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2015年05月19日

民主主義ルールに追いつめられる翁長知事


「翁長知事・県議会は撤回せよ謝罪せよ」
「一九七一Mの死」
4月30日より県内書店で発売しました。

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沖縄教販
○県外は書店で注文できます。
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(株)地方小出版流通センター
  
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民主主義ルールに追いつめられる翁長知事

鳩山前首相は「最低でも県外移設」を公約し、県外移設場所を探した。鳩山由紀夫内閣時代に検討された移設案である。

1 九州移設案(新田春・築城基地移設案)
2 嘉手納基地統合案
3 キャンプハンセン移転案
4 関西国際空港移転案
5 馬毛島案
6 伊江島案・下地島案
7 自衛隊基地への移設案
8 勝連沖埋立案
9 グアム・テニアン島案
10 キャンプ・シュワブ陸上案
11 メガフロート案
12 辺野古杭打ち桟橋案
13 徳之島案
14 九州ローテーション案
15 無条件撤去論

 15の案が検討されたが、すべてが実現困難であるという結果が出た。県外移設が不可能であることを痛感した鳩山元首相は再び辺野古移設に戻ったのである。
 安倍内閣が辺野古移設が唯一の方法と言っているのは過去にあらゆる検討をした結果である。
 翁長知事は菅官房長官が、普天間飛行場の危険性を除去する唯一の解決策であると述べたことに対して「かたくなな固定観念で、大変遺憾だ」と語っているが、翁長知事は鳩山政権時代に普天間飛行場の解決策を検討した事実を無視している。


2010.5.23 鳩山首相が再来県し、名護市辺野古への移設を明言
2010.5.27 全国知事会議で鳩山首相が訓練分散を要請
2010.5.28 日米両政府が辺野古崎地区とこれに隣接する水域を移設先とする共同声明発表
2010.6.4 鳩山氏が首相退陣、菅直人氏が首相に就任し、日米合意の踏襲を明言した。
 この時に辺野古移設が正式に決定したのである。

 政府が最初に辺野古移設を提案した時、辺野古区民、名護市長、名護市議会、県知事の4者が反対していた。県側の提案を政府が拒否したこともあった。お互いの要求と妥協を模索しながら合意に達したのだが、民主党政権に代わると、合意を無視した鳩山元首相は県外移設を主張した。しかし、本土では普天間飛行場を受け入れる自治体はなく鳩山首相の県外移設はとん挫した。そして、再び辺野古移設に戻った。その時に初めて辺野古区民、名護市長、県知事、日本政府、米政府の5者が同意した。これで辺野古移設が決定したのである。

 県外移設が不可能であると知った鳩山元首相が辺野古移設に戻ったにも関わらず、翁長知事は県外移設を主張したのである。
 実現不可能なことを平気で主張するのが沖縄の政治である。

 辺野古移設に決まったので国は、県から埋め立て承認を得るために公有水面埋立法に則った書類作成に入った。
2011年12月28日から埋め立て申請の手続きは始まっていた。防衛局は県を納得させるために何度も補正書を提出した。
 公有水面埋立法の重要なポイントは環境アセスメントである。

環境アセスメント
開発事業の内容を決めるに当たって、それが環境にどのような影響を及ぼすかについて、あらかじめ事業者自らが調査、予測、評価を行い、その結果を公表して一般の方々、地方公共団体などから意見を聴き、それらを踏まえて環境の保全の観点からよりよい事業計画を作り上げていこうという制度です。 【調査】 予測・評価をするために必要な地域の環境情報を収集するための調査を行います。 【予測】 事業を実施した結果、環境がどのように変化するのかを予測します。


◇辺野古アセス=米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の代替施設を同県名護市辺野古に移設する計画を巡り、防衛省は07年8月に調査方法などを記した「方法書」を沖縄県に送って手続きを始めたが、鳩山政権で移設先が再検討されたため、最終段階の「評価書」作成を中断した。11年6月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、辺野古移設を再確認し、防衛省は評価書を年内に沖縄県に提出する方針で作業を進めてきた。

提出後は、
(1)知事は埋め立て部分は90日以内、飛行場部分は45日以内に意見を提出
(2)防衛省は必要に応じて評価書を修正
(3)評価書が確定すれば公告、1カ月間の縦覧を経てアセスは完了。防衛省は12年6月ごろ辺野古沿岸の埋め立て許可を知事に申請する方針。

2011年12月28日未明に沖縄防衛局は普天間基地移設事業に対する環境アセスメント評価書沖縄県庁の守衛室に運び込んだ、。
1月4日、沖縄県は評価書の受理にあたって、速やかな情報開示と、市民の意見聴取の機会の提供を約束した。その後、評価書の重大な不備も発覚した上に、評価書は未だその内容が公開されていません。1月13日、NACS―Jと沖縄・生物多様性市民ネットワークは共同で、沖縄防衛局に対し、速やかに評価書の内容を開示するよう求める要望書を提出しました。また、16日には、NACS-JとWWFジャパン、沖縄・生物多様性市民ネットワークが沖縄県対し、住民・市民の意見を知事意見に反映させるための具体的なスケジュールや手続きを、沖縄県が早急に示すよう要望しました。
(追記:1月19日付けで沖縄防衛局のWebサイトで評価書の全文がPDFファイルで掲載されました。)
 「日本自然保護協会」
 2010年6月4日に辺野古に移設することが決まったので、沖縄防衛局は2011年に県に環境アセス評価書を提出し、公開もした。環境アセス評価書は日本自然保護協会など自然環境専門家の鋭い監視の目にも触れたのである。

防衛局、県に補正書 普天間環境影響評価書
2012年12月19日

沖縄防衛局は18日、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた環境影響評価(アセスメント)を補正した評価書を県に提出した。アセスの手続きは事実上終わった。政府は今後、仲井真弘多知事に辺野古の埋め立て承認を申請する。県は文書に不備がないかを19日以降、確認した上で受理する。防衛局は補正した評価書の公告・縦覧を県や名護市、宜野座村、防衛局の各庁舎など5カ所で行うことで調整する。年内にも始まり、期間は1カ月。仲井真知事は衆院選直後で、新政権の発足前の補正評価書の提出について「想定外」と報道陣に述べた。
公告・縦覧終了前に埋め立て承認を申請することは可能だが、防衛省は「一般的には公告をした後となる」としている。
補正された評価書は、オスプレイを含む航空機騒音は、評価書にはなかったホバリングやエンジン調整音を加えた騒音予測調査により、辺野古漁港でうるささ指数(W値)が環境基準値を超える71・3となった。調査全15地点でW値が評価書の値から増加した。
国の特別天然記念物・ジュゴンについては、個体群存続可能性分析(PVA)による予測を実施、100年後の絶滅確率を算出した。「繁殖率や雌の初期個体数による絶滅リスクの差は比較的大きい結果となったが、事業実施前後の絶滅リスクに差は認められなかった」と結論付けた。
防衛省が確認しているジュゴン3頭の自然絶滅のリスクの大きさと比較し、事業による環境収容力の低下が与える絶滅リスクへの影響を過小に評価している。
県によると、防衛局は18日午後3時半ごろ、職員約20人が環境政策課と海岸防災課などに約20箱の補正評価書を運び込んだ。同4時ごろ、名護市と宜野座村にも補正評価書を届けた。
仲井真知事は県条例と法令に基づき、今年2月と3月に防衛局へ「環境保全は不可能」と結論付け計579件の不備を指摘する知事意見を提出した。補正で知事意見がどう反映されたかが焦点となる。
  「琉球新報」
2012年12月18日には県の疑問に答えた補正された評価書を提出している。

沖縄防衛局の提出した評価書に対して日本自然保護協会と、沖縄・生物多様性市民ネットワークは意見書を提出した。
2013年02月13日/ 辺野古アセス

2月12日、日本自然保護協会と、沖縄・生物多様性市民ネットワークは沖縄防衛局に辺野古アセス補正評価書へのそれぞれの意見書を提出しました。意見書の提出には、日本政府への真摯な対応を求め、これまで辺野古アセスに取り組んできた多くの団体の方が連名してくださいました。

連名の文書と沖縄BDの意見書は下に貼り付けましたのでごらんください。
日本自然保護協会の意見書と理由書はこちら
→「普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価書(補正後)」への意見

また、あらかじめ沖縄防衛局に提出した補正評価書への質問に対する回答について、やりとりを行いました。両団体で用意した質問は下にはり付けておきます。
この意見書についての解説と、沖縄防衛局とのやりとりについては、後日ブログで報告いたします。また2月13日14時からの記者会見でも要旨をお話しするつもりです。

2013(平成25)年2月12日

防衛大臣 小野寺五典 殿
沖縄防衛局長 武田博史 殿
環境大臣  石原伸晃 殿
沖縄県知事 仲井真弘多 殿
     

沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団
沖縄環境ネットワーク
沖縄から基地をなくし世界の平和を求める市民連絡会
ヘリ基地反対協議会
ヘリ基地いらない二見以北十区の会
ジュゴン保護キャンペーンセンター
ジュゴンネットワーク沖縄
JUCON(沖縄のための日米市民ネットワーク)
北限のジュゴン調査チーム・ザン
世界自然保護基金ジャパン
沖縄・生物多様性市民ネットワーク
公益財団法人 日本自然保護協会


辺野古埋め立て申請 国が県へ文書提出

沖縄防衛局は22日午後3時40分、米軍普天間飛行場の名護市辺野古沖への移設に向けた公有水面埋め立て承認申請書を名護市の県北部土木事務所に提出した。申請書には埋め立て水域の漁業権を持つ名護漁業協同組合の同意書も添付した。県は週明けから申請書類を確認し、不備がなければ来週内に受理する。

仲井真知事が県外移設を求めてきた中での申請書提出について、「実現可能性(の検討)を抜きに、決めたから実行できるというのは普通考えられない」と日米両政府を厳しく批判。承認するかどうかの判断については、環境影響評価書で指摘した点の修正状況なども踏まえて総合的に判断する姿勢を示した。
 「琉球新報」2013年3月23日

2013年12月27 日
仲井真弘多知事は27日午後3時すぎから、那覇市の知事公舎で記者会見し、政府が米軍­普天間飛行場の移設に向けて申請した名護市辺野古沿岸部の埋め立てを承認したことを正式に発表した。

 ボーリング調査に入るまで、政府は徹底して民主主義ルールの手続きを積み重ねてきた。民主主義ルールを守るなら辺野古移設反対を選挙公約にはできなかった。
 しかし、翁長知事は辺野古移設反対を選挙公約にした。それは民主主義ルールに反した行為である。民主主義ルールに反した行為は民主主義ルールによって強烈なしっぺ返しをされるだろう。

江戸幕府時代に米国と結んだ不平等条約の日米修好通商条約は江戸幕府を倒して新しい明治政府になつても引きつがなければならなかった。破棄することはできたがそうすれば米国との国交が断絶し、戦争が勃発したかもしれない。
明治政府は外国との交渉を進めて条約を改正する以外に方法はなかった。それが法治主義である。議会制民主主義は法治主義の上に成り立っている。

辺野古移設は地元の辺野古、名護市長、県知事が2010年に同意したから決まったといういきさつがある。その同意を破ることはできない。4年後に辺野古移設に反対する知事が登場したからといって辺野古移設を中止することはできるはずがない。

東京電力福島第1原発事故による除染の廃棄物を保管する国の中間貯蔵施設について、福島県の内堀雅雄知事は25日、福島県庁で望月義夫環境相と竹下亘復興相と会い、搬入容認の考えを正式に伝えた。受け入れに賛成している建設予定地の大熊町の渡辺利綱町長、双葉町の伊沢史朗町長も同席した。
翁長知事の主張する民主主義によると、建設準備が進んでいる最中に知事選挙があり、中間貯蔵受け入れに反対する知事が当選すれば、受け入れを中止することになる。
前知事が正式に国と約束しても、次の知事が反対すれば約束が反故できるというのが翁長知事の民主主義である。それでは約束をしても信用することができない。国と地方との信頼関係はなくなり、不信感だけが高まっていく。
国の事業は大規模であり、工事期間は何年もかかる。工事賛成の知事の時に工事が決まり着工しても、工事期間中に工事反対の知事に代われば工事が中止されるのなら国は事業が行えない。国の事業はめちゃくちゃになる。
そうならないために民主主義ルールがある。民主主義ルールは中央政府のためだけにあるのではない。地方自治体のためにもある。
国の要求を地方自治体は断ることができる。辺野古移設も最初は地元の辺野古、名護市長、県知事は反対していた。だから政府は辺野古飛行場建設をすることができなかった。政府は辺野古区民、名護市長、県知事と妥協と説得を積み重ねた上で三者の同意を得たのである。同意を得たから辺野古飛行場建設計画を始めたのである。

そのような状況の中で、翁長知事は辺野古移設反対を選挙公約にして立候補した。翁長知事の選挙公約は2010年の国と沖縄の約束を反故にするものであった。しかし、国と地方自治体が約束したことを一方的に知事が反故することはできない。それが民主主義ルールである。民主主義ルールを破り辺野古移設反対を選挙公約にしたのが翁長知事である。
当選し、辺野古移設反対が民意であると主張しあらゆる手段で辺野古移設を阻止すると宣言した翁長知事である。それは民主主義ルールに唾するものである。
ただ、民主主義ルールを破りながら県知事選勝利した翁長知事であるが、知事である以上は民主主義の法律を守らなければならない。翁長知事は民主主義ルールの中で政府と闘わなければならない。民主主義ルール=法律の中で闘っている翁長知事は窮地に追いやられている。

○県知事になった当時は県外移設を主張していた。
○菅官房長官との会談では一言も県外移設を主張しなかった。
○翁長知事の辺野古移設の代替案は県外移設であったはずなのに、菅官房長官には、県に代替案を出せというのは政府の堕落である、と意味不明の発言をした。
○5月17日の県民大会では辺野古移設を阻止することが普天間飛行場の唯一の解決である、とまたまた意味不明のことを発言した。

政府は辺野古移設が普天間飛行場の危険を除去する唯一の方法であると話したのであり、県に辺野古移設に反対なら代替案を出せとは一言も言っていない。それなのに政府が代替案を出せと要求したように言ったのは翁長知事が県外移設を言えなかったことが原因している。
なぜ、翁長知事は県外移設を言えなかったか。それには理由がある。もし、翁長知事が県外移設を政府に要求すると、政府は鳩山元首相時代に検討した県外移設候補地がことごとく移設できなかった理由を詳しく説明して、県外移設が不可能であると主張し、翁長知事は政府の主張に反論できない恐れがあったからである。
その恐れがあるから翁長知事は県外移設を要求することができなかった。しかし、代替案を出さなければ普天間飛行場が固定化することを認めることになるから辺野古移設反対の正当性を主張することができない。代替案を出せない翁長知事が苦肉の策としてひねりだしたのが「県に代替案を出せというのは政府の堕落である」の論である。政府に要求される前に先手を打ったのだ。翁長知事は政府の堕落を言いたかったのではなく「県に代替案を求めるな」と言いたかったのである。

代替案を要求するのは政府の堕落だと先手を打った翁長知事だったが、それでも安心はできなかった。だから、辺野古移設阻止が普天間飛行場の唯一の解決だと17日の県民大会で言ったのである。
辺野古移設を阻止すれば自動的に普天間飛行場問題が解決できるとは誰も考えていないだろう。翁長知事は追いつめられているから誰も考えない意味不明の発言をしたのだ。
県内レベルの政治では敵なしの翁長知事であったが、国レベルの政治では翁長流政治は通用しなくなった。追いつめられて悪あがきをして意味不明な言動をしているが今の翁長知事である。



翁長知事は代替案を県に要求するなと言い、県民大会では辺野古移設阻止が唯一普天間飛行場問題を解決すると発言したが、大会主催者は普天間飛行場の閉鎖・撤去を決議し政府に要求すると宣言した。
普天間飛行場問題の解決方法については翁長知事と大会主催者は違う。違う主張が同居しているのが辺野古移設反対派集団である。

2007年県民大会・・11万人
2010年県民大会・・9万人
2012年県民大会・・10万人

今回の県民大会は3万5000人である。過去の県民大会に比べて3分の1余である。勢いは衰えていると言えるのではないか。


日本ではプロレタリア革命は終わっている

日本共産党は議会制民主主義の体制を堅持するといいながら、憲法改定を断固許さないと主張し国民投票を否定している。国民投票を否定する民主主義は民主主義ではない。共産党の目指す民主主義は共産党が許容できる範囲内の民主主義あって本当の民主主義ではない。
日本は独占禁止法があるから独占資本はないが、共産党は大企業を独占資本と位置付けて、さまざまな民主的規制を行うと宣言している。共産党のいう民主的規制とは実際は国家による規制のことであり、大企業を国家の管理下に置くことである。つまり国有化にすることである。
大企業・資産家優遇税制の見直しを財源とした社会保障の充実というのも経済界を押さえて政治家が社会を支配するためである。
ブルジョア階級がプロレタリア階級を支配している社会が資本主義国家であるとマルクス・レーニン主義の共産党は見ている。だから、日本が民主主義国家であっても本当はブルジョア階級が日本を支配していると信じている。ブルジヨア階級の支配を抑制しようと考えているのが大企業(独占資本)へのさまざまな民主的規制と大企業・資産家優遇税制の見直しである。そして、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会=共産主義国家の手に移すのである。共産党は社会主義変革で、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかると述べているが、それは共産党独裁支配の始まりである。

 社会は、政治家、経営者、労働者に分かれているが、共産党の目指す民主主義は経営者も労働者も押さえつけ政治家が支配する民主主義である。それは民主主義ではない。
 戦後、徳田球一の暴力革命路線が失敗した日本共産党は柔軟路線に転化し議会制民主主義を受け入れた。ヨーロッパでは民主化運動が共産党政権を倒した。ますます民主主義を受け入れざるを得ない共産党であったが、共産社会という理想的な未来社会を築く共産主義のプライドは強く、民主化運動が共産主義を乗り越えていることを自覚することはできなかった。

 有名な「共産党宣言」が出版されたのは1848年である。今から167年も前である。資本主義発展の象徴的な存在である自動車のフォード・モーターが誕生したのが1904年である。共産党はそれよりも56年以上も前に誕生したのである。資本主義経済がまだ発展していなかった時代に共産党は誕生したのだ。共産党の理論が古臭くなつていて当然である。
 共産党宣言をWEBで調べて意外なことがわかった。マルクスの時代には共産党は存在しなかったというのだ。
「共産党」という表題
「共産党」という言葉は現在では20世紀コミンテルン以来の特殊な政党のことを指すが、19世紀のマルクスの生きた時代の文脈においては、様々な思想的傾向の人々で構成される労働者党は存在したが、共産主義者だけで構成されるいわゆる「共産党」という政党は存在しなかった。1848年2月までロンドンに存在した「共産主義者同盟」はのちの社会民主主義勢力のような近代的な議会政党でもなく、当然20世紀的な国民政党でもなかった。当時のそれは議会ではなく直接行動によって社会革命を企図する秘密結社であった。このため、現在ではこの文書を『共産主義者宣言』『共産主義者同盟宣言』『共産主義派宣言』と訳すべきとする見解がある(石塚正英、篠原敏昭、大藪龍介、金塚貞文他)。
 マルクスの時代には明確な共産主義理論はなかったし、共産党もなかった。共産主義革命といえるものがレーニンが中心となって起こしたロシア革命である。レーニンは「国家と革命」を書いている。そして、共産党、革マル派、中核派は「マルクス・レーニン主義」である。もしかするとプロレタリア革命論はレーニンがつくったのだろうか。調べる必要がある。

ロシア革命は資本主義が発達していないロシアで起こった。プロレタリア革命と呼べるものではなかった。レーニンの死後、政権を握ったスターリンは武力で周囲国に侵略して強引に社会主義国家を広げた。ソ連はスターリンが武力でつくり上げたものであり、労働者の蜂起によってつくり上げた国家ではなかった。
 労働者が蜂起してプロレタリア革命を起こしプロレテリア国家をつくったことは地球の歴史上一度もなかった。地球上でプロレタリア革命が起こったことはないしプロレタリア国家が設立されたこともない。

 労働者が蜂起し、国家を倒したことはあるが、それはプロレテリア革命とは呼ばれず民主化革命と呼んでいる。社会主義国家であった東ヨーロッパの国々で民主化を求めて学生が立ち上がり、文化人が立ち上がり、労働者が立ち上がり、市民が立ち上がった。そして、共産党一党独裁国家を倒し、民主主義国家を樹立した。これこそが本当のプロレタリア革命だったのだ。
 

今の日本はプロレテリア革命をも成就した議会制民主主義国家である。
今の日本は経営者が労働者を支配していないし、政治家が支配している国でもない。民主主義国家日本では国民に選ばれた政治家は労働者の支配者ではなく経営者と労働者の間に入った調整役である。その象徴的な存在が政労使会議である。

平成27年4月2日に経済の好循環実現に向けた政労使会議が開かれた。目的は「経済の好循環実現であり、経営者と労働者代表は対等な関係であり、政治家は調整役である。

 平成27年4月2日、安倍総理は、総理大臣官邸で「経済の好循環実現に向けた政労使会議」に出席しました。

 会議では、価格転嫁や支援・協力についての取組策及び、サービス業の生産性向上に向けた取組策が決定されました。

 総理は、会議を踏まえ次のように述べました。

 「今後、景気回復の風が全国津々浦々に届くかは、中小・小規模事業者の皆様に、賃上げに踏み込んでいただけるか否かにかかっていると思います。昨年12月の政労使において、原材料費上昇の価格転嫁の取組について合意をし、官民を挙げて、取り組んでまいりました。本日、報告を受けた経産省の調査では、受注側の7割以上が、一部を含め、価格転嫁が受け入れられたとするなど、改善の傾向が見られます。
 春闘の序盤の結果が出た機会をとらえて、夏に向けて本格化する中小企業の賃上げ環境の整備をもう一歩進める。このため、本日、価格転嫁策とサービス業の生産性向上策を決定いたしました。
 経団連には、価格転嫁対策で、ギリギリの御努力をいただきました。原材料費や需給の変動に伴う損益の分担方法を発注元と取引先があらかじめ合意することなど、会員企業に呼びかけていただく、政府側も14業種のガイドラインを改正し、望ましい取引慣行を示して、下請け代金法の取締強化を図っていく。
 今年度、上半期に、追加的に約500社の大企業への集中的な立入り検査も実施してまいります。サービス業の生産性向上については、小売、飲食、宿泊、介護、トラック運送等の分野において、製造業との異業種連携による生産性向上に向けた官民合同の協議会を分野ごとに立ち上げていくことといたします。甘利大臣と各事業所管大臣に枠組み作りをお願いをしたいと思います。
 本日は似鳥社長、そして坂本社長にゲストとしてお越しをいただきました。逆境において、生産性を向上していくために、先取りして賃金を上げていく。こういう取組を是非、全国として一緒にやっていただきたいと思いますし、また、坂本社長には、なかなか収入が増えない飲食業界の中にあって、値段を下げながらもそこで働く人たちの給料を上げていくという画期的な取組によって大いに成功をしていただきました。二人の取組は日本の経済にふさわしい方向を示してくれると、大いに勇気を与えていただくという取組であるとこのように思います。改めて御礼申し上げたいと思います。
 本日の政労使決定で環境は整ってまいりました。中小・小規模事業者の皆さんには、好循環拡大に向けた賃上げについて、最大限の御努力を図っていただくよう、要請をさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。」

 直接生産者も労働者であり、経営者も労働者であるのだ。労働の質が違うだけだ。政労使会議は経済発展に必要な三者の会議であり、画期的な会議である。労働争議もストに発展する前に政労使会議で解決できるようになればいい。

 日本ではプロレタ革命は終わっている。共産党も革マルも二段階革命論を放棄するべきである。そして、議会制民主主義の中で直接生産者の労働者の権利や生活を向上させる闘いをしていくべきである。


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この記事へのコメント
>>県知事が1910年に同意したから決まったといういきさつがある。

おはようございます。

>1910は当たってますか?
Posted by 義挙人 at 2015年05月20日 10:07
 
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