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2015年02月14日

戦場ジャーナリストの偽ヒューマニズム

戦場ジャーナリストの偽ヒューマニズム


 戦場カメラマンが一躍注目されたのがベトナム戦争であった。ベトナムの戦場から送られてくる生々しい写真に多くの読者はくぎ付けになった。
 戦場の悲惨な一枚の写真は悲惨を伝える1000の文字よりも何倍も効果があった。
 新聞社などの民間のマスコミはカメラマンや記者をどんどんベトナムに派遣して、ベトナム戦争写真報道は過熱した。

 報道の自由を認めている米政府は米軍が民間ジャーナリストの身の安全を守り、自由に取材させた。
 しかし、米政府が予想していなかった報道が増えた。彼らは戦争の残酷さを米軍や南ベトナム政府が制圧している地域で取材したから、戦争批判の報道は米軍への批判になっていった。
 戦場ジャーナリストは米軍と敵対しているベトコンや北ベトナム軍の取材はできないから、彼らの残忍さが写真に撮られることはなかったし、ベトコンからの最前線の記事を報道することもなかった。米軍の不祥事を報道するのがベトナム戦争報道になった
 ベトナム戦争反対運動も報道の影響を受け、ベトナム戦争反対の目は米軍に向けられるだけで、ベトコンや北ベトナムに向けられることはなかった。
 戦場ジャーナリストは民主主義国家であり、報道の自由を保障している米国の側から写真を撮り記事を書き、報道の自由がないベトコンや北ベトナムの側からは取材をしないために両方を平等に見る視点からではなく片方の視点から見てしまう矛盾を抱えていた。
 その事実を認めることを戦場ジャーナリストは避けている。自分の見たことが戦争の真実であると主張する。そこから彼らの矛盾した思想が生まれ、主張が生まれた。

 米軍はアフガンに侵攻しタリバン政権を倒した。米軍のアフガン侵攻を戦場ジャーナリストたちは非難した。理由は弱者である女や子供が犠牲になるのが戦争であり、米軍がアフガンに進攻すれば女や子供が犠牲になるからという主張で反対したのである。

 日本の戦争ジャーナリストはタリバン社会に入って取材することはできないし写真を撮ることもできない。だから彼らはタリバンには興味がない。取材ができる米軍に興味があり、米軍の誤爆による女や子供の犠牲に大きな関心を持つのである。
 タリバンが罪のない多くの人たちを処刑したことや、女性の権利を一切認めない悪魔の集団であることを彼らは批判しない。米軍のミスを見つけて批判するのに執心している。

 米軍はタリバン政権を倒しアフガンの民主主義国家樹立に貢献した。ところがそのことにも戦場ジャーナリストは関心がない。
 
アフガン難民は700万人以上であった。国連はアフガン難民を救うための援助を世界に訴えた。黒柳徹子さんも非難キャンプの現場から援助を訴えた。戦場ジャーナリストも戦争の一番の犠牲者である避難民援助を訴えた。日本が避難民受け入れに消極的であるのを批判した。
しかし、避難民を本当に救うことができるのは国連ではないし、戦場ジャーナリストでもない。むしろ、国連や戦場ジャーナリストは避難民を本当に助けることをしていない。
避難民が本当に望んでいるのはなんだろうか。世界からの援助で非難キャンプで生活することか、それとも見知らぬ外国に移民することか。
そうではない。彼らが一番望んでいるの住み慣れた故郷に戻って平穏な生活を送ることだ。
アフガン難民の本当の希望を実現したのは国連ではない。戦場ジャーナリストでもない。それは米軍だ。

2001年末までに、およそ500万人のアフガン難民がパキスタンに避難していた。同じ頃イランには240万人の難民が避難していた。両国を合わせると難民の数は740万人にも上った。
米軍がタリバンを制圧し、アフガン戦争が終結して平穏になった2002年初頭から国連難民高等弁務官事務所を通じて450万人のアフガン難民がイランとパキスタンから本国アフガニスタンへ送還された。

難民がアフガンに帰ることができたのは米軍がタリバンを掃討してアフガニスタンに平和が戻ったからである。
米軍批判を繰り返す戦場ジャーナリストは米軍を批判するがゆえに米軍が戦争難民を本当に救った事実を無視している。
彼らには本当の平和主義、平等、人権、そして民主主義の思想が欠落している。欠落しているのに自分たちのほうが平和主義であり高い人権意識があると錯覚している。日本の戦場ジャーナリストやジャーナリスト、そして日本の平和主義者たちは見せかけの軽い思想しか持っていない。


「見捨てられる命、不平等がテロをうむ -後藤健二さんらのシリア人質事件を受けて私たちに何ができるのか?」

をテーマにした集会が開かれた。ジャーナリストや避難民支援者など8人のパネラーが意見を述べている。

井上伸 | 国家公務員一般労働組合執行委員、国公労連書記、雑誌編集者
2015年2月7日 20時9分


「テロには屈しない」などとしてアメリカなどが行っているイラク戦争や空爆などの犠牲になっているのは圧倒的に罪のない子どもら一般市民であるということ。じつはこの事実に対して、日本に住んでいる多くの人々が無関心であったり、対テロ戦争やテロに対する空爆などの報復はテロをなくすためにはしょうがないのではないかなどという感じの無関心や現状追認に流されてしまっていることがそもそも大きな問題であること。
        「井上伸 |」
 ジャーナリストや平和主義者たちの常套句である。
 空爆は敵を攻撃するのが目的である。子供や一般市民を狙ったものではない。だから、圧倒的に「犠牲」になっているのは敵の兵士である。この事実を隠しているのが井上伸 |氏である。
 圧倒的に子供や一般市民が犠牲になっていると繰り返し報道してあたかも米軍の爆撃によって敵の兵士よりも一般市民のほうが犠牲になっているように情報操作をして日本国民を騙しているのが日本の戦場ジャーナリストであり、日本の報道機関である。
 アフガン戦争のときは誤爆で市民が犠牲になることがあったが、それは避けることができないし、現在も起こっている。しかし、米軍は衛星からの映像などを駆使して爆撃の精度を高め一般市民の犠牲が出ないように努力している。現にISISへの爆撃による一般市民の被害は非常に少ない。しかし、戦場ジャーナリストは弱者である女や子供の側に寄り添い強者である米軍を憎むことに自らのヒューマニズムを貫いているから、米軍の爆撃が多くの女や子供を犠牲にしていることを強調し続けている。そうしないと自分の居場所を失ってしまうからだ。

テロの見方についても、突如うまれた残虐な極悪非道のモンスターとだけとらえ、アメリカによるイラク戦争をはじめとする武力行使や残虐な行為こそが残虐なイスラム国を育んで来たというテロを生み出す構造上の問題として把握できないこと。そして、とにかく報復の武力行使でそのモンスターを殺しさえすればテロがなくなるかのような単純な思考で空爆などへ流されてしまっていることが問題で、イスラム国の地域にも700万から800万人の一般市民が暮らしていることを見落とし、報復の空爆によって、罪のない多くの子どもら一般市民の命が奪われていることに思いを寄せることができないでいることが大きな問題であること。
       「井上伸 |」
 アジアには日本、韓国、フィリピンに米軍が駐留していた。台湾とは中国が攻撃したら米軍が台湾を守るという協定を結んでいる。戦後の韓国とフィリピン、南ベトナムは軍事独裁国家であった。しかし、現在は南ベトナムを除いては民主主義国家になった。日本もGHQの強制によって民主主義国家になった。
 米軍がアジアに駐留したのは旧ソ連や中国の社会主義国家を抑止する目的があったが、他方、米国と同じ民主主義国家にすることを米国は望んだし、努力をした。
 米軍が駐留したほうが平和であり、民主主義が浸透していった。

タリバン政権の誕生

ターリバーン側の主張によると、ムハンマド・オマルが20人の同志とともに始めたものだとされている。またターリバーン隊士がイスラム教の聖書「クルアーン」を学んだ場所は、国境付近の難民キャンプの教員が整っていないムハンマド・オマルの開いた神学校であった。この神学校出身者が、結集時のターリバーン隊士になる。 彼らが蜂起したきっかけはムジャヒディーン軍閥が二人の少女を誘拐したことへの抗議活動であった。彼らは無事少女たちを解放し、この出来事から地元住民らから正義の味方としてあつかわれた。

内戦が続くアフガニスタンにおいて、ターリバーンは1994年頃から台頭し始めた。彼らはマドラサと呼ばれるイスラム神学校の学生たちが中心であり、ターリバーンが快進撃を続け、軍閥を追い散らし、治安を安定させ秩序を回復するようになったので、住民たちは当初ターリバーンを歓迎した。当時、アフガン市民たちは、長年にわたる内戦とそれに伴う無法状態、軍閥たちによる暴行、略奪などにうんざりし、絶望感を抱いていたため、治安を回復するターリバーンの活躍に期待した。 しかしその後、ターリバーンがイスラム教の戒律を極端に厳格に適用し、服装の規制、音楽や写真の禁止、娯楽の禁止、女子の教育の禁止などを強制していくにしたがって、住民たちはターリバーンに失望するようになった[ 。

1998年にターリバーンがマザーリシャリーフを制圧した際に、住民の大虐殺を行った。マザリシャリフはアフガニスタンの少数民族であるウズベク人やハザーラ人が大きな割合を占めるが、ターリバーンはそうした少数民族、特にハザーラ人を標的に虐殺を行った。これは、ターリバーンがパシュトゥン人からなり、パシュトゥーン民族運動の性格を併せ持つことを示すエピソードとなったと指摘されている。なお、この1998年の虐殺は、1997年5月にマザーリシャリーフで起こったターリバーン兵大量殺害に対する報復であった。
    「ウイキペディア」
 タリバンが制圧したアフガニスタンをアルカイーダは拠点にし、貿易センター訓練を重ね、2001年9月にアメリカ同時多発テロ事件を起こしたのである。
 
 戦後のイラクは権力争いの歴史

1959年にカースィム首相暗殺未遂事件を起こした
1963年にアブドッサラーム・アーリフ将軍が率いたクーデター(ラマダーン革命)によりカースィム政権が崩壊してバアス党政権が発足
1963年イラククーデター
この第一次バアス党政権は党内左右両派の権力争いにより政権を追われる
1968年7月17日、アフマド・ハサン・アル=バクル将軍の率いるバアス党主導の無血クーデター
1979年7月17日、バクルが病気を理由に辞任すると発表した為、イラク共和国第5代大統領(兼首相)に就任した。
1973年6月、シーア派のナジーム・カッザール国家内務治安長官が、バクルとサッダームの暗殺を企てる

戦後のイラクは内乱、政権争いの連続であった。いわゆる殺し合いの歴史であった。

1979年7月22日、アル=フルド・ホールで開かれた党臨時会議により、党内部でシリアと共謀した背信行為が発覚したとして、サッダーム自ら一人ずつ「裏切り者」の名前を挙げていき、66人の人物が、会場に待機していた総合情報庁の人間によって外へと連れ出され、その日のうちに革命指導評議会メンバーで構成される特別法廷により、55人の人間が有罪を宣告され、22人は「民主的処刑」と呼ばれた方法、仲間の党員の手によって銃殺となった。粛清された人間には、サッダームの大統領就任に反対した、ムヒー・アブドゥル=フセイン・マシュハダーニー革命指導評議会・中央書記局長、サッダームの側近の一人だったアドナーン・アル=ハムダーニー副首相、イラク石油国有化の舵取り役だったムルタダー・ハディーシー元石油相も含まれる。また、この時に党から除名された人物も後になって暗殺や投獄を受けて処刑され、党内の反サッダーム派は一掃された形となった。
  「ウイキペディア」参照
サダム・フセインの時代は軍事独裁国家であり、恐怖政治の社会だった。
フセイン独裁国家を倒した米軍はイラクを民主主義国家にした。そして、米軍は2011年に完全撤退した。
ところがイラク政治はシーア派とスンニ派の政権争いに明け暮れ、政治は疎かになった。軍隊をシビリアンコントロールしないで放置し、軍部は腐敗した。戦闘能力がゼロのイラク軍はISISが攻めてくると武器を放棄して逃げたのだ。
ISISがイラクを支配できた大きな原因はアメリカ軍が完全撤退したこと、イラク軍の戦闘能力がゼロだったことにある。米軍が駐留しているアフガンはイラクのようにイスラム原理主義に占領されていない。

井上氏の、「アメリカによるイラク戦争をはじめとする武力行使や残虐な行為こそが残虐なイスラム国を育んで来た」というのは間違いである。イラク戦争とは関係がない。
最も井上氏の思想が問題になるのはテロが発生した原因を米国の姓にしてテロを正当化していることである。
イスラム国より米国のほうが悪いと考えている井上氏は突き詰めていけばテロを肯定していることになり、「イスラム国」を認めていることになる。米国は民主主義国家である。「イスラム国」は人権のない独裁社会である(国家ではない)。

深刻な問題はテロが発生する原因ではなく、人権を無視し、平気で殺人をするテロ行為にある。「イスラム国」の残虐な殺人行為、女性の奴隷扱いにある。


イラク戦争はじめ、中東諸国で奪われている罪のない一般市民数十万人の命は国際的にも見捨てられていること。イラク戦争はじめ空爆は国際法から見ても明らかに違法であり犯罪であるにもかかわらずアメリカはじめ先進主要大国や関連国の罪は一切問われないという不平等な扱いが、中東諸国の一般市民の見捨てられた命として不平等感を日々増殖させ、それがテロをうむという悪循環になっている。日本も協力したイラク戦争をはじめ、アメリカなどによる中東諸国の罪なき一般市民の殺戮は許されて、それを背景とする中東諸国の側によるアメリカ人や日本人の殺戮は「テロ」と呼ばれ「極悪非道」「絶対悪」として「根絶」しなければいけないモンスターとされるこの不平等がテロをうむ大きなファクターになっているということ。
     「井上伸 |」

井上氏は米国や先進諸国は中東諸国が関わっためにテロが生まれ罪のない一般市民が犠牲になっていると判断している。しかし、米国が深く関わった東アジアは民主主義国家が増えたが、中東は独裁国家が増えた。独裁国家では多くの市民が弾圧され虐殺されている。米軍の誤爆による犠牲を遥かに超える。ところが井上氏は独裁国家による市民の犠牲は全然問題にしていない。
井上氏は民主主義思想家ではない。市民の人権も無視している。イスラム原理主義による女性の奴隷化にも目を瞑っている。
最低の人間である。

2015/02/12 に公開

平成27年2月11日水曜日に放送された『沖縄の声』。辺野古移設反対派は辺野古は反­対するが、同じように工事が行われている那覇空港第2滑走路の埋め立て工事には誰一人­反対するものはおらず、さらにその工事については沖縄メディアはまったく報道しない。­何故辺野古ばかりを取り上げるのか?沖縄メディアの陰謀について、キャスターの又吉康­隆氏にお話いただきます。
※ネット生放送配信:平成27年2月11日、19:00~
出演:
 又吉 康隆(水曜日担当キャスター)
 新川 優子(水曜日担当キャスター)





「沖縄に内なる民主主義はあるか」が全国の書店で買えます。
書店に本の題名と地方・小出版流通センターが取次店であることを伝えれば注文できます。

  目次
1、琉球処分は何を処分したか・・・琉球を処分したのではなく、琉球王朝を処分し、四民平等にしたのが琉球処分であり、農民を解放した。

2、命どぅ宝とソテツ地獄・・・暴風や日照りの度に農民は飢え、毒のあるソテツを食べて命をしのいだ。「命どぅ宝」の格言は琉球王朝時代の生  きることだけで精いっぱいの農民の生活から生まれた。反戦平和から生まれた格言ではない。

3、県議会事務局の
米軍基地全面返還したら
9155億5千万円
経済効果資産の
真っ赤な嘘・・・・・・翁長知事は「米軍基地は経済発展の阻害である」と繰り返し発言している。今では沖縄の常識となっている。その発端と  なったのが県議会が発表した9155億円経済効果である。嘘が常識となってしまった。

4、普天間飛行場の移設は辺野古しかない・・・普天間飛行場は日本にとって必要であること説明した上で、閉鎖・撤去・県外移設・国外移設が不可能であることを説明してある。 県外移設を主張する政治家は絶対に自分たちで移設先を探すとは絶対に言わない。なぜなら、移設先を探せば、移設先がないことを自分たちが証明することになるからとこの本に書いた。現実に県外移設を主張する政治家で自分たちで咲かずと宣言した政治家はいない。沖縄二紙も候補地を上げたことは一度もない。

5、八重山教科書は何が問題だったか・・・根本的な問題は竹富町が違法行為をしたことにある。革新=左翼イデオロギーの塊である竹富町教育委員会が八重山教科書採択地区協議会で採択されたにも関わらず東京書籍を使用したもんだいである。竹富町は違法行為をしたが、違法行為に対応した法律がなかったために国、県、八重山、竹富町の争いが泥沼になっていった。

安倍政権は市町村それぞれが教科書を採択できるように法律を改定して、八重山教科書問題に終止符を打った。
その結果、竹富町は単独で教科書研究、採択をしなければならなくなった。結局、竹富町の負担が増えただけだ。


5は法律改訂で解決した。1,2は思想問題であり決着はなかなかつかないだろう。
3、4は現在進行中の問題である。これから熾烈な闘いをしていかなければならない。


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Posted by ヒジャイ at 12:36│Comments(0)評論家への批判
 
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