 政久(49) 自民・前1、
【3区】
比例・比嘉奈津美(56) 自民・前1、
当選・玉城デニー(55) 生活・前2
【4区】
当選・仲里 利信(77) 無所属新
比例・西銘恒三郎(60) 自民・前3

小選挙区では全員落選したが、九州比例区では全員が当選した。安倍政権の人気が4人を当選させたということになる。
県外移設から辺野古移設に変更したために全員が小選挙区で敗れたが、辺野古移設を推進している安倍政権の人気が比例で当選させたことになる。

自民党県連は全敗したことをどのように受け止めるのか、どのようにして復興していくのか。

県外移設から辺野古移設に公約を変えた自民党県連は革新と手を組んだ翁長知事陣営に完敗した。選挙に勝つための選挙公約をやってきた自民党県連は常勝してきたが安倍政権の圧力でマニフェニストの選挙公約をした途端に全滅した。
 勝ったのは当選するための選挙公約をやった翁長知事陣営であった。翁長知事は実現が不可能である自民党県連が公約にしていた県外移設を主張し、これまた実現が不可能な閉鎖・撤去を主張している革新と手を組んで辺野古移設反対を選挙公約して県知事選も衆議員選も大勝した。
翁長氏が知事に当選した現在、翁長氏のほうに移りたい自民党県連の政治家は多いかも知れない。しかし、政権を握っているのは自民党である。政権党と離れるのは政治家としてマイナスになるから自民党県連に残っている。自民党政権と翁長知事とのはざまで悩んでいる自民党員も少なからず居るだろう。翁長雄志という強力なリーダーを失い魂を抜かれた状態が現在の自民党県連なのかも知れない。翁長知事は自民党県連の大黒柱的な存在であった。翁長知事が離れ、選挙で大敗した自民党県連は存続の危機にあるという。もしかすると壊滅するかも知れないという噂もある。でもそんなに悲観的になることはないと思う。今までの選挙に勝つためのまやかしの選挙公約から決別し、実現可能な公約を掲げていけば自民党の復興は確実である。

翁長知事は選挙に勝つために革新と手を組み辺野古移設反対を選挙公約にして選挙に勝った。辺野古移設反対の公約は過去の自民党県連のようにうやむやにはできない公約である。翁長知事は辺野古飛行場建設阻止が宿命づけられている。翁長知事は「あらゆる手段で辺野古基地建設を阻止する」と公言し、あの手この手で辺野古移阻止をしようとしている。
しかし、翁長知事があらゆる手段を用いて辺野古移設を阻止しようとしても阻止するのは不可能である。辺野古移設は政治決着し、公有水面埋め立て申請は承認されたからだ。翁長知事が辺野古移設を阻止するには安倍政権に移設を断念させなければならないが、移設推進を進めている安倍政権が断念することはない。もうひとつは国会議員の過半数が辺野古移設に反対し、予算をストップすることだが、衆議院の政党議員数を見ると、

自由民主党 291 人
民主党・無所属クラブ 72 人
維新の党 40 人
公明党 35 人
日本共産党 21 人
社会民主党・市民連合 2 人
生活の党と山本太郎となかまたち 2 人
次世代の党 2人
無所属 10 人
合計 475 人

辺野古移設に反対している衆議員は475人の内のたった日本共産党、社会民主党、生活の党と山本太郎となかまたちの25人である、辺野古移設に賛成している議員が圧倒的多数である。辺野古移設予算をストップすることは不可能である。
大衆運動が安倍政権を脅かすほどに高まれば移設阻止の可能性があるかも知れないが、5・17日の「戦後70年止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」は主催者発表でたった35000人であった。2012年9月9日のオスプレイ配備反対県民大会は主催者発表で10万人余であった。それでもオスプレイは配備された。5・17県民大会参加者は半分以下である。県民大会としての権威はかなり低い。たった35000人の県民大会では安倍政権を脅かすことはできない。
キャンプシュワブに集まる反対派は10人から100人近くであり横ばい状態である。辺野古移設反対運動がこれ以上盛り上がることはないだろう。

 翁長知事は辺野古移設を阻止することはできない。それははっきりしている。自民党県連は翁長知事流の政治から決別し、再出発をするべきである。

苦笑するしかない翁長知事の「計画断念求める」

「日米両国は『品格のある日米安全保障体制』でアジアや世界の安定と平和に力を合わせてほしい。そのために沖縄の基地問題を解決しなくてはならない」と翁長知事は語り、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県内移設計画断念を米政府関係者らに求める考えを示した。
「毎日新聞 6月1日」
支離滅裂な話である。理屈が全然繋がっていない。
 アジアや世界の安定と平和のために沖縄の基地問題を考えるなら、沖縄の民意とは関係なく軍事戦略上について考えなければならない。ということは普天間飛行場の辺野古移設問題とは関係がない。それなのに県内移設計画断念を米政府関係者らに求めるというのだ。
 米政府は軍事戦略上普天間飛行場は必要と思っている。米政府にとって軍事戦略上支障がなければ辺野古移設でも県外移設でも構わない。日本政府が辺野古移設を決めたから米政府は賛成しただけである。米政府に県内移設断念を求めても米政府は答えることができない。移設は国内問題であるからだ。
 国内問題に口出しを控えるのが政府間の常識である。
 辺野古移設は米政府も最終的に了承した。翁長知事が出る幕はもうない。

翁長知事は、沖縄の基地負担について「過重で県民の自由、人権、民主主義を保障できない」と指摘。「日米安保体制は民主主義という共通の価値観を持つ国々との連帯で中国に対抗しようとしている。自国民にそれらを保障したうえで連帯の輪を作ることが品格のある日米安保体制だ」と主張した。
     「毎日新聞 6月1日」
 笑える。沖縄は日本の県であり、日本の法律が適用されている。県民の自由、人権、民主主義は保障されている。米軍が県民生活を弾圧したことはない。民主主義国家米国の軍隊だから当然のことである。米軍基地の被害もほとんどない。米兵の交通違反や犯罪は一部の米兵がやったことであり県民への弾圧でもなんでもない。交通違反や犯罪は県民もやっている。それと同じだ。
 「県民に過重な負担をかけている」いう表現は許されるとしても「県民の自由、人権、民主主義を保障できない」は許されない。沖縄には米軍基地があるために日本の法律が適用されていないということになるからだ。とんでもない理屈である。
 沖縄は民主主義国家日本の県であり日本の法律が適用されている。県民の自由、人権、民主主義は保障されている。
 
 普天間飛行場の固定化を避けるための代替案については「日本政府が第一義的に考えるべきだ」と語った。
      「毎日新聞 6月1日」
 とうとう県外移設を口にすることができなくなった翁長知事である。
 県知事選の時、仲井真前知事が県外移設から辺野古移設に変更したことに対して、仲井真前知事を非難し、「私はぶれない」と言って県外移設を主張したのが翁長知事であった。ぶれないことを強調していた翁長知事が県外移設を言わなくなった。4月5日の菅官房長官との会談からである。県外移設を訴えるべき相手に県外移設を訴えることをしなかった翁長知事は、「代替案を出せというのは政治の堕落である」と分けの分からないことを言った。
 翁長知事が主張してきた代替案は県外移設であり、革新の代替案は閉鎖・撤去である。革新はぶれないで閉鎖・撤去を主張しているが、翁長知事はぶれて、「辺野古移設が唯一である」と主張した政府に米国に渡った翁長知事は代替案は「日本政府が第一義的に考えるべきだ」と言ったのである。頭がおかしくなっのではないかと思える発言であるが、それほどに追い詰められて県外移設を言えなくなった翁長知事が苦し紛れに言ったのだ。

 具体論ではなにも言えなくなった翁長知事は抽象論に逃げている。
『品格のある日米安全保障体制』には品格とはなんですかと聞く気は失せて、ただただ笑ってしまうだけだ。

2015/05/28 に公開


平成27年5月27日水曜日に放送された『沖縄の声』。本日は、キャスターの又吉康隆­氏に「辺野古移設問題を故意に米軍基地問題へ転換している」、「落合恵子・詩「沖縄の­辞書」を批判」の2つのテーマについてお話いただきます。



次回放送は平成27年6月10日水曜日です。


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