2014年12月07日

民主主義者とテロリストの違い


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民主主義者とテロリストの違い


 写真は琉球立法院で教公二法を可決しようとしていることに対して抗議のハンガ―ストライキをしている屋良朝苗氏である。彼は戦後の教育に大きな功績を残し、初代沖縄県知事になった人である。
屋良 朝苗(やら ちょうびょう、1902年12月13日 - 1997年2月14日)は、琉球政府および沖縄県の政治家・教育者である。
沖縄戦後、沖縄群島政府文教部長、沖縄教職員会長などを歴任の後、1968年の行政主席選挙では革新共同候補として立候補し、保守系の西銘順治との選挙になったが、本土への早期復帰を訴えた屋良が当選し第5代行政主席に就任する。


この写真は教公二法を阻止するために10割の教師が年休を取って立法院を取り巻いている写真である。教職員は警察官をごぼう抜きにして立法院内に乱入して、議員を蹴散らして教公二法の立法を阻止した。
 教公二法には教師の政治活動を禁止する条文があったので教師は実力で阻止したのだ。本土ではすでに立法化されている法律であった。しかし、沖縄では沖縄人民が選出した議員の会議を実力で排除して立法を阻止したのである。これは議会制民主主義の破壊である。テロ行為である。
 屋良氏のハンガーストライキは民主的な行為であるが沖縄教職員の行為は非民主的なテロ行為である。

 爆弾や銃で殺害したり破壊したりする行為だけをテロというのではない。民主的な手続きを無視した違法な政治行為はテロである。

 辺野古で座り込み闘争をして、世間に訴え、支持者を増やして県や国へ圧力をかけたり、支持する議員を当選させるための運動は民主的である。しかし、トラックの前に立ちはだかり実力でトラックを止めるのは違法行為であるし民主的ではない。

山城平和運動センター議長は「基地に入るすべての車両を止める」と発言しているし、事実実力でトラックを止めている。これは沖縄教職員が立法院になだれ込んで教公二法の成立を阻止したことと同じ思想であり同じ行為である。
 実力で基地に入るすべての車両を止めれば辺野古埋め立て工事はストップするだろう。それを本気で考えている山城氏はテロリストと同じ考えである。銃や爆弾で攻撃するのはテロリストであって山城議長はテロリストではないと考えるのは間違いだ。
 日本は議会制民主主義国家であり法治国家である。屋良氏のようにハンガーストライキで抗議するのはいいが、沖縄教職員のように実力で立法院になだれ込んで法律の成立を阻止するのは議会制民主主義を破壊するテロ行為である。
沖縄平和運動センターの山城博治議長は「トラックの1台も入れない。埋め立てを強行するなら、米軍車両も全て通さず基地の機能を止める」と述べている。本気で実力で阻止することを考えている山城議長はテロリストである。

キャンプシュワブのゲートで三上智恵トラックを止めようとして機動隊ともみあいになり、倒れて一時意識不明になり救急車で運ばれるた人が島袋文子(84歳)さんであるが、私は彼女への批判を2014年01月04日のブログでやっている。


 沖縄タイムスは多くの戦争体験者の体験談を掲載し、戦争は悲惨であり、二度と戦争をしてはならないと反戦平和を訴える。
 しかし、沖縄戦体験者には大きな欠点がある。彼らは自分の戦争体験だけしか知らない。戦争の原因や背景など戦争全体のことを知らない。非常に狭い視野で戦争を見ている。

 戦争は沖縄戦のような負け戦だけではない。勝ち戦もある。戦前の日本は領土を拡大するために大陸を侵略していった。大陸や南方に侵略して現地の人々を支配した。そして、多くの日本国民を移住させて農業や事業をさせた。
 貧しい沖縄の多くの県民が南方や大陸に移住して農業をやったが、その土地は日本軍が現地の人たちから奪った土地だった。日本軍が勝っていた時は沖縄の人々は日本軍の侵略の恩恵を得ていた。現地の土地を奪って自分たちに与えてくれた日本軍に感謝していた。日本軍によって追い出された大陸や南方の農民たちの悲惨さを沖縄の人たちは知らない。知ろうともしない。沖縄は戦争加害者でもあったのに、自分たちは戦争被害者だと思っている。沖縄戦の負け戦を体験した島袋さんの戦争体験は個人的な体験の域を出ていない。戦争は体験だけでは理解できない。

 自分の戦争体験しか知らない島袋さんは戦後の沖縄のことについて自分の体験だけしか知らない。糸満出身の島袋さんは米軍のお陰で繁栄した辺野古に移り住み、夫はキャンプシュワブ建設現場で働き、島袋さんもシュワブ内で働いた。戦前の沖縄は貧しかった。米軍が駐留して基地関係の仕事が増え、戦前に比べて飛躍的に沖縄の経済はよくなった。そのことに対しての感謝の気持ちが島袋さんにはない。沖縄の貧しさを救ってくれた米軍に感謝の気持ちがない島袋さんは恩知らずだと私は思う。

 島袋さんは「沖縄を、人殺しの島にしないで」と言っている。米軍をひどく侮辱している言葉である。
 米軍は人殺しをするために沖縄に駐留しているのではない。中国、北朝鮮、北ベトナムがアジアの弱小国に侵略して人殺しをさせないために駐留しているのだ。

 一九五〇年六月二五日に発生した朝鮮戦争はなんの予告もなく北朝鮮が南朝鮮に侵略して始まった。米軍は侵略してきた北朝鮮を追い返し、南北の国境線を守るために戦った。ベトナム戦争も同じだった。社会主義国家だった北ベトナムは南ベトナムも社会主義国家にしようと侵略した。米軍は南ベトナムを守るために侵略してきた北ベトナム軍やベトコンと戦った。朝鮮戦争では米軍が北朝鮮軍を追い返した。だから現在は北朝鮮と韓国に分かれている。しかし、ベトナムは北ベトナムが勝利したので南ベトナムは北ベトナムに支配されて、社会主義国家になっている。

 朝鮮戦争やベトナム戦争で分かるように米軍は人殺しをするために沖縄に駐留しているのではない。社会主義国家の侵略を防ぐために駐留している。侵略を防ぐためには戦わなければならない。もし、侵略者と戦って勝利しないとチベットやウイグルのように植民地にされ惨めな生活を強いられる。米軍が沖縄に駐留していたから、戦後六十九年間、沖縄は社会主義国家に侵略されず平和でいられたのだ。

 島袋さんは米兵から「戦争はビジネスだ」と聞いたという。戦地に派遣されると給料を多くもらうから、島袋さんは「金儲け」と「人殺し」が繋がると言う。そして、「沖縄にある米軍基地がベトナムの人を殺したんじゃないのか」と思い、脳裏に忘れかかった沖縄戦の記憶がよみがえるという。

 島袋さんの話はひどい。南ベトナムが共産党独裁国家北ベトナムに侵略されないように戦い、死んでいった若き米兵たちを侮辱している。確かに沖縄にある米軍基地がベトナムの人を殺している。しかし、ベトナムの人といっても彼らは南ベトナムを滅ぼして北ベトナムの支配下に置こうとしたベトコンと北ベトナム軍である。ベトコンと北ベトナムは多くのベトナム人を殺害している。北ベトナム兵やベトコンによる南ベトナム人の殺害を食い止めるために米軍は南ベトナムで戦ったのだ。島袋さんは自分が体験した沖縄戦とベトナム戦争を重ね合わせて米軍がベトナムの一般人を殺害したと思い込んである。米軍が戦った相手はベトコンと北ベトナム軍であって、ベトナムの一般の人たちではない。

 自分の沖縄戦体験だけで戦争を見ている島袋さんは敵兵であった米兵が死ぬことには平気なようだ。沖縄戦では敵であり、沖縄の人々を殺害した米兵であったが、戦争が終わり、戦後の島袋さんは軍で働いた。多くの米兵や彼らの家族を見てきた島袋さんは彼らが普通の人間であることを感じたはずである。それとも、島袋さんは沖縄戦のトラウマが強く米兵は普通の人間にはみえなかったのだろうか。ウチナーンチュだけが赤い血が流れていて、米兵にはウチナーンチュとは違う白い血が流れている人間だと思っているのだろうか。島袋さんには米兵が赤い血が流れている人間には見えないのだろう。米兵は死ぬのが平気で「戦争はビジネス」だと考えていると島袋さんは信じているようである。

 米兵もウチナーンチュと同じ赤い血が流れている。自由を求め、恋を求め、幸福を求めている普通の人間だ。米兵の誰もが長生きしようと願っている。死にたくないと思っている。
戦争に行けば死ぬかも知れない。戦争に行くことは死を覚悟することである。死ぬかも知れない戦争に若き米兵は「金儲け」のために平気で行くというのか。米兵はお金のためなら平気で死ぬというのか。米兵は普通の人間ではないというのか。それはおかしい。

 基地内で働いて辺野古に住んでいた島袋さんなら知っているはずだ。明日、ベトナムに行かなければならなくなった若い米兵は、「死ぬかも知れない自分にお金は必要ない」とありったけのお金を沖縄で使ったことを。浴びるほど酒を飲んだことを。沖縄のベトナム戦争景気はそのような死を覚悟した若い米兵たちの金に支えられていたことを。
 ベトナム戦争を体験した多くの若者が精神障害者になった。精神障害がひどくなったある若者は大学の建物の屋上から無差別殺人をして射殺された。
 ベトナムでは戦場ではなく街や村で一般人の中に紛れたベトコンに襲われたり、子どもに襲われたりもした。そのためにベトナム人みんなが敵だと思い込むような精神障害に陥った米兵がベトンム人を大量殺害した悲劇も起こった。
 米兵は殺人マシーンではない。普通の人間だ。本当に島袋さんは米兵から「戦争はビジネスだ」と聞いたのか。その米兵の精神状態はどのような状態だったのか。自暴自棄になっていなかったか。冗談で言ったのか。私は「金儲け」と「人殺し」が繋がるという島袋さんの考えに違和感がある。米兵を人間として見ていない島袋さんに失望する。

 戦争は殺し合いである。人間の悲劇である、惨劇である。戦争はしないほうがいい。しかし、朝鮮戦争、ベトナム戦争時代は共産勢力の侵略を防ぐのが米国の使命だった。そのためには戦争をしなければならなかった。ベトナム戦争は北ベトナムの侵略から南ベトナムを守るための戦争だった。守るための戦争さえ否定するということは共産勢力の侵略を肯定することであり、共産勢力に植民地にされることを認めることだ。 
 米軍は韓国を守るために、南ベトナムを守るために戦争をしたのだ。守るための戦争さえ「戦争は人殺し」という理由で否定していいのだろうか。島袋さんは沖縄が中国に侵略されて植民地になってもいいと言うのか。
 島袋さんの考えのほうが沖縄が戦争に巻き込まれるだろう。
「ブログ沖縄に内なる民主主義はあるか」

島袋文子さんについて、「標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~」の監督三上智恵さんも述べている。

「命に代えても」
反戦おばあ・島袋文子さんたちの思い

 「あたしはね、命からがら、壕から這い出したんだよ」
 そう言って文子さんはシャツの左袖を大きくめくって見せた。
 火炎放射器に焼かれた左肩。放射状に引き攣ったその肌からは、69年前の地獄絵が立ち上って来るようだった。

 普天間基地を返すという話が、辺野古への基地建設にすり替わって17年。当初ほとんどの区民が反対した。中でも戦争を体験したお年寄りの反発は強かった。
「この豊かな海を埋めるなら水に入ってでも止める」
「怖くないですよ。その覚悟です」
おばあたちは口々にそういった。
お年寄りを人柱にする前にできることをしようと、県内各地から、本土から、たくさんの人々が駆けつけ、辺野古の反対運動を作っていった。
しかしあくまで反対運動の最初の核は辺野古と周辺の住民であり、中でも揺るがなかったのはお年寄りだった。

2010年、県外移設を掲げて県民に希望を与えた鳩山総理大臣が一転して辺野古に回帰した時、名護に来た総理の車列に突っ込んで行こうと文子さんは車椅子を立った。
私は後ろから追うが、機動隊の列を潜り抜けようとして阻まれた。よろよろと戻った文子さんは車椅子の上で泣い
た。
「この命はね、もう一度は死んだ命だったんだよ。私が鳩山の車に轢かれて基地が止まるなら、それでいい。そう思ったの」
 命に代えても。
そういうおばあは文子さんだけではない。
      「命かえても」
「基地に反対して苦労してる息子たちが哀れでしょうがない。それで終わるなら命は惜しくない」
「海に入って生き埋めになります。本気だということですよ」
瀬嵩の東恩納文子さん(故人)は沖縄サミットの時、「爆弾を腰に巻いてクリントン大統領に抱きついたら、基地は止まるかね?」と私に真顔で聞いたと書いている三上智恵さん。三上さんはテロリスト思想の老人を美化している。

 議会制民主主義,を知らない老人たち。戦争がなぜ起きるかを知らない老人たち。社会主義国家、独裁国家と民主主義国家の違いを知らない老人たち。
 朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争を客観的に判断することができない老人たち。今、イラクで起こっているイスラム国の残虐行為に無関心な老人たち。
 米軍が沖縄・日本そしてアジアの平和に貢献していることを知らない老人たち。
無知な老人を美化する沖縄のマスコミ、革新、沖縄二紙、文化人たち。


2014/11/26 に公開
平成26年11月26日水曜日に放送された『沖縄の声』。本日水曜日の放送では、嘘だ­らけの沖縄県知事選挙、私のこれからの闘い、そしてイスラム国から学ぶ日本のあり方を­テーマにキャスターの又吉康隆に解説していただきます。
※ネット生放送配信:平成26年11月26日、19:00~
出演:
 又吉 康隆(水曜日担当キャスター)
 大城 和桂子(水曜日担当キャスター)



次回のニコ生放送配信:平成26年12月10日、19:00~




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この記事へのコメント
>戦前の日本は領土を拡大するた めに大陸を侵略していった。大陸や南方に侵略 して現地の人々を支配した。

この解釈は正しいかはわかりません。白人植民地からの解放という話も聞いたことがあるので。
Posted by 通りすがり at 2014年12月10日 21:14
 
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