2025年02月09日
住み続けたい街 第1位北谷町、第2位嘉手納町 なんと嘉手納空軍基地に隣接する街である
住み続けたい街 第1位北谷町、第2位嘉手納町 なんと嘉手納空軍基地に隣接する街である
大東建託(東京都)は、「街の幸福度&住み続けたい街ランキング2024九州・沖縄版」を発表した。「住み続けたい街」についての調査で、第1位北谷町であり、第2位は嘉手納町であった。なんと両町とも嘉手納空軍基地に隣接している自治体である。嘉手納空軍基地は沖縄で一番大きい米軍基地である。そして、戦闘機が離着陸して騒音も大きい。基地被害が一番ひどいのが嘉手納町である。その嘉手納町が住み続けたい街の一位なのだ。米軍基地被害が一番大きい嘉手納町が住み続けたい街の一位というのは信じ難いだろう。しかし、大東建託の調査で一位になったのである。
デニー知事は沖縄基地問題は沖縄の不幸であり、沖縄の不幸の実態を本土も知るべきであり、米軍基地撤去を訴え続けている。米軍基地は沖縄県民を不幸にしていると考えているのがデニー知事である。デニー知事の考えでは嘉手納空軍基地に隣接している嘉手納町は県内で一番の不幸であり住みたくないと思っている人が多いということになる。
ところが嘉手納町は住み続けたい街の二位である。嘉手納町で生活をしている住民が判断したことである。住民が生活の中で判断したことが真実である。嘉手納空軍基地に隣接している嘉手納町と北谷町が住み続けたい街のトップであるということは嘉手納空軍基地が生活にマイナスではないということだ。
私は読谷村の大湾に住んでいる。大湾は読谷村の南側にあり嘉手納空軍基地に近い。戦闘機の離着陸の爆音は大きい。ヘリコプターは頭上を飛ぶ。ただし、爆音が頻繁に聞こえることはない。
デニー知事は生活している人々の気持ちに接することなく、勝手に米軍基地は県民に負担をかけ、県民に嫌われていると決めつけている。県民の心はそんなデニー知事から離れている。だから、反デニー知事派の保守が市長に当選するのだ。
浦添市長選は反デニー知事の松本哲治氏(57)が当選した。
大東建託(東京都)は、「街の幸福度&住み続けたい街ランキング2024九州・沖縄版」を発表した。「住み続けたい街」についての調査で、第1位北谷町であり、第2位は嘉手納町であった。なんと両町とも嘉手納空軍基地に隣接している自治体である。嘉手納空軍基地は沖縄で一番大きい米軍基地である。そして、戦闘機が離着陸して騒音も大きい。基地被害が一番ひどいのが嘉手納町である。その嘉手納町が住み続けたい街の一位なのだ。米軍基地被害が一番大きい嘉手納町が住み続けたい街の一位というのは信じ難いだろう。しかし、大東建託の調査で一位になったのである。
デニー知事は沖縄基地問題は沖縄の不幸であり、沖縄の不幸の実態を本土も知るべきであり、米軍基地撤去を訴え続けている。米軍基地は沖縄県民を不幸にしていると考えているのがデニー知事である。デニー知事の考えでは嘉手納空軍基地に隣接している嘉手納町は県内で一番の不幸であり住みたくないと思っている人が多いということになる。
ところが嘉手納町は住み続けたい街の二位である。嘉手納町で生活をしている住民が判断したことである。住民が生活の中で判断したことが真実である。嘉手納空軍基地に隣接している嘉手納町と北谷町が住み続けたい街のトップであるということは嘉手納空軍基地が生活にマイナスではないということだ。
私は読谷村の大湾に住んでいる。大湾は読谷村の南側にあり嘉手納空軍基地に近い。戦闘機の離着陸の爆音は大きい。ヘリコプターは頭上を飛ぶ。ただし、爆音が頻繁に聞こえることはない。
デニー知事は生活している人々の気持ちに接することなく、勝手に米軍基地は県民に負担をかけ、県民に嫌われていると決めつけている。県民の心はそんなデニー知事から離れている。だから、反デニー知事派の保守が市長に当選するのだ。
浦添市長選は反デニー知事の松本哲治氏(57)が当選した。
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21:50
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2025年02月07日
台湾侵攻すれば中国経済は破綻する だから侵攻できない
台湾侵攻すれば中国経済は破綻する だから侵攻できない

米国の2024年の貿易赤字の統計(国際収支ベース、季節調整済み)である。貿易赤字のダントツが中国である。2954億ドル(44兆8217憶円)で2位のメキシコより郡を抜いている。
中国の経済は米国からの莫大な黒字が支えているのだ。もし中国が台湾に侵攻すれば米国との関係は厳しい状態になる。米国が中国に政治・経済制裁をするのは確実である。米国は中国からの輸入を禁止し、米中貿易はストップされるだろう。中国は莫大な貿易黒字が失われる。弱体化が進んでいる中国経済あるのに米国との貿易がストップすれば中国経済は破綻してしまうだろう。米国の経済制裁を避けるために中国は台湾に侵攻しない。
バイデン大統領の時は、中国は台湾を取り囲む形で陸軍、海軍、空軍などが参加する合同軍事演習をやった。中国は軍事演習をやるだけで、台湾に侵攻することはできなかった。バイデン大統領の時は台湾を囲んで侵攻の素振りを見せたが、トランプ大統領になったので侵攻の素振りももできないだろう。
中国は軍事力だけでなく経済面でも台湾には侵攻できない。

米国の2024年の貿易赤字の統計(国際収支ベース、季節調整済み)である。貿易赤字のダントツが中国である。2954億ドル(44兆8217憶円)で2位のメキシコより郡を抜いている。
中国の経済は米国からの莫大な黒字が支えているのだ。もし中国が台湾に侵攻すれば米国との関係は厳しい状態になる。米国が中国に政治・経済制裁をするのは確実である。米国は中国からの輸入を禁止し、米中貿易はストップされるだろう。中国は莫大な貿易黒字が失われる。弱体化が進んでいる中国経済あるのに米国との貿易がストップすれば中国経済は破綻してしまうだろう。米国の経済制裁を避けるために中国は台湾に侵攻しない。
バイデン大統領の時は、中国は台湾を取り囲む形で陸軍、海軍、空軍などが参加する合同軍事演習をやった。中国は軍事演習をやるだけで、台湾に侵攻することはできなかった。バイデン大統領の時は台湾を囲んで侵攻の素振りを見せたが、トランプ大統領になったので侵攻の素振りももできないだろう。
中国は軍事力だけでなく経済面でも台湾には侵攻できない。
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17:25
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2025年02月06日
翁長雄志は沖縄政治史上最低の知事である
「翁長雄志は沖縄政治史上最低の知事である」
自民党でありながら共産党と共闘した翁長雄志氏である。知事選の時に自民党を離脱し、左翼と共闘してオール沖縄を結成した翁長氏は知事選で圧勝した。
オール沖縄、共産党を批判し続けた。それも2024年で最後になりそうだ。県民が保守を支持するようになったからである。
2017年にブログに掲載した「違法行為続ける翁長知事、共産党の操り人形に負けを承知で裁判闘争 建設に至る過程を無視」である。もう、こんな内容のブログを掲載することはないだろう。

2017/12/09(土)
違法行為続ける翁長知事、共産党の操り人形に
負けを承知で裁判闘争 建設に至る過程を無視
翁長(おなが)雄志(たけし)知事は、米軍普天間飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設に反対するあまり、共産党の言いなりにしか動けない人間になってしまった。その顛末(てんまつ)をこれまでの言動や裁判闘争から見ていく。
辺野古の埋め立て工事を阻止するために、仲井眞弘多(ひろかず)前知事の埋め立て承認を取り消した。
翁長(おなが)雄志(たけし)知事は、米軍普天間飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設に反対するあまり、共産党の言いなりにしか動けない人間になってしまった。その顛末(てんまつ)をこれまでの言動や裁判闘争から見ていく。
辺野古の埋め立て工事を阻止するために、仲井眞弘多(ひろかず)前知事の埋め立て承認を取り消した。取り消しは違法行為であると主張した国との裁判での争いになった。
最高裁は昨年、翁長知事の承認取り消しは違法であるという判決を下した。敗訴した翁長知事は承認取り消しを取り消した。埋め立てを認めた翁長知事が今度は、埋め立て予定地の岩礁破砕は違法行為であると主張し、工事を中断させる作戦に出た。
沖縄県は7月24日に辺野古基地建設の工事差し止め提訴をし、判決が出るまで工事を停止するように仮処分も申し立てた。
県庁内で臨時記者会見を開いた翁長知事は、「県民の思いを置き去りにしたまま突き進む国の姿勢が改めて問われる」と述べ、国は「工事を強行している」と国の姿勢を「荒い、荒々しい」と何度も批判しながら「ガッテンナラン(納得いかない)」と言った。
その上で、「政府の恣意(しい)的にねじ曲げるやり方は、常々述べている『法治国家』の在り方から程遠く、放っておく『放置国家』だ」と語気を強め、政府の「理不尽さ」「拙速さ」を批判した。
翁長知事はこのように国の姿勢を非難しているが、辺野古代替施設建設に至る過程を無視しているから言えるのである。辺野古移設が決まるまで5年かかり、政府は苦難の連続であったし、2005年の時点では沖縄全体が辺野古移設反対だった。時系列で振り返ってみる。
05年10月31日に稲嶺知事が北原防衛施設庁長官と会談し、その日の午後、沿岸部移設拒否を表明した。
その翌日、辺野古、豊原、久志の3区長が北原防衛庁長官と会談、沿岸案拒否を伝えた。
・11月7日には、宜野座村議会が沿岸案反対を可決した。
・12月16日、県議会が沿岸案反対の意見書を全会一致で可決した。
・12月21日、宜野湾市議会が沿岸案反対を賛成多数で決議した。
・このように県全体が辺野古移設に反対していた。しかし、06年に状況が変わった。
・1月22日、沿岸案に反対し、修正案に柔軟姿勢を示す島袋吉和氏が名護市長選に初当選した。
・2月23日、自民党県選出国会議員が小泉純一郎首相に沿岸案修正を要請。首相は修正を拒否した。
・3月9日、稲嶺恵一知事が額賀防衛庁長官と会談し、沿岸案拒否を伝えた。
・4月7日、島袋市長が滑走路2本案(V字形案)で政府と合意し、宜野座村も政府と基本合意書を締結した。
・地元の名護市長と宜野座村がV字型滑走路案に賛成することによって、辺野古移設の可能性が生まれてくる。しかし、3者合意まで2年を要した。
08年3月14日、政府、県、名護市長の合意を受け、沖縄防衛局が方法書の追加修正資料の修正版を沖縄県に提出し、方法書を確定した。
◆菅政権が移設を決定
・09年9月25日、鳩山連立政権が発足。鳩山首相は県外移設が前提との考えを表明し、辺野古移設を否定した。
・10年4月9日、鳩山首相が移設先として鹿児島県徳之島を明言するが地元の反対で断念。辺野古移設を宣言した。
・6月4日、鳩山首相が退陣し、菅直人氏が首相に就任。辺野古移設を明言した。
・実はこの日、辺野古移設の政治決着がついたのである。辺野古移設が最終的に決まったのは民主党政権時代であったことを付記しておきたい。
・2013年3月22日、辺野古移設が決まったため、沖縄防衛局は公有水面埋め立て承認申請書を県に提出した。
・12月27日、仲井真知事は沖縄防衛局が申請した辺野古沿岸部の埋め立て申請を承認した。これで辺野古移設が最終決着した。
辺野古移設が決着した1年後、14年11月の県知事選で翁長氏は「辺野古移設反対」を公約にして立候補した。辺野古移設が決着する前なら翁長氏の選挙公約は有効であるが、当選した後に辺野古移設に反対した。
しかし、辺野古移設は4年前に決まったのである。そして、知事に就任する1年前には埋め立ても承認された。翁長知事は政府の正式な法的手続きによる辺野古移設決定を無視したのである。
政府は法律に則(のっと)って辺野古移設も埋め立ても決めた。埋め立て承認を取り消した翁長知事の方が違法行為をしたのだ。だから最高裁は翁長知事の取り消しを違法であると判決したのである。翁長知事の方が法を「放置した」のだ。
翁長知事は「辺野古に新基地は造らせないとの公約実現に不退転の決意で取り組む」と決意表明をしている。何が何でも辺野古基地建設を阻止しようとしている翁長知事の方が非民主的であり、法を破っている。
なぜ、翁長知事はこれほどまでに違法行為をするのか。その原因は共産党と手を組んだからである。
◆知事になるため共闘
自民党保守政治家として絶対にやってはならないことを翁長知事はやった。それが共産党との共闘である。
翁長知事は県知事選の時「イデオロギーは腹八分六分にして沖縄アイデンティティーで共闘する」と宣言し、共産党と共闘したが、日本共産党は「マルクス・レーニン主義」から始まったイデオロギーの塊の政党である。沖縄アイデンティティーなどあるはずがない。
自民党から離れた翁長氏が知事選に勝つ方法として考え出したのが共産党、社民党、沖縄社会大衆党の左系3党との共闘であった。翁長氏は辺野古移設反対を選挙公約にして左系3党と共闘し、当選して知事になった。ここまでは翁長氏の思惑通りであった。しかし、知事になってからは共産党に支配されていく。
共産党は左翼イデオロギーの塊である。共産党が保守を自認する翁長知事と共闘するはずがない。思いのままに支配する目的で共産党は翁長知事と共闘したのである。翁長知事は次第に共産党の操り人形になっていった。
結局、翁長知事は最高裁の判決に従い埋め立て承認取り消しを取り消した。埋め立てするには岩礁を破砕しなければならない。国が岩礁破砕の申請をすれば県は許可しなければならない。
それでも、共産党に支配された翁長知事は許可をしない。そして、岩礁破砕をするのは県漁業調整規則に違反しているなどとして、工事の差し止めを要求する。共産党に支配された翁長知事が許可しないことを政府は予測していた。だから、政府は名護漁協に漁業権を放棄させた。漁業権がない箇所であれば県に許可申請をする必要はないからだ。
そこで、翁長知事は差し止め訴訟に出た。過去の判例もあるから翁長知事の敗北は最初から決まっている。翁長知事は負けがミエミエの裁判を本当はやりたくないはずである。しかし、やらなければならない。共産党が要求したからだ。裁判闘争をやれば辺野古新基地建設反対運動を盛り上げることができる。そのために共産党は裁判闘争を翁長知事にやらせたのである。
もし翁長知事が提訴をしないなら即、左系3党は翁長知事を支持しなくなる。3党の支持を維持し、知事の座を守るためには提訴をするしかないのである。
東京都知事選の時、民進党の保守系議員が民進党を離党して都民ファーストに入党した。その結果、民進党は大敗した。民進党内の保守系議員が離党したのは、蓮舫代表が共産党と連携する方向に進めているのが原因だった。保守政治家にとって共産党と連携するのは考えられないことである。
ところが、沖縄では自民党県連のリーダーであった翁長知事が自分から進んで共産党と共闘したのである。知事になりたいために安易に共産党と共闘した翁長知事は共産党の操り人形になる運命であった。
翁長知事の2男、翁長雄治(たけはる)氏(30)は、那覇市議会選で4163票という2位の得票で当選した。雄治氏は父翁長知事を「すべての面において憧れだ」と言い、「私は保守政治家としてやっていく」と宣言した。その一方で、共産党市政を率いる城間幹子市長を支えると述べている。親子2代とも保守を自認しながらも保守の大敵である共産党と共闘するのである。あきれてしまう。こんな保守がいられるのは沖縄だけだろう。
自民党でありながら共産党と共闘した翁長雄志氏である。知事選の時に自民党を離脱し、左翼と共闘してオール沖縄を結成した翁長氏は知事選で圧勝した。
オール沖縄、共産党を批判し続けた。それも2024年で最後になりそうだ。県民が保守を支持するようになったからである。
2017年にブログに掲載した「違法行為続ける翁長知事、共産党の操り人形に負けを承知で裁判闘争 建設に至る過程を無視」である。もう、こんな内容のブログを掲載することはないだろう。


2017/12/09(土)
違法行為続ける翁長知事、共産党の操り人形に
負けを承知で裁判闘争 建設に至る過程を無視
翁長(おなが)雄志(たけし)知事は、米軍普天間飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設に反対するあまり、共産党の言いなりにしか動けない人間になってしまった。その顛末(てんまつ)をこれまでの言動や裁判闘争から見ていく。
辺野古の埋め立て工事を阻止するために、仲井眞弘多(ひろかず)前知事の埋め立て承認を取り消した。
翁長(おなが)雄志(たけし)知事は、米軍普天間飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設に反対するあまり、共産党の言いなりにしか動けない人間になってしまった。その顛末(てんまつ)をこれまでの言動や裁判闘争から見ていく。
辺野古の埋め立て工事を阻止するために、仲井眞弘多(ひろかず)前知事の埋め立て承認を取り消した。取り消しは違法行為であると主張した国との裁判での争いになった。
最高裁は昨年、翁長知事の承認取り消しは違法であるという判決を下した。敗訴した翁長知事は承認取り消しを取り消した。埋め立てを認めた翁長知事が今度は、埋め立て予定地の岩礁破砕は違法行為であると主張し、工事を中断させる作戦に出た。
沖縄県は7月24日に辺野古基地建設の工事差し止め提訴をし、判決が出るまで工事を停止するように仮処分も申し立てた。
県庁内で臨時記者会見を開いた翁長知事は、「県民の思いを置き去りにしたまま突き進む国の姿勢が改めて問われる」と述べ、国は「工事を強行している」と国の姿勢を「荒い、荒々しい」と何度も批判しながら「ガッテンナラン(納得いかない)」と言った。
その上で、「政府の恣意(しい)的にねじ曲げるやり方は、常々述べている『法治国家』の在り方から程遠く、放っておく『放置国家』だ」と語気を強め、政府の「理不尽さ」「拙速さ」を批判した。
翁長知事はこのように国の姿勢を非難しているが、辺野古代替施設建設に至る過程を無視しているから言えるのである。辺野古移設が決まるまで5年かかり、政府は苦難の連続であったし、2005年の時点では沖縄全体が辺野古移設反対だった。時系列で振り返ってみる。
05年10月31日に稲嶺知事が北原防衛施設庁長官と会談し、その日の午後、沿岸部移設拒否を表明した。
その翌日、辺野古、豊原、久志の3区長が北原防衛庁長官と会談、沿岸案拒否を伝えた。
・11月7日には、宜野座村議会が沿岸案反対を可決した。
・12月16日、県議会が沿岸案反対の意見書を全会一致で可決した。
・12月21日、宜野湾市議会が沿岸案反対を賛成多数で決議した。
・このように県全体が辺野古移設に反対していた。しかし、06年に状況が変わった。
・1月22日、沿岸案に反対し、修正案に柔軟姿勢を示す島袋吉和氏が名護市長選に初当選した。
・2月23日、自民党県選出国会議員が小泉純一郎首相に沿岸案修正を要請。首相は修正を拒否した。
・3月9日、稲嶺恵一知事が額賀防衛庁長官と会談し、沿岸案拒否を伝えた。
・4月7日、島袋市長が滑走路2本案(V字形案)で政府と合意し、宜野座村も政府と基本合意書を締結した。
・地元の名護市長と宜野座村がV字型滑走路案に賛成することによって、辺野古移設の可能性が生まれてくる。しかし、3者合意まで2年を要した。
08年3月14日、政府、県、名護市長の合意を受け、沖縄防衛局が方法書の追加修正資料の修正版を沖縄県に提出し、方法書を確定した。
◆菅政権が移設を決定
・09年9月25日、鳩山連立政権が発足。鳩山首相は県外移設が前提との考えを表明し、辺野古移設を否定した。
・10年4月9日、鳩山首相が移設先として鹿児島県徳之島を明言するが地元の反対で断念。辺野古移設を宣言した。
・6月4日、鳩山首相が退陣し、菅直人氏が首相に就任。辺野古移設を明言した。
・実はこの日、辺野古移設の政治決着がついたのである。辺野古移設が最終的に決まったのは民主党政権時代であったことを付記しておきたい。
・2013年3月22日、辺野古移設が決まったため、沖縄防衛局は公有水面埋め立て承認申請書を県に提出した。
・12月27日、仲井真知事は沖縄防衛局が申請した辺野古沿岸部の埋め立て申請を承認した。これで辺野古移設が最終決着した。
辺野古移設が決着した1年後、14年11月の県知事選で翁長氏は「辺野古移設反対」を公約にして立候補した。辺野古移設が決着する前なら翁長氏の選挙公約は有効であるが、当選した後に辺野古移設に反対した。
しかし、辺野古移設は4年前に決まったのである。そして、知事に就任する1年前には埋め立ても承認された。翁長知事は政府の正式な法的手続きによる辺野古移設決定を無視したのである。
政府は法律に則(のっと)って辺野古移設も埋め立ても決めた。埋め立て承認を取り消した翁長知事の方が違法行為をしたのだ。だから最高裁は翁長知事の取り消しを違法であると判決したのである。翁長知事の方が法を「放置した」のだ。
翁長知事は「辺野古に新基地は造らせないとの公約実現に不退転の決意で取り組む」と決意表明をしている。何が何でも辺野古基地建設を阻止しようとしている翁長知事の方が非民主的であり、法を破っている。
なぜ、翁長知事はこれほどまでに違法行為をするのか。その原因は共産党と手を組んだからである。
◆知事になるため共闘
自民党保守政治家として絶対にやってはならないことを翁長知事はやった。それが共産党との共闘である。
翁長知事は県知事選の時「イデオロギーは腹八分六分にして沖縄アイデンティティーで共闘する」と宣言し、共産党と共闘したが、日本共産党は「マルクス・レーニン主義」から始まったイデオロギーの塊の政党である。沖縄アイデンティティーなどあるはずがない。
自民党から離れた翁長氏が知事選に勝つ方法として考え出したのが共産党、社民党、沖縄社会大衆党の左系3党との共闘であった。翁長氏は辺野古移設反対を選挙公約にして左系3党と共闘し、当選して知事になった。ここまでは翁長氏の思惑通りであった。しかし、知事になってからは共産党に支配されていく。
共産党は左翼イデオロギーの塊である。共産党が保守を自認する翁長知事と共闘するはずがない。思いのままに支配する目的で共産党は翁長知事と共闘したのである。翁長知事は次第に共産党の操り人形になっていった。
結局、翁長知事は最高裁の判決に従い埋め立て承認取り消しを取り消した。埋め立てするには岩礁を破砕しなければならない。国が岩礁破砕の申請をすれば県は許可しなければならない。
それでも、共産党に支配された翁長知事は許可をしない。そして、岩礁破砕をするのは県漁業調整規則に違反しているなどとして、工事の差し止めを要求する。共産党に支配された翁長知事が許可しないことを政府は予測していた。だから、政府は名護漁協に漁業権を放棄させた。漁業権がない箇所であれば県に許可申請をする必要はないからだ。
そこで、翁長知事は差し止め訴訟に出た。過去の判例もあるから翁長知事の敗北は最初から決まっている。翁長知事は負けがミエミエの裁判を本当はやりたくないはずである。しかし、やらなければならない。共産党が要求したからだ。裁判闘争をやれば辺野古新基地建設反対運動を盛り上げることができる。そのために共産党は裁判闘争を翁長知事にやらせたのである。
もし翁長知事が提訴をしないなら即、左系3党は翁長知事を支持しなくなる。3党の支持を維持し、知事の座を守るためには提訴をするしかないのである。
東京都知事選の時、民進党の保守系議員が民進党を離党して都民ファーストに入党した。その結果、民進党は大敗した。民進党内の保守系議員が離党したのは、蓮舫代表が共産党と連携する方向に進めているのが原因だった。保守政治家にとって共産党と連携するのは考えられないことである。
ところが、沖縄では自民党県連のリーダーであった翁長知事が自分から進んで共産党と共闘したのである。知事になりたいために安易に共産党と共闘した翁長知事は共産党の操り人形になる運命であった。
翁長知事の2男、翁長雄治(たけはる)氏(30)は、那覇市議会選で4163票という2位の得票で当選した。雄治氏は父翁長知事を「すべての面において憧れだ」と言い、「私は保守政治家としてやっていく」と宣言した。その一方で、共産党市政を率いる城間幹子市長を支えると述べている。親子2代とも保守を自認しながらも保守の大敵である共産党と共闘するのである。あきれてしまう。こんな保守がいられるのは沖縄だけだろう。
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2025年02月05日
浦添市長選で起こったオール沖縄の分裂
浦添市長選で起こったオール沖縄の分裂
浦添市長選に無所属の現職で4期目を目指す松本哲治市長と無所属で新人の里道昭美氏が立候補した。松本市長は自民、公明推薦である。しかし、里道氏はオール沖縄が推薦していない。普通なら自民、公明推薦対オール沖縄推薦が選挙のパターンである。2021年は伊礼悠記氏(38が立候補した。オール沖縄は慰霊しを推薦した。里道候補も伊礼候補同じように那覇軍港の浦添移設に反対している。二人の選挙公約は同じである。それなのにオール沖縄は里道候補を推薦しなかったのである。本来なら推薦していたはずなのに推薦しなかったのだ。
なぜオール沖縄は郷道候補を推薦しなかったのか。原因はデニー知事とオール沖縄の対立にある。オール沖縄は那覇軍港の浦添移転に反対である。オール沖縄は普天間飛行場の辺野古移設反対によって結成された。辺野古移設反対は米軍基地の県内移設に反対であるからだ。同じように那覇軍港の県内移設にも反対である。しかし、デニー知事は違う。普天間飛行場の辺野古移設には反対であるが那覇軍港の浦添移設には賛成なのだ。デニー知事が浦添移設に賛成だからデニー知事を支持しているオール沖縄は浦添移設に反対することができないのだ。デニー知事とオール沖縄が分裂したためにオール沖縄は統一候補を出すことができなかったのである。
米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添移設を巡り、民港北側に軍港代替施設を設置する形状案を受け入れた玉城デニー知事は2022年10月25日に、辺野古新基地建設計画に反対する県の姿勢との整合性を問われ「辺野古の移設と那覇軍港の移設は全く別の計画だ。これからしっかりと説明していきたい」との見解を示した。3年前に述べたデニー知事の考えが今も続いている。オール沖縄は那覇軍港の浦添移設賛成派と反対派に分裂しているために浦添市長候補を出すことができなかったのだ。
里道候補は那覇軍港の浦添移設に反対である。オール沖縄の浦添反対派が独自に里道氏を立候補に立てたのだ。徹底して浦添右折に反対しているのは共産党である。共産党はすべての米軍基地を沖縄から撤去することを主張している。例えデニー知事が浦添移設を主張しても共産党は反対である。だから、デニー知事が移設に賛成しても共産党は反対し、共産党員である里道氏を立候補に立てたのである。
那覇軍港(約56ヘクタール)を巡っては、4選を目指す松本氏が2022年、浦添市西海岸の約49ヘクタールを埋め立てて代替施設を建設する計画で県、那覇市と合意し、防衛省が海域の地盤調査を進めている。一方、里道氏は自然保護の観点から、埋め立て中止と軍港の無条件返還を主張している。
浦添市長選でデニー知事派と共産党派に分裂した。市長選でオール沖縄は全敗を続行中である。それに浦添市長選では分裂だ。浦添市長選では保守の松本市の圧勝は確実だある。オール沖縄の衰退は止まらない。
一九五七年頃に体験したお話
おっかあとドラムカン
「おっかあ。今度の日曜日は渡久地の浜に行く。清二兄ちゃんが連れて行くってさ。ドラム缶を取りに行くんだ。」
啓一は遊びから帰ってくるなりおっかあに言った。啓一は小学三年生。遊び盛りの少年だ。野山を駆け巡り村の広場で遊びまくり夜遅く帰ったり日曜日なぞは朝から家を出て夕方に帰ってくるのはしょっちゅうだ。その度に啓一はおっかあにこっぴどく叱られる。でも川や山に遊びに行くと言えばおっかあは「だめだ。」と言うに決まっている。だから啓一はおっかあに内緒で川や山に遊びに行くんだ。家を出る時、おっかあが「どこに行くんだい。」と聞くと「公民館。」とか「神社に。」とか「よし坊の家に。」と嘘をついて家を出ることにしている。いわゆる子供の処世術ということだ。日が暮れる前に家に帰ってしまえばおっかあに怒られることはないが遊びに夢中になる夕暮れまで遊んでしまう。すると家につく頃にはすっかり日が暮れてしまう。だからおっかあこっぴどく叱られてしまうというわけだ。啓一はおっかあに叱られるのは怖いから日が暮れる前に家に帰ろうと思っているが、遊びに夢中になるとそれを忘れてしまう。なにしろ啓一は小学三年生。まだ遊び盛りの子供だ。海に遊びに行くなんて絶対におっかあは許さない。なにしろ海はとても遠い。とても遠い海に遊びに行くことは絶対におっかあは許さない。
「え、ドラム缶を取りに行くのか。」
おっかあはドラム缶と聞いて目の色が変わった。
「う、うん。」
おっかあが目の色を変えて顔を啓一に接近させたものだから啓一はおっかあに叱られるかも知れないと後ずさりした。
「渡久地の浜にドラム缶があるというのは本当なのか。」
「うん。清二にいちゃんが言っていた。」
「一本だけあるのかい。」
「たくさんあるらしいよ。砂に埋まっているらしいよ。」
おっかあの目が輝いた。
「渡久地の浜は金網の中だよ。どうして入っていくんだ。パスがなければ入れないはずだよ。」
「清二兄ちゃんは監視員のおじさんと知り合いだからできるらしいよ。」
おっかあは啓一をじーっと見つめた。啓一はおっかあが怒っているのかと心配し叱られるかもしれないと体を固めた。おっかあを怒らすようなことを言っていない積もりなのにおっかあは怒る時があるからだ。
「渡久地の浜にドラム缶があるというのは本当なんだろうね。」
おっかあはなぜか念入りに聞いてきた。おっかあは自分が嘘をついていると疑っているのだろうかと啓一は思った。でもそれは清二兄ちゃんが言ったことであり啓一は清二兄ちゃんの言ったことをそのまま信じるしかないのだから渡久地の浜にドラム缶があるということが嘘であるかどうかは啓一は知らない。それは清二兄ちゃんが知っていることだ。啓一は返事に困り下を向いた。あっかあに疑われたのでは渡久地の浜にいけないなと啓一は諦めかけた時に、
「確かめてくる。」
と言って外に出た。
暫くしておっかあが帰ってきた。
「啓一。渡久地の浜にはおっかあも行くからな。」
と言った。啓一は驚いた。おっかあのお腹はでっかくなっている。来月には啓一の弟か妹が生まれるはずだ。でっかいお腹のおっかあが渡久地の浜に行くなんて啓一には信じられなかった。
渡久地の浜は金網の中にある。トリー通信基地というアジアで一番大きい通信基地を作るときに海の近くにあった渡久地村をまるごと引越しさせた。渡久地村だけではない。北側の楚辺村もまるごと引越しさせ、大木村や古堅村の半分も削り取ったとても広い通信基地なのだ。金網の中にはとてもでかい鉄塔がいくつも並び、鉄塔の先端にはフェンシング剣の刃のようなものがまっすぐ立ち雲を突き刺しそうに聳えていた。渡久地の浜に行くには金網の中に入らなければならないが金網の中に入るにはアメリカ軍から発行される通行証が必要だった。通行証はトリー通信基地で働いている人と金網の中に土地を持っている人に発行されていたから啓一のおっかあのようにトリー通信基地に土地を持っていない人間は入ることができなかった。
しかし、ゲートには沖縄の監視員とアメリカ人の監視員の二人がいたが沖縄の監視員は近隣の村の出身で顔見知りだから話せば分かるというようなものだ。
啓一はお腹のでーっかいおっかあが渡久地の浜に行くというのでたまげた。なぜドラム缶の話におっかあが目の色を変えたか子供の啓一は分からなかった。戦前は水脈を探し水脈のある場所に井戸を堀り井戸のある所に家を作った。だから各家には井戸あり水に不自由しなかった。ところが大戦争が終わるとアメリカ軍は大きい軍事基地を造るために村々を接収し村々の人々は井戸のないところにも家を建てなければならなかったから水タンクが必要になった。その水タンクにドラム缶はうってつけだったからドラム缶は高く売れたのだ。水道のない時代だ。水をたくさん溜めることのできるドラム缶は貴重な存在だった。来月には子供が生まれる啓一のおっかあはお産の費用のために啓一たちと渡久地の浜にドラム缶をとりに行くことにした。
日曜日、おっかあはつるはしを持った。啓一はへらだ。啓一の家にはスコップというしゃれたものはない。啓一のおとうは戦前も農民で戦争の時は兵隊に行ったが戦争から帰ってきても多くの人が軍作業員になったり基地の近くの街で働くようになっていたが啓一のおとうだけは農民をやっていた。昔ながらの農業にはスコップは必要がない。鍬と鎌があればやっていける。だから啓一の家にはスコップはなかった。
清二の家の近くの辻に大きながじゅまるの木があり、木の下が集合場所になっていた。
「おっかあ。ぼくがつるはしを持つよ。」
でっかいお腹のおっかあにつるはしを持たすのはかわいそうな気がした。
「そうかい。すまないね。」
啓一とおっかあはつるはしとへらを交代した。
がじゅまるの木の下にはてっちゃんの弟だけでなくお父とお母も来ていた。てっちゃんは名前を哲夫といい啓一よりふたつ上でてっちゃんの屋敷の回りには大きいがじゅまるの木が防風林として植わっていた。がじゅまるの木に家を作って啓一はてっちゃん兄弟とよく遊んでいた。
「てっちゃんのお父とお母も行くのか。」
「ああ。」
てっちゃんはお父とお母が一緒に行くのはおもしろくないようだ。苦虫を潰した顔をして舌打ちをした。てつは哲三と言いてっちゃんの弟で七歳になる。てつははしゃいでいる。渡久地の浜に遠足をする気分だ。啓一もてつと同じ気持ちだ。てっちゃんはお父とお母が遠足気分を消してしまうので不機嫌だった。
浮かない顔をしているのがもう一人居た。精一である。子供の親が参加するのは想定外だった。
清一23歳 清二十一歳清三・清ぼう八歳
啓一・・・八歳、おっかあ・・・
哲夫・・・てっちゃん・・・十歳
哲三・・・七歳
チルー・・・てっちゃんの母親
哲吉・・・てっちゃんの父親
沖縄の監視員に話をつければ入ることができた。
黙認耕作地として畑仕事の人は毎日出入りする農民はうっかり者が多く通行証を忘れる人もいる。通行証を持っていないからと無碍に返すわけにもいかない。
渡久地の浜にドラム缶が埋まっているという噂を清二は聞いた。清二は渡久地の浜に行ってみた。噂どおりにドラム缶は埋まっている。渡久地の浜はアメリカ軍が沖縄本島に最初に上陸した浜だ。恐らく上陸したアメリカ軍が作戦本部かなにかを設置するために砂場に多くのドラム缶を埋めて平らで安定した地面にしたのだろう。ドラム缶の大半はなくなっていた。
カーっと晴れた空だ。白雲に朝の太陽がぶつかってまぶしい。初夏の日曜日。
古堅村を過ぎると金網に囲まれた場所に出た。金網は古堅村から大木村に続きそれからそべ村へととても長い金網が続いていた。啓一たちは金網の入り口に来た。啓一たちは心配そうに目を合わした。啓一のお母と清一のお母も不安そうである。入り口にはアメリカ兵が立っていた。清一はアメリカ兵に通行許可証を見せるとアメリカ兵は手に取って確かめ、通行許可証が本物であることに頷きながら清一に返した。清一は詰め所の側に立っているガードマンに近づいた。
「源三さん。大人も入れてくれないか。」
源三は困ったようで腕組みをした。
「大人は困る。」
「頼むよ。」
二人は詰め所の中に入って行った。
「子供を連れてくると言ったじゃないか。」
清一は頭を掻いた。
「その積もりだったが。ドラム缶を掘ると聞いて是非一緒に掘らせてくれと頼まれたのだ。断ることができなかった。ナビーさんはもうすぐ子供が生まれるらしい。お産費用にしたいと泣きつかれた。」
源三は外を見た。お腹の大きい女が心配そうに詰め所の方を見ている。
「そうか。子供が生まれるのか。お産の費用にするのか。」
源三は独り言のように呟いた。
「おじさん。お願いだ。みんな入れてくれ。」
源三は暫くの間迷っていたが、
「分かった。みんなをここに呼んでくれ。」
清一は外に出て、入り口に立っているみんなを呼んだ。入り口から詰め所まで三十メートル程あった。いよいよ金網の中に入るのだ。啓一はぞくぞくしてきた。民間地との結界を越えて危険地帯に入ったような気分である。啓一のお母とてっちゃんのお母とお父は詰め所の中に呼ばれた。
啓一はアメリカ兵の側に近寄った。一メートル八十センチを越す大きな体のアメリカ兵だ。赤ら顔のアメリカ兵は十九歳の軍人で動きはぎこちなかった。ちらちらと啓一たちの方を見たりした。
「おい、本物の拳銃だよ。」
アメリカ兵の腰にはコルト45軍用拳銃がホルダーに収まっていた。啓一とせい坊とてっちゃんはアメリカ兵の回りに集まって拳銃を見つめた。ずしりと重そうな拳銃である。本物の拳銃を間近で見ているとぞくぞくしてくる。アメリカ兵は子供たちが回りをうろうろしていることに戸惑い、咳をして腰を揺らした。
「おうい。行くぞ。」
源三は三人の名前を聞いてノートに記した。名目には畑仕事と書いた。一九五七年の頃である。知り合いは顔パスの時代であった。
黒いアスファルト道がぐーんとまっすぐ伸びている。アスファルトが舗装されているのは沖縄の幹線道路の一号線だけである。村の中央通りも学校へ行く道路も砂利の道だ。アスファルト道路はバスやタクシーやジープにトラックそして戦車が走る。だから人はアスファルト道路を横切るだけだ。ところが金網の中のアスファルト道路は車が通る気配がない。歩道もないからみんなはアスファルト道路の真ん中を歩いた。恵一たち子供は平らなアスファルト道路でかけっこした。
広くて舗装された道路を自在に歩くのは初めてだ。気持ちいい。開放された気分だ。
アスファルトが途絶えて赤土が剥き出しなった道になった。道の中央は雨水に抉り取られて溝になっていた。
「海だあ。」
渡久地の浜に出た。真っ白な砂浜がズーっと続いている。啓一も清二も清三もてっちゃんも哲三も「うわー。」と叫びながら砂浜に走りこんだ。朝日に映える砂浜はまぶしい。
通行許可証なしに金網の中に入るのは初めてだ。
砂浜は百メートルの長さがあり砂浜が切れてアスファルで固められた広場があり、広場には山のように大きい岩があり海に突き出ていた。直角に切り立った岩山は十メートルの高さがあった。
啓一は岩の下に立ち岩を見上げた。
「高えなあ。」
直角の岩は登れそうにない。岩山の側から海を見た。波が真下の壁にざぶーんとぶつかっては返す。
「おまえたちい、なにをしているんだあ。こっちにこうい。」
精一の声が聞こえた。啓一たちは精一のところに走った。
十三個のドラム缶が砂に埋まっていた。大半は掘り返されていた。ドラム缶は空であった。でこぼこな海岸にドラム缶を敷いて平坦にしたのだろう。渡久地海岸はアメリカ軍が上陸した場所である。ドラム缶を敷いた場所は指令部だったかも知れない。おっかあたちはドラム缶を調べた。どれが掘りやすいかどれが穴が空いていないかを調べた。
啓一のおっかあは西側にあるドラム缶を掘ることにした。ドラム缶は砂に埋まっていた。砂はコンクリーのように固くつるはししか使えなかった。
岩山の右側に回ると七〇度の崖になっていた。
「こっちから上れるかも知れないぞ。」
啓一は岩を登り始めた。ところどころに足場があり予想外に簡単に登れた。岩の頂上まで登った。岩の上は平らになっていた。岩の頂上まで登って啓一は驚いて足を止めた。岩の頂上には先客が居た。親子のようである。ぼろぼろなクバ笠を被っている男は痩せていて色が黒かった。タオルを頭に巻いている男は太っていて若かった。二人が海に向かって座っていた。若い男は啓一に気づくと立ち上がって回りを見回した。くば笠の男は啓一をぎろっと見た。鋭いめつきに啓一は緊張し体が硬直した。啓一は後ろから上ってきた哲三に「しー。」と口に指を立てた。
男は啓一たちに立ち去るように手を振った。
タバコを缶の火縄につけると火縄から煙が昇った。男は缶を海に放り投げた。缶が海面に落ちて数秒するとドーンと水柱が上がった。そして、爆発でショックを受けた魚が海面に浮かんだ。二人の男は岩から下りて小さなサバニに乗ると沖へ漕ぎ出した。
ドーンという音にドラム缶を掘っている人たちは驚いた。
「なんの音だ。」
「どこから聞こえた。」
回りを見るとなにも変わった様子は見えない。
「あっちから聞こえた。」
と精一が岩の方を指すと啓一たち子供がいっせいに岩の方に走り出した。大人たちもスコップやつるはしを置いて海の方に近づいていった。
数十メートル沖に浮かんでいるサバニの二人の男は海面に浮かんでいる魚を拾っていた。
「ハッパだ。」
「ああ。ハッパだ。」
大人たちはそう言いながらサバニを見ていた。
「あれはなんだあ。」
とてっちゃんが大声を出した。啓一がてっちゃんのところに行くとてっちゃんは海の方を指していた。
岸から十メートルくらい沖で銀色に輝くものが波に揺られていた。魚のようであるがはっきりは分からない。大人たちも寄ってきた。てっちゃんは海に飛び込んだ。銀色の物体に近づいていったが泳いでいるてっちゃんは銀色の物体の位置を見失った。
「もっとみぎー」
岸に居る大人たちはしきり銀色の物体の位置をてっちゃんに知らせた。それでもなかなかてっちゃんは銀色の物体を見つけきれなかった。やっと見つけて銀色の物体を掴んで持ち上げた。それはハッパで死んだ五十センチほどの魚だった。
「なんの魚だ。」
「かつおか。」
「いやかつおじゃねえ。」
「まぐろか」
「まさか。」
農民たちは魚の名前を知らなかった。
「どうするおっかあ。」
てっちゃんはおっかあに聞いた。おっかあは手を振っててっちゃんに家に帰れと指示した。てっちゃんはおっかあに頷いた後、魚を持って家に走って帰っていった。
掘り返したドラム缶を海岸に出した。砂浜の陸地の部分は一本道になっていた。ドラム缶を運ぶうちに砂が固められていた。
くず鉄屋に到着した頃にはすっかり日が暮れていた。
おっかあは精一に言った。
「啓一はあんなに頑張ったんだよ。五十円は安いよ。せめて半々にしてくれないか。」
おっかあは交渉して啓一の貰い分を百円にした。百円はおっかあの懐に入った。
はるか遠い沖縄がゼロから少しずつ復興している途中の話である。
浦添市長選に無所属の現職で4期目を目指す松本哲治市長と無所属で新人の里道昭美氏が立候補した。松本市長は自民、公明推薦である。しかし、里道氏はオール沖縄が推薦していない。普通なら自民、公明推薦対オール沖縄推薦が選挙のパターンである。2021年は伊礼悠記氏(38が立候補した。オール沖縄は慰霊しを推薦した。里道候補も伊礼候補同じように那覇軍港の浦添移設に反対している。二人の選挙公約は同じである。それなのにオール沖縄は里道候補を推薦しなかったのである。本来なら推薦していたはずなのに推薦しなかったのだ。
なぜオール沖縄は郷道候補を推薦しなかったのか。原因はデニー知事とオール沖縄の対立にある。オール沖縄は那覇軍港の浦添移転に反対である。オール沖縄は普天間飛行場の辺野古移設反対によって結成された。辺野古移設反対は米軍基地の県内移設に反対であるからだ。同じように那覇軍港の県内移設にも反対である。しかし、デニー知事は違う。普天間飛行場の辺野古移設には反対であるが那覇軍港の浦添移設には賛成なのだ。デニー知事が浦添移設に賛成だからデニー知事を支持しているオール沖縄は浦添移設に反対することができないのだ。デニー知事とオール沖縄が分裂したためにオール沖縄は統一候補を出すことができなかったのである。
米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添移設を巡り、民港北側に軍港代替施設を設置する形状案を受け入れた玉城デニー知事は2022年10月25日に、辺野古新基地建設計画に反対する県の姿勢との整合性を問われ「辺野古の移設と那覇軍港の移設は全く別の計画だ。これからしっかりと説明していきたい」との見解を示した。3年前に述べたデニー知事の考えが今も続いている。オール沖縄は那覇軍港の浦添移設賛成派と反対派に分裂しているために浦添市長候補を出すことができなかったのだ。
里道候補は那覇軍港の浦添移設に反対である。オール沖縄の浦添反対派が独自に里道氏を立候補に立てたのだ。徹底して浦添右折に反対しているのは共産党である。共産党はすべての米軍基地を沖縄から撤去することを主張している。例えデニー知事が浦添移設を主張しても共産党は反対である。だから、デニー知事が移設に賛成しても共産党は反対し、共産党員である里道氏を立候補に立てたのである。
那覇軍港(約56ヘクタール)を巡っては、4選を目指す松本氏が2022年、浦添市西海岸の約49ヘクタールを埋め立てて代替施設を建設する計画で県、那覇市と合意し、防衛省が海域の地盤調査を進めている。一方、里道氏は自然保護の観点から、埋め立て中止と軍港の無条件返還を主張している。
浦添市長選でデニー知事派と共産党派に分裂した。市長選でオール沖縄は全敗を続行中である。それに浦添市長選では分裂だ。浦添市長選では保守の松本市の圧勝は確実だある。オール沖縄の衰退は止まらない。
一九五七年頃に体験したお話
おっかあとドラムカン
「おっかあ。今度の日曜日は渡久地の浜に行く。清二兄ちゃんが連れて行くってさ。ドラム缶を取りに行くんだ。」
啓一は遊びから帰ってくるなりおっかあに言った。啓一は小学三年生。遊び盛りの少年だ。野山を駆け巡り村の広場で遊びまくり夜遅く帰ったり日曜日なぞは朝から家を出て夕方に帰ってくるのはしょっちゅうだ。その度に啓一はおっかあにこっぴどく叱られる。でも川や山に遊びに行くと言えばおっかあは「だめだ。」と言うに決まっている。だから啓一はおっかあに内緒で川や山に遊びに行くんだ。家を出る時、おっかあが「どこに行くんだい。」と聞くと「公民館。」とか「神社に。」とか「よし坊の家に。」と嘘をついて家を出ることにしている。いわゆる子供の処世術ということだ。日が暮れる前に家に帰ってしまえばおっかあに怒られることはないが遊びに夢中になる夕暮れまで遊んでしまう。すると家につく頃にはすっかり日が暮れてしまう。だからおっかあこっぴどく叱られてしまうというわけだ。啓一はおっかあに叱られるのは怖いから日が暮れる前に家に帰ろうと思っているが、遊びに夢中になるとそれを忘れてしまう。なにしろ啓一は小学三年生。まだ遊び盛りの子供だ。海に遊びに行くなんて絶対におっかあは許さない。なにしろ海はとても遠い。とても遠い海に遊びに行くことは絶対におっかあは許さない。
「え、ドラム缶を取りに行くのか。」
おっかあはドラム缶と聞いて目の色が変わった。
「う、うん。」
おっかあが目の色を変えて顔を啓一に接近させたものだから啓一はおっかあに叱られるかも知れないと後ずさりした。
「渡久地の浜にドラム缶があるというのは本当なのか。」
「うん。清二にいちゃんが言っていた。」
「一本だけあるのかい。」
「たくさんあるらしいよ。砂に埋まっているらしいよ。」
おっかあの目が輝いた。
「渡久地の浜は金網の中だよ。どうして入っていくんだ。パスがなければ入れないはずだよ。」
「清二兄ちゃんは監視員のおじさんと知り合いだからできるらしいよ。」
おっかあは啓一をじーっと見つめた。啓一はおっかあが怒っているのかと心配し叱られるかもしれないと体を固めた。おっかあを怒らすようなことを言っていない積もりなのにおっかあは怒る時があるからだ。
「渡久地の浜にドラム缶があるというのは本当なんだろうね。」
おっかあはなぜか念入りに聞いてきた。おっかあは自分が嘘をついていると疑っているのだろうかと啓一は思った。でもそれは清二兄ちゃんが言ったことであり啓一は清二兄ちゃんの言ったことをそのまま信じるしかないのだから渡久地の浜にドラム缶があるということが嘘であるかどうかは啓一は知らない。それは清二兄ちゃんが知っていることだ。啓一は返事に困り下を向いた。あっかあに疑われたのでは渡久地の浜にいけないなと啓一は諦めかけた時に、
「確かめてくる。」
と言って外に出た。
暫くしておっかあが帰ってきた。
「啓一。渡久地の浜にはおっかあも行くからな。」
と言った。啓一は驚いた。おっかあのお腹はでっかくなっている。来月には啓一の弟か妹が生まれるはずだ。でっかいお腹のおっかあが渡久地の浜に行くなんて啓一には信じられなかった。
渡久地の浜は金網の中にある。トリー通信基地というアジアで一番大きい通信基地を作るときに海の近くにあった渡久地村をまるごと引越しさせた。渡久地村だけではない。北側の楚辺村もまるごと引越しさせ、大木村や古堅村の半分も削り取ったとても広い通信基地なのだ。金網の中にはとてもでかい鉄塔がいくつも並び、鉄塔の先端にはフェンシング剣の刃のようなものがまっすぐ立ち雲を突き刺しそうに聳えていた。渡久地の浜に行くには金網の中に入らなければならないが金網の中に入るにはアメリカ軍から発行される通行証が必要だった。通行証はトリー通信基地で働いている人と金網の中に土地を持っている人に発行されていたから啓一のおっかあのようにトリー通信基地に土地を持っていない人間は入ることができなかった。
しかし、ゲートには沖縄の監視員とアメリカ人の監視員の二人がいたが沖縄の監視員は近隣の村の出身で顔見知りだから話せば分かるというようなものだ。
啓一はお腹のでーっかいおっかあが渡久地の浜に行くというのでたまげた。なぜドラム缶の話におっかあが目の色を変えたか子供の啓一は分からなかった。戦前は水脈を探し水脈のある場所に井戸を堀り井戸のある所に家を作った。だから各家には井戸あり水に不自由しなかった。ところが大戦争が終わるとアメリカ軍は大きい軍事基地を造るために村々を接収し村々の人々は井戸のないところにも家を建てなければならなかったから水タンクが必要になった。その水タンクにドラム缶はうってつけだったからドラム缶は高く売れたのだ。水道のない時代だ。水をたくさん溜めることのできるドラム缶は貴重な存在だった。来月には子供が生まれる啓一のおっかあはお産の費用のために啓一たちと渡久地の浜にドラム缶をとりに行くことにした。
日曜日、おっかあはつるはしを持った。啓一はへらだ。啓一の家にはスコップというしゃれたものはない。啓一のおとうは戦前も農民で戦争の時は兵隊に行ったが戦争から帰ってきても多くの人が軍作業員になったり基地の近くの街で働くようになっていたが啓一のおとうだけは農民をやっていた。昔ながらの農業にはスコップは必要がない。鍬と鎌があればやっていける。だから啓一の家にはスコップはなかった。
清二の家の近くの辻に大きながじゅまるの木があり、木の下が集合場所になっていた。
「おっかあ。ぼくがつるはしを持つよ。」
でっかいお腹のおっかあにつるはしを持たすのはかわいそうな気がした。
「そうかい。すまないね。」
啓一とおっかあはつるはしとへらを交代した。
がじゅまるの木の下にはてっちゃんの弟だけでなくお父とお母も来ていた。てっちゃんは名前を哲夫といい啓一よりふたつ上でてっちゃんの屋敷の回りには大きいがじゅまるの木が防風林として植わっていた。がじゅまるの木に家を作って啓一はてっちゃん兄弟とよく遊んでいた。
「てっちゃんのお父とお母も行くのか。」
「ああ。」
てっちゃんはお父とお母が一緒に行くのはおもしろくないようだ。苦虫を潰した顔をして舌打ちをした。てつは哲三と言いてっちゃんの弟で七歳になる。てつははしゃいでいる。渡久地の浜に遠足をする気分だ。啓一もてつと同じ気持ちだ。てっちゃんはお父とお母が遠足気分を消してしまうので不機嫌だった。
浮かない顔をしているのがもう一人居た。精一である。子供の親が参加するのは想定外だった。
清一23歳 清二十一歳清三・清ぼう八歳
啓一・・・八歳、おっかあ・・・
哲夫・・・てっちゃん・・・十歳
哲三・・・七歳
チルー・・・てっちゃんの母親
哲吉・・・てっちゃんの父親
沖縄の監視員に話をつければ入ることができた。
黙認耕作地として畑仕事の人は毎日出入りする農民はうっかり者が多く通行証を忘れる人もいる。通行証を持っていないからと無碍に返すわけにもいかない。
渡久地の浜にドラム缶が埋まっているという噂を清二は聞いた。清二は渡久地の浜に行ってみた。噂どおりにドラム缶は埋まっている。渡久地の浜はアメリカ軍が沖縄本島に最初に上陸した浜だ。恐らく上陸したアメリカ軍が作戦本部かなにかを設置するために砂場に多くのドラム缶を埋めて平らで安定した地面にしたのだろう。ドラム缶の大半はなくなっていた。
カーっと晴れた空だ。白雲に朝の太陽がぶつかってまぶしい。初夏の日曜日。
古堅村を過ぎると金網に囲まれた場所に出た。金網は古堅村から大木村に続きそれからそべ村へととても長い金網が続いていた。啓一たちは金網の入り口に来た。啓一たちは心配そうに目を合わした。啓一のお母と清一のお母も不安そうである。入り口にはアメリカ兵が立っていた。清一はアメリカ兵に通行許可証を見せるとアメリカ兵は手に取って確かめ、通行許可証が本物であることに頷きながら清一に返した。清一は詰め所の側に立っているガードマンに近づいた。
「源三さん。大人も入れてくれないか。」
源三は困ったようで腕組みをした。
「大人は困る。」
「頼むよ。」
二人は詰め所の中に入って行った。
「子供を連れてくると言ったじゃないか。」
清一は頭を掻いた。
「その積もりだったが。ドラム缶を掘ると聞いて是非一緒に掘らせてくれと頼まれたのだ。断ることができなかった。ナビーさんはもうすぐ子供が生まれるらしい。お産費用にしたいと泣きつかれた。」
源三は外を見た。お腹の大きい女が心配そうに詰め所の方を見ている。
「そうか。子供が生まれるのか。お産の費用にするのか。」
源三は独り言のように呟いた。
「おじさん。お願いだ。みんな入れてくれ。」
源三は暫くの間迷っていたが、
「分かった。みんなをここに呼んでくれ。」
清一は外に出て、入り口に立っているみんなを呼んだ。入り口から詰め所まで三十メートル程あった。いよいよ金網の中に入るのだ。啓一はぞくぞくしてきた。民間地との結界を越えて危険地帯に入ったような気分である。啓一のお母とてっちゃんのお母とお父は詰め所の中に呼ばれた。
啓一はアメリカ兵の側に近寄った。一メートル八十センチを越す大きな体のアメリカ兵だ。赤ら顔のアメリカ兵は十九歳の軍人で動きはぎこちなかった。ちらちらと啓一たちの方を見たりした。
「おい、本物の拳銃だよ。」
アメリカ兵の腰にはコルト45軍用拳銃がホルダーに収まっていた。啓一とせい坊とてっちゃんはアメリカ兵の回りに集まって拳銃を見つめた。ずしりと重そうな拳銃である。本物の拳銃を間近で見ているとぞくぞくしてくる。アメリカ兵は子供たちが回りをうろうろしていることに戸惑い、咳をして腰を揺らした。
「おうい。行くぞ。」
源三は三人の名前を聞いてノートに記した。名目には畑仕事と書いた。一九五七年の頃である。知り合いは顔パスの時代であった。
黒いアスファルト道がぐーんとまっすぐ伸びている。アスファルトが舗装されているのは沖縄の幹線道路の一号線だけである。村の中央通りも学校へ行く道路も砂利の道だ。アスファルト道路はバスやタクシーやジープにトラックそして戦車が走る。だから人はアスファルト道路を横切るだけだ。ところが金網の中のアスファルト道路は車が通る気配がない。歩道もないからみんなはアスファルト道路の真ん中を歩いた。恵一たち子供は平らなアスファルト道路でかけっこした。
広くて舗装された道路を自在に歩くのは初めてだ。気持ちいい。開放された気分だ。
アスファルトが途絶えて赤土が剥き出しなった道になった。道の中央は雨水に抉り取られて溝になっていた。
「海だあ。」
渡久地の浜に出た。真っ白な砂浜がズーっと続いている。啓一も清二も清三もてっちゃんも哲三も「うわー。」と叫びながら砂浜に走りこんだ。朝日に映える砂浜はまぶしい。
通行許可証なしに金網の中に入るのは初めてだ。
砂浜は百メートルの長さがあり砂浜が切れてアスファルで固められた広場があり、広場には山のように大きい岩があり海に突き出ていた。直角に切り立った岩山は十メートルの高さがあった。
啓一は岩の下に立ち岩を見上げた。
「高えなあ。」
直角の岩は登れそうにない。岩山の側から海を見た。波が真下の壁にざぶーんとぶつかっては返す。
「おまえたちい、なにをしているんだあ。こっちにこうい。」
精一の声が聞こえた。啓一たちは精一のところに走った。
十三個のドラム缶が砂に埋まっていた。大半は掘り返されていた。ドラム缶は空であった。でこぼこな海岸にドラム缶を敷いて平坦にしたのだろう。渡久地海岸はアメリカ軍が上陸した場所である。ドラム缶を敷いた場所は指令部だったかも知れない。おっかあたちはドラム缶を調べた。どれが掘りやすいかどれが穴が空いていないかを調べた。
啓一のおっかあは西側にあるドラム缶を掘ることにした。ドラム缶は砂に埋まっていた。砂はコンクリーのように固くつるはししか使えなかった。
岩山の右側に回ると七〇度の崖になっていた。
「こっちから上れるかも知れないぞ。」
啓一は岩を登り始めた。ところどころに足場があり予想外に簡単に登れた。岩の頂上まで登った。岩の上は平らになっていた。岩の頂上まで登って啓一は驚いて足を止めた。岩の頂上には先客が居た。親子のようである。ぼろぼろなクバ笠を被っている男は痩せていて色が黒かった。タオルを頭に巻いている男は太っていて若かった。二人が海に向かって座っていた。若い男は啓一に気づくと立ち上がって回りを見回した。くば笠の男は啓一をぎろっと見た。鋭いめつきに啓一は緊張し体が硬直した。啓一は後ろから上ってきた哲三に「しー。」と口に指を立てた。
男は啓一たちに立ち去るように手を振った。
タバコを缶の火縄につけると火縄から煙が昇った。男は缶を海に放り投げた。缶が海面に落ちて数秒するとドーンと水柱が上がった。そして、爆発でショックを受けた魚が海面に浮かんだ。二人の男は岩から下りて小さなサバニに乗ると沖へ漕ぎ出した。
ドーンという音にドラム缶を掘っている人たちは驚いた。
「なんの音だ。」
「どこから聞こえた。」
回りを見るとなにも変わった様子は見えない。
「あっちから聞こえた。」
と精一が岩の方を指すと啓一たち子供がいっせいに岩の方に走り出した。大人たちもスコップやつるはしを置いて海の方に近づいていった。
数十メートル沖に浮かんでいるサバニの二人の男は海面に浮かんでいる魚を拾っていた。
「ハッパだ。」
「ああ。ハッパだ。」
大人たちはそう言いながらサバニを見ていた。
「あれはなんだあ。」
とてっちゃんが大声を出した。啓一がてっちゃんのところに行くとてっちゃんは海の方を指していた。
岸から十メートルくらい沖で銀色に輝くものが波に揺られていた。魚のようであるがはっきりは分からない。大人たちも寄ってきた。てっちゃんは海に飛び込んだ。銀色の物体に近づいていったが泳いでいるてっちゃんは銀色の物体の位置を見失った。
「もっとみぎー」
岸に居る大人たちはしきり銀色の物体の位置をてっちゃんに知らせた。それでもなかなかてっちゃんは銀色の物体を見つけきれなかった。やっと見つけて銀色の物体を掴んで持ち上げた。それはハッパで死んだ五十センチほどの魚だった。
「なんの魚だ。」
「かつおか。」
「いやかつおじゃねえ。」
「まぐろか」
「まさか。」
農民たちは魚の名前を知らなかった。
「どうするおっかあ。」
てっちゃんはおっかあに聞いた。おっかあは手を振っててっちゃんに家に帰れと指示した。てっちゃんはおっかあに頷いた後、魚を持って家に走って帰っていった。
掘り返したドラム缶を海岸に出した。砂浜の陸地の部分は一本道になっていた。ドラム缶を運ぶうちに砂が固められていた。
くず鉄屋に到着した頃にはすっかり日が暮れていた。
おっかあは精一に言った。
「啓一はあんなに頑張ったんだよ。五十円は安いよ。せめて半々にしてくれないか。」
おっかあは交渉して啓一の貰い分を百円にした。百円はおっかあの懐に入った。
はるか遠い沖縄がゼロから少しずつ復興している途中の話である。
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14:10
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2025年02月03日
与那国町民は自衛隊基地の強化を望んでいる
与那国町民は自衛隊基地の強化を望んでいる
与那国には自衛隊基地強化に反対する議員や運動家が居る。山田和幸氏(72歳)たちである。山田氏は京都府立高校教諭を退職後、2017年に与那国島に移住した。おきなわ住民自治研究所の会員である。住民自治研究所は、全国の都道府県・地域に38地域研究所があり、約1万人の会員がいる。住民自治研究所は共産党系である。
山田氏は自衛隊基地強化を南西諸島の軍事化、軍事要塞化と言い、与那国は米軍と自衛隊に囲われてしまって住民の生活が追いやられる事態になっているといって自衛隊基地強化に反対する運動を展開している。
ウクキライナは軍事力が弱いからロシア軍が侵攻したのである。軍事力を強化すれば与那国が中国に侵攻されることはない。そのことを与那国の町民は知っている。だからだから、山田氏の主張に賛同する町民は少ない。町民が選んだ糸数町長は「できれば憲法9条2項を変え、交戦権を認めるよう改めてほしい」と主張するほどに中国への危機感が強い。糸数町長は「将来(日本が)中国の属国に甘んじるのか、台湾という日本の生命線を死守できるかという瀬戸際にある」とし、「国の平和を脅かす国家に対して、一戦を交える覚悟が全国民に問われているのではないか」と危機感を露わにしている。
自衛隊基地の強化は島民の危機感をなくすためである。自衛隊、米軍の防衛は強固であり中国軍が台湾、与那国に侵攻することはない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
夜明けのコンビニエンス
闇が白けてくる頃に重い足取りで入ってくる
スナックの厚化粧の女たち。
ママさん六十二歳、ヒロさん六十歳、タケさん五十七歳。
「私たちは年増女だからね。朝まで商売しないと食べていくことができないのよ」
と、苦笑しながらママさんは言う。
「私もがんばるからあなたもがんばろうね」
「うん。明日もがんばろうね」
と、励ましあうのが三人の女たちの朝の口癖だ。
三人の厚化粧の女たちは家族の朝食に、
牛乳、おにぎり、弁当、パンなどを買い、
私に、「おにいさんもがんばってよ」と言って、
コンビニエンスを出て行く。
蟹股でよたよた歩きながら、
弁当、ハンバーグ、パン、お茶、ミネラルウォーターなどをかご一杯に入れる新垣さん。
「今日はやんばるの沖に行く。この年になると魚を釣るより、魚を釣らせる方が金になる」
と、御年七十三歳の元漁師の新垣さんは流暢なウチナー口で言いながら出て行く。
農民の栄吉さんはせっかちに入ってきて、
ロックアイスを抱えると床に落とす。
「ガシャ」
氷がほぐれた袋を担いで、
「キャスター」
と言い、氷とタバコを買ってせっかちに出て行く。
キヨシおじいは孫のチヨちゃんと朝の散歩。
コンビニでお菓子を買ってくれるから、
チヨちゃんはおじいと散歩するのが大好き。
ちょび髭の比嘉さんはおにぎりとお茶を買って、
公衆電話の側で食べるのが日課になっている。
「妻が入院していてねえ」
と言った比嘉さんの後ろ姿はさびしそう。
夜がすっかりと明けた頃には、
人々が忙しく入ってきて、
おにぎり、タバコ、缶コーヒー、パン、
牛乳、ペットボトル、ラーメン、お菓子、
チューインガム、アイスケーキなどが、
忙しくレジカウンターに置かれ、
袋に詰められて忙しく去って行く。
目をこする小学生、
早朝練習に行く中学生、
急ぎ足で入って来て、急ぎ足で出て行く働き盛りの
男たちや女たち。
ゆっくり入って来て、ゆっくり出て行く、
ゆったりした日々の白髪のじいさんや婆さん。
午前0時から朝八時までの深夜パート。
疲れ果てている朝に、
人々は目覚めて一日を始める。
「ああ、深夜パートは因果な仕事だ」と、
ふてくされていると、
中学一年生の由利香さんが、
「おにぎりを暖めますか」と問うた私に、
微笑みながら、
「だいじょうぶです」
と言う。
朝の少女の微笑みからこぼれ出る、
「だいじょうぶです」は、
私のふてくされをすうっと消して、
さわやかな気持ちにしてくれる。
自動車で来る人
オートバイで来る人
自転車で来る人
歩いて来る人
色々な年齢の香りと、
色々な人生の香りを、
振りまきながら、
人々は、
どこかからコンビニエンスにやって来て、
どこかへとコンビニエンスから去っていく。
ここは町はずれの、
夜明けのコンビニエンス。
みんなみんな
一日一日を生きている。
・・・・・・・・・・・・
町の裏通り
どこにでもある町の裏通り
あの遠い日
俺とお前
銭湯の帰りに
いつも通った裏通り
若い日の俺とお前
手を握り
おかしくもない冗談に笑い
笑いながら身を寄せ合い
この裏通りを歩いた
「神田川」の歌の青春を生きていた
俺とお前
月日は流れ
お前の音信も途絶え
俺は独り
どこにでもある
この町の裏通りを
今日も
歩いている
・・・・・・・・・・・・・・・・
スーちゃん流れ歌
風に吹かれて 流されて
ついた所が コザの街
十字路 がじゅまる 飛行場
旅の空に 白い雲
人が行きます 人が来る
諸味のバス停 人眺め
タバコくゆらし 仲ノ町
おいらはおいらで 生きていく
夢を見ました 故郷の
幼いおれと スーちゃんが
神社の庭で かくれんぼ
柿の木の下 まあだだよ
春が過ぎて 夏が来て
秋が過ぎて 冬が来て
酒を飲み飲み コザの街
今の俺らの 住むところ
夢のまにまに 旅をして
旅のまにまに 歌うたい
歌のまにまに 空を見て
かわいい スーちゃんを
思い出す
与那国には自衛隊基地強化に反対する議員や運動家が居る。山田和幸氏(72歳)たちである。山田氏は京都府立高校教諭を退職後、2017年に与那国島に移住した。おきなわ住民自治研究所の会員である。住民自治研究所は、全国の都道府県・地域に38地域研究所があり、約1万人の会員がいる。住民自治研究所は共産党系である。
山田氏は自衛隊基地強化を南西諸島の軍事化、軍事要塞化と言い、与那国は米軍と自衛隊に囲われてしまって住民の生活が追いやられる事態になっているといって自衛隊基地強化に反対する運動を展開している。
ウクキライナは軍事力が弱いからロシア軍が侵攻したのである。軍事力を強化すれば与那国が中国に侵攻されることはない。そのことを与那国の町民は知っている。だからだから、山田氏の主張に賛同する町民は少ない。町民が選んだ糸数町長は「できれば憲法9条2項を変え、交戦権を認めるよう改めてほしい」と主張するほどに中国への危機感が強い。糸数町長は「将来(日本が)中国の属国に甘んじるのか、台湾という日本の生命線を死守できるかという瀬戸際にある」とし、「国の平和を脅かす国家に対して、一戦を交える覚悟が全国民に問われているのではないか」と危機感を露わにしている。
自衛隊基地の強化は島民の危機感をなくすためである。自衛隊、米軍の防衛は強固であり中国軍が台湾、与那国に侵攻することはない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
夜明けのコンビニエンス
闇が白けてくる頃に重い足取りで入ってくる
スナックの厚化粧の女たち。
ママさん六十二歳、ヒロさん六十歳、タケさん五十七歳。
「私たちは年増女だからね。朝まで商売しないと食べていくことができないのよ」
と、苦笑しながらママさんは言う。
「私もがんばるからあなたもがんばろうね」
「うん。明日もがんばろうね」
と、励ましあうのが三人の女たちの朝の口癖だ。
三人の厚化粧の女たちは家族の朝食に、
牛乳、おにぎり、弁当、パンなどを買い、
私に、「おにいさんもがんばってよ」と言って、
コンビニエンスを出て行く。
蟹股でよたよた歩きながら、
弁当、ハンバーグ、パン、お茶、ミネラルウォーターなどをかご一杯に入れる新垣さん。
「今日はやんばるの沖に行く。この年になると魚を釣るより、魚を釣らせる方が金になる」
と、御年七十三歳の元漁師の新垣さんは流暢なウチナー口で言いながら出て行く。
農民の栄吉さんはせっかちに入ってきて、
ロックアイスを抱えると床に落とす。
「ガシャ」
氷がほぐれた袋を担いで、
「キャスター」
と言い、氷とタバコを買ってせっかちに出て行く。
キヨシおじいは孫のチヨちゃんと朝の散歩。
コンビニでお菓子を買ってくれるから、
チヨちゃんはおじいと散歩するのが大好き。
ちょび髭の比嘉さんはおにぎりとお茶を買って、
公衆電話の側で食べるのが日課になっている。
「妻が入院していてねえ」
と言った比嘉さんの後ろ姿はさびしそう。
夜がすっかりと明けた頃には、
人々が忙しく入ってきて、
おにぎり、タバコ、缶コーヒー、パン、
牛乳、ペットボトル、ラーメン、お菓子、
チューインガム、アイスケーキなどが、
忙しくレジカウンターに置かれ、
袋に詰められて忙しく去って行く。
目をこする小学生、
早朝練習に行く中学生、
急ぎ足で入って来て、急ぎ足で出て行く働き盛りの
男たちや女たち。
ゆっくり入って来て、ゆっくり出て行く、
ゆったりした日々の白髪のじいさんや婆さん。
午前0時から朝八時までの深夜パート。
疲れ果てている朝に、
人々は目覚めて一日を始める。
「ああ、深夜パートは因果な仕事だ」と、
ふてくされていると、
中学一年生の由利香さんが、
「おにぎりを暖めますか」と問うた私に、
微笑みながら、
「だいじょうぶです」
と言う。
朝の少女の微笑みからこぼれ出る、
「だいじょうぶです」は、
私のふてくされをすうっと消して、
さわやかな気持ちにしてくれる。
自動車で来る人
オートバイで来る人
自転車で来る人
歩いて来る人
色々な年齢の香りと、
色々な人生の香りを、
振りまきながら、
人々は、
どこかからコンビニエンスにやって来て、
どこかへとコンビニエンスから去っていく。
ここは町はずれの、
夜明けのコンビニエンス。
みんなみんな
一日一日を生きている。
・・・・・・・・・・・・
町の裏通り
どこにでもある町の裏通り
あの遠い日
俺とお前
銭湯の帰りに
いつも通った裏通り
若い日の俺とお前
手を握り
おかしくもない冗談に笑い
笑いながら身を寄せ合い
この裏通りを歩いた
「神田川」の歌の青春を生きていた
俺とお前
月日は流れ
お前の音信も途絶え
俺は独り
どこにでもある
この町の裏通りを
今日も
歩いている
・・・・・・・・・・・・・・・・
スーちゃん流れ歌
風に吹かれて 流されて
ついた所が コザの街
十字路 がじゅまる 飛行場
旅の空に 白い雲
人が行きます 人が来る
諸味のバス停 人眺め
タバコくゆらし 仲ノ町
おいらはおいらで 生きていく
夢を見ました 故郷の
幼いおれと スーちゃんが
神社の庭で かくれんぼ
柿の木の下 まあだだよ
春が過ぎて 夏が来て
秋が過ぎて 冬が来て
酒を飲み飲み コザの街
今の俺らの 住むところ
夢のまにまに 旅をして
旅のまにまに 歌うたい
歌のまにまに 空を見て
かわいい スーちゃんを
思い出す
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19:20
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2025年02月01日
日本企業が安心して台湾進出できるように日本政府は努力するべきである
日本企業が安心して台湾進出できるように日本政府は努力するべきである
中国は台湾に侵攻しないことは確実である。絶対に侵攻できない。しかし、台湾を中国軍が囲んだりしたことが日本企業に影響を与えている、台湾進攻をするのではないかと恐れた日本企業が台湾進出しなくなった企業増えたようである。
帝国データバンクが昨年11月に発表した統計をでは、昨年7月の時点で中国に進出する日本企業は1万3034社に上り、2年間で330社以上増加した一方、台湾に進出する日本企業は2022年の3124社から4.4%減少し、2988社となった。台湾に進出する企業は減ったのてある。「戦争・テロ」を想定リスクとして考えている企業は18.1%になるという。
台湾に日本企業の進出を増加させるには石垣、宮古、与那国の自衛隊基地を強化し、尖閣に中国船が近づけないように警戒を強化するべきである。自衛隊基地を強化するのは中国の台湾や尖閣への侵攻を防ぐのが目的ではない。侵攻を防ぐ体制は沖縄本島の嘉手納飛行場、普天間飛行場などの米軍基地や自衛隊基地、そして、海上の軍艦などによって中国軍の侵攻を防ぐ体制は昔からできている。
中国が台湾や尖閣に侵攻すれば米軍と自衛隊が中国軍を攻撃する。米軍、自衛隊に加えてオーストラリア軍やイギリス軍も攻撃する。インド軍も攻撃するだろう。そのことを中国は知っているから中国軍が台湾、尖閣に侵攻することはない。侵攻する気はないが侵攻するぞとポーズを見せているだけである。しかし、そのポーズを本気だと18.1%の日本企業が信じている。だから台湾への進出が少ないのである。
台湾に中国は絶対に侵攻できないとすべての日本企業が確信できるような体制をつくらなけれはならない。だから、政府は宮古島、石垣、与那国に自衛隊基地を強化しているのだ。
自衛隊基地の強化は中国軍の尖閣や台湾への侵攻を許さない、もし、中国軍が尖閣、台湾に侵攻すれば米軍と共同して跳ね返すという日本政府の宣言であり、島民や日本企業そして台湾の市民を安心させる目的の自衛隊基地強化である。
、尖閣、宮古、石垣、与那国の自衛隊が強化され、米軍、自衛隊の合同練習、台湾との連携強化の方向に進んでいけば、尖閣゛3離島だけでなく台湾の安全も確保できる。そうなれば日本企業の台湾進出も増えていくだろう。
尖閣、石垣、宮古島、与那国の自衛隊基地強化は台湾の平和を維持し日本企業の台湾進出にも寄与する。
日本企業が安心して台湾進出できるように日本政府は努力するべきである。
中国は台湾に侵攻しないことは確実である。絶対に侵攻できない。しかし、台湾を中国軍が囲んだりしたことが日本企業に影響を与えている、台湾進攻をするのではないかと恐れた日本企業が台湾進出しなくなった企業増えたようである。
帝国データバンクが昨年11月に発表した統計をでは、昨年7月の時点で中国に進出する日本企業は1万3034社に上り、2年間で330社以上増加した一方、台湾に進出する日本企業は2022年の3124社から4.4%減少し、2988社となった。台湾に進出する企業は減ったのてある。「戦争・テロ」を想定リスクとして考えている企業は18.1%になるという。
台湾に日本企業の進出を増加させるには石垣、宮古、与那国の自衛隊基地を強化し、尖閣に中国船が近づけないように警戒を強化するべきである。自衛隊基地を強化するのは中国の台湾や尖閣への侵攻を防ぐのが目的ではない。侵攻を防ぐ体制は沖縄本島の嘉手納飛行場、普天間飛行場などの米軍基地や自衛隊基地、そして、海上の軍艦などによって中国軍の侵攻を防ぐ体制は昔からできている。
中国が台湾や尖閣に侵攻すれば米軍と自衛隊が中国軍を攻撃する。米軍、自衛隊に加えてオーストラリア軍やイギリス軍も攻撃する。インド軍も攻撃するだろう。そのことを中国は知っているから中国軍が台湾、尖閣に侵攻することはない。侵攻する気はないが侵攻するぞとポーズを見せているだけである。しかし、そのポーズを本気だと18.1%の日本企業が信じている。だから台湾への進出が少ないのである。
台湾に中国は絶対に侵攻できないとすべての日本企業が確信できるような体制をつくらなけれはならない。だから、政府は宮古島、石垣、与那国に自衛隊基地を強化しているのだ。
自衛隊基地の強化は中国軍の尖閣や台湾への侵攻を許さない、もし、中国軍が尖閣、台湾に侵攻すれば米軍と共同して跳ね返すという日本政府の宣言であり、島民や日本企業そして台湾の市民を安心させる目的の自衛隊基地強化である。
、尖閣、宮古、石垣、与那国の自衛隊が強化され、米軍、自衛隊の合同練習、台湾との連携強化の方向に進んでいけば、尖閣゛3離島だけでなく台湾の安全も確保できる。そうなれば日本企業の台湾進出も増えていくだろう。
尖閣、石垣、宮古島、与那国の自衛隊基地強化は台湾の平和を維持し日本企業の台湾進出にも寄与する。
日本企業が安心して台湾進出できるように日本政府は努力するべきである。
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13:52
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2025年01月26日
兵庫で政治をほっぼいてスキャンダルに熱中しているのがマスメディア
兵庫で政治をほっぼいてスキャンダルに熱中しているのがマスメディア
兵庫知事選は11月17日に斎藤元彦候補が当選した。斎藤氏の当選で知事選は終わった。当選した斎藤氏は19日、知事に就任し、知事の仕事が始まった。斎藤知事は就任会見を行い、
「謙虚な心で一からスタートする」
と述べ、若者支援などを進めていく考えを示した。
政治の世界では兵庫知事選挙は終わったのである。斎藤知事のこれからは政治を実践していく。議員は斎藤知事の政策と対峙していく。斎藤知事の政策を受け入れるか否かがこれからの問題である。
斎藤元彦知事は、19日午後2時半から、幹部職員らおよそ40人との会議に出席した。
「知事が不在だった50日間、副知事や皆さんに県政を担ってもらった。この間、県に対してさまざまな指摘や批判が県内外から来たと思うが、職員は大変優秀で真面目なので、多くの県民に理解してもらいたい」
と述べた。そして、
「これから来年度予算案の編成に向けた本格的な作業に入り、12月の定例県議会もある。県民からは『いい政策を進めてほしい』という声が強く、県政に対する期待は大きいので、よい仕事をしていくことが大事だ」
と述べた。斎藤氏は県知事としての政治を始めたのである。
斎藤知事も県議会もこれからは政治の世界で活動していく。選挙活動はしない。
7つの告発文書の真偽を明らかにしていく百条委員会は政治の世界では終わっている。パワハラ疑惑など7つの告発文書によって告発された問題を巡り、県議会最大会派の自民党など4会派と無所属議員は斎藤知事に辞職を申し入れ、斎藤知事は失職した。。百条委の設置は7つの告発文書を解明することであり、斎藤知事を辞職に追い込むことができるか否かが重要な問題であった。しかし、斎藤知事は百条委が解明する前に全議員に辞職を要求されて失職した。議員たちは7つの告発文書が真実であると決めつけたのである。だから、辞職を要求した。辞職要求は百条委が有罪の判断したと議員たちが決めつけたということだ。だから辞職を要求したのだ。辞職を要求したということは百条委は政治の世界では終わったのである。百条委が斎藤知事を黒か白と判断することに政治政治的な価値はゼロである。それなのに百条委の判断を重要視して、百条委に注目して騒いでいるのはマスメディアである。
百条委で7つの告発文書はすべて真実であると結論してもすでに斎藤知事は県議から辞職を要求されて失職した。現在の斎藤知事は7つの告発文とは関係ないし、百条委とは政治的には関係がないのだ。今の斎藤知事が百条委に関係があると、マスメディアは大騒ぎしている。
マスメディアはスキャンダルの世界に居没して、空騒ぎしているだけである。
兵庫知事選は11月17日に斎藤元彦候補が当選した。斎藤氏の当選で知事選は終わった。当選した斎藤氏は19日、知事に就任し、知事の仕事が始まった。斎藤知事は就任会見を行い、
「謙虚な心で一からスタートする」
と述べ、若者支援などを進めていく考えを示した。
政治の世界では兵庫知事選挙は終わったのである。斎藤知事のこれからは政治を実践していく。議員は斎藤知事の政策と対峙していく。斎藤知事の政策を受け入れるか否かがこれからの問題である。
斎藤元彦知事は、19日午後2時半から、幹部職員らおよそ40人との会議に出席した。
「知事が不在だった50日間、副知事や皆さんに県政を担ってもらった。この間、県に対してさまざまな指摘や批判が県内外から来たと思うが、職員は大変優秀で真面目なので、多くの県民に理解してもらいたい」
と述べた。そして、
「これから来年度予算案の編成に向けた本格的な作業に入り、12月の定例県議会もある。県民からは『いい政策を進めてほしい』という声が強く、県政に対する期待は大きいので、よい仕事をしていくことが大事だ」
と述べた。斎藤氏は県知事としての政治を始めたのである。
斎藤知事も県議会もこれからは政治の世界で活動していく。選挙活動はしない。
7つの告発文書の真偽を明らかにしていく百条委員会は政治の世界では終わっている。パワハラ疑惑など7つの告発文書によって告発された問題を巡り、県議会最大会派の自民党など4会派と無所属議員は斎藤知事に辞職を申し入れ、斎藤知事は失職した。。百条委の設置は7つの告発文書を解明することであり、斎藤知事を辞職に追い込むことができるか否かが重要な問題であった。しかし、斎藤知事は百条委が解明する前に全議員に辞職を要求されて失職した。議員たちは7つの告発文書が真実であると決めつけたのである。だから、辞職を要求した。辞職要求は百条委が有罪の判断したと議員たちが決めつけたということだ。だから辞職を要求したのだ。辞職を要求したということは百条委は政治の世界では終わったのである。百条委が斎藤知事を黒か白と判断することに政治政治的な価値はゼロである。それなのに百条委の判断を重要視して、百条委に注目して騒いでいるのはマスメディアである。
百条委で7つの告発文書はすべて真実であると結論してもすでに斎藤知事は県議から辞職を要求されて失職した。現在の斎藤知事は7つの告発文とは関係ないし、百条委とは政治的には関係がないのだ。今の斎藤知事が百条委に関係があると、マスメディアは大騒ぎしている。
マスメディアはスキャンダルの世界に居没して、空騒ぎしているだけである。
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19:47
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2025年01月25日
誰も知らない「十九の春」の真実
誰も知らない「十九の春」の真実
米民政府の敷地に入り、星条旗を引きスせり下ろしたから米側に拘留される思っていたが、私の予想とは違った。沖縄の警察が交流し、裁判も沖縄側がやった。私たちは起訴されないで一カ月近くの拘留で釈放された。
留置場でアメリカ女性に不同意性交で訴えられて逮捕された青年か居た。彼は合意があったと主張していた。合意だったのに訴えられたことに腹を立てていた。アメリカ女性への怒りを私にぶつけた。
私が入った留置場はコザ署であった。嘉手納飛行場に隣接しているのがコザ市であり、米兵が多かったが、アメリカ女性と遊んでいる沖縄の青年がいるのは予想していなかったので彼の話を興味深く聞いた。
被害者がアメリカ人ならアメリカ側が裁くと思ったがそうではなかった。加害者の沖縄側が裁くということなのだ。
沖縄は米軍が支配しているのではなく、米政府が米民政府を設置して、支配ではなく法律によって統治しているということを実感した米民政府乱入事件だった。65年も前の体験談である。
不同意性交でアメリカ女性に訴えられて留置場に入れたられた青年が米民政府乱入事件で留置場入れられた私にコザ市の仲の町のバー街だけでヒットしているという歌を聴かせた。それが「十九の春」である。「十九の春」は仲の町のホステスたちが思いのままに作詞して歌ったものである。伴奏なしでホステスたちがアカペラで歌っていたのが十九の春である。
大橋巨泉の司会する11PMで沖縄のコザの町で流行しているという十九の春を仲の町のホステスであるという女性が歌ったことがある。ホステスには照明は当てなかった。
青年が歌った十九の春は13番まであった。ホステスたちが思いのままに作詞して歌っていたので十九の春の歌詞はどんどん増えていったのだ。
留置場で聞いてから4年後に十九の春がデュエット曲になってレコード化された。1972年に本竹祐助と津波洋子が、デュエットして歌った。十九の春はホステスたちが女心を歌った歌である。デュエット曲ではない。本竹祐助氏はデュエット曲に見せるために2番を補作した。
十九の春の誕生について、
津波先生は『与論小唄』や『大島ラッパ節』にあった歌詞と沖縄本島の『吉原小唄』と一致する歌詞を集めて編集し、歌詞から下品さを除去する改作をし、当時の弟子の本竹裕助さんと娘の津波洋子さんコンビに提供し、本竹さんのデビュー曲としてキャッシュを本竹さん所有として発売しました。
と説明している専門家がいるがそれは間違っている。事実ではない。事実は大島からやってきたホステスが仲の町で与論小唄のメロディーに合わせて作詞したのが始まりである。歌詞は仲の町のホステスたちがつくったものである。
だから、2番だけは津波先生か誰かがつくった男の歌である。2番以外はホステスの気持ちを歌っている。
一、わたしがあなたにに惚れたのは ちょうど十九の春でした いまさら離縁と言うならば もとの十九にしておくれ
二、もとの十九にするならば 庭の枯れ木を見てごらん 枯れ木に花が咲いたなら 十九にするのもやすけれど
三、見捨て心があるならば 早くお知らせくださいね 年も若くあるうちに 思い残すな明日の花
四、一銭二銭の葉書さえ 千里万里と旅をする 同じコザ市に住みながら 会えぬ我が身のせつなさよ
五、 主さん主さんと呼んだとて 主さんにゃ立派な方がある いくら主さんと呼んだとて 一生忘れぬ片思い
六、奥山住まいのウグイスは 梅の小枝で昼寝して 春が来るよな夢を見て ホケキョホケキョと鳴いていた
ネットで十九の春についての解釈を調べる。男女の恋の歌と紹介している。しかし、恋の歌とすると四、五番は説明できない。十九の春が恋の歌ではないことに気づいていないから適切な説明ができない。
四はホステスとお客の関係だから同じコザ市に住んでいても見せて外の場所では会えないという気持ちを歌っている。
五は大好きなお客の奥さんになったような気持ちになって接客をしても、所詮はお客とホステスの関係でしかない。妻のいるお客とは結ばれないという切ないホステスの気持ちの歌である。
50年以上前に偶然留置場で聞いた歌がレコードになりヒット曲になった。今も歌われている。
米民政府の敷地に入り、星条旗を引きスせり下ろしたから米側に拘留される思っていたが、私の予想とは違った。沖縄の警察が交流し、裁判も沖縄側がやった。私たちは起訴されないで一カ月近くの拘留で釈放された。
留置場でアメリカ女性に不同意性交で訴えられて逮捕された青年か居た。彼は合意があったと主張していた。合意だったのに訴えられたことに腹を立てていた。アメリカ女性への怒りを私にぶつけた。
私が入った留置場はコザ署であった。嘉手納飛行場に隣接しているのがコザ市であり、米兵が多かったが、アメリカ女性と遊んでいる沖縄の青年がいるのは予想していなかったので彼の話を興味深く聞いた。
被害者がアメリカ人ならアメリカ側が裁くと思ったがそうではなかった。加害者の沖縄側が裁くということなのだ。
沖縄は米軍が支配しているのではなく、米政府が米民政府を設置して、支配ではなく法律によって統治しているということを実感した米民政府乱入事件だった。65年も前の体験談である。
不同意性交でアメリカ女性に訴えられて留置場に入れたられた青年が米民政府乱入事件で留置場入れられた私にコザ市の仲の町のバー街だけでヒットしているという歌を聴かせた。それが「十九の春」である。「十九の春」は仲の町のホステスたちが思いのままに作詞して歌ったものである。伴奏なしでホステスたちがアカペラで歌っていたのが十九の春である。
大橋巨泉の司会する11PMで沖縄のコザの町で流行しているという十九の春を仲の町のホステスであるという女性が歌ったことがある。ホステスには照明は当てなかった。
青年が歌った十九の春は13番まであった。ホステスたちが思いのままに作詞して歌っていたので十九の春の歌詞はどんどん増えていったのだ。
留置場で聞いてから4年後に十九の春がデュエット曲になってレコード化された。1972年に本竹祐助と津波洋子が、デュエットして歌った。十九の春はホステスたちが女心を歌った歌である。デュエット曲ではない。本竹祐助氏はデュエット曲に見せるために2番を補作した。
十九の春の誕生について、
津波先生は『与論小唄』や『大島ラッパ節』にあった歌詞と沖縄本島の『吉原小唄』と一致する歌詞を集めて編集し、歌詞から下品さを除去する改作をし、当時の弟子の本竹裕助さんと娘の津波洋子さんコンビに提供し、本竹さんのデビュー曲としてキャッシュを本竹さん所有として発売しました。
と説明している専門家がいるがそれは間違っている。事実ではない。事実は大島からやってきたホステスが仲の町で与論小唄のメロディーに合わせて作詞したのが始まりである。歌詞は仲の町のホステスたちがつくったものである。
だから、2番だけは津波先生か誰かがつくった男の歌である。2番以外はホステスの気持ちを歌っている。
一、わたしがあなたにに惚れたのは ちょうど十九の春でした いまさら離縁と言うならば もとの十九にしておくれ
二、もとの十九にするならば 庭の枯れ木を見てごらん 枯れ木に花が咲いたなら 十九にするのもやすけれど
三、見捨て心があるならば 早くお知らせくださいね 年も若くあるうちに 思い残すな明日の花
四、一銭二銭の葉書さえ 千里万里と旅をする 同じコザ市に住みながら 会えぬ我が身のせつなさよ
五、 主さん主さんと呼んだとて 主さんにゃ立派な方がある いくら主さんと呼んだとて 一生忘れぬ片思い
六、奥山住まいのウグイスは 梅の小枝で昼寝して 春が来るよな夢を見て ホケキョホケキョと鳴いていた
ネットで十九の春についての解釈を調べる。男女の恋の歌と紹介している。しかし、恋の歌とすると四、五番は説明できない。十九の春が恋の歌ではないことに気づいていないから適切な説明ができない。
四はホステスとお客の関係だから同じコザ市に住んでいても見せて外の場所では会えないという気持ちを歌っている。
五は大好きなお客の奥さんになったような気持ちになって接客をしても、所詮はお客とホステスの関係でしかない。妻のいるお客とは結ばれないという切ないホステスの気持ちの歌である。
50年以上前に偶然留置場で聞いた歌がレコードになりヒット曲になった。今も歌われている。
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16:22
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2025年01月24日
沖縄、台湾、フィリピンは絶対に中国に侵攻されない
沖縄、台湾、フィリピンは絶対に中国に侵攻されない

中国軍は台湾を囲むように軍事演習を実施した。
日本最西端の与那国島は台湾から約110キロ・メートルと近い。台湾有事への危機感が強い与那国島に自衛隊は2016年に駐屯地を開設したが、艦艇や航空機などを監視する沿岸監視隊などが配備されているだけである。
与那国駐屯地を視察した中谷防衛相は「南西地域の防衛体制の強化は喫緊の課題だ」と述べ、駐屯地への地対空誘導弾部隊の配備に向けた施設整備や、住民の避難体制の強化を進める考えを示した。糸数健一与那国町長は
「躊躇なく必要に応じて自衛隊の増強なり、増員なり、しっかりやっていただきたい」と自衛隊の強化を訴えた。糸数町長は「できれば憲法9条2項を変え、交戦権を認めるよう改めてほしい」と主張している。
与那国町の自衛隊強化に反対する議員が居る。元与那国町職員で町議会議員の田里千代基氏は「アジアと結ぶ国境の島として、ビジョンを掲げながらやってきたのに、要塞の島になるのではないか」と危惧している。田里氏は、与那国島が抑止力の現場になることよりも、アジアとの結節点や緩衝地帯となるべきだと主張するのである。
田里議員は自衛隊基地をつくればアジアとの交流の島にならないように述べているがその考えは間違っている。自衛隊が国境を守るからこそより安全な国境になる。自衛隊は国境の島に住民が住み続けさせ、平和の維持や国土保全を実現し、。田里議員が望んでいる台湾との往来を活発化させるのである。
田里議員は、与那国島が抑止力の現場よりも、アジアとの結節点や緩衝地帯となるべきだと訴えるが、軍事の抑止力があればこそ与那国と台湾の海は平和で安全になり、アジアとの結節点や緩衝地帯になれるのだ。自衛隊が与那国に駐留すれば台湾と与那国間の海は安全になり、台湾との貿易は盛んになり、台湾の領海への不法侵入に共同で対処するようになるだろう。
石垣、宮古、与那国に自衛隊を配備すれば安心して台湾との交流ができるようになる。ところが田里氏は、南西地域を安全保障、いわゆる抑止力の最先端として強化していくと、ロシア、朝鮮、中国に対する「防波堤」としていくからと主張して自衛隊配備に反対している。
田里氏は与那国がロシア、朝鮮、中国に対する「防波堤」になることに反対している。防波堤がなければ侵攻されるのだ。フィリピンは防波堤が弱かったから中国に南沙(スプラトリー)諸島へ侵略されたのだ。「防波堤」はロシア、朝鮮、中国の侵略を防ぎ、台湾と与那国を平和にして台湾との交流を発展させる。そのことを与那国町民は知っている。だから、田里氏のような自衛隊配備に反対する町民は少ない。だから、自衛隊配備に賛成する糸数健一氏が与那国町長であるのだ。
田里氏のように自衛隊配備に反対する市民は石垣市や宮古島市もいるだろう。しかし、市長は自衛隊配備に賛成である。市民の多くは自衛隊配備に賛成だからだ
自衛隊配備反対しているのは公務員や教員の自治労、沖教祖である。デニー知事を支持しているオール沖縄である。
普天間飛行場の辺野古移設に反対し、自衛隊の石垣や宮古島に駐留するのに反対しているデニー知事である。。テニー知事が目指しているのは沖縄から米軍と自衛隊の撤去である。沖縄から米軍、自衛隊が撤去すればウクライナのように中国に侵攻されるのは確実である。沖縄、台湾、フィリピンを第二のウクライナにすることをデニー知事は目指しているのである。
中国の尖閣諸島への侵略、台湾包囲そして、ロシアのウクライナ侵攻を見てきた県民は沖縄が中国に侵略されないために自衛隊基地の拡大を望むようになっている。
尖閣諸島の沖合で中国海警局の船4隻が相次いで領海に侵入した。1時間半ほど領海内を航行したあと、領海を出た。船には大砲らしきものを搭載していたのが確認されている。船の装備が軍艦と同じになったのだ。もし、日本の軍事力が弱ければ中国は尖閣に上陸して、中国の領土にしていただろう。しかし、日本の自衛隊は強い。そして、沖縄には世界最強の米軍が存在する。中国が尖閣に侵略しようとすれば自衛隊と米軍が立ち向かう。それを知っているから、尖閣は領土だと主張していながらも尖閣に侵攻しないのである。フィリピンとは違う。
中国は台湾、フィリピンにも絶対に侵攻できない。中国抑止を最重要とする日米豪印同盟Quad(クアッド)が存在するからだ。
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2025年01月22日
デニー知事よ沖縄・台湾・フィリピンを第二のウクライナにするな
デニー知事よ沖縄・台湾・フィリピンを第二のウクライナにするな
2022年の沖縄県知事選で再選を目指す「オール沖縄」の玉城デニー知事は、那覇市内で会見し政策を発表した。デニー知事は政府が強行する石垣島や宮古島など南西諸島での自衛隊配備について、「地域住民の合意を顧みず、地域に分断を持ち込む自衛隊の強行配備に反対」と明記していた。
デニー知事は自衛隊の石垣島配備に反対である。デニー知事は石垣島だけでなく沖縄に自衛隊基地を建設することに反対であるのだ。普天間飛行場の辺野古移設に反対しているのは米軍基地を沖縄からすべて撤去させるのが目的であるから辺野古移設に反対である。デニー知事の目的は沖縄から自衛隊、米軍を撤去させることである。なぜか。
現代ビジネスが「玉城デニー沖縄県知事の背後に「親中派」が見え隠れ…その「影響工作」の驚くべき実態を掲載した。
記事にはデニー知事、県庁は「親中的」であると述べている。親中であるから中国の敵である米国の軍隊、自衛隊を沖縄から撤去させようとしていると述べている。
2022年2月24日、ロシアはウクライナに侵攻した。なぜ、ロシアはウクライナに侵攻したか。政治的な理由は色々な解釈があるが、軍事的にははっきりしている。ロシアの軍事がウクライナより圧倒的に強かったからである。もし、ウクライナの軍事力がロシアより強かったらロシアは侵攻しなかった。侵攻してもすぐに反撃されてロシア軍は敗走して、逆にウクライナ軍がロシアに侵攻していただろう。
ロシア軍の軍事力が圧倒的に強く、短期間でウクライナを占領できると予想していたからロシアはウクライナに侵攻したのだ。
もしウクライナがEUに加盟していたらEU軍と戦争することになるからロシアはウクライナに侵攻しなかった。侵攻するかしないかは軍事力が左右する。もし、ウクライナに沖縄のような米軍基地があったらロシアは侵攻しなかったはずである。
ウクライナはEUに加盟していないし、沖縄のように米軍基地もなかったからロシアに侵攻されたのだ。
沖縄はウクライナのように外国から侵攻されたことは一度もない。アジア一の米軍基地が存在しているからである。沖縄に侵攻するということは米軍を攻撃するということだ。沖縄に侵攻して米軍と戦う国はない。
沖縄の米軍は日本、台湾、フィリピンが中国から侵攻されるのを防いでいる。米軍が存在しなければ台湾はウクライナのように中国に侵攻されていただろう。そのことを予想することができるのがフィリピンの米軍撤退である。
フィリピンは1991 年に、基地利用を10 年間延長する条約が米国 と締結されたが、フィリピン上院がその批准を拒否したため、1992 年までにフィリピン国内に駐留していた米軍は撤退し、基地はすべて返還された。
*日本の国会で日本の米軍基地撤去を決定すればフィリピンのように日本の米軍基地はすべて撤去することができる。
フィリピンから米軍が撤去されたので、中国は1995年にフィリピンの排他的経済水域(EEZ)内にある南沙(スプラトリー)諸島のミスチーフ環礁に突如として「中国漁民のための避難施設」を建造し、占拠した。2014年以降、フィリピンも領有権を主張する南沙諸島の7つの岩礁を埋め立てて「人工島」を建設した。滑走路や港湾施設も整備し、そこに軍用機や軍艦を展開させて南シナ海における軍事的プレゼンスを強化していった。
フィリピンが2018年末から南沙諸島のパグアサ島で滑走路や港湾施設の改修工事に着手すると、中国は大量の漁船とそれらを護衛する名目で海警局巡視艇や海軍艦艇を同島周辺海域に送り込んでフィリピンを威圧した。中国はフィリピンに着実に侵攻していったのてだある。
中国のフィリピン侵攻をフィリピンだけで防ぐことができないことを痛感したフィリピンは2014年に米軍がフィリピンに再駐留する軍事協定を結んだ。中国の侵略を防ぐには米軍はなくてはならないことがフィリピンではっきりわかった。
もし、沖縄に米軍基地がなければ中国はウクライナのように侵攻し、台湾を占領していただろう。中国が台湾に侵攻しないのは沖縄に米軍基地が存在するからである。もし、中国が台湾に侵攻すれば嘉手納飛行場から米軍の戦闘機が飛び立ち、中国軍を攻撃する。海兵隊はオスプレイで台湾に上陸して中国軍を撃退するだろう。沖縄に米軍基地が存在するから中国は台湾に侵攻できないのだ。
デニー知事は普天間飛行場の辺野古移設に反対し、自衛隊の石垣や宮古島に駐留するのに反対している。テニー知事が目指しているのは沖縄から米軍と自衛隊の撤去である。沖縄から米軍、自衛隊が居なくなればウクライナのように中国に侵攻されるのは確実である。
デニー知事が目指しているのは沖縄、台湾、フィリピンを第二のウクライナにすることだ。
2022年の沖縄県知事選で再選を目指す「オール沖縄」の玉城デニー知事は、那覇市内で会見し政策を発表した。デニー知事は政府が強行する石垣島や宮古島など南西諸島での自衛隊配備について、「地域住民の合意を顧みず、地域に分断を持ち込む自衛隊の強行配備に反対」と明記していた。
デニー知事は自衛隊の石垣島配備に反対である。デニー知事は石垣島だけでなく沖縄に自衛隊基地を建設することに反対であるのだ。普天間飛行場の辺野古移設に反対しているのは米軍基地を沖縄からすべて撤去させるのが目的であるから辺野古移設に反対である。デニー知事の目的は沖縄から自衛隊、米軍を撤去させることである。なぜか。
現代ビジネスが「玉城デニー沖縄県知事の背後に「親中派」が見え隠れ…その「影響工作」の驚くべき実態を掲載した。
記事にはデニー知事、県庁は「親中的」であると述べている。親中であるから中国の敵である米国の軍隊、自衛隊を沖縄から撤去させようとしていると述べている。
2022年2月24日、ロシアはウクライナに侵攻した。なぜ、ロシアはウクライナに侵攻したか。政治的な理由は色々な解釈があるが、軍事的にははっきりしている。ロシアの軍事がウクライナより圧倒的に強かったからである。もし、ウクライナの軍事力がロシアより強かったらロシアは侵攻しなかった。侵攻してもすぐに反撃されてロシア軍は敗走して、逆にウクライナ軍がロシアに侵攻していただろう。
ロシア軍の軍事力が圧倒的に強く、短期間でウクライナを占領できると予想していたからロシアはウクライナに侵攻したのだ。
もしウクライナがEUに加盟していたらEU軍と戦争することになるからロシアはウクライナに侵攻しなかった。侵攻するかしないかは軍事力が左右する。もし、ウクライナに沖縄のような米軍基地があったらロシアは侵攻しなかったはずである。
ウクライナはEUに加盟していないし、沖縄のように米軍基地もなかったからロシアに侵攻されたのだ。
沖縄はウクライナのように外国から侵攻されたことは一度もない。アジア一の米軍基地が存在しているからである。沖縄に侵攻するということは米軍を攻撃するということだ。沖縄に侵攻して米軍と戦う国はない。
沖縄の米軍は日本、台湾、フィリピンが中国から侵攻されるのを防いでいる。米軍が存在しなければ台湾はウクライナのように中国に侵攻されていただろう。そのことを予想することができるのがフィリピンの米軍撤退である。
フィリピンは1991 年に、基地利用を10 年間延長する条約が米国 と締結されたが、フィリピン上院がその批准を拒否したため、1992 年までにフィリピン国内に駐留していた米軍は撤退し、基地はすべて返還された。
*日本の国会で日本の米軍基地撤去を決定すればフィリピンのように日本の米軍基地はすべて撤去することができる。
フィリピンから米軍が撤去されたので、中国は1995年にフィリピンの排他的経済水域(EEZ)内にある南沙(スプラトリー)諸島のミスチーフ環礁に突如として「中国漁民のための避難施設」を建造し、占拠した。2014年以降、フィリピンも領有権を主張する南沙諸島の7つの岩礁を埋め立てて「人工島」を建設した。滑走路や港湾施設も整備し、そこに軍用機や軍艦を展開させて南シナ海における軍事的プレゼンスを強化していった。
フィリピンが2018年末から南沙諸島のパグアサ島で滑走路や港湾施設の改修工事に着手すると、中国は大量の漁船とそれらを護衛する名目で海警局巡視艇や海軍艦艇を同島周辺海域に送り込んでフィリピンを威圧した。中国はフィリピンに着実に侵攻していったのてだある。
中国のフィリピン侵攻をフィリピンだけで防ぐことができないことを痛感したフィリピンは2014年に米軍がフィリピンに再駐留する軍事協定を結んだ。中国の侵略を防ぐには米軍はなくてはならないことがフィリピンではっきりわかった。
もし、沖縄に米軍基地がなければ中国はウクライナのように侵攻し、台湾を占領していただろう。中国が台湾に侵攻しないのは沖縄に米軍基地が存在するからである。もし、中国が台湾に侵攻すれば嘉手納飛行場から米軍の戦闘機が飛び立ち、中国軍を攻撃する。海兵隊はオスプレイで台湾に上陸して中国軍を撃退するだろう。沖縄に米軍基地が存在するから中国は台湾に侵攻できないのだ。
デニー知事は普天間飛行場の辺野古移設に反対し、自衛隊の石垣や宮古島に駐留するのに反対している。テニー知事が目指しているのは沖縄から米軍と自衛隊の撤去である。沖縄から米軍、自衛隊が居なくなればウクライナのように中国に侵攻されるのは確実である。
デニー知事が目指しているのは沖縄、台湾、フィリピンを第二のウクライナにすることだ。
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12:24
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2025年01月20日
辺野古は終わった オール沖縄は終わった
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辺野古は終わった オール沖縄は終わった
沖縄県宮古島市長選で保守の嘉数登氏(61)9345票=無新が玉城デニー知事を支持する「オール沖縄」系の現職、座喜味一幸氏(75)7100票=立民、共産、社民、沖縄社大推薦=らを破って初当選した。これで11市すべてでオール沖縄の市長がいなくなった。オール沖縄が終わったことを象徴している宮古市長選である。
宮古島市は昔から保守が強い。オール沖縄のブームで保守の一部がオール沖縄に参加したので座喜味一幸氏が市長になった。しかし、オール沖縄のブームが終わり、保守系が抜けたので座喜味氏は落選したのだ。
落選した前里光健氏(42)6128票、下地明和氏(67)3213票は保守である。これからの宮古島市で左翼系が市長になることはないだろう。
石垣市は2010年に中山 義隆氏が市長になるまではずっと左翼系の市長だった。中国が尖閣を占領する姿勢を見せるようになったので石垣市民は危機感を持ち、尖閣を守り八重山を守る姿勢を見せた保守系の中山氏が市長になった。
石垣市は中国への恐怖が原因で左翼から保守の市長になった。
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12:36
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2025年01月14日
立憲が保守政党になったから尾辻朋実氏は自民党から立憲に移れた
立憲が保守政党になったから尾辻朋実氏は自民党から立憲に移れた
私は衆議院選挙で野党が保守化したと指摘した。マスメディアは与党の自民、公明が過半数割れしたことに注目したが、もっとも注目すべきは立憲が保守化したことである。
私は立憲、国民、維新の野党三党が保守化したことを注目するべきであると主張してきたが、野党の保守化によって今までは起こらなことが起こったのだ。なんと、自民党の尾辻秀久参院議員(84)の秘書で三女の尾辻朋実氏(43)が鹿児島選挙区で立民県連の推薦で立候補することになったのだ。尾辻議員は引退する。朋実氏は、自民県連が昨年公募した参院選鹿児島選挙区の公認候補予定者に手を挙げたが選考に漏れた。選考に漏れても諦めきれない思いがあった朋実氏は「世襲批判と表裏一体かもしれないが、父の背中を一番近くで見てきた者として、今の政治を変えなければいけない。保育・介護職員の処遇改善や農林水産業の強化、防災の取り組みなどに力を入れたい」と無所属で立候補することを決めた。
父の秀久氏は『朋実個人が選んだことに口出しする気はない。決めたのなら頑張れ。でも応援はできない』と朋実氏の応援はしないという。
立民県連は候補者選びが難航し、11月上旬に選対委員長の川内氏に一任していた。 朋実氏と川内氏はドミニカ移民問題で、超党派議員連盟の会長と事務局長として解決に向けて取り組んだことがある。朋実氏の事情を知った川内氏は朋実氏と話し合い、推薦することを決心した。、立民県連は川内氏の要求を受け入れ推薦を決めた。鹿児島選挙区の要請を受けた立憲民主党本部も常任幹事会で朋実氏推薦することを決めた。
立民県連の柳誠子代表
「これまでにない大きなチャンス。参院選の勝利に連合や各野党の協力は欠かせない。しっかりと意見、議論を交わしながら朋実氏支援の協力を得たい」
連合鹿児島の下町和三会長は
「なかなか大胆で面白い選択をしたなという印象」
と述べている。
立民と連合は自民党からの転向であっても受け入れる。しかし、共産党は違う。共産党県委員会の山口広延委員長は
「立民は第2の自民になったのか」と言い、
「米国いいなりの政治を止める立場にはない方に見える」と非難している。左翼の共産党は自民党であった尾辻朋実氏を受け入れることは絶対にない。立憲内の旧社会党の左翼の勢力が強かったら受け入れなかっただろう。立憲が保守になったから元自民党でも受け入れるのだ。
朋実氏は自民党から立憲に移ったからといって政策は変更していない。自民党にいた時と同じ政策の実現を朋実氏は目指している。立憲が自民党と同じ保守政党になったからこのようなことが現実となったのである。
野党の立憲、国民、維新の会が保守政党になったからこれからの国会は変わる。
私は衆議院選挙で野党が保守化したと指摘した。マスメディアは与党の自民、公明が過半数割れしたことに注目したが、もっとも注目すべきは立憲が保守化したことである。
私は立憲、国民、維新の野党三党が保守化したことを注目するべきであると主張してきたが、野党の保守化によって今までは起こらなことが起こったのだ。なんと、自民党の尾辻秀久参院議員(84)の秘書で三女の尾辻朋実氏(43)が鹿児島選挙区で立民県連の推薦で立候補することになったのだ。尾辻議員は引退する。朋実氏は、自民県連が昨年公募した参院選鹿児島選挙区の公認候補予定者に手を挙げたが選考に漏れた。選考に漏れても諦めきれない思いがあった朋実氏は「世襲批判と表裏一体かもしれないが、父の背中を一番近くで見てきた者として、今の政治を変えなければいけない。保育・介護職員の処遇改善や農林水産業の強化、防災の取り組みなどに力を入れたい」と無所属で立候補することを決めた。
父の秀久氏は『朋実個人が選んだことに口出しする気はない。決めたのなら頑張れ。でも応援はできない』と朋実氏の応援はしないという。
立民県連は候補者選びが難航し、11月上旬に選対委員長の川内氏に一任していた。 朋実氏と川内氏はドミニカ移民問題で、超党派議員連盟の会長と事務局長として解決に向けて取り組んだことがある。朋実氏の事情を知った川内氏は朋実氏と話し合い、推薦することを決心した。、立民県連は川内氏の要求を受け入れ推薦を決めた。鹿児島選挙区の要請を受けた立憲民主党本部も常任幹事会で朋実氏推薦することを決めた。
立民県連の柳誠子代表
「これまでにない大きなチャンス。参院選の勝利に連合や各野党の協力は欠かせない。しっかりと意見、議論を交わしながら朋実氏支援の協力を得たい」
連合鹿児島の下町和三会長は
「なかなか大胆で面白い選択をしたなという印象」
と述べている。
立民と連合は自民党からの転向であっても受け入れる。しかし、共産党は違う。共産党県委員会の山口広延委員長は
「立民は第2の自民になったのか」と言い、
「米国いいなりの政治を止める立場にはない方に見える」と非難している。左翼の共産党は自民党であった尾辻朋実氏を受け入れることは絶対にない。立憲内の旧社会党の左翼の勢力が強かったら受け入れなかっただろう。立憲が保守になったから元自民党でも受け入れるのだ。
朋実氏は自民党から立憲に移ったからといって政策は変更していない。自民党にいた時と同じ政策の実現を朋実氏は目指している。立憲が自民党と同じ保守政党になったからこのようなことが現実となったのである。
野党の立憲、国民、維新の会が保守政党になったからこれからの国会は変わる。
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2025年01月11日
社会主義国でも中国とベトナムは違う
社会主義国でも中国とベトナムは違う
中国は経済が失速している。同じ社会主義国であるベトナムは目覚ましく経済成長している。その違いはどこにあるか。
中国は習近平主席になって社会主義経済に転換した。しかし、ベトナムは市場経済を続けた。社会主義経済に転換した中国と市場経済を徹底したベトナムの経済には大きな違いがある。
1975年4月30日に南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の戦車が南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)の統一会堂に無血入城した。すでに米軍はベトナムから引き揚げていた。ベトコンがサイゴンに入城した時にトナム戦争は終結した。米国は敗北した。北ベトナムとベトコンが勝利した。北ベトナムと南ベトナムは統一して社会主義国になった。
ベトナムは社会主義国である中国と密接な関係になった。ベトナムは中国政治を参考にした国造りを始めたが、中国の経済は1978年以降大きく変換した。社会主義経済から資本主義の市場経済に転換していったのた。1978年に主席になったと鄧小平主席は中国に市場経済を導入したからである。
ベトナムも中国の影響を受けて市場経済を導入した。市場経済で中国もベトナムも経済発展した。中国は日本を抜いて世界二位の経済大国になった。しかし、2012年になると中国は習近平になった。社会主義の原点に戻るのを目指した習近平主席はマルクス・レーニン主義を掲げた。だから、経済を資本主義から社会主義経済に転換した。中国は社会主義経済のほうに転換していったがベトナは習主席の影響を受けなかった。ベトナムは市場経済を続けたのである。
ベトナムは、「社会主義志向の市場経済」という概念を、2001年4月のベトナム共産党第9回全国代表大会の文書で正式に採用した。政治は社会主義の共産党一党独裁体制のままで国家管理を伴いながらも市場メカニズムに基づいた多部門経済モデルの発展政策である市場経済重視を一貫して実施していったのである。中国が社会主義経済に転換してもベトナム政府は市場経済を続けたのである。
ベトナムは2007年にWTO世界貿易機関に加盟した。現在は多くの多国間および二国間の(FTA)自由貿易協定に参加している。
・EVFTA ベトナム・EU自由貿易協定
EUからベトナムへの輸出は、発効時点で65%の関税が撤廃され、残りは10年かけて徐々にゼロになる。
ベトナムからEUへの輸出は、発効時点で71%の関税が撤廃される。
・ベトナムはCPTPP(環太平洋パートナーシップ)にも加入している。
環太平洋パートナーシップ(TPP)協定とは、オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、日本、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、ベトナム、イギリスの合計12か国で高い水準の、野心的で、包括的な、バランスの取れた経済連携協定である。
CTPPは農産品、工業品の関税の削減・撤廃や、投資や知的財産権など幅広い分野で域内共通ルールを作り貿易や企業活動の活発化を目指している。
中国はCTPP加入を希望した。しかし、CTPPのルールに反している中国なので加入を断られた。
ベトナムは社会主義の計画経済から資本主義の市場経済へ移行したので、民間企業とスタートアップ企業が台頭した。
ベトナム経済は2016年から2021年の期間、民間経済はGDPの平均46%を占めて、2025年までに55%に達すると予想されている。現在、民間経済は国の労働力の約85%を雇用し、国家予算の約3分の1を占めている。
ベトナムの金融市場も急速に発展している。証券市場の時価総額も大幅に増加している。
73カ国がベトナムの市場経済としての地位を認めており、その中にはイギリス、カナダ、オーストラリア、日本、韓国などの主要経済国も含まれている。
社会主義国でありながら市場主義経済を継続したベトナムは経済発展した。習主席になって至上主義経済から社会主義経済に転換した中国は経済が悪化している。
中国は経済が失速している。同じ社会主義国であるベトナムは目覚ましく経済成長している。その違いはどこにあるか。
中国は習近平主席になって社会主義経済に転換した。しかし、ベトナムは市場経済を続けた。社会主義経済に転換した中国と市場経済を徹底したベトナムの経済には大きな違いがある。
1975年4月30日に南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の戦車が南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)の統一会堂に無血入城した。すでに米軍はベトナムから引き揚げていた。ベトコンがサイゴンに入城した時にトナム戦争は終結した。米国は敗北した。北ベトナムとベトコンが勝利した。北ベトナムと南ベトナムは統一して社会主義国になった。
ベトナムは社会主義国である中国と密接な関係になった。ベトナムは中国政治を参考にした国造りを始めたが、中国の経済は1978年以降大きく変換した。社会主義経済から資本主義の市場経済に転換していったのた。1978年に主席になったと鄧小平主席は中国に市場経済を導入したからである。
ベトナムも中国の影響を受けて市場経済を導入した。市場経済で中国もベトナムも経済発展した。中国は日本を抜いて世界二位の経済大国になった。しかし、2012年になると中国は習近平になった。社会主義の原点に戻るのを目指した習近平主席はマルクス・レーニン主義を掲げた。だから、経済を資本主義から社会主義経済に転換した。中国は社会主義経済のほうに転換していったがベトナは習主席の影響を受けなかった。ベトナムは市場経済を続けたのである。
ベトナムは、「社会主義志向の市場経済」という概念を、2001年4月のベトナム共産党第9回全国代表大会の文書で正式に採用した。政治は社会主義の共産党一党独裁体制のままで国家管理を伴いながらも市場メカニズムに基づいた多部門経済モデルの発展政策である市場経済重視を一貫して実施していったのである。中国が社会主義経済に転換してもベトナム政府は市場経済を続けたのである。
ベトナムは2007年にWTO世界貿易機関に加盟した。現在は多くの多国間および二国間の(FTA)自由貿易協定に参加している。
・EVFTA ベトナム・EU自由貿易協定
EUからベトナムへの輸出は、発効時点で65%の関税が撤廃され、残りは10年かけて徐々にゼロになる。
ベトナムからEUへの輸出は、発効時点で71%の関税が撤廃される。
・ベトナムはCPTPP(環太平洋パートナーシップ)にも加入している。
環太平洋パートナーシップ(TPP)協定とは、オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、日本、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、ベトナム、イギリスの合計12か国で高い水準の、野心的で、包括的な、バランスの取れた経済連携協定である。
CTPPは農産品、工業品の関税の削減・撤廃や、投資や知的財産権など幅広い分野で域内共通ルールを作り貿易や企業活動の活発化を目指している。
中国はCTPP加入を希望した。しかし、CTPPのルールに反している中国なので加入を断られた。
ベトナムは社会主義の計画経済から資本主義の市場経済へ移行したので、民間企業とスタートアップ企業が台頭した。
ベトナム経済は2016年から2021年の期間、民間経済はGDPの平均46%を占めて、2025年までに55%に達すると予想されている。現在、民間経済は国の労働力の約85%を雇用し、国家予算の約3分の1を占めている。
ベトナムの金融市場も急速に発展している。証券市場の時価総額も大幅に増加している。
73カ国がベトナムの市場経済としての地位を認めており、その中にはイギリス、カナダ、オーストラリア、日本、韓国などの主要経済国も含まれている。
社会主義国でありながら市場主義経済を継続したベトナムは経済発展した。習主席になって至上主義経済から社会主義経済に転換した中国は経済が悪化している。
2025年01月09日
社会主義は経済を破綻させる を知るべし
社会主義は経済を破綻させる を知るべし
社会主義国家であるソ連は経済が破綻して崩壊した。社会主義は経済が破綻することをソ連が実証したのである。中国はソ連と違って経済は発展し日本を抜いて世界第二位である。同じ社会主義でありながらソ連は崩壊し、中国は米国と対等に対峙している。同じ社会主義でありながらソ連と中国は違った。
ソ連は、
「ブルジョワジーを完全に抑圧し、人間による人間の搾取をなくし、階級への分裂も国家権力もない社会主義をもたらすために、強力な全ロシア・ソヴィエト権力のかたちで、都市と農村のプロレタリアートおよび貧農の独裁を確立する」
と憲法で宣言したように、あらゆる企業の国営化、私企業の禁止により、経済は強力な中央統制となった。ソ連は社会主義に徹した国家であった。
ソ連はレーニンがリーダーであるボリシェヴィキという政党による一党独裁の国家であった。中国は毛沢東がリーダーである人民解放軍の独裁国家であった。人民解放軍が主導する中国はソ連のように社会主義に徹した国家ではなかった。
1978年に主席になった鄧小平国家主席は共産党一党独裁のもとで社会主義体制を堅持しながら、市場経済(資本主義経済)を国内経済のみならず対外経済でも導入した。ソ連が禁じた資本主義を鄧小平は実施したのである。
鄧小平の資本主義への転換は江沢民、胡錦涛に引き継がれ、中国は見る見るうちに経済発展し、日本を抜いて世界二位の経済大国になった。中国では経営に成功した民間の資産家が増えていった。
資本主義経済が発展する原因は民間の企業がが自由に経営するからである。資本主義経済は民間企業が自由競争する市場経済になる。経営に優れた企業は成長し、劣った企業は破産するのが市場経済である。経営に失敗すれば破産して消える。成功すれば会社が大きくなる。成功者は経営を拡大し、失敗者は消えていく。それが市場経済である。だから、経済は発展する。
企業が国営となり競争のないのが社会主義経済である。
2012年に中国は習近平になる。習主席は経済を資本主義から社会主義へ戻した。国有企業は優遇し、民営企業は冷遇した。国有企業は政府の方針従った経営を行うから、政府の支援を受ける。赤字になっても政府が融資して倒産することはない。政府の方針を徹底するために国有企業には政府の職員を幹部に配置している。国有企業は民間企業のように自由競争にはさらされていないため、官僚組織化しやすく、組織やビジネスの効率性が全然高まらない。それに官僚組織化したために不正計上が増える。主要大手の20社を調査すると9割の18社が不正計上をしていた。それに、汚職も蔓延する。これが社会主義経済の実態である。
国有企業を優遇して増やし、民間企業を冷遇して減らす 習近平政権による社会主義経済では不正や汚職が蔓延し、経済は沈滞するのである。経済が沈滞するから失業者が増える。
2024年10月時点の失業率は17.1%である。日本の2.6%の6倍以上である。国民を貧困にするのが社会主義である。
社会主義国家であるソ連は経済が破綻して崩壊した。社会主義は経済が破綻することをソ連が実証したのである。中国はソ連と違って経済は発展し日本を抜いて世界第二位である。同じ社会主義でありながらソ連は崩壊し、中国は米国と対等に対峙している。同じ社会主義でありながらソ連と中国は違った。
ソ連は、
「ブルジョワジーを完全に抑圧し、人間による人間の搾取をなくし、階級への分裂も国家権力もない社会主義をもたらすために、強力な全ロシア・ソヴィエト権力のかたちで、都市と農村のプロレタリアートおよび貧農の独裁を確立する」
と憲法で宣言したように、あらゆる企業の国営化、私企業の禁止により、経済は強力な中央統制となった。ソ連は社会主義に徹した国家であった。
ソ連はレーニンがリーダーであるボリシェヴィキという政党による一党独裁の国家であった。中国は毛沢東がリーダーである人民解放軍の独裁国家であった。人民解放軍が主導する中国はソ連のように社会主義に徹した国家ではなかった。
1978年に主席になった鄧小平国家主席は共産党一党独裁のもとで社会主義体制を堅持しながら、市場経済(資本主義経済)を国内経済のみならず対外経済でも導入した。ソ連が禁じた資本主義を鄧小平は実施したのである。
鄧小平の資本主義への転換は江沢民、胡錦涛に引き継がれ、中国は見る見るうちに経済発展し、日本を抜いて世界二位の経済大国になった。中国では経営に成功した民間の資産家が増えていった。
資本主義経済が発展する原因は民間の企業がが自由に経営するからである。資本主義経済は民間企業が自由競争する市場経済になる。経営に優れた企業は成長し、劣った企業は破産するのが市場経済である。経営に失敗すれば破産して消える。成功すれば会社が大きくなる。成功者は経営を拡大し、失敗者は消えていく。それが市場経済である。だから、経済は発展する。
企業が国営となり競争のないのが社会主義経済である。
2012年に中国は習近平になる。習主席は経済を資本主義から社会主義へ戻した。国有企業は優遇し、民営企業は冷遇した。国有企業は政府の方針従った経営を行うから、政府の支援を受ける。赤字になっても政府が融資して倒産することはない。政府の方針を徹底するために国有企業には政府の職員を幹部に配置している。国有企業は民間企業のように自由競争にはさらされていないため、官僚組織化しやすく、組織やビジネスの効率性が全然高まらない。それに官僚組織化したために不正計上が増える。主要大手の20社を調査すると9割の18社が不正計上をしていた。それに、汚職も蔓延する。これが社会主義経済の実態である。
国有企業を優遇して増やし、民間企業を冷遇して減らす 習近平政権による社会主義経済では不正や汚職が蔓延し、経済は沈滞するのである。経済が沈滞するから失業者が増える。
2024年10月時点の失業率は17.1%である。日本の2.6%の6倍以上である。国民を貧困にするのが社会主義である。
2025年01月07日
1月7日の記事
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共産党が目指しているのは公務員が統治する社会 それが社会主義
1989年に、離合集散を繰り返していた労働組合は総評系産別を加えて78産別、組合員約800万人を結集させ、労働4団体等の統一を完成させて日本労働組合総連合を結成した。連合の発足を「労働界の右翼的再編」「反共・労使協調路線」と批判する日本共産党系の「統一労組懇」等は、これに対抗して連合結成と同じ1989年に全国労働組合総連合(全労連)を結成した。
共産党配下の全労連は大企業は労働者を搾取しているとし、資本主義の米国は労働者を搾取し、他国を侵略して植民地にする帝国主義であると決めつけた。だから、大企業を容認し、米国も容認する連合とは敵対したのである。
連合を「反共・労使協調路線」と宣言した共産党、全労連は共産主義であり、反大企業である。全労連には地方の小企業は参加しているがほとんどの民間企業は参加していない。全労連のほとんどは公務員や教員の団体である。連合が民間の労働者の団体であるのに対して全労連は公務員の団体である。
共産党は資本家に搾取されている労働者を解放する目的で結成した。労働者が資本家に搾取されない自由な社会をつくるのが共産党の目的である。共産党が目指す社会主義国家がそれである。であるならば共産党は労働者に支持されているはずである。ところが現実は違う。多くの労働者は連合に入っている。多くの労働者は共産党が否定する連合に入っているのだ。民間企業に勤めている連合の組合員数は約699万人である。ほとんどが公務員である全労連組合員数は55万人である。全労は連合の十分の一以下である。
全労に入っているのは民間労働者ではない。ほとんどは公務員である。共産党が目指しているのが共産党一党独裁国家である。共産党一党独裁の社会主義国家は労働者が搾取されない労働者の自由な社会であると共産党はいう。しかし、それは共産党が勝手に想像していることであり、事実は違う。社会主義社会が労働者が解放された社会であるというのは幻想である。全労は幻想を信じて運動を展開しているが、民間の労働者はそっぽを向き、全労加盟の公務員だけが運動を展開している。つまり、共産党が目指しているのは公務員が自由に政治をする社会主義国家である。
100年前にロシア革命が起こり社会主義国家が誕生した。その時の米国は経済は資本主義、政治は議会制民主主義だった。レーニンは米国は労働者を搾取する国家であると決めつけ、労働者が搾取されない国家として社会主義国家を樹立した。レーニンは資本家が選挙で選ばれる可能性があるとして選挙を禁止し、共産主義者だけが政治・経済を行う共産党一党独裁国家を樹立にした。レーニンの社会主義を信じ、日本でもソ連のような社会主義国家を実現しようと設立したのが日本共産党である。
共産党一党独裁が労働者を解放する思ったのはレーニンの幻想であった。レーニンが樹立したソ連は1991年に崩壊した。ソ連が崩壊してもレーニンの理論を信じ、社会主義に固執しているのが日本共産党である。
ソ連が崩壊した原因は経済の破綻である。米国などの敵国の侵略ではなかったし、内乱でもなかった。経済の破綻であった。ソ連は経済が衰退し貧しくなった。貧しさから脱するために社会主義体制を終わらせ、選挙で大統領、国会議員を選出する体制にした。
ソ連が崩壊したのだから社会主義は間違っているということだ。それでもマルクス・レーニン主義を信じ、社会主義に固執しているのが共産党である。労働者の解放を目的にしているはずの共産党であるのに労働者からそっぽを向かれ、公務員中心の全労連を配下にしている共産党である。共産党が目指している社会主義国家では選挙はなくなり、選挙で選ばれた議員は存在しない。政治を行うのは選挙で選ばれた議員ではなく、共産党員であり、公務員である。中国がそうである。
中国は社会主義国家である。大統領である国家主席は国民の選挙では選ばない。共産党の中央人民政府のトップが国家主席になる。日本なら政府の官僚のトップである。政策は公務員が考えて、公務員の政策が実行される。日本は国民が選んだ議員が決める。しかし、中国には議員が居ないから公務員の政策がそのまま実行される。
レーニンは労働者を搾取する資本家を排除するために共産党一党独裁の社会主義国家を設立した。資本家を排除するために企業は国営にしたのがソ連である。つまり、国が資本家になったのだ。公務員が経営者になったのである。公務員は経営が下手であるから経済は発展しなかった。経済は破綻した。経済の破綻が原因でソ連は1991年に崩壊した。労働者を解放し、労働者を豊かにするはずの社会主義社会の経済が破綻したのである。ソ連経済は破綻したが、労働者を搾取しているはずの米国の経済は発展している。
資本主義国家の次に社会主義国家になるという社会主義思想が破綻したのが1991年のソ連崩壊である。ソ連が崩壊すると、次々と社会主義から議会制民主主義になる国が出てきた。歴史は社会主義から議会制民主主義に変わったのだ。そのことを2015年に出版した「捻じ曲げられた辺野古の真実」に書いた。
1991年にソ連は崩壊し議会制民主主義国家になる。共産党一党独裁の社会主義国家の次に議会制民主主義国家がやってくることが歴史の必然であることが実証されたのがソ連崩壊である。
共産党一党独裁国家を倒した民主化運動
共産党一党独裁国家を倒したのが民主化運動であった。冷静な目で歴史を見れば、共産党一党独裁国家の次にやって来るのが議会制民主主義国家であることが分かる。これは否定することができない歴史的事実であり、必然である。
共産党一党独裁国家はプロレタリア革命によって樹立され労働者を解放した国家と思われているが、実際は労働者を弾圧する国家であった。そもそもロシア革命は労働者が立ち上がった革命ではなかった。武力で国家打倒を主張する政治家を中心とした農民、労働者、軍隊による武力革命だった。中国は毛沢東などの政治家が農民中心の軍隊をつくって蒋介石軍と戦い、勝利して共産党一党独裁国家をつくった。
労働者が立ち上がり労働者のための国家をつくったのはロシアや中国の革命ではなく、東欧の共産党一党独裁国家を倒した民主化運動であった。これこそがプロレタリア革命であったのだ。民主化運動によってできた国家は議会制民主主義国家であり、三権分立・法治主義が確立している国家である。議会制民主主義国家は実質的にプロレタリア革命を成就している国家である。つまり、米国、日本などの議会制民主主義国家は社会主義国家を乗り越えた国家であるのだ。
「捻じ曲げられた辺野古の真実」
ソ連が崩壊した原因を日本の専門家が解明して、社会主義の矛盾を指摘すると予想していたが、そのようなネット記事はひとつもなかった。共産党の社会主義の矛盾を指摘する記事を見たことがない。
議会制民主主義と比較して社会主義を批判する専門家の記事をみたこともない。ソ連崩壊の本質を指摘し、社会主義は経済破綻することを説明する専門家が居ないから、社会主義国家が将来の国家であることを信じている全労連組合員員が55万人も居るのだ。
社会主義国家から議会制民主主義国家になった国は多くあるが議会制民主主義から社会主義になった国は一つもないないことを知ってほしい。
日本では社会主義の共産党を支持する国民は非常に少ない。
国民は圧倒的に社会主義を否定しているということだ。
Posted by ヒジャイ at
17:48
│Comments(1)
2025年01月05日
兵庫県、沖縄県で自治労、自治労連の嘘が粉砕された
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兵庫県、沖縄県で自治労、自治労連の嘘が粉砕された
兵庫県の7つの告発文書から始まった斎藤知事排斥運動と沖縄県の辺野古埋め立ては海が汚染されるから始まって埋め立て反対運動は自治労と自治労連が主導した運動である。自治労は旧社会党の配下にあった。現在は立憲民主と社民党を支持している。自治労連は共産党の配下にある。公務員が主導した運動が斎藤知事排斥であり辺野古埋め立て阻止の運動であったのだ。
1980年代に政府・財界主導による臨調・行革攻撃が激しくなった中、当時の自治労は連合に吸収合併された。連合は右派であると批判した共産党によって1989年に自治労から分裂して自治労連が結成された。
兵庫県
7つの告発文書は県庁職員と斎藤知事の対立が原因である。兵庫県は井戸敏三前知事時代が20年間続いた。県職員は20年間続いた前知事の政策に慣れていた。ところが斎藤知事は前知事の政治を変革する政策だった。県庁職員は斎藤知事の政策に反対だった。だから、斎藤知事を辞職させて井戸知事の政治を復活させたかった。斎藤知事と県職員の政治対立が原因で斎藤知事を辞職に追い込む目的で7つの告発文書が作成されたのである。
井戸前知事の時に本来65歳定年であったのが職員の企みによって、なし崩し的に70歳以上まで延長されていた。また、県の外郭団体に県庁幹部は天下りするシステムもつくっていた。井戸知事20年で県職員の定年は延長し、天下りは拡大して県職員天国になっていたのである。斎藤知事は65歳定年を復活させ、県職員の天下りを禁止した。県職員天国が斎藤知事によって崩壊させられたのだ。
斎藤知事は兵庫県知事になる前は総務省に居た。斎藤知事は三重県庁や新潟県佐渡市役所、宮城県庁に出向後、2018年から3年間、大阪府財政課長を務めた。3年間に維新の会の行財政改革を学び、兵庫県で維新流の政治改革を目指した。だから、斎藤知事は定年延長、天下りを禁止したのだ。
県庁職員は斎藤知事の政策に反発した。しかし、県職員が知事の政策に反対することはできない。県職員には政治主張することは禁じられているからだ。政治主張するには県職員を辞めて議員にならなければならない。
県職員にとって知事の政策に逆らうことはできない。斎藤知事の政策に従うしかないのが県職員の宿命である。斎藤知事の維新の会流の政治に県職員は反発が強くなっていった。
県職員は斎藤知事の辞職を望んだ。しかし、県職員は斎藤知事の政策を直接批判することはできない。県民に選ばれた知事の政策に県職員が反対することは許されないからだ。斎藤知事の政策に反対であるが政策に反対することが許されない。斎藤知事の政策を止めるには斎藤知事を辞職させるしかない。辞職に追い込む方法として考え出したのが斎藤知事のパワハラ、おねだりなどの7つの告発文書である。7つの告発文書の目的は斎藤知事を辞職に追い込むことだった。
告発する文書を書いて配布したのが元県西播磨県民局長であったと言われている。しかし、告発文書は斎藤知事を辞職に追い込みたい県職員たちが計画したと考えるべきである。
元県西播磨県民局長は7月7日に姫路市の民家で死亡しているのが見つかった。自殺と見られる。すると県職労は9日に斎藤知事に辞職を求める方針を決め、10日に副知事と面会し、知事宛ての申し入れ書を提出したのである。あまりにも早すぎる辞職申し入れ書提出である。たった2日間で辞職申し入れを提出したということは県職員が7つの告発文書作成計画にすでに関わっていたという証拠である。あたかも元局長が個人的に作成したように報道しているが、そうではない。県職労が仕組んだものである。
共産党は22日、県政の混乱を招いたとして、斎藤知事に辞職を求めた。全労のバックに存在するのが共産党である。斎藤知事排除計画の黒幕は共産党である可能性が高い。大阪府では維新の会によって共産党は壊滅危機に陥っている。維新の会と密接である斎藤知事によって兵庫でも大阪府のように共産党は壊滅危機にさせられるのではないかと共産党は恐れていたのだ。
兵庫県の労連職員は斎藤知事のパワハラやおねだりをメディアに言い、県職員が斎藤知事の辞職を希望していることを訴えた。去年の議会選の結果である。
自民31→24
公明12→13
共産5→2
立民4→4
維新4→21
国民1→0
無22→22
共産党は半分以下に激減した。大阪府議会では1議席である。斎藤知事の政権が続けば大阪と同じように維新の会は増えていき、共産党は存続の危機に陥るだろう。危機を脱するには斎藤知事を排除しなければならない。排除するために共産党は県労連を利用して斎藤知事のパワハラ、おねだりの宣伝をメディアに拡大させたのだ。その効果があり全議員が斎藤知事の辞職を要求する決議をした。
兵庫県で7つの告発によって斎藤知事を失職させたように沖縄では県民投票で辺野古埋め立ては海を汚染させるという嘘を自治労、自治労連、共産党が振りまいた。その嘘に自民党のリーダーであった翁長雄志氏を巻き込んだ、翁長氏は辺野古埋め立て反対を選挙公約にして知事選に立候補して知事になった。兵庫県では自民、維新などの政党を反斎藤知事にし、全議員が斎藤知事辞職を要求させた。沖縄県では自民党の翁長氏を辺野古移設反対に巻き込んで県知事、県議会を反辺野古埋め立てにした。
7つの告発文書は巧妙な嘘の文書であるし、辺野古埋め立てをしたら海が汚染されるというのも真っ赤な嘘である。政治家たちは嘘にまんまと騙されたのだ。
メディアと政治家が騙された嘘に兵庫県民は騙されなかった。斎藤氏を再び知事にした。
沖縄県
沖縄県は県議会選では辺野古移設反対の共産党と立民議席がが半減し、移設容認の自民と公明の議席が増えて、野党が過半数になった。
与党
共産7→4
立民4→2
社民2→2
社大2→3
無所属9→9
野党
自民18→20
公明 2→4
沖縄県民は海が汚染されると嘘を振りまいた共産、立民の議席を半減させたのである。
沖縄、兵庫県民は自治労、自治労連、共産党、立民左派のの嘘を許さない。
2024年12月31日
メディアはSNSに敗北したのではない 兵庫県民に敗北したのだ
メディアはSNSに敗北したのではない 兵庫県民に敗北したのだ
メディアはSNSに敗北したと繰り返し報道している。メディアはSNSに敗北したのではない。斎藤知事の政策を支持した兵庫県民に敗北したのだ。スキャンダルに埋没しているメディアは反斎藤知事であった。そのことをブログに掲載した。
・兵庫県民は斎藤候補の政策重視か パワハラ、おねだり重視か
・県民は政策で、メディアはスキャンダルで知事を選
ぶ
・兵庫知事選は政党、マスメディア対斎藤支持市民派の闘い
・兵庫県民はメディアや政党と違い斎藤氏を支持している
・斎藤候補が圧勝 政党、マスメディアは敗北
兵庫県民は斎藤候補の政策重視か パワハラ、おねだり重視か
自民党、立憲、維新の会、共産党の全議員が辞職を求めた斎藤前知事が当選するか否か。
マスメディアも専門家も斎藤知事のパワハラ、おねだりを徹底して非難した。知事失格を宣告された斎藤候補である。落選するのが当然である。
ところが斎藤候補を支持する県民が居る。政治家、マスメディア、政治専門家のほとんどが斎藤候補を否定しているというのに応援する県民が多数存在するのだ。県民は政治に素人である。素人なのに専門家の主張に反対する県民が増え続けている。
県民は政治に素人であるが、斎藤候補が実施した政策を直接体験した人たちである。専門家が非難した斎藤候補を素人の体験者たちが肯定しているのである。
30代の会社員
「県立高校一校あたりの予算額が全国で46位であった。施設は古く、生徒の部活の道具がすごくボロボロであった。OBの皆さんの寄付とかでやりくりをしているという状況だったが、斎藤知事は県立高校のトイレの改修や洋式化、教室や体育館のクーラーの設置、部活動の応援をやってくれた。
斎藤知事は県立大学の授業料の無償化であったり、高校の支援や不妊治療の支援、それ以外にも若い世代を応援する政策をしっかりやってくれた」
40代の会社員女性
「やっぱり、斎藤さんは既得権に切り込んでいく。例えば天下りを辞めさせるなどをやってこられた方です。私の友達の職場にも県からの天下りがあってその弊害をずっと聞いていたのですが、それを辞めさせてくれただけでも、ちゃんと仕事されている知事さんだと思っていましたので、応援にきました」
2児の母である40代女性
「うちは中学と高校の子供がいるのですが、知事が斎藤さんになってからは、子供たちや子育て世代への支援が増えたことがはっきり分かりました。県立大学の学費を無料化や、給食の無償化も進んでいます。県立高校の校舎への予算も確保してくださったのか、どんどん綺麗になっています。なのでありがとうございますと、お礼を言いにきました」
斎藤候補の政治改革を直接体験したのが兵庫県民である。体験した県民の多くが斎藤候補の政治を認め支持しているのだ。全議員から辞職を要求され、ほとんどのマスメディアから非難された斎藤候補が当選することはあり得ないことである。ところが多くの県民が支持するようになった。
斎藤候補を批判した7つの告発文は県職員へのパワハラやおねだりなどをやったことに対する批判である。斎藤候補の切削への批判は一切ない。だから、議員やマスメディアも斎藤候補の政策への批判は一切ない。
議員、マスメディアはパワハラ、おねだり、キックバックなどを重視している。
県民は斎藤候補の政策を重視している。
斎藤候補が確実に当選する。間違いない。
「兵庫県民は斎藤候補の政策重視か パワハラ、おねだり重視か」
メディアはSNSに敗北したと思い込んでいるが、SNSに敗北したというのは間違っている。7つの告発文書に固執し、反斎藤知事だったから敗北したのだ。SNSは斎藤知事の政策を支持するのもあれば反対するのもある。斎藤知事の政策を支持するSNSが多かったかもしれないが、兵庫県民は斎藤知事の政策に触れて、支持する県民が多かったのだ。だから、斎藤氏が当選した。
斎藤知事を支持しなかったメディアは斎藤知事を支持した兵庫県民に敗北したのだ。
メディアはSNSに敗北したと繰り返し報道している。メディアはSNSに敗北したのではない。斎藤知事の政策を支持した兵庫県民に敗北したのだ。スキャンダルに埋没しているメディアは反斎藤知事であった。そのことをブログに掲載した。
・兵庫県民は斎藤候補の政策重視か パワハラ、おねだり重視か
・県民は政策で、メディアはスキャンダルで知事を選
ぶ
・兵庫知事選は政党、マスメディア対斎藤支持市民派の闘い
・兵庫県民はメディアや政党と違い斎藤氏を支持している
・斎藤候補が圧勝 政党、マスメディアは敗北
兵庫県民は斎藤候補の政策重視か パワハラ、おねだり重視か
自民党、立憲、維新の会、共産党の全議員が辞職を求めた斎藤前知事が当選するか否か。
マスメディアも専門家も斎藤知事のパワハラ、おねだりを徹底して非難した。知事失格を宣告された斎藤候補である。落選するのが当然である。
ところが斎藤候補を支持する県民が居る。政治家、マスメディア、政治専門家のほとんどが斎藤候補を否定しているというのに応援する県民が多数存在するのだ。県民は政治に素人である。素人なのに専門家の主張に反対する県民が増え続けている。
県民は政治に素人であるが、斎藤候補が実施した政策を直接体験した人たちである。専門家が非難した斎藤候補を素人の体験者たちが肯定しているのである。
30代の会社員
「県立高校一校あたりの予算額が全国で46位であった。施設は古く、生徒の部活の道具がすごくボロボロであった。OBの皆さんの寄付とかでやりくりをしているという状況だったが、斎藤知事は県立高校のトイレの改修や洋式化、教室や体育館のクーラーの設置、部活動の応援をやってくれた。
斎藤知事は県立大学の授業料の無償化であったり、高校の支援や不妊治療の支援、それ以外にも若い世代を応援する政策をしっかりやってくれた」
40代の会社員女性
「やっぱり、斎藤さんは既得権に切り込んでいく。例えば天下りを辞めさせるなどをやってこられた方です。私の友達の職場にも県からの天下りがあってその弊害をずっと聞いていたのですが、それを辞めさせてくれただけでも、ちゃんと仕事されている知事さんだと思っていましたので、応援にきました」
2児の母である40代女性
「うちは中学と高校の子供がいるのですが、知事が斎藤さんになってからは、子供たちや子育て世代への支援が増えたことがはっきり分かりました。県立大学の学費を無料化や、給食の無償化も進んでいます。県立高校の校舎への予算も確保してくださったのか、どんどん綺麗になっています。なのでありがとうございますと、お礼を言いにきました」
斎藤候補の政治改革を直接体験したのが兵庫県民である。体験した県民の多くが斎藤候補の政治を認め支持しているのだ。全議員から辞職を要求され、ほとんどのマスメディアから非難された斎藤候補が当選することはあり得ないことである。ところが多くの県民が支持するようになった。
斎藤候補を批判した7つの告発文は県職員へのパワハラやおねだりなどをやったことに対する批判である。斎藤候補の切削への批判は一切ない。だから、議員やマスメディアも斎藤候補の政策への批判は一切ない。
議員、マスメディアはパワハラ、おねだり、キックバックなどを重視している。
県民は斎藤候補の政策を重視している。
斎藤候補が確実に当選する。間違いない。
「兵庫県民は斎藤候補の政策重視か パワハラ、おねだり重視か」
メディアはSNSに敗北したと思い込んでいるが、SNSに敗北したというのは間違っている。7つの告発文書に固執し、反斎藤知事だったから敗北したのだ。SNSは斎藤知事の政策を支持するのもあれば反対するのもある。斎藤知事の政策を支持するSNSが多かったかもしれないが、兵庫県民は斎藤知事の政策に触れて、支持する県民が多かったのだ。だから、斎藤氏が当選した。
斎藤知事を支持しなかったメディアは斎藤知事を支持した兵庫県民に敗北したのだ。
2024年12月30日
「SNSに敗北した」はメディアが知事選挙で違法違法行為したと白状したということ
「SNSに敗北した」はメディアが知事選挙で違法違法行為したと白状したということ
兵庫知事選の開票速報で斎藤候補が当選確実であることを全国放送でまっさきに中継したのがフジテレビのMr.サンデーであった。斎藤候補の当選を知った宮根誠司キャスターは、
「われわれ大手メディアの敗北」
と断言した。宮根キャスターは負けた相手がSNSであると言い、
「今回、我々ひょっとしたら初体験かもしれない……SNSの力。これにはちょっと驚きましたね」
と感想を述べた。
SNSは制約がほとんどないのにテレビや新聞は制約が多いことをあげ、それがメディアの敗北の原因であるとしている。「兵庫知事選はメディアがSNSに負けた」をほとんどのメディアが言っている。
もし、SNSがメディアと同じように制約があれば斎藤候補が当選することはなかったとメディアは判断しているのだ。
「SNSにメディアが敗北した」から斎藤候補が当選したということは、メディアとSNSが同じ条件で互角の報道をしていたなら斎藤候補は落選していたとメディは断言していることになる。
メディアの敗北宣言は、メディアが斎藤候補を落選させるための報道をしていたと解釈することができる。SNSがなければメディアだけの報道になる。メディアだけの報道であったなら斎藤候補は確実に落選していたと決めつけているメディアである。つまりメディアはメディアやSNSが当選を左右させているとメディアやSNSが知事選を支配していると言っているのだ。そんな考えは間違っている。
メディアは放送機関である。ニュースを流すのがメディアの仕事である。特定の候補者を応援してはならない。しかし、「メディアがSNSに負けた」という発言はメディアが斎藤候補不支持の選挙運動をしていたことを自白したに等しい。メディアは斎藤候補を落選させる選挙運動をしていたのだ。
「メディアはSNSに負けた」は斎藤候補を落選させる運動をしていたが斎藤候補が当選した。だから、メディアは敗北したと言っているのである。メディアは報道機関である。立候補者を平等に報道するのが報道機関の義務である。特定の立候補者を応援したり差別するのは違法行為である。
メディアが「SNSに敗北した」と言ったのは違法行為を白状したということである。
兵庫知事選の開票速報で斎藤候補が当選確実であることを全国放送でまっさきに中継したのがフジテレビのMr.サンデーであった。斎藤候補の当選を知った宮根誠司キャスターは、
「われわれ大手メディアの敗北」
と断言した。宮根キャスターは負けた相手がSNSであると言い、
「今回、我々ひょっとしたら初体験かもしれない……SNSの力。これにはちょっと驚きましたね」
と感想を述べた。
SNSは制約がほとんどないのにテレビや新聞は制約が多いことをあげ、それがメディアの敗北の原因であるとしている。「兵庫知事選はメディアがSNSに負けた」をほとんどのメディアが言っている。
もし、SNSがメディアと同じように制約があれば斎藤候補が当選することはなかったとメディアは判断しているのだ。
「SNSにメディアが敗北した」から斎藤候補が当選したということは、メディアとSNSが同じ条件で互角の報道をしていたなら斎藤候補は落選していたとメディは断言していることになる。
メディアの敗北宣言は、メディアが斎藤候補を落選させるための報道をしていたと解釈することができる。SNSがなければメディアだけの報道になる。メディアだけの報道であったなら斎藤候補は確実に落選していたと決めつけているメディアである。つまりメディアはメディアやSNSが当選を左右させているとメディアやSNSが知事選を支配していると言っているのだ。そんな考えは間違っている。
メディアは放送機関である。ニュースを流すのがメディアの仕事である。特定の候補者を応援してはならない。しかし、「メディアがSNSに負けた」という発言はメディアが斎藤候補不支持の選挙運動をしていたことを自白したに等しい。メディアは斎藤候補を落選させる選挙運動をしていたのだ。
「メディアはSNSに負けた」は斎藤候補を落選させる運動をしていたが斎藤候補が当選した。だから、メディアは敗北したと言っているのである。メディアは報道機関である。立候補者を平等に報道するのが報道機関の義務である。特定の立候補者を応援したり差別するのは違法行為である。
メディアが「SNSに敗北した」と言ったのは違法行為を白状したということである。
Posted by ヒジャイ at
22:26
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2024年12月28日
ワシントン事務所に対する百条委設置が決定
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ワシントン事務所に対する百条委設置が決定
アメリカの首都ワシントンに設置している事務所について、設置や運営の手続きが不透明で多くの問題点や疑問点があるとして県議会は地方自治法に基づき、強い調査権を持つ「百条委員会」を設置した。
県政野党の自民党は「調査内容が多岐にわたっており期限を決めて調査すべきではない」と主張し、協議の結果、明確な期限は設けず調査が終わるまで設置することになった。、県政与党側は「自民党は新年度予算案の編成前に明らかにすることが必要だと説明していたが整合性がとれていない」と反論したが、自民党は与党の反論に応じないで期限を儲けないで調査することにした。自民党などの野党が県議会の多数派なので自民党の方針が採用された。
自民党はワシントン事務所について徹底して調査するつもりである。
自民党が最初に百条委に参考人として出席を求めたのが、ワシントン事務所の初代の所長と副所長である。所長と副所長は県職員である。二人がどの部署のどんな地位にいる職員かが分かる。県庁の自治労の実態もわかってくるだろう。辺野古移設反対運動に深くかかわっていた県職員の実態が明らかになっていく可能性がある。
ワシントン事務所は政治目的であることを指摘されて米政府は容認しなかった。そこで、県は事務所を経営する株式事務所として嘘の申請をして、容認された。嘘の申請をしたのは辺野古移設反対運動を米国でも展開するためだ。だから、辺野古移設反対運動に積極的に取り組んでいる県職員が嘘の申請に深く関係しているだろう。
辺野古移設反対活動をやっている県職員の実態を百条委で明らかにしてほしい。
辺野古移設反対運動の中心的存在は沖縄の公務員の団体である自治労と教員組合の沖教組である。自治労、沖教祖の中心にあるのが県庁の自治労である。
辺野古移設反対運動の中心である県庁職員のワシントン事務所の違法行為が調査されるのだ。県庁の移設反対運動は弱体するだろう。
10月に出版した「内なる民主主義35」で「辺野古は終わった」を掲載した。県議選でデニー知事の与党が敗北したからである。
6月19日
県議選 物言わぬ辺野古埋め立て地がデニー知事与党を敗北させた

辺野古の埋め立て地の写真である。写真はなにも言わない。その姿を見せているだけである。だが、物言わぬ写真が県議会選でデニー知事の与党を大敗北させたのである。
埋め立てが始まる前には、埋め立てすれば海が汚染され、サンゴは死に、魚やジュゴンは棲めなくなると埋め立て反対派は主張し、多くの県民は信じた。汚染されると主張する翁長雄志氏は自民党を離党し、共産党と連帯して辺野古移設反対を主張して知事選に立候補し当選した。辺野古埋め立ては海を汚染すると県民は信じたから翁長氏は当選したのである。しかし、海が汚染されるというのは辺野古移設反対派のでっちあげであった。でっち上げであることを指摘したマスメディアはなかったし自民党も指摘することはなかった。
私は2015年に出版した「「捻じ曲げられた辺野古の真実」」で埋め立てで汚染されることがないことを掲載した。
6月17日
県議選 デニー与党が敗北した 当然のことである<\/font>
県議選でデニー知事派の与党は24議席から20議席になり過半数を割った。敗北したのである。与党が敗北するのは当然である。
県知事選が終わった。予想通りデニー知事与党の候補者が「辺野古移設反対」の選挙公約は掲げていない。
デニー知事は辺野古埋め立てを容認したのだ。だから、デニー知事支持派は辺野古移設反対を主張することができなくなった。
辺野古は終わったのだ。辺野古移設反対はデニー知事によって終わらしたのである。辺野古が終わればデニー知事も終わりである。県議選でデニー知事派の与党が敗北するのは当然のことである。
予測した通りに与党は敗北した。敗北した原因は辺野古反対の敗北である。そのことを県議選ではっきりと表している。
政党別の議席数である。
共産 続きを読む
タグ :4→2社民
Posted by ヒジャイ at
15:55
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2024年12月27日
兵庫県民は7つの告発文書策略を跳ね返した 素晴らしい
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兵庫県民は7つの告発文書策略を跳ね返した 素晴らしい
百条委員会で片山安孝元副知事は7つの告発文書を配布した男性職員の公用パソコンを回収して調べると職員が作成したとみられる人事案みを見つけた。人事案は「『反斎藤』的な職員を配置して、改革を進めさせないという内容だったという。片山氏は斎藤知事体制を崩そうとするクーデターと解釈している。
7つの告発文書を兵庫県庁の職員が作成したことを知った瞬間に職員の目的は斎藤知事のパワハラなどをなくすのが目的ではなく、片山氏のいうとおりに斎藤知事を辞めさせるのが目的であると確信した。そのことを内なる「民主主義35」に掲載してある。
内なる民主主義35 より
橋下氏が大阪市長の時に、維新の会が大阪で展開している政治改革に反撃するために全労連・大阪労連・自治労連・全教の四者が主催した大会を開いた。
「(維新の会が)強行にすすめる公務労働者への弾圧、住民いじめの攻撃に反撃して、全国からたたかう決意を固めあいました」
と主催者は述べている。
大会は維新の会が全国に展開しようとしていることを阻止するのが目的である。共産党配下の全労連・大阪労連・自治労連・全教は維新の会は敵であると橋下市長時代から見ていたのだ。維新の会の拡大の阻止を共産党、全労連は維新の会が誕生した時から目的にしていたということだ。
3年前に維新の会よりの斎藤元彦氏が兵庫県知事になった。全労連は兵庫が大阪のように維新の会の政治が展開するのを嫌った。兵庫で維新政治が展開されるのを阻止したいのが全労連である。
議会は自民党が多数であり維新の会は少ない。斎藤知事をつぶせば維新の会の拡大を阻止できる。全労連は斎藤知事つぶしを目指した。
公務員の団体である兵庫全労は斎藤知事の行動の一部始終を把握することができる。兵庫労連は知事を辞職させるための情報を集めた。そして、7つの告発文を仕上げた。告発文を公表して斎藤知事に辞職を迫った。
告発文によって副知事は辞職した。しかし、斎藤知事は辞職しなかった。斎藤知事を辞職させない限り維新政治を阻止することはできない。斎藤知事が辞職するまで兵庫労連の斎藤知事攻撃は終わらないだろう。
7つの告発を信じているマスメディアや政治評論家の斎藤知事非難はますます高まっている。しかし、非難は今が最高であるだろう。これからは下がっていくに違いない。理由がある。百条委員会のスケジュールを発表したからだ。
共産党と兵庫労連は7つの告発を根拠にして斎藤知事の辞職を要求している。しかし、百条委員会の開催が決まった。百条委は7つの告発が事実であるか否かを徹底して調べるために県議会が設置した委員会である。委員長には第一会派の自民から奥谷謙一議員、副委員長には第2会派の維新の会から岸口実議員が選任された
8月4日
やっと斎藤知事の主張をマスメディアが掲載した
マスメディアは元西播磨県民局長の7つの告発が本当であるとの前提で斎藤知事を批判してきた。マスメディアの記事には7つの告発が溢れている。
百条委員会の開催日が決まった。今月23日と30日である。職員ら10人と斎藤知事が出頭する。すると斎藤知事の7つの告発に対する反論が掲載されるようになった。7つの告発で必ず出るのがパワハラである。「知事のパワハラは職員の限界を超え、あちこちから悲鳴が聞こえてくる」と告発している。 斎藤知事のパワハラは「執務室、出張先に関係なく、自分の気に入らないことがあれば関係職員を怒鳴りつける」と指摘している。パワハラの具体例として挙げるのが「出張先の施設のエントランスが自動車進入禁止のため、20m程手前で 公用車を降りて歩かされただけで、出迎えた職員・関係者を怒鳴り散らし、その後は 一言も口を利かなかったという」である。斎藤知事のパワハラとしてしょっちゅう出てくる。今までは一方的にパワハラ告発され続けてきたが30日に斎藤知事が百条委員会に出ると決まったら、パワハラに対する斎藤知事の主張が掲載された。
パワハラ疑惑について斎藤知事は「業務上必要な指導」と主張した。出張先で公用車を降りて20メートル歩かされ、職員をどなり散らしたとの指摘には、「しっかり動線の確保を図るべきだったと厳しく注意したが、ハラスメントという認識はない」と説明した。斎藤知事は職員がきちんとやるべきことをしなかったことを注意したのだ。
果たして斎藤知事の行為はパワーハラスメントだと一方的に決めつけていいのか。知事の厳しい指導と考えるべきではないか。知事は厳しい指導をしてはいけないと元局長は主張しているのだ。
4月に県幹部が視察先企業から高級コーヒーメーカーなどを受け取ったという報道が続いていた。しかし、受け取ったままではなく告発後に返却したという記事が掲載された。今までは受けとったことだけが報道されてきたが、事実は違った。告発後に返却していたのだ。返却したのだから「受け取った」の判断は緩和されるべきである。
兵庫労連・共産党・県民連合の目的は斎藤知事の辞職である。百条委員会の結果、斎藤知事が辞職しない時は兵庫労連・共産党・県民連合の敗北である。
内なる民主主義35
百条委員会の途中で県議会の全議員が斎藤知事の辞職に賛成した。斎藤知事の辞職決定は兵庫労連・共産党の勝利である。しかし、知事選では斎藤氏は圧勝した。兵庫県民は斎藤知事を圧勝させたのだ。
維新を含め政治家は兵庫労連・共産党・県民連合の策略にはめられたが、兵庫県民は策略を跳ね返した。兵庫県民は素晴らしい。