
2025年02月06日
翁長雄志は沖縄政治史上最低の知事である
「翁長雄志は沖縄政治史上最低の知事である」
自民党でありながら共産党と共闘した翁長雄志氏である。知事選の時に自民党を離脱し、左翼と共闘してオール沖縄を結成した翁長氏は知事選で圧勝した。
オール沖縄、共産党を批判し続けた。それも2024年で最後になりそうだ。県民が保守を支持するようになったからである。
2017年にブログに掲載した「違法行為続ける翁長知事、共産党の操り人形に負けを承知で裁判闘争 建設に至る過程を無視」である。もう、こんな内容のブログを掲載することはないだろう。

2017/12/09(土)
違法行為続ける翁長知事、共産党の操り人形に
負けを承知で裁判闘争 建設に至る過程を無視
翁長(おなが)雄志(たけし)知事は、米軍普天間飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設に反対するあまり、共産党の言いなりにしか動けない人間になってしまった。その顛末(てんまつ)をこれまでの言動や裁判闘争から見ていく。
辺野古の埋め立て工事を阻止するために、仲井眞弘多(ひろかず)前知事の埋め立て承認を取り消した。
翁長(おなが)雄志(たけし)知事は、米軍普天間飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設に反対するあまり、共産党の言いなりにしか動けない人間になってしまった。その顛末(てんまつ)をこれまでの言動や裁判闘争から見ていく。
辺野古の埋め立て工事を阻止するために、仲井眞弘多(ひろかず)前知事の埋め立て承認を取り消した。取り消しは違法行為であると主張した国との裁判での争いになった。
最高裁は昨年、翁長知事の承認取り消しは違法であるという判決を下した。敗訴した翁長知事は承認取り消しを取り消した。埋め立てを認めた翁長知事が今度は、埋め立て予定地の岩礁破砕は違法行為であると主張し、工事を中断させる作戦に出た。
沖縄県は7月24日に辺野古基地建設の工事差し止め提訴をし、判決が出るまで工事を停止するように仮処分も申し立てた。
県庁内で臨時記者会見を開いた翁長知事は、「県民の思いを置き去りにしたまま突き進む国の姿勢が改めて問われる」と述べ、国は「工事を強行している」と国の姿勢を「荒い、荒々しい」と何度も批判しながら「ガッテンナラン(納得いかない)」と言った。
その上で、「政府の恣意(しい)的にねじ曲げるやり方は、常々述べている『法治国家』の在り方から程遠く、放っておく『放置国家』だ」と語気を強め、政府の「理不尽さ」「拙速さ」を批判した。
翁長知事はこのように国の姿勢を非難しているが、辺野古代替施設建設に至る過程を無視しているから言えるのである。辺野古移設が決まるまで5年かかり、政府は苦難の連続であったし、2005年の時点では沖縄全体が辺野古移設反対だった。時系列で振り返ってみる。
05年10月31日に稲嶺知事が北原防衛施設庁長官と会談し、その日の午後、沿岸部移設拒否を表明した。
その翌日、辺野古、豊原、久志の3区長が北原防衛庁長官と会談、沿岸案拒否を伝えた。
・11月7日には、宜野座村議会が沿岸案反対を可決した。
・12月16日、県議会が沿岸案反対の意見書を全会一致で可決した。
・12月21日、宜野湾市議会が沿岸案反対を賛成多数で決議した。
・このように県全体が辺野古移設に反対していた。しかし、06年に状況が変わった。
・1月22日、沿岸案に反対し、修正案に柔軟姿勢を示す島袋吉和氏が名護市長選に初当選した。
・2月23日、自民党県選出国会議員が小泉純一郎首相に沿岸案修正を要請。首相は修正を拒否した。
・3月9日、稲嶺恵一知事が額賀防衛庁長官と会談し、沿岸案拒否を伝えた。
・4月7日、島袋市長が滑走路2本案(V字形案)で政府と合意し、宜野座村も政府と基本合意書を締結した。
・地元の名護市長と宜野座村がV字型滑走路案に賛成することによって、辺野古移設の可能性が生まれてくる。しかし、3者合意まで2年を要した。
08年3月14日、政府、県、名護市長の合意を受け、沖縄防衛局が方法書の追加修正資料の修正版を沖縄県に提出し、方法書を確定した。
◆菅政権が移設を決定
・09年9月25日、鳩山連立政権が発足。鳩山首相は県外移設が前提との考えを表明し、辺野古移設を否定した。
・10年4月9日、鳩山首相が移設先として鹿児島県徳之島を明言するが地元の反対で断念。辺野古移設を宣言した。
・6月4日、鳩山首相が退陣し、菅直人氏が首相に就任。辺野古移設を明言した。
・実はこの日、辺野古移設の政治決着がついたのである。辺野古移設が最終的に決まったのは民主党政権時代であったことを付記しておきたい。
・2013年3月22日、辺野古移設が決まったため、沖縄防衛局は公有水面埋め立て承認申請書を県に提出した。
・12月27日、仲井真知事は沖縄防衛局が申請した辺野古沿岸部の埋め立て申請を承認した。これで辺野古移設が最終決着した。
辺野古移設が決着した1年後、14年11月の県知事選で翁長氏は「辺野古移設反対」を公約にして立候補した。辺野古移設が決着する前なら翁長氏の選挙公約は有効であるが、当選した後に辺野古移設に反対した。
しかし、辺野古移設は4年前に決まったのである。そして、知事に就任する1年前には埋め立ても承認された。翁長知事は政府の正式な法的手続きによる辺野古移設決定を無視したのである。
政府は法律に則(のっと)って辺野古移設も埋め立ても決めた。埋め立て承認を取り消した翁長知事の方が違法行為をしたのだ。だから最高裁は翁長知事の取り消しを違法であると判決したのである。翁長知事の方が法を「放置した」のだ。
翁長知事は「辺野古に新基地は造らせないとの公約実現に不退転の決意で取り組む」と決意表明をしている。何が何でも辺野古基地建設を阻止しようとしている翁長知事の方が非民主的であり、法を破っている。
なぜ、翁長知事はこれほどまでに違法行為をするのか。その原因は共産党と手を組んだからである。
◆知事になるため共闘
自民党保守政治家として絶対にやってはならないことを翁長知事はやった。それが共産党との共闘である。
翁長知事は県知事選の時「イデオロギーは腹八分六分にして沖縄アイデンティティーで共闘する」と宣言し、共産党と共闘したが、日本共産党は「マルクス・レーニン主義」から始まったイデオロギーの塊の政党である。沖縄アイデンティティーなどあるはずがない。
自民党から離れた翁長氏が知事選に勝つ方法として考え出したのが共産党、社民党、沖縄社会大衆党の左系3党との共闘であった。翁長氏は辺野古移設反対を選挙公約にして左系3党と共闘し、当選して知事になった。ここまでは翁長氏の思惑通りであった。しかし、知事になってからは共産党に支配されていく。
共産党は左翼イデオロギーの塊である。共産党が保守を自認する翁長知事と共闘するはずがない。思いのままに支配する目的で共産党は翁長知事と共闘したのである。翁長知事は次第に共産党の操り人形になっていった。
結局、翁長知事は最高裁の判決に従い埋め立て承認取り消しを取り消した。埋め立てするには岩礁を破砕しなければならない。国が岩礁破砕の申請をすれば県は許可しなければならない。
それでも、共産党に支配された翁長知事は許可をしない。そして、岩礁破砕をするのは県漁業調整規則に違反しているなどとして、工事の差し止めを要求する。共産党に支配された翁長知事が許可しないことを政府は予測していた。だから、政府は名護漁協に漁業権を放棄させた。漁業権がない箇所であれば県に許可申請をする必要はないからだ。
そこで、翁長知事は差し止め訴訟に出た。過去の判例もあるから翁長知事の敗北は最初から決まっている。翁長知事は負けがミエミエの裁判を本当はやりたくないはずである。しかし、やらなければならない。共産党が要求したからだ。裁判闘争をやれば辺野古新基地建設反対運動を盛り上げることができる。そのために共産党は裁判闘争を翁長知事にやらせたのである。
もし翁長知事が提訴をしないなら即、左系3党は翁長知事を支持しなくなる。3党の支持を維持し、知事の座を守るためには提訴をするしかないのである。
東京都知事選の時、民進党の保守系議員が民進党を離党して都民ファーストに入党した。その結果、民進党は大敗した。民進党内の保守系議員が離党したのは、蓮舫代表が共産党と連携する方向に進めているのが原因だった。保守政治家にとって共産党と連携するのは考えられないことである。
ところが、沖縄では自民党県連のリーダーであった翁長知事が自分から進んで共産党と共闘したのである。知事になりたいために安易に共産党と共闘した翁長知事は共産党の操り人形になる運命であった。
翁長知事の2男、翁長雄治(たけはる)氏(30)は、那覇市議会選で4163票という2位の得票で当選した。雄治氏は父翁長知事を「すべての面において憧れだ」と言い、「私は保守政治家としてやっていく」と宣言した。その一方で、共産党市政を率いる城間幹子市長を支えると述べている。親子2代とも保守を自認しながらも保守の大敵である共産党と共闘するのである。あきれてしまう。こんな保守がいられるのは沖縄だけだろう。
自民党でありながら共産党と共闘した翁長雄志氏である。知事選の時に自民党を離脱し、左翼と共闘してオール沖縄を結成した翁長氏は知事選で圧勝した。
オール沖縄、共産党を批判し続けた。それも2024年で最後になりそうだ。県民が保守を支持するようになったからである。
2017年にブログに掲載した「違法行為続ける翁長知事、共産党の操り人形に負けを承知で裁判闘争 建設に至る過程を無視」である。もう、こんな内容のブログを掲載することはないだろう。


2017/12/09(土)
違法行為続ける翁長知事、共産党の操り人形に
負けを承知で裁判闘争 建設に至る過程を無視
翁長(おなが)雄志(たけし)知事は、米軍普天間飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設に反対するあまり、共産党の言いなりにしか動けない人間になってしまった。その顛末(てんまつ)をこれまでの言動や裁判闘争から見ていく。
辺野古の埋め立て工事を阻止するために、仲井眞弘多(ひろかず)前知事の埋め立て承認を取り消した。
翁長(おなが)雄志(たけし)知事は、米軍普天間飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設に反対するあまり、共産党の言いなりにしか動けない人間になってしまった。その顛末(てんまつ)をこれまでの言動や裁判闘争から見ていく。
辺野古の埋め立て工事を阻止するために、仲井眞弘多(ひろかず)前知事の埋め立て承認を取り消した。取り消しは違法行為であると主張した国との裁判での争いになった。
最高裁は昨年、翁長知事の承認取り消しは違法であるという判決を下した。敗訴した翁長知事は承認取り消しを取り消した。埋め立てを認めた翁長知事が今度は、埋め立て予定地の岩礁破砕は違法行為であると主張し、工事を中断させる作戦に出た。
沖縄県は7月24日に辺野古基地建設の工事差し止め提訴をし、判決が出るまで工事を停止するように仮処分も申し立てた。
県庁内で臨時記者会見を開いた翁長知事は、「県民の思いを置き去りにしたまま突き進む国の姿勢が改めて問われる」と述べ、国は「工事を強行している」と国の姿勢を「荒い、荒々しい」と何度も批判しながら「ガッテンナラン(納得いかない)」と言った。
その上で、「政府の恣意(しい)的にねじ曲げるやり方は、常々述べている『法治国家』の在り方から程遠く、放っておく『放置国家』だ」と語気を強め、政府の「理不尽さ」「拙速さ」を批判した。
翁長知事はこのように国の姿勢を非難しているが、辺野古代替施設建設に至る過程を無視しているから言えるのである。辺野古移設が決まるまで5年かかり、政府は苦難の連続であったし、2005年の時点では沖縄全体が辺野古移設反対だった。時系列で振り返ってみる。
05年10月31日に稲嶺知事が北原防衛施設庁長官と会談し、その日の午後、沿岸部移設拒否を表明した。
その翌日、辺野古、豊原、久志の3区長が北原防衛庁長官と会談、沿岸案拒否を伝えた。
・11月7日には、宜野座村議会が沿岸案反対を可決した。
・12月16日、県議会が沿岸案反対の意見書を全会一致で可決した。
・12月21日、宜野湾市議会が沿岸案反対を賛成多数で決議した。
・このように県全体が辺野古移設に反対していた。しかし、06年に状況が変わった。
・1月22日、沿岸案に反対し、修正案に柔軟姿勢を示す島袋吉和氏が名護市長選に初当選した。
・2月23日、自民党県選出国会議員が小泉純一郎首相に沿岸案修正を要請。首相は修正を拒否した。
・3月9日、稲嶺恵一知事が額賀防衛庁長官と会談し、沿岸案拒否を伝えた。
・4月7日、島袋市長が滑走路2本案(V字形案)で政府と合意し、宜野座村も政府と基本合意書を締結した。
・地元の名護市長と宜野座村がV字型滑走路案に賛成することによって、辺野古移設の可能性が生まれてくる。しかし、3者合意まで2年を要した。
08年3月14日、政府、県、名護市長の合意を受け、沖縄防衛局が方法書の追加修正資料の修正版を沖縄県に提出し、方法書を確定した。
◆菅政権が移設を決定
・09年9月25日、鳩山連立政権が発足。鳩山首相は県外移設が前提との考えを表明し、辺野古移設を否定した。
・10年4月9日、鳩山首相が移設先として鹿児島県徳之島を明言するが地元の反対で断念。辺野古移設を宣言した。
・6月4日、鳩山首相が退陣し、菅直人氏が首相に就任。辺野古移設を明言した。
・実はこの日、辺野古移設の政治決着がついたのである。辺野古移設が最終的に決まったのは民主党政権時代であったことを付記しておきたい。
・2013年3月22日、辺野古移設が決まったため、沖縄防衛局は公有水面埋め立て承認申請書を県に提出した。
・12月27日、仲井真知事は沖縄防衛局が申請した辺野古沿岸部の埋め立て申請を承認した。これで辺野古移設が最終決着した。
辺野古移設が決着した1年後、14年11月の県知事選で翁長氏は「辺野古移設反対」を公約にして立候補した。辺野古移設が決着する前なら翁長氏の選挙公約は有効であるが、当選した後に辺野古移設に反対した。
しかし、辺野古移設は4年前に決まったのである。そして、知事に就任する1年前には埋め立ても承認された。翁長知事は政府の正式な法的手続きによる辺野古移設決定を無視したのである。
政府は法律に則(のっと)って辺野古移設も埋め立ても決めた。埋め立て承認を取り消した翁長知事の方が違法行為をしたのだ。だから最高裁は翁長知事の取り消しを違法であると判決したのである。翁長知事の方が法を「放置した」のだ。
翁長知事は「辺野古に新基地は造らせないとの公約実現に不退転の決意で取り組む」と決意表明をしている。何が何でも辺野古基地建設を阻止しようとしている翁長知事の方が非民主的であり、法を破っている。
なぜ、翁長知事はこれほどまでに違法行為をするのか。その原因は共産党と手を組んだからである。
◆知事になるため共闘
自民党保守政治家として絶対にやってはならないことを翁長知事はやった。それが共産党との共闘である。
翁長知事は県知事選の時「イデオロギーは腹八分六分にして沖縄アイデンティティーで共闘する」と宣言し、共産党と共闘したが、日本共産党は「マルクス・レーニン主義」から始まったイデオロギーの塊の政党である。沖縄アイデンティティーなどあるはずがない。
自民党から離れた翁長氏が知事選に勝つ方法として考え出したのが共産党、社民党、沖縄社会大衆党の左系3党との共闘であった。翁長氏は辺野古移設反対を選挙公約にして左系3党と共闘し、当選して知事になった。ここまでは翁長氏の思惑通りであった。しかし、知事になってからは共産党に支配されていく。
共産党は左翼イデオロギーの塊である。共産党が保守を自認する翁長知事と共闘するはずがない。思いのままに支配する目的で共産党は翁長知事と共闘したのである。翁長知事は次第に共産党の操り人形になっていった。
結局、翁長知事は最高裁の判決に従い埋め立て承認取り消しを取り消した。埋め立てするには岩礁を破砕しなければならない。国が岩礁破砕の申請をすれば県は許可しなければならない。
それでも、共産党に支配された翁長知事は許可をしない。そして、岩礁破砕をするのは県漁業調整規則に違反しているなどとして、工事の差し止めを要求する。共産党に支配された翁長知事が許可しないことを政府は予測していた。だから、政府は名護漁協に漁業権を放棄させた。漁業権がない箇所であれば県に許可申請をする必要はないからだ。
そこで、翁長知事は差し止め訴訟に出た。過去の判例もあるから翁長知事の敗北は最初から決まっている。翁長知事は負けがミエミエの裁判を本当はやりたくないはずである。しかし、やらなければならない。共産党が要求したからだ。裁判闘争をやれば辺野古新基地建設反対運動を盛り上げることができる。そのために共産党は裁判闘争を翁長知事にやらせたのである。
もし翁長知事が提訴をしないなら即、左系3党は翁長知事を支持しなくなる。3党の支持を維持し、知事の座を守るためには提訴をするしかないのである。
東京都知事選の時、民進党の保守系議員が民進党を離党して都民ファーストに入党した。その結果、民進党は大敗した。民進党内の保守系議員が離党したのは、蓮舫代表が共産党と連携する方向に進めているのが原因だった。保守政治家にとって共産党と連携するのは考えられないことである。
ところが、沖縄では自民党県連のリーダーであった翁長知事が自分から進んで共産党と共闘したのである。知事になりたいために安易に共産党と共闘した翁長知事は共産党の操り人形になる運命であった。
翁長知事の2男、翁長雄治(たけはる)氏(30)は、那覇市議会選で4163票という2位の得票で当選した。雄治氏は父翁長知事を「すべての面において憧れだ」と言い、「私は保守政治家としてやっていく」と宣言した。その一方で、共産党市政を率いる城間幹子市長を支えると述べている。親子2代とも保守を自認しながらも保守の大敵である共産党と共闘するのである。あきれてしまう。こんな保守がいられるのは沖縄だけだろう。
Posted by ヒジャイ at 16:36│Comments(2)
この記事へのコメント
拝米主義者ヒジャイ。
君のようなアメリカのプロガンダに洗脳された人間から「沖縄政治史上最低の知事」と罵倒されたら、流石の翁長元知事も天国で苦笑いしているに違いない。君はいつも民主主義者を気取っているが、実は民主主義というものを全く理解していない。今からそのことについて指定したい。
君は次のように書いている。
「(2013年)12月27日、仲井真知事は沖縄防衛局が申請した辺野古沿岸部の埋め立て申請を承認した。これで辺野古移設が最終決着した。」
そして続けて
「辺野古移設が決着した1年後、14年11月の県知事選で翁長氏は「辺野古移設反対」を公約にして立候補した。辺野古移設が決着する前なら翁長氏の選挙公約は有効であるが、当選した後に辺野古移設に反対した。しかし、辺野古移設は4年前に決まったのである。そして、知事に就任する1年前には埋め立ても承認された。翁長知事は政府の正式な法的手続きによる辺野古移設決定を無視したのである。」
と書き、翁長知事は違法行為をしたと結論づけている。
つまり、仲井真知事と政府の間で決めたのだから、辺野古沿岸部の埋め立て承認はもはや翻すことはできない、と。
しかし、これは明らかにおかしい。君の論理だと前政権が決めたことは何一つ変更できないことになってしまう。実際の政治はどうか。今年発足したトランプ政権を例にして考えてみよう。トランプ大統領は就任したその日から、バイデン政権のこれまでの政策を次々と覆す大統領令に署名した。その様子を捉えた映像は世界中に流れたから君も知っているだろう。
つまり、前政権が決めたことを新政権は全て踏襲しなければならないなんて法律はないのだ。だからこそ政権交代の意味があり、これを保証するのが民主主義である。
だから翁長知事が10万票差という圧倒的民意を得て辺野古埋め立て取り消しに動いたのは決して違法行為でもなんでもないのだ。君は民主主義を恣意的に解釈しているだけだ。
翁長知事の主張はなんの問題もなく全く正しかった。しかし米国のポチ自民党政権と米軍(占領軍)の壁はあまりにも厚く、翁長県政は志半ばで玉城デニー知事に引き継がれて今日に至っている。翁長県政から玉城県政へと続く対政府裁判闘争は、県の全敗で終わった。県の裁判訴訟全敗をどう見るかは人によって違うだろうが、僕は当然だろうと解釈する。辺野古訴訟の裏には日米合同委員会の存在があるからだ。
日米合同委員会では、日本のエリート官僚と米軍(占領軍)の高官たちが、米軍最優先の交渉が月2回定期的に開かれている。そこで取り決められた内容は、政府に報告する義務はない。正しく日本のディープ・ステート(陰の政府)だ。エリート官僚の中には司法省から送り込まれた者もいる。これでは米軍(占領軍)に関わる裁判で沖縄県が勝てるわけがない。県の全敗がその証拠だ。県の主張が間違いだったのではない。県の全敗は日米合同委員会の売国エリート官僚どもと、彼らに逆らえない能無閣僚どもの責任である。
翁長知事は、沖縄はイデオロギーよりもアイデンティティと言った沖縄政治史上最高の指導者だった。翁長知事亡き後のオール沖縄はもはや見る陰もないが、これはひとえに玉城知事の指導力の弱さかるくるものだろう。保革合同という力技は強い指導力がなければ実現できない難業である。翁長知事はそれを達成した沖縄で唯一の政治家である。
ところでヒジャイよ、君はよく〜党の保守系議員という言葉をよく使うが、君のいう保守とは一体なんだ? そして米軍(占領軍)駐留を正当化し礼賛する君は保守か? 日本国の主権を犯す米軍(占領軍)の駐留を容認する政治家は全員保守か?
君の頭の中では保守と革新の定義さへ曖昧であるに違いない。
真の保守とは、皇室と日本独自の歴史・文化・伝統を大事にし、国家主権を侵害する外国の軍隊駐留を認めない。これが僕の真の保守の定義だ。今の日本では真の保守はごく少数派に過ぎない。自称保守のほとんどは自覚のないエセ保守である。「右の売国・左の亡国」、これが日本の現状だろう。
してみるとヒジャイよ、君は一体保守と言えるのか? 右の売国であることは確かだが、もっと正確にいうとエセ保守の売国奴、これが君に対する僕の定義だ。
ヒジャイという男は、沖縄言論史上最悪の売国言論人である!
君のようなアメリカのプロガンダに洗脳された人間から「沖縄政治史上最低の知事」と罵倒されたら、流石の翁長元知事も天国で苦笑いしているに違いない。君はいつも民主主義者を気取っているが、実は民主主義というものを全く理解していない。今からそのことについて指定したい。
君は次のように書いている。
「(2013年)12月27日、仲井真知事は沖縄防衛局が申請した辺野古沿岸部の埋め立て申請を承認した。これで辺野古移設が最終決着した。」
そして続けて
「辺野古移設が決着した1年後、14年11月の県知事選で翁長氏は「辺野古移設反対」を公約にして立候補した。辺野古移設が決着する前なら翁長氏の選挙公約は有効であるが、当選した後に辺野古移設に反対した。しかし、辺野古移設は4年前に決まったのである。そして、知事に就任する1年前には埋め立ても承認された。翁長知事は政府の正式な法的手続きによる辺野古移設決定を無視したのである。」
と書き、翁長知事は違法行為をしたと結論づけている。
つまり、仲井真知事と政府の間で決めたのだから、辺野古沿岸部の埋め立て承認はもはや翻すことはできない、と。
しかし、これは明らかにおかしい。君の論理だと前政権が決めたことは何一つ変更できないことになってしまう。実際の政治はどうか。今年発足したトランプ政権を例にして考えてみよう。トランプ大統領は就任したその日から、バイデン政権のこれまでの政策を次々と覆す大統領令に署名した。その様子を捉えた映像は世界中に流れたから君も知っているだろう。
つまり、前政権が決めたことを新政権は全て踏襲しなければならないなんて法律はないのだ。だからこそ政権交代の意味があり、これを保証するのが民主主義である。
だから翁長知事が10万票差という圧倒的民意を得て辺野古埋め立て取り消しに動いたのは決して違法行為でもなんでもないのだ。君は民主主義を恣意的に解釈しているだけだ。
翁長知事の主張はなんの問題もなく全く正しかった。しかし米国のポチ自民党政権と米軍(占領軍)の壁はあまりにも厚く、翁長県政は志半ばで玉城デニー知事に引き継がれて今日に至っている。翁長県政から玉城県政へと続く対政府裁判闘争は、県の全敗で終わった。県の裁判訴訟全敗をどう見るかは人によって違うだろうが、僕は当然だろうと解釈する。辺野古訴訟の裏には日米合同委員会の存在があるからだ。
日米合同委員会では、日本のエリート官僚と米軍(占領軍)の高官たちが、米軍最優先の交渉が月2回定期的に開かれている。そこで取り決められた内容は、政府に報告する義務はない。正しく日本のディープ・ステート(陰の政府)だ。エリート官僚の中には司法省から送り込まれた者もいる。これでは米軍(占領軍)に関わる裁判で沖縄県が勝てるわけがない。県の全敗がその証拠だ。県の主張が間違いだったのではない。県の全敗は日米合同委員会の売国エリート官僚どもと、彼らに逆らえない能無閣僚どもの責任である。
翁長知事は、沖縄はイデオロギーよりもアイデンティティと言った沖縄政治史上最高の指導者だった。翁長知事亡き後のオール沖縄はもはや見る陰もないが、これはひとえに玉城知事の指導力の弱さかるくるものだろう。保革合同という力技は強い指導力がなければ実現できない難業である。翁長知事はそれを達成した沖縄で唯一の政治家である。
ところでヒジャイよ、君はよく〜党の保守系議員という言葉をよく使うが、君のいう保守とは一体なんだ? そして米軍(占領軍)駐留を正当化し礼賛する君は保守か? 日本国の主権を犯す米軍(占領軍)の駐留を容認する政治家は全員保守か?
君の頭の中では保守と革新の定義さへ曖昧であるに違いない。
真の保守とは、皇室と日本独自の歴史・文化・伝統を大事にし、国家主権を侵害する外国の軍隊駐留を認めない。これが僕の真の保守の定義だ。今の日本では真の保守はごく少数派に過ぎない。自称保守のほとんどは自覚のないエセ保守である。「右の売国・左の亡国」、これが日本の現状だろう。
してみるとヒジャイよ、君は一体保守と言えるのか? 右の売国であることは確かだが、もっと正確にいうとエセ保守の売国奴、これが君に対する僕の定義だ。
ヒジャイという男は、沖縄言論史上最悪の売国言論人である!
Posted by 金城武男 at 2025年02月07日 14:05
君の論理だと前政権が決めたことは何一つ変更できないことになってしまう。
↑金城氏のコメントの方が間違いだよね。
前政権が権力があるのではなく、政府と合意。契約をしたからです。翁長知事のやってることは一方的な契約破棄になる。だから裁判で負けたんです。金城氏はなぜ沖縄県が全敗なのか?を理解していない。
ヒジャイ様。あなたの主張が正しいので自信を持ってください。
↑金城氏のコメントの方が間違いだよね。
前政権が権力があるのではなく、政府と合意。契約をしたからです。翁長知事のやってることは一方的な契約破棄になる。だから裁判で負けたんです。金城氏はなぜ沖縄県が全敗なのか?を理解していない。
ヒジャイ様。あなたの主張が正しいので自信を持ってください。
Posted by 伊藤 at 2025年02月09日 08:36