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2012年08月01日

大田氏は沖縄の貧困には目を向けない

 再び「星の流れに」に話を戻す。沖縄の歴史を調べて驚くべき沖縄の貧困の事実を見つけたからだ。

18世紀にはいると、台風や干ばつなど異常気象があいつぎ、
困窮した農村はそのたびに飢きんと疫病にみまわれ、
多くの餓死者をだしていました。
 農村がこのような自然環境の変化に大きく
左右されたのは過重な税負担と、
地方役人による不当な取り立てが原因でした。
その為、予測される災害にすら対応がままならず、
まったくの無防備な状態で災害にみまわれるありさまでした。

 こうした社会にはそれを回復させる余力など残っておらず、
大量の餓死者をだしていったのです。
その上飢きんにみまわれた年でも、
農民の租税免除はその場限りで
、ほとんどの農村が翌年にはようしゃなく年貢を取り立てられました。
 農村はますます貧しくなり、
借金のかたに土地を質入れしたり、
身売りしたりする農民があとを絶ちませんでした。

 身売りとは、年貢をおさめるために借り入れた米やお金を返せなくなった農民が、
貸主のもとで一定年限、下男下女としてつとめることです。
これによって家族が崩壊することを家内倒れといい、
これと連動して、上納の責任単位である与(組)が
くずれてしまう与倒れの現象も起こりました。
身売り農民のひきうけもとは、
地元の有力者か間切りや村役人などの特権階層でした。
農村はしだいに、
ウェーキと
呼ばれる富農層と、
ヒンスーと
呼ばれる貧農層とに
二極分解していきました。
                   「ジュニア版琉球・沖縄史」

年貢   9000石
芭蕉布  3000反
琉球上布 6000反
琉球下布 10000反
むしろ  3800枚
牛皮   200枚

 薩摩藩に支配された琉球王府は以上の品々を薩摩藩に献納しなければならなかった。
その負担は琉球王府が負うのではない。琉球王府は支配者として贅沢三昧の生活をしていた。
薩摩藩への莫大な献納を負わされるのは搾取される農民である。
薩摩に支配された琉球の農民は重税に苦しんだ。

吉屋チルーのように遊郭に売られていく子供は後を絶たなかった。

しかし、驚いたことに、
沖縄の貧困は琉球王朝時代で終わらなかった。
四民平等になったはずの明治から昭和の戦争直後まで
沖縄の農民の貧困は変わらなかったのである。
その歴史的事実が専門書ではなく
中・高校生用の本に載っている。
中・高校生用の本にだよ。
沖縄の知識人ならみんな知っていて当然と思うが、
ほとんどの沖縄の知識人は沖縄の貧困問題を知らないようだ。
琉球処分は悪いことだと主張するし、
米軍基地があるから沖縄の経済は発展しないなどと
おっしゃるくらいだら。
「ジュニア版 琉球・沖縄史」から引用する。

 戦前の沖縄の人口は約60万人ほどで、
その7割が農民でした。
しかも、多くは零細農家で、
サトウキビを主作物とする農家をいとなんでいました。

 廃藩置県後、
沖縄では換金作物としてサトウキビを栽培する農家が増え、
サツマイモ畑や水田までもキビ畑にかえていました。
砂糖生産中心のこの生活形態は、
自然環境や経済変動の影響をうけやすく、
ことあれば、すぐさま食糧不足と経済危機にみまわれるという弱さを持っていました。
それが最悪の形であらわれたのが、
大正末期から昭和初期にかけておこった
ソテツ地獄でした。

 沖縄の輸出品は、
砂糖のほかに、泡盛・パナマ帽子・畳表・鰹節・漆器などがありましたが、
その8割を砂糖が占めていたので、
国際的な糖価の暴落は県経済に深刻な影響を与えました。
国税の滞納額も、
1921(大正10)年以後は40%台を推移し、
銀行などの金融機関にも大きな打撃を与えました。
それにおいうちをかけるように、
台風や旱ばつがおそい、
農村は文字どおりソテツを食べて、
飢えをしのばなければならない状態にまでおいつめられていきました。

 多額の借金をかかえ、
生活がどうにも立ちゆかない農家では、
最後の手段として身売りが公然とおこなわれました。
男性は漁業に従事する糸満へ、
女性は遊女として辻の遊郭へ売られました。
また、海外移住や本土へ出稼ぎとして
沖縄を出ていく人びともふえていきました。
                  「ジュニア版 琉球・沖縄史」

 昭和の名曲「星の流れに」は、
戦争に翻弄され、
満州から引き揚げてきて、
敗戦後の荒廃した日本で
生き抜くために身を落とした女性の歌であることを説明した。
しかし、沖縄では
戦争に翻弄される以前から
「星の流れに」のような娼婦に身を落とす女性が多かった。
戦前の沖縄では、身売りされるのは女性だけでなく男性も多くいた。
いわゆる女性の辻売りと
男性の糸満売りである。

 子供の頃、母親から聞いた話だが、
戦前は男の子供が駄々をこねて泣くと、
「糸満に売り飛ばすぞ」
と脅したそうだある。
すると子供は泣くのをぴたりとやめた。
糸満の漁師に売られた子供は漁師として鍛えられる。
泳げない子供でも縄で縛って海に放り込んだそうだ。
溺れて死にそうになってもなかなか引き上げない。
もし、訓練中に死んだとしても事故として片づけられる。
糸満に売られたら殺されても文句が言えないということである。
まさに子供にとって死ぬかもしれない過酷な運命に放り投げられるのが
糸満売りであった。

 辻売りや糸満売りは琉球王朝時代の話ではない。
戦前の話なのだ。
私の家の前に三〇〇坪ほどの空き地があり、
その空き地を借りて畑をやっていたじいさんがいたが、
彼は与那国出身で
糸満売りで沖縄にやってきたと話していた。

 戦前までは辻売りや糸満売りが公然と行われていたが、
その原因は沖縄の貧しさであった。
大正末期から昭和にかけて沖縄ではソテツ地獄があった。
昭和時代になってまで沖縄はソテツ地獄と呼ばれる飢餓があったのである。
明治以後は人身売買は法律で禁じられていたが
沖縄では公然と人身売買が行われていたという。

  「星の流れに」は日本の敗戦が原因であるが、
沖縄の場合は敗戦が貧困の原因ではなく
それ以前の沖縄の根本的な貧困問題があった。
最近、従軍慰安婦問題を取り上げて日本軍を非難しているが、
彼らは日本軍を非難するだけであり、
沖縄の貧困問題には触れない。
大田氏も同じように触れない。
大田氏は、昔の琉球は平和主義であり
「命どぅ宝」を合い言葉に他者と有効的共生の生き方をして沖縄は豊かであったような印象を与えているが、
とんでもないことである。
豊かであったのは少数の士族階級の人間たちであり、
多くの農民は貧困生活を強いられていた。

明治以降も同じであった。
明治時代になり表面上は四民平等になったが
実際は富む士族階級と貧しき農民階級の関係は続いていた。
明治政府は人材不足であり沖縄に派遣できる人材は少なく
沖縄県の政治は統治能力のある沖縄の士族層に任せた。
そのためにほとんどの役人は士族出身者が占め、
財産のある士族層が経済界も支配していた。
戦前の沖縄の産業は寄留商人と呼ばれる
本土出身者と政府の手厚い保護でえた
不動産や資金をもとに、
貿易・金融・開墾・鉱業開発・新聞社
などを経営した尚家が支配していた。
人口の70%以上を占めていた小作農民は
貧困生活を強いられていた。
沖縄を問題にすることは貧困生活を強いられていた70%の農民を
無視しては絶対にいけない。
ところが
大田氏は農民を無視しているのである。

沖縄の長い歴史の中で農民を含めた庶民が
人間らしい生活ができるようになったのは戦後である。
人間らしい人権や自由を得たのも戦後である。
戦前は士族階層と本土の寄留商人が政治と経済を牛耳っていた。
多くの農民は搾取され貧困にあえいでいた。
土地のない農民は小作人となり低賃金で
本土資本の製糖工場のさとうきび畑で働かされていた。

戦後になり、
アメリカ民政府によって寄留商人は沖縄から排除された。
士族階層の特権は剥奪され、
土地は小作人に分け与えられた。
そして、商売が誰でも自由にすることができた。
琉球銀行を設立して商売や起業を一般の人がやりやすくした。
外国資本の参入も自由にしたので外国の資本が沖縄に流入した。
それをやったのは沖縄の政治家ではなく米民政府であった。

戦後の沖縄経済が活発になっていったのは
アメリカ民政府による市場開放の政治を行ったからである。
沖縄の革新政党やマスコミなどが
問題にするのは米軍基地があるゆえの事件・事故である。
アメリカ兵が犯罪を犯した時には米軍が裁判を行い無罪にしたことである。
アメリカ兵が加害者の時は米軍が裁判をする。
沖縄人が加害者の場合は沖縄が裁判するというのが沖縄の裁判だった。
だから、沖縄人が米軍基地内で犯罪を犯しても裁くのは沖縄の裁判所であった。
「戦果」と呼ばれる基地内の物を盗むのは横行していた。
私は「センカ」という意味は米軍基地から物を盗むことであると思っていたほど、
「戦果」は日常的に行われていた。
特にPXからタバコやかんづめなどはものすごい量であり、
米軍の物を横流しして財産を築いた人は多かった。
なぜあれほどまでに戦果が横行したかと言えば
沖縄の警察の取り締まりが弱かったからである。
暴力団などは警察を買収して、
堂々と「戦果」をやっていた。
沖縄人がアメリカ女性を暴行したり殺したりしても
検挙して取り調べるのは沖縄の警察であり、
判決を下すのは沖縄の裁判所であった。
有名なコザ騒動も捜査して検挙したのも沖縄の警察である。
アメリカの圧力は一切なかったと当時の検察官は話している。

このような事実を明らかにしないで、
まるでアメリカ兵に関係した事件・事故は
アメリカ側がすべて裁いたような印象を与えるのはおかしい。
もっと客観的な見方をするべきである。

世界一の経済大国であるアメリカは沖縄を占領したが、
アメリカは沖縄を搾取するのではなく、
多額の金を沖縄に流し入れ、
市場を自由にし沖縄の産業を育成して沖縄経済を活性化させていった。
戦前の経済と戦後の経済を比較すれば
戦後の経済は
自由であり何倍も発展していて庶民の生活も向上していることが分かる。

しかし、大田氏は戦前と戦後の経済を比較しない。
琉球王朝時代、戦前、戦後の市民レベルでの人権、自由、生活状態を比較しない。
大田氏の「こんな沖縄にした」には沖縄の貧しき人々、虐げられた人々や庶民は登場しない。
沖縄の支配者たちが登場するだけである。



Posted by ヒジャイ at 05:44│Comments(0)
 
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