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2025年03月31日

兵庫県民が議員、職員、マスメディア、学者、評論家を蹴散らす

兵庫県民が議員、職員、マスメディア、学者、評論家を蹴散らす

 今、兵庫県で考えられないことが起こっている。
議員、県職員、マスメディアが斎藤元彦氏を知事の座から引きずり落とした。引きずり落とされた斎藤氏を兵庫県民は選挙で当選させて再び斎藤氏を知事の座に戻した。

議員=人々の上に立つ政治家
県の役人=人々の上に立って政策を実践する職人
マスメディア=情報を集め、分析し社会の方向性を示す
評論家、学者=高い知識を習得し人々を指導する優れた階層の人々
彼らが斎藤氏を否定して知事の座から落としたのである。ところが議員、役人、マスメディア、評論家、学者が引きずり落とした斎藤氏を県民=普通の人々が選挙で知事の座に戻したのである。

 議員、職員、メディア、評論家の全員が否定し失墜させたのに県民だけは斎藤氏を支持して再び知事にしたのだ。こんなことは過去になかったことである。日本の歴史で初めてだと思う。

 3年間の斎藤氏の政治を多くの市民が評価し、全議員、県職員、評論家、学者、マスメディアが否定した斎藤氏を支持し、知事に再選したのである。


写真は県議会が終わり、記者会見のために会場に入る斎藤知事を支援する市民の姿である。多くの市民が斎藤知事を応援している。

兵庫県の初代知事は明治元年の(1868年) 伊藤博文(俊介)である。そして、井戸敏三知事が48~52代の知事であり、井戸知事の次に2021年8月1日に斎藤元彦氏が53代の知事になった。しかし、斎藤知事は全議員によって辞職要求が議決された。辞職を要求された斎藤知事は9月30日に失職し、知事の座を失った。

知事が失職している期間は副知事が事務代理を務めた。

11月19日に知事選で斎藤氏が当選して54代の知事になる。

現在の斎藤知事は54代である。53代ではない。ところが百条委員会と第三者委員会は53代の斎藤知事の行為を54代の斎藤知事に責任を取らそうとしている。
54代の知事が53代の知事の行為の責任を取らなければならないのか。もし、責任を取らすならその法的根拠を明らかにする義務がある。
同じ人間であっても、54代の知事が53代の知事の行為の責任を取らなければならないという法律はあるはずがない。
 弁護士、学者、マスコミの誰一人として54代の知事が53代の知事と同じ人間であったなら責任を取らなければならないという法的根拠を述べた者は一人もいない。そんな法律があるはずがない。54代斎藤知事は53代の斎藤知事の行為に責任を取ることはないのだ。54代の斎藤知事は新しい知事として自分のやりたい政策を実現していけばいい。
 県民の選挙によってえらばれた54代の斎藤知事を知事の座から落とそうとする弁護士、学者、マスコミは愚かである。彼らの企みは水泡に帰すだけである。
  

Posted by ヒジャイ at 18:09Comments(0)二大政党

2025年03月27日

兵庫は県民・知事VS県職員・議員・マスメディアの闘いになった

兵庫は県民・知事VS県職員・議員・マスメディアの闘いになった


斎藤元彦知事は県議会の全会一致で不信任決議案が可決されて、9月30日に失職した。斎藤氏は兵庫県知事ではなくなったのである。知事が居ないので新しい知事を確保するために知事選挙をやることになった。選挙の日は11月17日に設定した。
立候補者は
・斎藤 元彦
・稲村 和美
・清水 貴之
・大澤 芳清
・立花 孝志
・福本 繁幸
・木島 洋嗣
の7人であった。当選したのが斎藤元彦氏であった。11月17日に知事になった斎藤知事は9月30日に失職した斎藤知事とは別の知事であると考えるべきである。。新知事が前知事の政治に責任を持つ必要はない。ところが県の百条委員会は新知事になっても前知事の「パワハラ疑惑」の調査を続け、パワハラがあったと結論付けた。そして、外部の弁護士で構成される第三者委員会は、、齋藤前知事が出張先で激しく職員を叱責したことや、夜間・休日にチャットで叱責や業務指示を行ったなど、10の行為を”パワハラに当たる”と認定。パワハラ等を告発して亡くなった元県民局長を「嘘八百」「公務員失格」と非難したこともパワハラに該当すると認定した。
百条委員会と第三者委員会は前斎藤知事のパワハラを認めた。パワハラを根拠に斎藤知事を辞書を要求するかどうかを問題にしている。しかし、パワハラをしたのは前知事である。県議会は百条委員会と第三者委員会の結論が出る前に斎藤知事がパワハラをしたと結論し、辞職を全議員の賛成で議決とした。議会の辞書要求が議決したことによって斎藤知事は辞任した。
県議会は百条委員会と第三者委員会が結論を出す前に県議会は斎藤知事がパワハラをしたと判断し、斎藤知事の辞任を議決したのである。本来であるならば百条委員会と第三者委員会巣の結論が出た現在に斎藤知事への処分をするべきであったのだ。
いま問われているのは斎藤知事の辞職を議決した県議会が正しかったか否かである。ところがマスメディアは前斎藤知事のパワハラを現斎藤知事のパワハラとして非難している。現斎藤知事はパワハラをやったとメディアが避難している最中の知事選で当選した。現斎藤知事は県民が7人の立候補者の中から県民が選んだのである。現斎藤知事を非難することは県民を非難しているのである。
「斎藤候補を当選させた県民は間違っている」
とマスメディアは主張しているのに等しい。マスメディアは斎藤氏を当選させた県民を非難しているのでいる。マスメディアは徹底して斎藤知事を非難した。マスメディアの報道を兵庫県民が信じていたら斎藤氏は落選していただろう。斎藤知事3年間の政治を体験していた兵庫県民はマスメディアを信じなかった。斎藤知事の政治を信じた。だから、県会議員全員とマスメディアの非難の嵐の中で兵庫県民は斎藤氏を知事に選んだのである。現在の斎藤知事を非難することは兵庫県民を非難していることになる。しかし、県民を非難すると国民に避難されるだろう。だから、斎藤知事を非難するが県民は非難しない。そして、斎藤知事を非難することは兵庫県民を非難することになると指摘する評論家は一人もいない。斎藤氏が知事になったということは過半数の県民が斎藤氏の政策に賛同したということである。なにゆえに斎藤氏に投票したかをメディアは報道するべきである。しかし、斎藤氏に投票した県民の意見を掲載しないのが日本のマスメディアである。日本のメディアは斎藤知事を非難する県庁の職員だけの主張を掲載している。


百条委員会と第三者委員会の結論が出たことで第一に問題にすべきことは県議会が斎藤知事に辞職を全会一致で決めたことが正しかったか否かである。百条委員会と第三者委員会は辞職するべきであるとの結論は出していない。辞職するべきとの結論であったなら県議会が辞職を可決したことは正しいということになる。しかし、辞職する必要はなかったという結論であったなら、県議会は間違った判断をしたことになる。議員とマスメディアは議員が辞職を決断したことが正しかったか間違っていたかを判断するべきあるのに判断をしていないのが議員でありマスメディアである。
兵庫県民は斎藤氏を当選させた。ということは議員、マスメディアの判断は間違っていると判断したのだ。県知事選で明らかになったのは、兵庫県民は斎藤氏を支持し、県会議員を支持していないということである。斎藤議員が当選したのに議員の考えは変わらない。マスメディアは議員と同じである。そして、県職員も反斎藤知事である。
兵庫県は県民・斎藤知事と県会議員・県職員・マスメディアが対立している状態になった。議員、職員、メディアは県民の敵になったのである。
  

Posted by ヒジャイ at 17:47Comments(0)二大政党

2025年03月26日

兵庫県民の考えを完全に無視している愚かなメディア

兵庫県民の考えを完全に無視している愚かなメディア

斎藤元彦知事は県議会の全会一致で不信任決議案が可決されて、9月30日に失職した。斎藤氏は兵庫県知事ではなくなったのである。知事が居ないので新しい知事を確保するために知事選挙をやることになった。選挙の日は11月17日に設定した。
立候補者は
・斎藤 元彦
・稲村 和美
・清水 貴之
・大澤 芳清
・立花 孝志
・福本 繁幸
・木島 洋嗣
の7人であった。
当選したのが斎藤元彦氏であった。兵庫県民は再び斎藤氏を県知事に選んだのである、
11月17日に知事になった斎藤知事は9月30日に失職した斎藤知事とは別の知事であると考えるべきである。。新知事が前知事の政治に責任を持つ必要はない。ところが県の百条委員会は新知事になっても前知事の「パワハラ疑惑」の調査を続け、パワハラがあったと結論付けた。そして、外部の弁護士で構成される第三者委員会は、、齋藤前知事が出張先で激しく職員を叱責したことや、夜間・休日にチャットで叱責や業務指示を行ったなど、10の行為を”パワハラに当たる”と認定した。パワハラ等を告発して亡くなった元県民局長を「嘘八百」「公務員失格」と非難したこともパワハラに該当すると認定した。

百条委員会と第三者委員会は前斎藤知事のパワハラを認めた。パワハラを根拠に斎藤知事に辞職を要求するかどうかを問題にしている。しかし、パワハラをしたのは前知事である。県議会は百条委員会と第三者委員会の結論が出る前に斎藤知事がパワハラをしたと決めつけ、斎藤知事の辞職を全議員の賛成で議決とした。議会の辞職要求が議決したことによって斎藤知事は辞任した。
県議会は百条委員会と第三者委員会が結論を出す前に県議会は斎藤知事がパワハラをしたと判断し、斎藤知事の辞任を議決したのである。本来であるならば百条委員会と第三者委員会巣の結論が出た後に斎藤知事への処分をするべきであったのだ。県議会は結論が出る前に斎藤知事の辞職を議決した。
いま問われているのは斎藤知事の辞職を議決した県議会が正しかったか否かである。ところがマスメディアは前斎藤知事のパワハラを現斎藤知事のパワハラとして非難している。現斎藤知事はパワハラをやったとメディアが避難している最中の知事選で当選した。現斎藤知事は県民が7人の立候補者の中から県民が選んだのである。現斎藤知事を非難することは県民を非難することになる。

「斎藤候補を当選させた県民は間違っている」

とマスメディアは主張しているのに等しい。マスメディアは斎藤氏を当選させた県民を非難しているのでいる。 
マスメディアは徹底して斎藤知事を非難した。マスメディアの報道を兵庫県民が信じていたら斎藤氏は落選していただろう。しかし、斎藤知事3年間の政治を体験していた兵庫県民はマスメディアを信じなかった。斎藤知事の政治を信じた。だから、県会議員全員とマスメディアの非難の嵐の中で兵庫県民は斎藤氏を知事に選んだのである。

現在の斎藤知事を非難することは兵庫県民を非難していることになる。しかし、県民を非難すると国民に避難されるだろう。だから、斎藤知事を非難するが県民は非難しないのがマスメディアである。
斎藤知事を非難することは兵庫県民を非難することなると指摘する評論家は一人もいない。マスメディアは斎藤氏に投票した県民の意見も掲載しない。斎藤氏が当選したのだから、斎藤氏を選んだ多くの県民の意見を掲載するべきである。しかし、県民を無視するメディアは県民の意見を掲載しない。パワハラに対する県民の意見も掲載するべきである。しかし、しない。県民の意見を封殺している。斎藤知事を非難する県庁の役人だけの主張を掲載しているだけである。それが日本のマスメディアである。

 斎藤氏が当選したことをメディアは「マスメディアがSNSに敗北した」と決めつけている。知事が当選するか否かはマスメディアとSNSが左右するとメディアは信じているのである。県民は立候補者の政策を見て、どの候補が兵庫県民の生活を豊かにしていくかを考えて投票するのだ。兵庫県民の考えを完全に無視しているのがメディアである。

  

Posted by ヒジャイ at 15:24Comments(0)二大政党

2025年03月24日

リンカーンとマルクスを念頭に置きながら・・

リンカーンとマルクスを念頭に置きながら・・・

リンカーンの次に興味を持ったのがマルクスだった。マルクスは1929年に起こった世界恐慌を予測したという。世界恐慌とはアメリカで株価が暴落したことをきっかけに、世界中に広がった経済危機である。20世紀で最も深刻な不況であった。
・1929年10月24日にニューヨーク株式市場で株価が暴落し、世界恐慌が始まった
・1929年から32年までに世界の工業生産は半減した。
・1932年末には全世界の失業者は5000万人を越えたと推定されている
世界中で多くの会社が倒産したり銀行が破綻したりした。
世界的な金融不安、個人消費の低迷、諸国家の財政赤字と社会保障危機などが発生した。
・沖縄は砂糖を生産して輸出していた。景気は良かった。ところが世界的な恐慌で売れなくなり、景気が悪化した。世界恐慌は沖縄にも影響していた。

マルクスは好景気の次に恐慌が起こることは経済の法則であると説いたという。
マルクスは1818年に生まれている。世界恐慌の100年以上前に生まれたマルクスが世界恐慌が起こることを予言したのである。マルクスはすごいなあと思った。髭ずら顔のマルクスの写真が教科書に載っていた。教員はマルクスは唯物論者であった言った。しかし、唯物論についての説明はしなかった。唯物をただものと茶化すだけであった。マルクスの唯物論とはどんなものであるのか想像できなかった。そんなマルクスに大学で出会い、彼の理論に衝撃を受けた。

私は1967年に琉球大学の国文科に入った。あの頃は学生運動が盛んだった。琉大は共産党系の民青と革マルの勢力が強かった。琉大はずっと民青の勢力が強く、自治会長、男子寮長、女子寮長を民青が占めていたが、新勢力の革マルが次第に学生の支持を高め、自治会長と男子寮長の選挙で革マルの候補が当選した。
革マルとは日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派革命的マルクスといい、革共同第三次分裂により1962年結成された。ということは琉大では62年より後である。琉大の革マルは結成して数年しか経ていないのに自治会長と男子寮長は革マルの候補が当選したのである。学生の支持は民青より多かったのである。私も革マルを支持し、勉強会にも参加した。

「共産党宣言」は興味はわかなかったしおもしろくなかった。驚いたのはマルクスの人間の労働論であった。マルクスは他の動物と人間の違いは生産にあると述べている。動物は自分の住む家(巣)はつくる。しかし。自分の家を作るだけで他の動物の家はつくらない。しかし、人間は他の動物の家を作る。それが人間と他の動物と違うところである。
人間は家だけでなくあらゆる物を生産する。頭の中で描き、それを生産する。労働をして生産することが人間の本質であるとマルクスは説いた。芸術も人間の生産であるというのがマルクスの人間の本質論である。

生産した商品は労働者の物であるべきであるのに現実は違う。会社を私有している資本家の私物である。資本家は労働者に給料を払い、商品を資本家の私物にする。商品を私有した資本家は労賃、原料代金、工場や燃料などの代金だけでなく資本家の収入を加えて商品を売る。いわゆる利益である。利益は資本家による労働者の搾取であり、資本家は企業を私有することによって労働者を搾取して莫大な収入を得る。会社など生産手段を私有し、原料なども私有して、労働に生産させて、利益を独り占めにするのが資本家であるとマルクスは主張し、資本家階級は労働者階級を搾取して莫大な財産を私有していると説いたのがマルクスである。


リンカーンは1809年アメリカ合衆国に生まれた。マルクスは1818年にプロイセン王国時代のドイツに生まれた。私が影響を受けた二人は偶然にも同じ時代の人である。
リンカーンとマルクスの考えを私なりに試行錯誤しながら現在の政治・経済の問題を考えている。

マルクスの理論では下部構造(経済)が上部構造を変革すると主張している。歴史は通信、交通と分業の発展であるという。・・・。マルクスの共産党宣言でいったプロレタリア革命とは議会制民主主義革命であるだろう・・・
レーニンのいう共産党一党独裁国家は資本家の独裁国家である・。・・。
  

Posted by ヒジャイ at 17:54Comments(0)

2025年03月21日

国民は左翼を除外し、保守の国会にした

国民は左翼を除外し、保守の国会にした

戦後の日本は議会制民主主義国家である。議員は選挙で選ぶ。そして、国の権力を立法権、行政権、司法権の3つに分けて、それぞれを別の機関が分担する仕組みである。三権分立である。もう一つ重要な法律がある。戦後の日本は独占禁止法である。独占禁止法によって財閥は解体した。今の日本には財閥は存在しない。だから、経済で独裁企業は存在しない。経済は自由競争の世界である。
財閥をオルガルヒという。ロシアをはじめ多くの国にオルガルヒは存在する。オルガルヒは政権と密接な関係にある。オルガルヒが存在する国のほとんどは独裁国家である。
ロシアはプーチンの独裁国家であり、経済はプーチン政権と密接な関係にあるオルガルヒが支配している。
EUはオルガルヒを禁じているからオルガルヒ存在しない。ウクライナはEUへの加入を目指している。ウクライナにはオルガルヒが存在していたがEUに加入するためにオルガルヒを解散させた。

大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)以前の日本は大手企業が軍部や政権と組んでいた。三菱・住友・三井などの財閥があった。これらは、1945年の日本の降伏の後、1947年に、連合国軍最高司令官総司令部の指令により解体させられた。
戦後の日本が目覚ましく経済発展した原因のひとつに財閥解体がある。財閥は政府と密接な関係を築き、他の企業に圧力をかけて成長を押さえる。または、抱き込んで支配下に置く。そのために経済成長が抑えられる。戦後は独占禁止法によって財閥は解体されて他の企業に圧力をかけることができなくなった。

本田技研工業は戦後の1948年9月24日設立した。そして、急成長して溢流の企業になった。創設者の本田宗一郎氏は本田が一流企業へと成長した原因は「上が居なくなったから」と述べた。本田氏のいう上とは財閥のことである。

たわしは日本の発明品である。1908年(明治41年)、西尾正左衛門は実用新案を取得した。実用新案の権利期間が満了する直前に特許を出願し、1915年7月2日に特許第27983号「束子」を取得した。政府の官僚がやってきて、西尾にある財閥企業にたわしの特許を譲るように圧力をかけてきた。このように財閥と政府はつながって、小さな企業を政治を利用して吸収していた。西尾は官僚の圧力に屈しないで特許を譲らなかったという。
戦後の日本経済が世界二位に達するほどに目覚ましく発展したのは財閥の解体によって自由競争になったからである。

戦後の日本
・政治家を国民の選挙で選ぶ。
・内閣、議会、裁判所の三権分立
・財閥解体によって市場の自由競争

これが戦後日本の社会体制である。私はこれを議会制民主主義と呼んでいる。

戦後の政治体制は民主主義体制になった。しかし、ソ連の社会主義の影響を受けて資本主義を否定し、社会主義を目指す政党が存在した。社会党と共産党である。
社会党・共産党は議会制民主主義の米国を嫌った。だから、米国との条約である日米安全保障条約を嫌い、日米安保の廃止を主張している。社会・共産は米国と同じ日本の政治体制を嫌った。

1955年以降長らく続いた自由民主党・日本社会党の勢力が2対1の構図の政治体制をメディアは55年体制と呼んでいる。自民党対社会党・共産党の構図では自民党が与党であり続けた。社会・共産は一度も与党にならなかった。国民の選挙で議員は選出される。国民は社会・共産を一度も与党にしなかったということだ。

国民はソ連のような社会主義を嫌い、米国、EUのような議会制民主主義を受け入れたのだ。それを55体制が証明している。

社会・共産の議席は減り続けた。その代わりに保守の維新の会や国民民主の議席が増えた。立憲民主内の社会党系の議員も減った。今は0に近い。
今の国会は保守系の議員か占めている。国民がそんな国会にしたのである。55年体制は与党=保守、野党=左翼であった。今は与党=保守、野党=保守である。いまでも政治家、知識人、メディアには左翼が存在する。沖縄の知事は左翼であり、少数与党である。しかし、国会は与党も野党も保守である。

  

Posted by ヒジャイ at 16:25Comments(0)

2025年03月13日

突然激痛で歩けなくなったために一カ月以上三線教室を休んだ

突然激痛で歩けなくなったために一カ月以上三線教室を休んだ

 一カ月ぶりに三線教室にいった。一カ月前、突然左足に激痛が走り歩けなくなった。今は普通に歩ける状態ではないが短い距離は歩けるようになった。車の運転はできるので三線教室に行った。三線教室は嘉手納町の南区コミュニティーセンターでやっている。今は公民館とは言わないでコミュニティーセンターというようだ。
民謡が好きというのではないが、三線教室に入り、民謡を習っている。普通の三線教室であったら入らなかった。
嘉手納の飲み屋街のちばりYOという民謡ライブハウスがあり、ライブが面白いので通っていた。
 
おじい自慢のオリオンビール ちばりyo~ 与那嶺清通 國吉美奈
https://www.youtube.com/watch?v=5dcBXhSPTCQ&t=22s


海ぬちんぼうら ちばりyo~ 与那嶺清通 國吉美奈
https://www.youtube.com/watch?v=tw4b-w3j3jg&t=4s

 ライブを録画し、ユーチューブに掲載した。9年前である。ちばりYOで民謡を個人レッスンで教えるというので入った。母が遺した三線があった。三線がなかったら入らなかっただろう。

 尺八には真剣に取り組んだ過去がある。しかし、尺八で演奏したのは尺八用の古典民謡ではない。古典は嫌いだ。好きな曲を自由に演奏した。

花ぬかじまやー
https://www.youtube.com/watch?v=W68oq94NGRQ

shakuhachi  やんばるの星空 okinawa
https://www.youtube.com/watch?v=tYioWSde6zA

shakuhachi 二見情話 Okinawa
https://www.youtube.com/watch?v=4t0H-QJnepA

 
私には二見情話、十九の春、女工節などとても好きな民謡があり、好きな民謡を習う目的で入った。しかし、ちばりYOは閉店した。経営が苦しかったのだろう。教師の与那嶺さんは南区コミュニティーセンターでも教えていたのでそこに移るように言われた。5年前のことである。
生徒は10人くらいで皆んな60歳以上である。いわゆる老人民謡教室である。老人たちだけなので与那嶺先生はやさしい。叱ることはない。私は歌詞を半分以上覚えていない。口をもくもぐさせながら歌うがなんの注意もしない。だから、続いているのだ。きちんと覚えることを要求されていたら辞めていただろう。
三線教室を続けているが家ではあまり練習しない。好きな二見情話と十九の春は練習したが他の曲はあまり練習していない。ということである。まあ、この調子でやっていくだろうな。

老人たちが沖縄のように楽器を習うというのは世界では非常に少ないらしい。沖縄は世界でも珍しいということだ。楽器を家庭で所有している割合は世界でトップクラスということである。なぜ、沖縄は民謡をやる人口が多いのか。それは三線と沖縄民謡の自由で気軽に歌えることにある。
  

Posted by ヒジャイ at 17:33Comments(0)

2025年03月09日

リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」を追求する


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リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」を追求する


1863年、ゲティズバーグで演説したリンカーン大統領の絵画である。絵画にするほどにゲティスバーグで演説した「人民の人民による人民のための政治」は民主主義を象徴しているとして有名である。

 しかし、人民は何千万人、何億人といる。人民が一つの場所に集まることは不可能であるし、全員で討論することも不可能だ。全員の賛成反対で政策を決めるのは現実としては不可能である。実現が不可能である原因がもう一つある。
人民は生活をするために働いている。もし、政策を真剣に考えるのなら仕事をする時間がなくなる。仕事をしないで政策に打ち込めば収入がなくなり生活ができなくなる。仕事をして生きている人民が直接政治に関わることはできない。人民の人民による政治を実現することは不可能である。それは真実である。

リンカーン大統領のいう「人民の人民による」政治は実現不可能である。リンカーン大統領のいう「民主主義は実現不可能である・・・と考えるようになった。リンカーン大統領は実現できないことを言ったのだ。リンカーン大統領は嘘つきだ。リンカーンは国民を騙して支持を集めて大統領なった・・・と中学生の時に思った、
民主主義は実現不可能な夢の政治なのか・・・。教科書にゲチスバーグのリンカーン大統領の写真が掲載されているのを見てからあれこれと考えるようになった。

戦後の沖縄は米国が統治していた。私が生まれ育った読谷村のほとんどは米軍基地であった。米軍が沖縄を統治していると聞かされた。「沖縄は米国の植民地なのか・・・」という疑問があった。しかし、植民地としては自由である。米人は支配者に見えなかった。統治しているのは米軍ではなく米民政府であることを知った。
沖縄を統治しているのは米政府であって米軍ではない。
沖縄に存在するのは米民政府であって米軍政府ではない。米国が統治している地域に米軍政府は存在しない。米政府の支部が存在する。米軍が統治していることと米民政府が統治しているのとでは何が違うのだろう。米国は三権分立の国であり、政府と議会が政治をしていて軍が政治をすることはないことを知った。

 リンカーンのいう「人民の人民による人民のための政治」民主主義政治は実現不可能である。しかし、それに準じる政治は実現できるし、米国では実現している。それが選挙である。リンカーンは大統領である。大統領は人民の選挙で選ばれる。人民に選ばれたのだから人民の代理である。選挙制度は人民に選ばれた人民の代理による人民のための政治ということになる。選挙で選ばれた者だけが政治をやるのが議会制であり、議会制は民主主義であるということである。米国はそれを実践している。

「人民の人民による人民のための政治」の民主政治は存在しない。しかし、その民主政治に準ずる政治がある。それが選挙で選ばれた者が政治をする議会制政治である。議会制政治は民主政治ではないが民主政治に準ずる政治ある。だから民主政治に準ずるのが民主主義政治であるのだ。議会制民主主義が現実に存在する民主主義であると考えるようになった。
米政府に統治されている沖縄で育った私が高校を卒業するまでにたどり着いた民主主義論である。米政府に統治されている沖縄では立法院の議員は選挙で選ばれたが、知事である主席は米民政府が任命した。だから、沖縄は本当の民主主義ではなかった。米国の植民地かと言えば植民地でもなかった。

沖縄の学校制度は日本と同じであったし、使用する教科書はすへて日本の教科書だった。学校は完全に日本式であったし、立法院の議員、市町村の首長や議員も選挙で選ばれた。米民政府が任命する主席以外は選挙で選ばれた。だから、米民政府が統治している沖縄であったが議会制民主主義に近い政治体制だった。

沖縄は1972年(昭和47年)5月15日に、アメリカ合衆国から日本国に施政権が返還されて、日本の地方自治体になった。議会制民主主義になったのである。

普天間飛行場の辺野古移設は県投票で反対70%を超えた。「人民の人民による人民のための政治」から考えれば移設を中止した方が正しいということになる。しかし、県民は辺野古の埋め立てについて正確には知らない。知らない県民が埋め立てするかしないかを決定していいのかという問題がある。直接民主制であったら埋め立ては中止していた。しかし、日本は議会民主制であり、県民投票には決定権がない。だから、埋め立ては中止できなかった。
埋め立ては終わった。県民は海が汚染されるという情報を信じて埋め立て反対したが、海は汚染されなかった。海が汚染されるというのは嘘だったのだ。県民は騙されて埋め立てに反対したのである。仕事をしている県民は辺野古に関する情報を調査して正確に判断する時間はない。だから、もっともらしい嘘に騙されたのだ。
「沖縄に内なる民主主義あるか」「捻じ曲げられた辺野古の真実」で辺野古移設の真実を書いたが無名の私の本が県民に注目されることはなかった。もし、県民が私の本を読めば辺野古移設に賛成したはずである。

埋め立ては終わった。騙されていたことに県民は気づいた。騙されない県民は辺野古移設に反対しない。反対するのは一部の反米主義者たちである。

議会制民主主義は完璧な民主ではないが民主に一番近い政治体制である。そのことを辺野古問題で実証した。議会制民主主義は素晴らしい政治体制である。。
  

Posted by ヒジャイ at 19:40Comments(2)

2025年03月05日

民主主義トランプと独裁主義プーチンがウクライナ戦争で接触 どうなるか

民主主義トランプと独裁主義プーチンがウクライナ戦争で接触 どうなるか

 2月28日に行われたトランプ米大統領とウクライナのゼレンスキー大統領の首脳会談が、決裂した。トランプ氏はロシアのウクライナ侵略をめぐり、戦況が不利だとして「両者痛み分け」の論理でゼレンスキー氏に強く妥協を迫った。しかし、ゼレンスキー大統領は武力によって領土を奪うなどの行為を禁じた国連憲章の原則を破り、ウクライナに侵攻したのはロシアであると主張。にもかかわらずトランプ大統領は、攻め込まれ、領土も奪われた被害者であるウクライナに対し、戦いの分が悪いから、これまでの被害はあきらめろと言っていると主張した。トランプ氏とゼレンスキー氏の対談は決裂した。
 対談が決裂し、トランプ大統領、プーチン大統領、そして、ドイツ、イタリアなどのEU首脳がウクライナ戦争への主張が活発化している。これからどのような展開になるのか。停戦が実現するのかしないのか。停戦するならどのような条件になるのか・・・メディアのウクライナ戦争への関心は高く、盛んに報道している。メディアがほとんど報道しないことがある。それはプーチン政権が独裁であることである。プーチン政権は反プーチンの政治家や起業家を徹底して排除している。暗殺もやっている。これほどまでに排除に徹底している政権はプーチン政権だけである。ところがプーチン独裁のひどさを報道するメディアが存在しない。ほとんどのメディアはロシアがプーチン独裁の国家であることに関心がない。トランプ大統領はプーチン独裁に気づいていない。
トランプ大統領はゼレンスキー大統領が任期が切れたのに選挙をしないで大統領の地位にいることを「選挙なき独裁者」と非難した。トランプ大統領からみればゼレンスキーは選挙をしていないから独裁者であり、プーチン氏は去年大統領選挙をして当選したから民主的な大統領であるのだ。トランプ大統領の判断は正しくない。ウクライナで大統領選挙がなかったのはロシアに侵攻されたために大統領選挙を実施するのが困難だった特殊な状況があったからだ。特殊事情をトランプ大統領は理解していない。それに、確かにプーチン氏は大統領選挙で当選した。しかし、プーチン氏が当選したのは絶対に当選するという裏の仕掛けがあったからだ。トランプ大統領はそのことを知らない。
 トランプ大統領のプーチン、ゼレンスキー大統領への認識の違いを知った時、米国は封建社会がなかったことに気がついた。米国は日本やヨーロッパなどほとんどの国にあった封建時代がなかったのだ。米国には日本の武士やヨーロッパの貴族が存在しなかった。だから、封建時代のような支配階級による独裁国家はなかった。

 私は時代劇や西部劇なとのアクション映画が好きだった。武士は刀で戦い、カーボーイは拳銃で戦うアクション映画がおもしろかった。テレビのローハイドという西部劇は毎週見ていた。見ているうちに武士とカーボーイは違うことに気が付いた。武士は戦争で戦う人間であるがカーボーイは違った。馬を運ぶ労働者なのだ。日本の武士が米国のカーボーイと思っていたがそうではなかった。米国には支配階級に属する武士は存在していなかった。原因は米国は封建社会がなかったからだ。米国には江戸時代はなかった。米国は四民平等の明治から始まっていたのだ。時代劇と西部劇を見ているうちにそういうことに気が付いた。

イギリス国内での宗教弾圧から逃れたキリスト教徒が、メイフラワー号に乗り、アメリカ大陸に着いたのが1620年である。 その後、多くのイギリス人が移住して植民地を建設し、ボストンなどの町を作た。 そして1776年、イギリスの植民地から、東部13州が独立し、アメリカ合衆国が誕生した。アメリカは植民地を解放した人たちが設立したのだ。だから、封建時代のような支配者が存在しない。平等な社会から出発したのがアメリカである。米国には江戸時代までの身分制度がある封建社会がないのだ。

ロシアは米国と違う。ロシアは日本やヨーロッパと同じように封建社会があった。最後の封建社会がロマノフ長である。1917年に2月革命が起こりロマノフ朝の帝政を倒した。つまり、ロシア革命で倒したのは封建国家であって米国、日本のような経済は資本主義、政治は代議制の民主主義国家ではない。
ロシア革命で設立したのはレーニン・マルクス主義の社会主義国家といわれている。そして、社会主義は資本主義の次の社会であると言われている。であるならばロシアは資本主義を倒した国家であるはずである。しかし、ロシアは資本主義を倒したのではない。ロシアが倒したのは封建主義である。
ロシア革命は明治維新が江戸幕府を倒したのと同じである。封建国家を倒したのである。ロシアは革命後に勢力争いがあり 亡命先から帰国したレーニンはボリシェヴィキを指導した。十月に、四月テーゼを発表して「すべての権力をソヴィエトに」という路線を打ち出した。レーニンのボリシェヴィキがケレンスキーの臨時政府を倒して政権を握った。それを十月革命という。十月革命は革命ではない。政権争いである。ロマノフ朝の帝政を倒した二月革命だけが革命である。革命は体制を変革することである。二月革命ですでに封建体制を倒して体制を変革していた。封建体制を倒した後の政権争いが十月革命で十月革命は革命ではない。
レーニンは選挙を否定し、共産党一党独裁国家を設立した。

社会主義は資本主義の次の社会であるという。であるならば米国や日本、EUのような資本主義体制を倒した後にやってくるべきである。ところがロシア革命が倒したのは封建社会のロマノフ朝帝政であった。資本主義体制ではなかった。資本主義体制を倒して樹立するのが社会主義体制でなければならない。だから、ロシア革命は本当の社会主義革命ではない。
日本共産党は資本主義体制を倒して社会主義国家樹立を目指している。ところが共産党支持者は減り続けてとても少ない。共産党が社会主義国家を樹立することは不可能である。資本主義社会の次に社会主義社会になるというのは間違っている。レーニンが国家権力を握るためにつくったまやかしの理論である。
レーニンは選挙をすれば資本主義の政治家も入ってくるということで純粋な共産主義政治家だけが政権を握るために共産党一党独裁の国家を樹立した。しかし、国家が樹立すると主導権争いが中心になり、醜い権力争いになっていったというのが真実である。国民の選挙を無視した権力争いを繰り返したのがソビエト連邦の実態である。

ソ連は1991年に崩壊する。原因は経済の破綻が原因であった。戦争に負けたのはなく、反政府運動に倒されたのでもない。国家を維持することもできないくらいに経済が破綻したのである。ソ連は貧困状態に陥っていたのである。貧しさは反政府運動になる。反政府運動のほとんどは貧困が原因である。ところがソ連では国が崩壊するほどに貧困状態であったのに、ソ連国民の反政府運動が起こらなかった。二月革命のように政府と国民の闘いが展開されたはずなのに反政府運動は起こらなかったのだ。なぜ、反政府運動は起こらなかったのか。原因は徹底して反政府運動を弾圧したからである。政府の弾圧があったからソ連では市民運動は起こらなかったのである。
ソ連は一党独裁である。共産党に反対する者は政治家であろうと国民であろうと徹底して弾圧した。弾圧することによって共産党独裁国家安定したのである。徹底して弾圧する組織がKGBであった。KGBは暗殺もやった。
プーチン大統領はソ連時代のKGB(国家保安委員会)出身である。KGBの後継組織であるFSB(連邦保安局)の長官であった。長官だったプーチン氏が大統領になったのだFSBはプーチン大統領が思うがままにコントロールされているのである。
プーチン氏が大統領になってからは反プーチンを暗殺、刑務所送りなどを徹底してやり、プーチン独裁のロシアにしたのである。

裏のプーチンを知らないトランプ大統領である。

ふと頭に浮かんだ。プーチン大統領の本当の狙いはウクライナを領土することだけではないのではないか。別の狙いもあってウクライナに侵攻したのではないか。別の狙いとはロシアに進出した外国企業をロシアから撤退させることである。
プーチン大統領はロシアの政治、経済を完全支配してきた。しかし、支配できない存在がある。それは外国の企業である。外国の企業のトップを暗殺すれば国際問題になる。プーチン大統領は非難されるだろう。企業の独裁支配は外国企業にはできない。外国企業がどんどん増えていけばフーチン流の企業支配が難しくなる。外国企業の増加はプーチン独裁にとって避けなくてはならない。ウクライナ侵攻すればウクライナよりの米国、EUなどの外国企業はロシアから撤退するとプーチン大統領は考えたはずである。だから、外国企業を排除する狙いもウクライナ侵攻にはあったはずである。

ロシアがウクライナ侵攻をすると外国企業はどんどんロシアから退去した。あっというまに300余の企業がロシアから退去した。退去した外国企業のほとんどはロシア企業が受け継いだ。

ロシアのウクライナ侵攻はウクライナ領土を奪うだけでの目的ではなかったはずだ。どんどん増えていくロシアの外国企業を退去させるためでもあったのだ。プーチン大統領の狙いは成功し、ほとんどの外国企業は退去した。退去した外国企業をロシアの企業が引き継ぎ、経済はそのまま維持している。ウクライナ侵攻はロシアのプーチン独裁を維持させているのである。

ロシアが侵略しているウクライナでの戦争を巡りトランプ大統領は「今すぐ和解し、ばかげた戦争をやめろ」と停戦を呼び掛けた。ウクライナ戦争で直接プーチン大統領に介入したのはトランプ大統領が初めてである。ウクライナ戦争への介入はプーチン独裁支配にどのように影響するか。
メディアはウクライナが完全に窮地に立たされていると思っている、そうだろうか。トランプ大統領によってプーチン独裁が壊される可能性もある。
  

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2025年03月02日

自民党はワシントン事務所の閉鎖を実現するべき

自民党はワシントン事務所の閉鎖を実現するべき

与党の「オール沖縄」系の県政与党会派は、県が新年度当初予算案に盛り込んだ事務所の運営経費のうち、基地問題についての県の考えを米側に伝える「ロビー活動」の費用を削除する修正案を多数派野党の自民党会派に提示した。ロビー活動費を削り、人件費など最低限の維持費として3分の2の2600万円を盛り込んだ修正案を提示したのである。
 オール沖縄にとってワシントン事務所は辺野古移設反対運動の象徴である。ワシントンに事務所を設置することによって辺野古移設反対運動が米国でも展開していると思うことができるのだ。だから、どうしても事務所を残したい。残す方法として「ロビー活動」をやめて、なにもしない事務所だけは残すというのを野党に提案した。活動はしなくても事務所がワシントンにあるだけでオール沖縄は活動しているに等しいと思い込むことができる。そして、将来活動する日が来ると思い込むことができる。だから、ロビー活動費を削り、人件費など最低限の維持費によって事務所を維持するのを要求したのである。

オール沖縄の提案に対して石垣市区選出の大浜一郎氏(自民)が県議会の一般質問で、「政府レベルのインテリジェンスに地方自治体が関与できると思っているのか。日本政府に聞いたほうが早い」と一蹴した。
大浜氏の指摘する通りである。辺野古問題は米政府と日本政府の政府レベルの交渉である。地方自治体の沖縄県が交渉することはできない。それに直接米政府から情報を得ることはできない。。交渉内容は日本政府に聞かなければならない。だから、ワシントンに県の事務所を置く価値はゼロなのだ。予算の無駄遣いである。
大浜氏は「疑惑あふれるワシントン事務所の予算を計上することの正当性を問うている」と強調したが、そうではなく。「正当性は全然ない」と断言するべきである。
自民党は全額削除を実現するべきである。

大浜氏が指摘した通りワシントン事務所は情報を集める能力も米政府へ政治的な影響を与えることもできない。存在しないに等しいワシントン事務所である。それでもオール沖縄は存続させようとしている。その根本にあるのがオール沖縄の反米主義である。米政府の喉元であるワシントンに反米主義の象徴となる辺野古移設反対の県事務所を設置するのだ。存在させることだけでオール沖縄にとって意義があるのである。オール沖縄は自己満足のために県政にとって存在価値のないワシントン事務所を残そうとしているのである。
県民の税金を存在価値のないワシントン事務所に使ってはならない。ワシントン事務所は廃止するべきである。
自民党が予算ゼロにして廃止するだろう。
  

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2025年02月26日

プーチンのロシア独裁支配がロシア軍のウクライナ侵攻の原因

プーチンのロシア独裁支配がロシア軍のウクライナ侵攻の原因

ロシア軍が2022年2月24日にウクライナに侵攻した。信じられないことだった。
ソ連は1991年に崩壊した。崩壊後のロシアは大統領も国会議員も国民の選挙で選ばれるようになった。ロシアは米国と同じ代議制の民主主義国家になったはずである。代議制の民主主義国家になったはずのロシアがウクライナを占領する目的で侵攻したのである。民主主義国家が他国を占領する目的で侵攻するのはあり得ない。おかしい。ロシアは民主主義国家ではなく、独裁国家なのではという疑問が出てきた。しかし、社会主義国家のソ連は崩壊した。独裁国家であるはずはない。・・・。

2015年発行した「捻じ曲げられた辺野古の真実」に
「東欧の民主主義革命=社会主義国家の崩壊」を掲載している。

東欧革命または東欧民主化革命または共産主義の崩壊は、1989年にソビエト連邦(ソ連)の衛星国であった東ヨーロッパ諸国で共産主義国が連続的に倒された革命である。1989年革命と呼ばれる事もある。

東欧の民主主義革命=社会主義国家の崩壊
拡大を続けていた社会主義国圏であったが、1960年代からヨーロッパでは民主化運動が始まった。民主化運動は次第に広がり社会主義国家を崩壊させる。

ベラとはチェコスロバアの体操選手ベラ・チャスラフスカのことである。1968年のメキシコ五輪で、私はベラに非常に感動した。琉球大学の男子寮の食堂の映りの悪い白黒テレビであったが、ベラの体操に私の目は釘付けになった。スポーツを見てあれほど感動したことはなかった。19歳の私は感動を詩に書いた。

ベラ

われる拍手と歓声の中で
乱れた金髪を後光にほほえむベラ
踊り終えた肉体は安らぎ
安らいだ心が
生を終えた心が
よろこびをかみしめる

沈黙の世界がいつしかおとずれる
棘をもたない花
金貨で買えない真珠
目が遠い宇宙をみつめる
そこにはなにもない

血のにじむ練習
自信 転落 絶望 回転
喜び 躍動 希望 自信
過去の世界
宇宙塵と散った過ぎし日
過去も見えない未来も見えない 現実も

真空の無時間の世界であなたは生きていた

平均台
マット
跳馬

生きていた場所から去ったあなたはよろこびを噛みしめる
ああ すばらしいあなたの姿
女神よりも尊いあなたの姿
涙を一粒
喜びのあなたの涙が私の胸に落ち
わたしはうちふるえ 高鳴り 熱くなり
よろこびとも悲しみとも言えない
いわれのない
涙があふれでる

チャスラフスカはメキシコオリンピックで、跳馬 、段違い平行棒、床そして個人総合で金をとり、平均台と団体種目では銀メダルをとって女子体操の6種目すべてでメダルを獲得した。しかし、彼女の演技する姿にはメダルを越えたなにかがあり、彼女の魅力に私は惹かれた。
なぜ、私はあれほどに感動したのか。その理由はかなり後になって分かった。

チャスラフスカは1968年のチェコスロバキアの民主化運動(「プラハの春」)の支持を表明して「二千語宣言」に署名した。同年8月のワルシャワ条約機構によるロシアが軍事介入をして、プラハに侵攻してきた。弾圧から逃れるために彼女は身を隠さざるを得なかった。彼女のメキシコオリンピック参加は非常に危ぶまれていたが、オリンピック直前にようやく出国を許可された。彼女はこのとき、祖国の屈辱をはね返すために、最高の演技を誓い競技に臨んだ。そして、圧倒的な強さを見せたのである。弾圧に屈しない彼女の内に秘めた闘いの魂は体操の演技に昇華して私を感動させたのだ。

二千語宣言
1968年のチェコスロバキア改革運動、いわゆる「プラハの春」を象徴する文書のひとつ。4月の『行動綱領』が党による改革の指針であるのに対して、『二千語宣言』は市民社会側からの改革への支持・期待の表明であった。起草者は、作家のルドヴィーク・ヴァツリーク。
エミール・ザトペックやベラ・チャスラフスカをはじめとする著名人が名を連ね、1週間たらずで3万人以上の市民が署名した。
『二千語宣言』に署名したチャスラフスカは金メダリストとしての栄誉をはく奪され、職を失い、苦しい生活を強いられる。うつ病にもなったという。しかしそれでも彼女の不屈の精神は弾圧に負けず転向することはなかった。1989年にチェコスロバキアが民主化されるまでの21年間、彼女は耐えに耐えて生き抜いたのである。
1989年11月、ビロード革命によって共産党体制が崩壊すると、彼女はハベル大統領のアドバイザー及びチェコ・日本協会の名誉総裁に就任した。大統領府を辞した後には、チェコオリンピック委員会の総裁も務めている。

チェコスロバキアの民主化革命をビロード革命と呼んでいる。
 1989年11月17日に共産党支配を倒したがこの革命は、1か月後のルーマニア革命のように大きな流血に至る事態は起こらなかったことから、軽く柔らかなビロード(ベルベット)の生地にたとえて名付けられた。

民主化革命は労働者や文化人が中心となって起こした。これこそが真のプロレタリア革命であると私は思う。プロレタリアとは労働者階級のことである。労働者には家族がいる。家族も労働者階級に属する。労働者というのは自分の労働を売る人間のことをいう。労働を売ってお金=給料をもらう人間だ。働いて給料をもらう人はすべて労働者である。学生の頃、私はそのように考えていた。
民主化革命はいろんな労働者が力をあわせて自分たちの権利を勝ち取った闘いであった。ロシア革命などの社会主義革命は労働者ではなく政治家が中心になって起こした革命だ。だから本当のプロレタリア革命ではなかった。共産党一党独裁の社会主義国家を倒した民主化革命こそが本当のプロレタリア革命だったのだ。


ポーランド民主化運動
ハンガリー人民共和国は1980年代初頭には既に経済の自由化や議会の複数候補制などの改革を進めていたが、1988年5月に社会主義労働者党(共産党)のカーダール・ヤーノシュ書記長が引退すると、社会主義労働者党内ではより急進的な改革を主張する勢力が実権を掌握するようになった。1989年2月に急進改革派は事実上の複数政党制を導入し、5月にはネーメト内閣がハンガリーとオーストリア間の国境を開放し、鉄のカーテンに穴を開けた。
1989年10月には、社会主義労働者党は社会民主主義政党のハンガリー社会党へと改組、さらに10月23日には新憲法「ハンガリー共和国憲法」が施行され、ハンガリー人民共和国は終焉した。

ベルリンの壁崩壊
クレンツ政権のスポークスマン役を担っていたシャボウスキーは、規制緩和策の内容をよく把握しないまま定例記者会見で「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」と発表し、いつから発効するのかという記者の質問に「私の認識では『ただちに、遅滞なく』です」と答えてしまった。この発表は、東ドイツ政権内部での事務的な手違いによるものだとされる。この記者会見を観た東ベルリン市民がベルリンの壁の検問所に殺到し、殺到した市民への対応に困った国境警備隊の現場指揮官は11月9日の深夜に独断で検問所を開放した。11月10日に日付が変わると、どこからともなく持ち出された重機などでベルリンの壁は破壊され、その影響は世界的に広まった。

ブルガリアの民主化
ジフコフ長期政権が崩壊し、後任となったムラデノフらはあくまでも一党独裁制の枠内での自由化を進めようとしたがこれをきっかけに市民側のデモが活発化し、12月には党の指導性を放棄することや自由選挙の実施などを決定せざるを得なくなった。1990年の自由選挙ではブルガリア社会党(共産党が改名)が過半数を制して政権を維持し、ムラデノフが大統領となった。しかし、1990年6月になると前年にデモの武力鎮圧を示唆したとされるムラデノフの発言が問題視され、ムラデノフは大統領を辞任し、翌1991年に行われた2回目の自由選挙で社会党は下野した。

ビロード民主化革命
ベルリンの壁崩壊を受けて、東欧の共産党国家の連鎖的な崩壊が始まった。チェコスロバキア社会主義共和国では、ポーランドやハンガリーのような予告された民主化の約束はなかった。しかし、ベルリンの壁崩壊に勇気付けられたチェコスロバキアでは、1989年11月17日に至り、民主化勢力を中心にデモやストライキ・ゼネストを度重なって行った。それらの事態を収拾できなくなった共産党政府はなし崩し的に民主化勢力との話し合いによる解決を模索することとなり、結果、両者は共産党による一党独裁体制の放棄と複数政党制の導入を妥結した。この「革命」では後のルーマニアのような流血の事態には陥らなかった。これを指してビロード革命と言う

ルーマニア民主化革命
ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、チェコスロバキアでは国内の政権移譲が穏健に済んだのに対して、当初から国内の改革に全く否定的で共産党が政権の座に固執し続けたルーマニア社会主義共和国では、1989年12月16日に民主化革命が勃発し、治安維持部隊と市民の間で、衝突が起こり多数が犠牲となった上、12月25日にはルーマニア共産党の最高指導者であったニコラエ・チャウシェスクが処刑されて終結した。チャウシェスクの死体はテレビを通じて世界中に晒され、チャウシェスクの死によってルーマニア社会主義共和国は崩壊し、民主政体を敷くルーマニア共和国が成立した。
 
コマネチの亡命
チャウセスク独裁政権下のルーマニアでは個人の自由は認められず、警察も含め、誰もチャウセスク一家に逆らう事は出来なかった。
ナディア・エレーナ・コマネチは1976年に行われたモントリオールオリンピックで3個の金メダルを獲得し、オリンピックの舞台で初めて10点満点を獲得した選手であった。1984年から1989年まで彼女はルーマニア体操協会のコーチとしてジュニア選手の育成にあたったが、ニコラエ・チャウシェスク大統領の次男ニクが毎晩のように夜の街へ付き合うように求められ、愛人関係となることを強いられた。身も心もボロボロになったコマネチは、1989年11月28日、命がけでルーマニア脱出を敢行、6時間歩いて地雷が埋められた国境を越えハンガリーに逃れた。しかし、ハンガリー国境警察に逮捕されてしまう。ここでも彼女は決死の脱走を計り、オーストリアに脱出しアメリカ大使館に駆け込む。12月1日彼女はアメリカに渡り、自由を得た。
コマネチの亡命はルーマニア国民を奮い立たせた。12月22日、チャウシェスクの演説中群集はチャウシャスク打倒デモ隊と化した。大統領夫妻はブカレストを脱出したものの近郊のトゥルゴビシュティで逮捕、25日に特別軍事法廷で死刑判決を受け即刻処刑された。
        「捻じ曲げられた辺野古の真実」


タチアナさんは最近までこの公園付近に子どもを連れてきていた二児の母親である。志願兵になり対戦車ミサイルを運ぶ任務に就いている。先日、タチアナさんはロシア軍の戦車を一台破壊した。

『私が守っているのはキエフやウクライナ、ヨーロッパだけでなく、民主主義です』

タチアナさんは「私が守っているのはキエフやウクライナヨーロッパではなく民主主義です」と言っている。タチアナさんにベラ・チャスラフスカやコマネチに対する同じ感動をした。ウクライナ国民は民主主義への思いが非常に高い。ウクライナは民主主義国家である。民主主義国家であるウクライナにプーチン大統領は侵攻したのである。プーチン大統領が独裁者であることは確実である。しかし、国民の選挙で選ばれたのだから独裁者であるはずはない。しかし、独裁者であることは確実である。

アレクセイ・ナワリヌイしが2024年2月16日、北極圏にある刑務所で死去した。47歳であった。
ナワヌイ氏は反プーチン運動を展開した。2012年5月8日、プーチンが大統領に正式に就任した日、ナワリヌイと反対派のリーダーセルゲイ・ウダルツォフの両名は反プーチンデモに参加した後に逮捕され、2人とも禁固15日間を言い渡された。
毒殺未遂
2020年8月20日シベリアのトムスクから旅客機でモスクワに向かう途中で体調不良になった。症状は悪化し危篤状態になった。危篤状態を脱したナワリヌイはドイツのベルリンにあるシャリテー – ベルリン医科大学に飛行機で輸送された。ドイツで治療している医師らは、ナワリヌイがコリンエステラーゼ阻害剤による毒を盛られたと判断した。毒殺は免れたナワリヌイであった。
 刑務所で死亡
ロシア連邦刑務所局は2020年12月28日、ナワリヌイに対し帰国とモスクワにある当局事務所への出頭を命令した。帰国したナワリヌイ氏は拘束され、2022年3月22日に禁錮9年の刑が言い渡されて刑務所に入れられた。刑務所でも虐待は続けられ、2024年2月16日に死去した。

ロシアの国会は小選挙区比例代表並立制であり、選挙で選ばれる、しかし、ナワリヌイ氏のように反プーチンは徹底して排除する。
議会の勢力は与党の統一ロシア 325、野党 124である。野党もプーチン大統領の言いなりである。本当の野党は存在しない。法律も憲法もプーチン大統領の思うがままに改正できる。そして、改正した。
大統領の任期は2期8年であった。フプーチン大統領になって10年後2020年3月にロシア連邦議会下院は憲法を改正した。憲法改正により4期目で2024年に任期満了を迎えるプーチン大統領(67)であったが、再出馬できることになった。
反プーチンを徹底して排除したからプーチンが大統領を続けることができる憲法改正ができたのである。プーチン氏は憲法改正で2036年まで留任することができる。

プーチン大統領が排除するのは政治家だけではない。経済界でも反対する者は徹底して排除した。
反プーチンのオルガルヒを暗殺排除
オリガルヒとは、ソビエト連邦が崩壊した際に従来の国営企業が民営化にされる過程で巨万の富を築き経済的・政治的に影響力を持つロシアの新興財閥。プーチン政権とオルガルヒは表裏一体の関係である。だから、プーチン政権の方針と同じでなけれはならない。もし、プーチン政権と方針が違い、プーチンの命令に背けは抹殺される。

2022年9月2日、ロシアの石油大手ルクオイルのラヴィル・マガノフ会長(67)が2022年9月1日にモスクワ市内の病院の窓から転落死した。
4月には、天然ガス大手ノヴァテクの前社長セルゲイ・プロトセーニャ氏と妻子の遺体が、スペインの別荘で発見された。同月、石油大手ガスプロム傘下の金融機関ガスプロムバンクのウラジスラフ・アヴァエフ前副社長と妻子の遺体が、モスクワのマンションで発見された
5月には、ルクオイルの大物役員アレクサンデル・スボティン氏が心不全で亡くなった。
プーチン大統領と対立した多くのオリガルヒが不審な死を遂げている。プーチン大統領による暗殺であるのは確実である。


12991年にソ連は崩壊し、ロシアは大統領も議員も故君君の選挙で選ぶようになった。だから、ロシアは議会制民主主義国家になったと思った。
プーチン氏は大統領になると経済復興に積極的になった。EUの国々と親密になり原油などの輸出に集中した。ロシア経済は復興していった。ロシアは民主化と経済が発展している思っていた。
そのプーチンロシアがウクライナに侵攻したのである。4、5日間でウクライナを制圧できるとロシア軍は考えているとニュースは伝えた。しかし、ロシア軍の予想は間違った。ウクライナ軍は強くなっていた。5日間で制圧するはずが3年経っても一部しか制圧できていない。
プーチンの独裁支配はロシア国内ではうまくいったがウクライナでは侵攻できないで失敗している。
失敗したからトランプ大統領がプーチン大統領に口出ししてきた。トランプ大統領との交渉次第では今までロシアで築いてきた独裁権力に穴が開くかもしれない。
独裁支配弱体化の始まりがウクライナ戦争になるかもしれない。


  

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2025年02月22日

第三次世界大戦=核戦争 今は昔

第三次世界大戦=核戦争 今は昔

私は核戦争が起こるかもしれないという恐怖に襲われたことがある。1962年のことである。私は中学一年生だった。
ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設しようとした。それを知ったケネディ米大統領はソ連にミサイル基地の撤去を要求し、撤去しなければソ連を攻撃すると警告した。米国とソ連が戦争をするかもしれない状況になったのだ。それをキューバ危機という。
キューバ危機を知った時、私は死の恐怖に襲われた。
沖縄からはとても遠いキューバである。米国とソ連が戦争をしても沖縄には影響がないと思うだろうが、それは違う。米国とソ連が戦争すればソ連は沖縄に核ミサイルで攻撃する。沖縄は核爆発が起き、「沖縄の人は全員死ぬ」というのが考えがあり、私はそれを信じていた。ソ連が核ミサイルで沖縄を攻撃するというのを信じる理由があった。

アジア一と言われているカデナ米軍空軍基地の近くに私は住んでいた。カデナ空軍基地の隣には読谷山があり、読谷山一帯が空軍基地より何倍も広い弾薬倉庫になっていた。弾薬倉庫には核爆弾が貯蔵されているという噂は子供である私たちにも伝わっていた。
残波岬にはソサイルが装備されていた。年に一回はミサイルを発射する訓練があった。もし、米国とソ連が戦争をすれば核爆弾を積んだ爆撃機がソ連に行くだろうし、残波岬のミサイルはソ連に向かって発射するだろう。沖縄からの攻撃を防ぐためにソ連は沖縄に核ミサイルを発射するだろう。

嘉手納空軍基地、残波岬のミサイル基地を見て育った私には米国とソ連が戦争をすれば核戦争になることを信じていた。だから、キューバ危機は沖縄が核ミサイルで攻撃される危機であった。私はキューバ危機をとても心配した。
幸いなことにキューバ危機が核戦争になることはなかった。沖縄がソ連の核ミサイルに攻撃されることはなくなった。中学一年生の私はほっとした。

なぜ戦争をするのか?
 キューバ危機があってから、なぜ戦争をするのかについて考えるようになった。・・・世界大戦・核戦争は将来起こるのか・・・

 豊臣秀吉、織田信長などの有名な武将が登場する戦国時代は各地に戦国大名が台頭して戦争をした。戦国大名は、領土を奪い合う争いを繰り広げた。戦国時代の戦争とは領土の奪い合いであった。勝った大名が負けた大名の領土を奪うのが戦国時代だったのだ。戦国時代は領土の奪い合いであることがはっきりしていた。戦国時代ではなくても戦争する目的は領土を奪って領地を拡大することだと私は考えるようになった。すべての戦争は領土を奪うのが目的であると確信するようになった。戦国時代だけでなく戦争の目的が領土を奪うのが目的であるのは明治以後も同じであった。国内は統一されて戦国時代のような国内の領土の奪い合いはなくなって、領土の奪い合いは外国に向かった。

明治以後、日本は日露戦争。日清戦争をやり、戦争に勝ってロシアや清の領土を日本の領土にした。戦争とは本質的に領土のも奪い合いなのである。
戦争で領土を奪う目的は領土で生産した物を搾取して自分のものにして富むことである。戦争の目的が領土を拡大し、支配した領土からの生産を搾取するのなら核戦争はできない。核が爆発すれば土地は焦土化し、死の灰に覆われて誰も住めなくなる。核戦争は本来の戦争の目的が実現しない戦争であるのだ。だから核戦争はやらないだろうというのが私の結論になった。核戦争はないと強く確信したのはキューバ危機から十年後くらいだったと思う。

第三次世界大戦も核戦争も起こらなかった。昔は可能性があるような話題が多かったが、今は少ない。
第三次世界大戦や核戦争は今は昔ということだ。

核戦争は起こらないが、戦争はあちこちで起こっている。戦争が領土の奪い合いというのは昔も今も同じである。
プーチンロシアはウクライナに侵攻し、戦争が3年間も続いている。プーチンロシアの目的はウクライナの領土を奪うことである。戦争の目的は昔も今も同じである。
  

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2025年02月19日

保守5党による予算充実への歩みが始まっている

保守5党による予算充実への歩みが始まっている

12月23日に「二大政党への歩みが始まった2」を掲載した。あれから二ヶ月近くになり、2025年2月19日に来年度予算案を決める通常国会が始まった。与党は自民、公明で218議席であり、過半数に15議席不足している。与党単独では予算を可決することはできない状態である。一部の野党の賛成がなければ予算を成立させることができない。
野党は立民148議席、維新38議席、国民28議席であり、三野党の中の一党が賛成しないと予算を成立させることができない。

立憲民主党の野田代表は2025年度予算案について、「年度内成立による切れ目ない予算執行は、国民生活を守るために不可欠だ」と述べ、年度内成立を重視している。「衆院通過を遅らせ年度内成立を阻もうとは全く思っていない」との考えを示した。野党でありながら年度内の予算成立重視している。
 維新の会は、教育無償化および社会保険料負担の軽減について自民、公明と継続協議を行っている。国民民主は103万円の壁の改革で与党と協議している。両党とも一方的に要求するのではなく与党との合意を目指した協議に集中している。

 三野党は与党と協議を続けているのだ。三野党はそれぞれに与党への要求があり、要求を実現するために与党の案と突き合わせながら協議を続けている。しかし、共産党は違う。

共産党の小池晃書記局長は、
「アメリカの言いなり、大企業優先の予算。正面から議論する国会になっていない」と自民党と野党の協議を突き放す。「(三野党は)自民党に手を貸す助け舟の競い合いをしている」と同じ野党でありながら共産党は立憲、維新、国民を非難している。
 小池氏は「アメリカに対して堂々とものが言える共産党の役割が大きい」と強調した。共産党は予算案への協議を放棄し、反米イデオロギーに固執して与党を非難し、与党と協議している野党をも非難するだけである。

 共産党は反米イデオロギーに固執している。与党の自民、公明と立憲、維新、国民の保守政党と共産党とは予算協議に対する取り組みが全然違う。立憲、維新、国民の3野党は保守の与党と国民のための予算作成に取り組んでいるが「アメリカの言いなり」を口実に予協議を突き放しているのが共産党である。
以前は立憲内に居る旧社会党系も与党を突き放していた。だから、自民党の予算案に反対していた。しかし、旧社会党系の議員は減り続け保守主流の立憲になった今の立憲は違う。自民党の予算案を検討し、年度内成立に協力する方針を宣言した。

 もし、旧社会党や共産党が野党勢力の主流であったら予算は成立しないだろう。

 共産党は反米イデオロギー固執して国民の生活改善にソッポを向いている。そんな共産党だから国民は共産党を支持しない。共産党習議員は立った8人である。衆議院選には213人の立候補を出したのに当選したのはたった8人であったのだ。反米イデオロギーを振りまく共産党を国民は支持していないということだ。
 
 自民、公明の少数与党であるが、立憲、維新、国民の野党との前向きの真剣な協議によって充実した予算案が作られている。そのことを認識できないのがマスメディアである。
  

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2025年02月17日

SNS、2馬力選挙は斎藤氏圧勝に関係ない

SNS、2馬力選挙は斎藤氏圧勝に関係ない

 斎藤知事か知事選に大勝したのはSNSがメディアに
勝ったからだとメディアは言う。

「新聞やテレビなどの既存メディアはあれほど斎藤知事のパワハラ、おねだりなどを追及してきたのだから、彼が再選するわけがないというのがメディアの予想であった。しかし、メディアの予想は違った。斎藤氏は知事選に勝ったのである。
するとメディアは斎藤氏が勝った原因はSNSが嘘の情報を拡散したからだと主張するようになった。
SNSでメディアが説明する7つの告発文に関する「疑惑』は噓だという情報を拡散したというのである。SNSの嘘の拡散によって『抵抗勢力にはめられた斎藤さんは被害者』という認識が刷り込まれるようになった。その認識が人々の判官びいきに日をつけ、斎藤氏応援の輪が広がったというのである。
兵庫県知事選は「SNS」の嘘の拡大が民意を変えたというのである。メディアの予想は間違っている。
多くの県民が斎藤候補の立会演説に参加し、斎藤氏の政策を聞いている。演説を聞いて斎藤氏に投票した県民は多い。斎藤知事の演説の内容を伝えた県民も多かっただろう。SNSで『疑惑は噓だ』が広まっても斎藤氏の政策に反対なら投票するはずがない。斎藤氏の政策を支持したから投票したのだ。SNSがなくても斎藤氏は圧勝していた。

メディアが斎藤氏の当選をSNSの性にしたのはメディアの予想が外れた説明をするためである。メディアは7つの告発文書を書いた元西播磨県民局長が自死したことに関心が強くなり、自死したのは斎藤知事の性である報道しまくった。だから、斎藤氏は確実に落選するとメディアは思い込んでいた。メディアは7つの告発文書を利用した斎藤知事批判に大きな効果があると思い込んでいたのだ。その効果は議員にはあった。全政党が斎藤知事の辞職を議決したのだから。全政党が斎藤知事辞職に賛成したのだから県知事選で斎藤氏が落選するのは当然の流れであると確信じたのがメディアである。しかし、現実は違った。落選するはずの斎藤氏が当選したのだ。しかも大差で当選した。メディアは斎藤氏が当選した原因を解明することができなかった。それでとっさに思いついたのが「メディアがSNSに負けた」だった。SNSが『疑惑は噓だ』という嘘の情報を振りまいたからとメディアは苦し紛れの説明をしたのだ。 
それに加えて同知事選に立候補した政治団体「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首も知事選に立候補したが立花氏は自分ではなく斎藤氏に投票するように支援を呼びかけた。立花氏の選挙応援をメディアは2馬力選挙と名付け、斎藤氏の当選に大きく貢献したと説明した。

SNS、2馬力選挙で斎藤氏が圧勝したとメディアは言い続けている。あたかも立花氏の支持率もそれなりにあるとメディアは思っているが立花氏の支持率はとても低い。立花氏は兵庫県知事選の後に大阪府泉大津市長選に立候補した。投開票が12月15日に行なわれた。相手の南出氏は2万1700票だった。それに対し、立花氏のたった4439票しかなかった。兵庫県でも大阪府と同じ支持率はとても低かったはずである。立花氏の斎藤氏応援はほとんど効果はなかっただろう。効果のない立花氏の選挙応援をメディアは2馬力選挙と名付けて2倍の効果があるように見せたのである。SNS、立花2馬力選挙はなんの効果もない。

SNS、立花2馬力選挙に関係なく斎藤氏は圧勝した。それが真実である。
  

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2025年02月14日

ワシントン事務所は確実に閉鎖される

ワシントン事務所は確実に閉鎖される

12月9日に「違法なワシントン事務所は即刻閉鎖するべき」を掲載し、12月10日に「違法なワシントン事務所は即刻閉鎖するべき2」を掲載した。今日は2025年2月13日である。2か月近く経過した。県議会ではデニー知事与党が米ワシントン事務所を運営するための予算運営経費3900万円を新年度一般会計予算案に盛り込んだ。ワシントン事務所は違法である。違法な事務所の予算を野党の自民党、公明党認めるはずがない。

自民が「違法を前提とした予算案は議決すべきではない」として、予算案を差し戻す動議を提出した。野党が過半数であるから予算案を差し戻す動議が可決された。違法な予算の議決はできない。そもそも違法な予算を入れることが間違っている。ところが県は入れたのである。県は違法であることを承知でワシントン事務所の運営予算を県予算に明文化したのだ。県が議会に出したのは明らかな違法な予算案である。違法な予算案を差し戻すのは当然である。
日本は法治主義国家である。違法な予算案は絶対に認めるべきではない。そして、違法なワシントン事務所は廃止するべきである。

差し戻しの動議は、事務所が違法状態にあり、是正されない限り予算案の審議に応じられないとの内容である。与党がやるべきことは野党が違法であるとの主張に反論し、事務所が合法であることを野党に認めさせる以外にはない。与党・デニー知事が主張すべきことは「ワシントン事務所は合法である。だから予算を認めろ」と主張することである。ところが与党もデニー知事もワシントン事務所が合法であるとは主張しない。堂々と合法であると主張できない県は暗にワシントン事務所が違法であることを認めているのだ。

初代所長の平安山英雄氏は、
「ワシントンの弁護士が知恵を絞って、苦肉の策で設立したのではないか」
と説明した。平安山氏は、ワシントン事務所はあくまで「株式会社ではなく特殊法人」の認識だったと強調している。初代所長がワシントン事務所は違法な株式会社と認めているのだ。
違法な事務所であるから県の幹部はデニー知事にワシントン事務所のことを隠していたのだ。7年間もデニー知事にワシントン事務所のことを隠していたのだ。隠していたのはワシントン事務所が違法な存在であることを県の幹部は知っていたからである。
隠されていたことに怒り、ワシントン事務所を合法な事務所にするのがデニー知事がやらなければならないことである。しかし、デニー知事は怒りもしないし事務所を特殊法人に変更して合法化することもなく、県幹部のなすがままである。
ワシントン事務所を株式会社にすることは違法である。だから、自民党、公明党が予算を認めない。だから、株式会社として続けることはできない。、デニー知事の敗北は確実である。
  

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2025年02月12日

中国が沖縄県民の保守支持に貢献している

中国が沖縄県民の保守支持に加勢している

 沖縄県の11市の市長全員が保守である。玉城デニー知事支持の市長は一人もいない。デニー知事支持のオール沖縄の市長が過半数はいるはずなのに一人もいない。全員が自民党系の保守なのだ。ありえないことが起こっている沖縄県の市長選である。なぜ、全市長が保守なのか。不思議である。普通なら自民党系とオール沖縄系の市長は半々に近いはずである。デニー知事がオール沖縄であるから、オール沖縄の知事が過半数であるはずだ。しかし、違う。オール沖縄の市長は一人もいない。このような状態になっている原因のひとつが中国である。中国は尖閣は中国の領土であると主張している。主張するだけではない。尖閣を中国の領土あると主張する中国は漁船を尖閣に侵入させ違法操業をしたのである。
 
ウィキペディアより
尖閣諸島中国漁船衝突事件
2010年9月7日、尖閣諸島付近の海域をパトロールしていた巡視船「みずき」が、中国籍の不審船を発見し日本領海からの退去を命じるも、それを無視して漁船は違法操業を続行、逃走時に巡視船「よなくに」と「みずき」に衝突し2隻を破損させた。海上保安庁は同漁船の船長を公務執行妨害で逮捕し]、取り調べのため石垣島へ連行し、船長を除く船員も同漁船にて石垣港へ回航、事情聴取を行った。9日に船長は那覇地方検察庁石垣支部に送検された。(#事件発生から逮捕・送検まで)
中国政府は「尖閣諸島は中国固有の領土」という主張を根拠に、北京駐在の丹羽宇一郎大使を呼び出し、日本側の主権に基づく司法措置に強硬に抗議し、船長、船員の即時釈放を要求した。これを受けて13日に日本政府は船長以外の船員を中国に帰国させ、中国漁船も中国側に返還したが、船長に関しては国内法に基づいて起訴する司法手続きの方針を固め、19日に勾留延長を決定した。すると中国側はこれに強く反発し即座に日本に対して様々な報復措置を実施した。


2012年12月14日、中国機が記録上初めて日本の領空を侵犯した。飛行高度60メートルとされ、侵犯した領空は尖閣諸島上空であり、日本政府は中国政府に抗議した。また米国政府は中国政府に懸念を直接伝え、日米安全保障条約の適用対象であることなど、従来の方針に変更はないとも伝えたことを国務省は同日記者会見で明らかにした。
          ウィキペディア

 中国政府の尖閣への侵入は沖縄県民に危機感をもたらした。尖閣に近い八重山などは中国への警戒が強まった。石垣市の市長は革新系の市長だったが中国の尖閣侵入がが原因で保守に代わった。
 大浜長照氏は62歳、市長を4期務めていた。大浜氏を新人の中山義隆氏42歳が大差で破ったのである。大浜氏は革新であり自衛隊配備に反対だった。中山氏は保守であり反対ではなく政府との話し合いに応じるという態度だった。石垣市民は自衛隊配備反対の大浜氏は選ばなかった。中山氏を選んだ。
 尖閣は中国の領土であるとの主張に石垣市民は反対だったのだ。中国が尖閣を占領すれば、次は石垣、宮古、与那国が占領されるという危惧があったのだ。中国の尖閣占領を恐れた石垣、宮古島、与那国の市民は保守の市長、町長を選んだのだ。そして、沖縄本島の県民も中国の尖閣占領を恐れた。だから、保守の市長を選んだのである。

 11市長全員が保守の市長であるのは中国が影響している。市長全員が保守になったのに中国は貢献したのだ。

 中国は絶対に日米同盟と戦争をすることはできない。だから、尖閣に侵攻することはできない。中国にとって尖閣よりも深刻な問題はトランプ大統領との貿易戦争である。
  

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2025年02月10日

浦添市長選保守松本候補が圧勝

浦添市長選保守松本候補が圧勝

沖縄県浦添市長選が9日、投開票された。
松本哲治氏(57)2万5607票
里道昭美氏(67)1万5247票

 1万票以上の大差である。オール沖縄が分裂したのだから当然の結果である。オール沖縄内で浦添移設賛成のデニー知事と反対の共産党が分裂したのだ。

里道昭美氏(さとみち・あけみ) 1957年11月20日生まれ、長崎県出身。国立長崎中央病院付属高等看護学校卒。長崎市役所病院部、同福祉部、天久台病院で勤務。2020年から新日本婦人の会沖縄県本部事務局長。

日本共産党と新日本婦人の会の関係

機関紙である「新婦人しんぶん」で上記のような日本共産党関係議員の政治活動紹介 や、日本共産党系・野党統一候補への投票の呼びかけや応援を行っている。1966年時点で警察庁も日本共産党関係の組織として羅列した調査結果を報告している。新婦人のメンバー全員が日本共産党員である訳ではないが、組織の活動方針決定権限を持つ指導層は、日本共産党員の女性または日本共産党員の妻らなど親族など日本共産党関係者であると記している。2019年に名古屋市議会の日本共産党市議団長田口かずと市議も「共産党の新婦人の会」と投稿している。1972年市川房枝は「私の婦人運動」にて、日本社会党は日本婦人会議、日本共産党は「新日本婦人の会」と相互支援関係にあると記している。

 里道昭美氏は共産党系の新日本婦人の会沖縄県本部事務局長である。共産党は浦添移設に反対である。たとえ、デニー知事が那覇軍港の浦添移設に賛成であっても反米主義の共産党が賛成することは絶対にない。反対に徹する。だから、オール沖縄の共産党だけが浦添移設に反対して里道氏が立候補したのである。そして、大敗した。
  

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2025年02月09日

住み続けたい街 第1位北谷町、第2位嘉手納町 なんと嘉手納空軍基地に隣接する街である

住み続けたい街 第1位北谷町、第2位嘉手納町 なんと嘉手納空軍基地に隣接する街である

 大東建託(東京都)は、「街の幸福度&住み続けたい街ランキング2024九州・沖縄版」を発表した。「住み続けたい街」についての調査で、第1位北谷町であり、第2位は嘉手納町であった。なんと両町とも嘉手納空軍基地に隣接している自治体である。嘉手納空軍基地は沖縄で一番大きい米軍基地である。そして、戦闘機が離着陸して騒音も大きい。基地被害が一番ひどいのが嘉手納町である。その嘉手納町が住み続けたい街の一位なのだ。米軍基地被害が一番大きい嘉手納町が住み続けたい街の一位というのは信じ難いだろう。しかし、大東建託の調査で一位になったのである。

 デニー知事は沖縄基地問題は沖縄の不幸であり、沖縄の不幸の実態を本土も知るべきであり、米軍基地撤去を訴え続けている。米軍基地は沖縄県民を不幸にしていると考えているのがデニー知事である。デニー知事の考えでは嘉手納空軍基地に隣接している嘉手納町は県内で一番の不幸であり住みたくないと思っている人が多いということになる。
 ところが嘉手納町は住み続けたい街の二位である。嘉手納町で生活をしている住民が判断したことである。住民が生活の中で判断したことが真実である。嘉手納空軍基地に隣接している嘉手納町と北谷町が住み続けたい街のトップであるということは嘉手納空軍基地が生活にマイナスではないということだ。

 私は読谷村の大湾に住んでいる。大湾は読谷村の南側にあり嘉手納空軍基地に近い。戦闘機の離着陸の爆音は大きい。ヘリコプターは頭上を飛ぶ。ただし、爆音が頻繁に聞こえることはない。
 
 デニー知事は生活している人々の気持ちに接することなく、勝手に米軍基地は県民に負担をかけ、県民に嫌われていると決めつけている。県民の心はそんなデニー知事から離れている。だから、反デニー知事派の保守が市長に当選するのだ。

 浦添市長選は反デニー知事の松本哲治氏(57)が当選した。
  

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2025年02月07日

台湾侵攻すれば中国経済は破綻する だから侵攻できない

台湾侵攻すれば中国経済は破綻する だから侵攻できない


 米国の2024年の貿易赤字の統計(国際収支ベース、季節調整済み)である。貿易赤字のダントツが中国である。2954億ドル(44兆8217憶円)で2位のメキシコより郡を抜いている。
中国の経済は米国からの莫大な黒字が支えているのだ。もし中国が台湾に侵攻すれば米国との関係は厳しい状態になる。米国が中国に政治・経済制裁をするのは確実である。米国は中国からの輸入を禁止し、米中貿易はストップされるだろう。中国は莫大な貿易黒字が失われる。弱体化が進んでいる中国経済あるのに米国との貿易がストップすれば中国経済は破綻してしまうだろう。米国の経済制裁を避けるために中国は台湾に侵攻しない。
バイデン大統領の時は、中国は台湾を取り囲む形で陸軍、海軍、空軍などが参加する合同軍事演習をやった。中国は軍事演習をやるだけで、台湾に侵攻することはできなかった。バイデン大統領の時は台湾を囲んで侵攻の素振りを見せたが、トランプ大統領になったので侵攻の素振りももできないだろう。

中国は軍事力だけでなく経済面でも台湾には侵攻できない。
  

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2025年02月06日

翁長雄志は沖縄政治史上最低の知事である

「翁長雄志は沖縄政治史上最低の知事である」

 自民党でありながら共産党と共闘した翁長雄志氏である。知事選の時に自民党を離脱し、左翼と共闘してオール沖縄を結成した翁長氏は知事選で圧勝した。
 オール沖縄、共産党を批判し続けた。それも2024年で最後になりそうだ。県民が保守を支持するようになったからである。
 2017年にブログに掲載した「違法行為続ける翁長知事、共産党の操り人形に負けを承知で裁判闘争 建設に至る過程を無視」である。もう、こんな内容のブログを掲載することはないだろう。


2017/12/09(土)   
違法行為続ける翁長知事、共産党の操り人形に
負けを承知で裁判闘争 建設に至る過程を無視

 翁長(おなが)雄志(たけし)知事は、米軍普天間飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設に反対するあまり、共産党の言いなりにしか動けない人間になってしまった。その顛末(てんまつ)をこれまでの言動や裁判闘争から見ていく。
 辺野古の埋め立て工事を阻止するために、仲井眞弘多(ひろかず)前知事の埋め立て承認を取り消した。

 翁長(おなが)雄志(たけし)知事は、米軍普天間飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設に反対するあまり、共産党の言いなりにしか動けない人間になってしまった。その顛末(てんまつ)をこれまでの言動や裁判闘争から見ていく。
 辺野古の埋め立て工事を阻止するために、仲井眞弘多(ひろかず)前知事の埋め立て承認を取り消した。取り消しは違法行為であると主張した国との裁判での争いになった。


 最高裁は昨年、翁長知事の承認取り消しは違法であるという判決を下した。敗訴した翁長知事は承認取り消しを取り消した。埋め立てを認めた翁長知事が今度は、埋め立て予定地の岩礁破砕は違法行為であると主張し、工事を中断させる作戦に出た。

 沖縄県は7月24日に辺野古基地建設の工事差し止め提訴をし、判決が出るまで工事を停止するように仮処分も申し立てた。
 県庁内で臨時記者会見を開いた翁長知事は、「県民の思いを置き去りにしたまま突き進む国の姿勢が改めて問われる」と述べ、国は「工事を強行している」と国の姿勢を「荒い、荒々しい」と何度も批判しながら「ガッテンナラン(納得いかない)」と言った。
 その上で、「政府の恣意(しい)的にねじ曲げるやり方は、常々述べている『法治国家』の在り方から程遠く、放っておく『放置国家』だ」と語気を強め、政府の「理不尽さ」「拙速さ」を批判した。

 翁長知事はこのように国の姿勢を非難しているが、辺野古代替施設建設に至る過程を無視しているから言えるのである。辺野古移設が決まるまで5年かかり、政府は苦難の連続であったし、2005年の時点では沖縄全体が辺野古移設反対だった。時系列で振り返ってみる。

 05年10月31日に稲嶺知事が北原防衛施設庁長官と会談し、その日の午後、沿岸部移設拒否を表明した。
 その翌日、辺野古、豊原、久志の3区長が北原防衛庁長官と会談、沿岸案拒否を伝えた。
・11月7日には、宜野座村議会が沿岸案反対を可決した。
・12月16日、県議会が沿岸案反対の意見書を全会一致で可決した。
・12月21日、宜野湾市議会が沿岸案反対を賛成多数で決議した。
・このように県全体が辺野古移設に反対していた。しかし、06年に状況が変わった。
・1月22日、沿岸案に反対し、修正案に柔軟姿勢を示す島袋吉和氏が名護市長選に初当選した。
・2月23日、自民党県選出国会議員が小泉純一郎首相に沿岸案修正を要請。首相は修正を拒否した。
・3月9日、稲嶺恵一知事が額賀防衛庁長官と会談し、沿岸案拒否を伝えた。
・4月7日、島袋市長が滑走路2本案(V字形案)で政府と合意し、宜野座村も政府と基本合意書を締結した。
・地元の名護市長と宜野座村がV字型滑走路案に賛成することによって、辺野古移設の可能性が生まれてくる。しかし、3者合意まで2年を要した。

 08年3月14日、政府、県、名護市長の合意を受け、沖縄防衛局が方法書の追加修正資料の修正版を沖縄県に提出し、方法書を確定した。

◆菅政権が移設を決定
・09年9月25日、鳩山連立政権が発足。鳩山首相は県外移設が前提との考えを表明し、辺野古移設を否定した。
・10年4月9日、鳩山首相が移設先として鹿児島県徳之島を明言するが地元の反対で断念。辺野古移設を宣言した。
・6月4日、鳩山首相が退陣し、菅直人氏が首相に就任。辺野古移設を明言した。
・実はこの日、辺野古移設の政治決着がついたのである。辺野古移設が最終的に決まったのは民主党政権時代であったことを付記しておきたい。
・2013年3月22日、辺野古移設が決まったため、沖縄防衛局は公有水面埋め立て承認申請書を県に提出した。
・12月27日、仲井真知事は沖縄防衛局が申請した辺野古沿岸部の埋め立て申請を承認した。これで辺野古移設が最終決着した。

 辺野古移設が決着した1年後、14年11月の県知事選で翁長氏は「辺野古移設反対」を公約にして立候補した。辺野古移設が決着する前なら翁長氏の選挙公約は有効であるが、当選した後に辺野古移設に反対した。
 しかし、辺野古移設は4年前に決まったのである。そして、知事に就任する1年前には埋め立ても承認された。翁長知事は政府の正式な法的手続きによる辺野古移設決定を無視したのである。

 政府は法律に則(のっと)って辺野古移設も埋め立ても決めた。埋め立て承認を取り消した翁長知事の方が違法行為をしたのだ。だから最高裁は翁長知事の取り消しを違法であると判決したのである。翁長知事の方が法を「放置した」のだ。
 翁長知事は「辺野古に新基地は造らせないとの公約実現に不退転の決意で取り組む」と決意表明をしている。何が何でも辺野古基地建設を阻止しようとしている翁長知事の方が非民主的であり、法を破っている。

 なぜ、翁長知事はこれほどまでに違法行為をするのか。その原因は共産党と手を組んだからである。

◆知事になるため共闘
 自民党保守政治家として絶対にやってはならないことを翁長知事はやった。それが共産党との共闘である。
 翁長知事は県知事選の時「イデオロギーは腹八分六分にして沖縄アイデンティティーで共闘する」と宣言し、共産党と共闘したが、日本共産党は「マルクス・レーニン主義」から始まったイデオロギーの塊の政党である。沖縄アイデンティティーなどあるはずがない。
 自民党から離れた翁長氏が知事選に勝つ方法として考え出したのが共産党、社民党、沖縄社会大衆党の左系3党との共闘であった。翁長氏は辺野古移設反対を選挙公約にして左系3党と共闘し、当選して知事になった。ここまでは翁長氏の思惑通りであった。しかし、知事になってからは共産党に支配されていく。
 共産党は左翼イデオロギーの塊である。共産党が保守を自認する翁長知事と共闘するはずがない。思いのままに支配する目的で共産党は翁長知事と共闘したのである。翁長知事は次第に共産党の操り人形になっていった。
 結局、翁長知事は最高裁の判決に従い埋め立て承認取り消しを取り消した。埋め立てするには岩礁を破砕しなければならない。国が岩礁破砕の申請をすれば県は許可しなければならない。
 それでも、共産党に支配された翁長知事は許可をしない。そして、岩礁破砕をするのは県漁業調整規則に違反しているなどとして、工事の差し止めを要求する。共産党に支配された翁長知事が許可しないことを政府は予測していた。だから、政府は名護漁協に漁業権を放棄させた。漁業権がない箇所であれば県に許可申請をする必要はないからだ。
 そこで、翁長知事は差し止め訴訟に出た。過去の判例もあるから翁長知事の敗北は最初から決まっている。翁長知事は負けがミエミエの裁判を本当はやりたくないはずである。しかし、やらなければならない。共産党が要求したからだ。裁判闘争をやれば辺野古新基地建設反対運動を盛り上げることができる。そのために共産党は裁判闘争を翁長知事にやらせたのである。
 もし翁長知事が提訴をしないなら即、左系3党は翁長知事を支持しなくなる。3党の支持を維持し、知事の座を守るためには提訴をするしかないのである。

 東京都知事選の時、民進党の保守系議員が民進党を離党して都民ファーストに入党した。その結果、民進党は大敗した。民進党内の保守系議員が離党したのは、蓮舫代表が共産党と連携する方向に進めているのが原因だった。保守政治家にとって共産党と連携するのは考えられないことである。
 ところが、沖縄では自民党県連のリーダーであった翁長知事が自分から進んで共産党と共闘したのである。知事になりたいために安易に共産党と共闘した翁長知事は共産党の操り人形になる運命であった。
 翁長知事の2男、翁長雄治(たけはる)氏(30)は、那覇市議会選で4163票という2位の得票で当選した。雄治氏は父翁長知事を「すべての面において憧れだ」と言い、「私は保守政治家としてやっていく」と宣言した。その一方で、共産党市政を率いる城間幹子市長を支えると述べている。親子2代とも保守を自認しながらも保守の大敵である共産党と共闘するのである。あきれてしまう。こんな保守がいられるのは沖縄だけだろう。












  

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2025年02月05日

浦添市長選で起こったオール沖縄の分裂

浦添市長選で起こったオール沖縄の分裂

浦添市長選に無所属の現職で4期目を目指す松本哲治市長と無所属で新人の里道昭美氏が立候補した。松本市長は自民、公明推薦である。しかし、里道氏はオール沖縄が推薦していない。普通なら自民、公明推薦対オール沖縄推薦が選挙のパターンである。2021年は伊礼悠記氏(38が立候補した。オール沖縄は慰霊しを推薦した。里道候補も伊礼候補同じように那覇軍港の浦添移設に反対している。二人の選挙公約は同じである。それなのにオール沖縄は里道候補を推薦しなかったのである。本来なら推薦していたはずなのに推薦しなかったのだ。
なぜオール沖縄は郷道候補を推薦しなかったのか。原因はデニー知事とオール沖縄の対立にある。オール沖縄は那覇軍港の浦添移転に反対である。オール沖縄は普天間飛行場の辺野古移設反対によって結成された。辺野古移設反対は米軍基地の県内移設に反対であるからだ。同じように那覇軍港の県内移設にも反対である。しかし、デニー知事は違う。普天間飛行場の辺野古移設には反対であるが那覇軍港の浦添移設には賛成なのだ。デニー知事が浦添移設に賛成だからデニー知事を支持しているオール沖縄は浦添移設に反対することができないのだ。デニー知事とオール沖縄が分裂したためにオール沖縄は統一候補を出すことができなかったのである。

米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添移設を巡り、民港北側に軍港代替施設を設置する形状案を受け入れた玉城デニー知事は2022年10月25日に、辺野古新基地建設計画に反対する県の姿勢との整合性を問われ「辺野古の移設と那覇軍港の移設は全く別の計画だ。これからしっかりと説明していきたい」との見解を示した。3年前に述べたデニー知事の考えが今も続いている。オール沖縄は那覇軍港の浦添移設賛成派と反対派に分裂しているために浦添市長候補を出すことができなかったのだ。
 里道候補は那覇軍港の浦添移設に反対である。オール沖縄の浦添反対派が独自に里道氏を立候補に立てたのだ。徹底して浦添右折に反対しているのは共産党である。共産党はすべての米軍基地を沖縄から撤去することを主張している。例えデニー知事が浦添移設を主張しても共産党は反対である。だから、デニー知事が移設に賛成しても共産党は反対し、共産党員である里道氏を立候補に立てたのである。

那覇軍港(約56ヘクタール)を巡っては、4選を目指す松本氏が2022年、浦添市西海岸の約49ヘクタールを埋め立てて代替施設を建設する計画で県、那覇市と合意し、防衛省が海域の地盤調査を進めている。一方、里道氏は自然保護の観点から、埋め立て中止と軍港の無条件返還を主張している。

 浦添市長選でデニー知事派と共産党派に分裂した。市長選でオール沖縄は全敗を続行中である。それに浦添市長選では分裂だ。浦添市長選では保守の松本市の圧勝は確実だある。オール沖縄の衰退は止まらない。







一九五七年頃に体験したお話

おっかあとドラムカン


「おっかあ。今度の日曜日は渡久地の浜に行く。清二兄ちゃんが連れて行くってさ。ドラム缶を取りに行くんだ。」
啓一は遊びから帰ってくるなりおっかあに言った。啓一は小学三年生。遊び盛りの少年だ。野山を駆け巡り村の広場で遊びまくり夜遅く帰ったり日曜日なぞは朝から家を出て夕方に帰ってくるのはしょっちゅうだ。その度に啓一はおっかあにこっぴどく叱られる。でも川や山に遊びに行くと言えばおっかあは「だめだ。」と言うに決まっている。だから啓一はおっかあに内緒で川や山に遊びに行くんだ。家を出る時、おっかあが「どこに行くんだい。」と聞くと「公民館。」とか「神社に。」とか「よし坊の家に。」と嘘をついて家を出ることにしている。いわゆる子供の処世術ということだ。日が暮れる前に家に帰ってしまえばおっかあに怒られることはないが遊びに夢中になる夕暮れまで遊んでしまう。すると家につく頃にはすっかり日が暮れてしまう。だからおっかあこっぴどく叱られてしまうというわけだ。啓一はおっかあに叱られるのは怖いから日が暮れる前に家に帰ろうと思っているが、遊びに夢中になるとそれを忘れてしまう。なにしろ啓一は小学三年生。まだ遊び盛りの子供だ。海に遊びに行くなんて絶対におっかあは許さない。なにしろ海はとても遠い。とても遠い海に遊びに行くことは絶対におっかあは許さない。
「え、ドラム缶を取りに行くのか。」
おっかあはドラム缶と聞いて目の色が変わった。
「う、うん。」
おっかあが目の色を変えて顔を啓一に接近させたものだから啓一はおっかあに叱られるかも知れないと後ずさりした。
「渡久地の浜にドラム缶があるというのは本当なのか。」
「うん。清二にいちゃんが言っていた。」
「一本だけあるのかい。」
「たくさんあるらしいよ。砂に埋まっているらしいよ。」
おっかあの目が輝いた。
「渡久地の浜は金網の中だよ。どうして入っていくんだ。パスがなければ入れないはずだよ。」
「清二兄ちゃんは監視員のおじさんと知り合いだからできるらしいよ。」
おっかあは啓一をじーっと見つめた。啓一はおっかあが怒っているのかと心配し叱られるかもしれないと体を固めた。おっかあを怒らすようなことを言っていない積もりなのにおっかあは怒る時があるからだ。
「渡久地の浜にドラム缶があるというのは本当なんだろうね。」
おっかあはなぜか念入りに聞いてきた。おっかあは自分が嘘をついていると疑っているのだろうかと啓一は思った。でもそれは清二兄ちゃんが言ったことであり啓一は清二兄ちゃんの言ったことをそのまま信じるしかないのだから渡久地の浜にドラム缶があるということが嘘であるかどうかは啓一は知らない。それは清二兄ちゃんが知っていることだ。啓一は返事に困り下を向いた。あっかあに疑われたのでは渡久地の浜にいけないなと啓一は諦めかけた時に、
「確かめてくる。」
と言って外に出た。
暫くしておっかあが帰ってきた。
「啓一。渡久地の浜にはおっかあも行くからな。」
と言った。啓一は驚いた。おっかあのお腹はでっかくなっている。来月には啓一の弟か妹が生まれるはずだ。でっかいお腹のおっかあが渡久地の浜に行くなんて啓一には信じられなかった。

渡久地の浜は金網の中にある。トリー通信基地というアジアで一番大きい通信基地を作るときに海の近くにあった渡久地村をまるごと引越しさせた。渡久地村だけではない。北側の楚辺村もまるごと引越しさせ、大木村や古堅村の半分も削り取ったとても広い通信基地なのだ。金網の中にはとてもでかい鉄塔がいくつも並び、鉄塔の先端にはフェンシング剣の刃のようなものがまっすぐ立ち雲を突き刺しそうに聳えていた。渡久地の浜に行くには金網の中に入らなければならないが金網の中に入るにはアメリカ軍から発行される通行証が必要だった。通行証はトリー通信基地で働いている人と金網の中に土地を持っている人に発行されていたから啓一のおっかあのようにトリー通信基地に土地を持っていない人間は入ることができなかった。
しかし、ゲートには沖縄の監視員とアメリカ人の監視員の二人がいたが沖縄の監視員は近隣の村の出身で顔見知りだから話せば分かるというようなものだ。

啓一はお腹のでーっかいおっかあが渡久地の浜に行くというのでたまげた。なぜドラム缶の話におっかあが目の色を変えたか子供の啓一は分からなかった。戦前は水脈を探し水脈のある場所に井戸を堀り井戸のある所に家を作った。だから各家には井戸あり水に不自由しなかった。ところが大戦争が終わるとアメリカ軍は大きい軍事基地を造るために村々を接収し村々の人々は井戸のないところにも家を建てなければならなかったから水タンクが必要になった。その水タンクにドラム缶はうってつけだったからドラム缶は高く売れたのだ。水道のない時代だ。水をたくさん溜めることのできるドラム缶は貴重な存在だった。来月には子供が生まれる啓一のおっかあはお産の費用のために啓一たちと渡久地の浜にドラム缶をとりに行くことにした。

日曜日、おっかあはつるはしを持った。啓一はへらだ。啓一の家にはスコップというしゃれたものはない。啓一のおとうは戦前も農民で戦争の時は兵隊に行ったが戦争から帰ってきても多くの人が軍作業員になったり基地の近くの街で働くようになっていたが啓一のおとうだけは農民をやっていた。昔ながらの農業にはスコップは必要がない。鍬と鎌があればやっていける。だから啓一の家にはスコップはなかった。
清二の家の近くの辻に大きながじゅまるの木があり、木の下が集合場所になっていた。
「おっかあ。ぼくがつるはしを持つよ。」
でっかいお腹のおっかあにつるはしを持たすのはかわいそうな気がした。
「そうかい。すまないね。」
啓一とおっかあはつるはしとへらを交代した。
がじゅまるの木の下にはてっちゃんの弟だけでなくお父とお母も来ていた。てっちゃんは名前を哲夫といい啓一よりふたつ上でてっちゃんの屋敷の回りには大きいがじゅまるの木が防風林として植わっていた。がじゅまるの木に家を作って啓一はてっちゃん兄弟とよく遊んでいた。
「てっちゃんのお父とお母も行くのか。」
「ああ。」
てっちゃんはお父とお母が一緒に行くのはおもしろくないようだ。苦虫を潰した顔をして舌打ちをした。てつは哲三と言いてっちゃんの弟で七歳になる。てつははしゃいでいる。渡久地の浜に遠足をする気分だ。啓一もてつと同じ気持ちだ。てっちゃんはお父とお母が遠足気分を消してしまうので不機嫌だった。
浮かない顔をしているのがもう一人居た。精一である。子供の親が参加するのは想定外だった。

清一23歳 清二十一歳清三・清ぼう八歳
啓一・・・八歳、おっかあ・・・

哲夫・・・てっちゃん・・・十歳
哲三・・・七歳
チルー・・・てっちゃんの母親
哲吉・・・てっちゃんの父親

沖縄の監視員に話をつければ入ることができた。

黙認耕作地として畑仕事の人は毎日出入りする農民はうっかり者が多く通行証を忘れる人もいる。通行証を持っていないからと無碍に返すわけにもいかない。


渡久地の浜にドラム缶が埋まっているという噂を清二は聞いた。清二は渡久地の浜に行ってみた。噂どおりにドラム缶は埋まっている。渡久地の浜はアメリカ軍が沖縄本島に最初に上陸した浜だ。恐らく上陸したアメリカ軍が作戦本部かなにかを設置するために砂場に多くのドラム缶を埋めて平らで安定した地面にしたのだろう。ドラム缶の大半はなくなっていた。


カーっと晴れた空だ。白雲に朝の太陽がぶつかってまぶしい。初夏の日曜日。


古堅村を過ぎると金網に囲まれた場所に出た。金網は古堅村から大木村に続きそれからそべ村へととても長い金網が続いていた。啓一たちは金網の入り口に来た。啓一たちは心配そうに目を合わした。啓一のお母と清一のお母も不安そうである。入り口にはアメリカ兵が立っていた。清一はアメリカ兵に通行許可証を見せるとアメリカ兵は手に取って確かめ、通行許可証が本物であることに頷きながら清一に返した。清一は詰め所の側に立っているガードマンに近づいた。
「源三さん。大人も入れてくれないか。」
源三は困ったようで腕組みをした。
「大人は困る。」
「頼むよ。」
二人は詰め所の中に入って行った。
「子供を連れてくると言ったじゃないか。」
清一は頭を掻いた。
「その積もりだったが。ドラム缶を掘ると聞いて是非一緒に掘らせてくれと頼まれたのだ。断ることができなかった。ナビーさんはもうすぐ子供が生まれるらしい。お産費用にしたいと泣きつかれた。」
源三は外を見た。お腹の大きい女が心配そうに詰め所の方を見ている。
「そうか。子供が生まれるのか。お産の費用にするのか。」
源三は独り言のように呟いた。
「おじさん。お願いだ。みんな入れてくれ。」
源三は暫くの間迷っていたが、
「分かった。みんなをここに呼んでくれ。」
清一は外に出て、入り口に立っているみんなを呼んだ。入り口から詰め所まで三十メートル程あった。いよいよ金網の中に入るのだ。啓一はぞくぞくしてきた。民間地との結界を越えて危険地帯に入ったような気分である。啓一のお母とてっちゃんのお母とお父は詰め所の中に呼ばれた。

啓一はアメリカ兵の側に近寄った。一メートル八十センチを越す大きな体のアメリカ兵だ。赤ら顔のアメリカ兵は十九歳の軍人で動きはぎこちなかった。ちらちらと啓一たちの方を見たりした。
「おい、本物の拳銃だよ。」
アメリカ兵の腰にはコルト45軍用拳銃がホルダーに収まっていた。啓一とせい坊とてっちゃんはアメリカ兵の回りに集まって拳銃を見つめた。ずしりと重そうな拳銃である。本物の拳銃を間近で見ているとぞくぞくしてくる。アメリカ兵は子供たちが回りをうろうろしていることに戸惑い、咳をして腰を揺らした。
「おうい。行くぞ。」
源三は三人の名前を聞いてノートに記した。名目には畑仕事と書いた。一九五七年の頃である。知り合いは顔パスの時代であった。

黒いアスファルト道がぐーんとまっすぐ伸びている。アスファルトが舗装されているのは沖縄の幹線道路の一号線だけである。村の中央通りも学校へ行く道路も砂利の道だ。アスファルト道路はバスやタクシーやジープにトラックそして戦車が走る。だから人はアスファルト道路を横切るだけだ。ところが金網の中のアスファルト道路は車が通る気配がない。歩道もないからみんなはアスファルト道路の真ん中を歩いた。恵一たち子供は平らなアスファルト道路でかけっこした。
広くて舗装された道路を自在に歩くのは初めてだ。気持ちいい。開放された気分だ。

 アスファルトが途絶えて赤土が剥き出しなった道になった。道の中央は雨水に抉り取られて溝になっていた。
「海だあ。」
渡久地の浜に出た。真っ白な砂浜がズーっと続いている。啓一も清二も清三もてっちゃんも哲三も「うわー。」と叫びながら砂浜に走りこんだ。朝日に映える砂浜はまぶしい。

通行許可証なしに金網の中に入るのは初めてだ。

砂浜は百メートルの長さがあり砂浜が切れてアスファルで固められた広場があり、広場には山のように大きい岩があり海に突き出ていた。直角に切り立った岩山は十メートルの高さがあった。
啓一は岩の下に立ち岩を見上げた。
「高えなあ。」
直角の岩は登れそうにない。岩山の側から海を見た。波が真下の壁にざぶーんとぶつかっては返す。
「おまえたちい、なにをしているんだあ。こっちにこうい。」
精一の声が聞こえた。啓一たちは精一のところに走った。

十三個のドラム缶が砂に埋まっていた。大半は掘り返されていた。ドラム缶は空であった。でこぼこな海岸にドラム缶を敷いて平坦にしたのだろう。渡久地海岸はアメリカ軍が上陸した場所である。ドラム缶を敷いた場所は指令部だったかも知れない。おっかあたちはドラム缶を調べた。どれが掘りやすいかどれが穴が空いていないかを調べた。
啓一のおっかあは西側にあるドラム缶を掘ることにした。ドラム缶は砂に埋まっていた。砂はコンクリーのように固くつるはししか使えなかった。

岩山の右側に回ると七〇度の崖になっていた。
「こっちから上れるかも知れないぞ。」
啓一は岩を登り始めた。ところどころに足場があり予想外に簡単に登れた。岩の頂上まで登った。岩の上は平らになっていた。岩の頂上まで登って啓一は驚いて足を止めた。岩の頂上には先客が居た。親子のようである。ぼろぼろなクバ笠を被っている男は痩せていて色が黒かった。タオルを頭に巻いている男は太っていて若かった。二人が海に向かって座っていた。若い男は啓一に気づくと立ち上がって回りを見回した。くば笠の男は啓一をぎろっと見た。鋭いめつきに啓一は緊張し体が硬直した。啓一は後ろから上ってきた哲三に「しー。」と口に指を立てた。

男は啓一たちに立ち去るように手を振った。

タバコを缶の火縄につけると火縄から煙が昇った。男は缶を海に放り投げた。缶が海面に落ちて数秒するとドーンと水柱が上がった。そして、爆発でショックを受けた魚が海面に浮かんだ。二人の男は岩から下りて小さなサバニに乗ると沖へ漕ぎ出した。
ドーンという音にドラム缶を掘っている人たちは驚いた。
「なんの音だ。」
「どこから聞こえた。」
回りを見るとなにも変わった様子は見えない。
「あっちから聞こえた。」
と精一が岩の方を指すと啓一たち子供がいっせいに岩の方に走り出した。大人たちもスコップやつるはしを置いて海の方に近づいていった。
数十メートル沖に浮かんでいるサバニの二人の男は海面に浮かんでいる魚を拾っていた。
「ハッパだ。」
「ああ。ハッパだ。」
大人たちはそう言いながらサバニを見ていた。
「あれはなんだあ。」
とてっちゃんが大声を出した。啓一がてっちゃんのところに行くとてっちゃんは海の方を指していた。
岸から十メートルくらい沖で銀色に輝くものが波に揺られていた。魚のようであるがはっきりは分からない。大人たちも寄ってきた。てっちゃんは海に飛び込んだ。銀色の物体に近づいていったが泳いでいるてっちゃんは銀色の物体の位置を見失った。
「もっとみぎー」
岸に居る大人たちはしきり銀色の物体の位置をてっちゃんに知らせた。それでもなかなかてっちゃんは銀色の物体を見つけきれなかった。やっと見つけて銀色の物体を掴んで持ち上げた。それはハッパで死んだ五十センチほどの魚だった。
「なんの魚だ。」
「かつおか。」
「いやかつおじゃねえ。」
「まぐろか」
「まさか。」
農民たちは魚の名前を知らなかった。
「どうするおっかあ。」
てっちゃんはおっかあに聞いた。おっかあは手を振っててっちゃんに家に帰れと指示した。てっちゃんはおっかあに頷いた後、魚を持って家に走って帰っていった。

掘り返したドラム缶を海岸に出した。砂浜の陸地の部分は一本道になっていた。ドラム缶を運ぶうちに砂が固められていた。

くず鉄屋に到着した頃にはすっかり日が暮れていた。

 おっかあは精一に言った。
「啓一はあんなに頑張ったんだよ。五十円は安いよ。せめて半々にしてくれないか。」
おっかあは交渉して啓一の貰い分を百円にした。百円はおっかあの懐に入った。


はるか遠い沖縄がゼロから少しずつ復興している途中の話である。

  

Posted by ヒジャイ at 14:10Comments(0)