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2024年10月09日

辺野古に寄り集まる県民騙しの連中 もう県民は騙されない

辺野古に寄り集まる県民騙しの連中 もう県民は騙されない

 辺野古はすべての問題が終わり、着実に埋め立て計画が進んでいる。それなのに「辺野古新基地を造らせない」と現実とかけ離れた人たちが名護市の米軍キャンプ・シュワブゲート前で県民大行動をやった。主催者発表で650人というから事実は半分の330人くらいだろう。県民大行動と言えるものではない。辺野古移設反対市民のささやかな行動と呼んだ方が正しい表現である。
 県女性団体連絡協議会の伊良波純子会長は米兵の性暴力を非難し、女性や子どもの人権を守るという一点で、党派を超えた県民大会を開きたいと演説した。性暴力は米兵だけではない沖縄の男たちも性暴力をやっている。米兵よりも沖縄の男たちの性暴力のほうが多い。女性の性暴力被害を防ぐのを目的としていない。米兵非難を目的にした伊良波会長の演説である。米兵差別主義の集会である。

稲嶺進共同代表は安和桟橋で新基地用の土砂運搬が再開されたことを批判した。
名護市安和での土砂の運搬作業が再開された。出入り口の両サイドには30人ほどの警備員がネットを広げてバリケードを作り、トラックが出入りする時には出入り口に入れないようした。ネットのバリケードをつくる前に侵入している運動家たちを機動隊が排除している。トラックの出入りは以前の2倍以上になった。
稲峰代表の「現場で封鎖の根拠を機動隊に聞いても答えない」には笑った。機動隊は上から命令されたことを実行しているだけである。方針を決めるのは政府である。方針を決めることを機動隊はやらない。そのことは名護市長であった稲峰代表なら知っていて当然である。ところが知らない。政治に素人である。素人だから、すでに決着がついている辺野古移設に反対する集会をやるのである。

普天間飛行場の移設に普天間飛行場のある宜野湾市民は賛成している。移設先である辺野古の人々も容認している。
県議選では与党は辺野古移設反対を公約しなかった。しなかったというよりできなかったというのが真実である。移設に反対している共産党は議席を半分以下に減らした。

5年前の県民投票で埋め立て反対が70%を超えたがすでに逆転している。原因は辺野古側が埋め立てられたからである。埋め立て反対理由が嘘であったことが判明したからである。
島袋名護市長が辺野古移設に合意し、仲井間知事が辺野古埋め立てに合意した時に沖縄側と政府は政治決着がついた。しかし、共産党などの左翼が埋め立ては大浦湾を汚染し、サンゴは死滅し、魚、ジュゴンは大浦湾からいなくなるというデマを流し、騙された県民は辺野古埋め立てに反対した。そして、辺野古埋め立て反対が県政を握った。しかし、埋め立てが進むと大浦湾汚染は嘘であることが判明した。だから、今度の県議選で野党が議席を増やし過半数になった。
県民を騙した連中がキャンプ・シュワブゲート前で県民大行動をやっている連中である。県民は彼らにもう騙されない。

    二見情話
 又吉の尺八と歌

尺八

残念なことに椿乙女の二見情話はユーチューブに
なかった
山川まゆみ

 中学三年の時、友人と二人でキャンプシュワブの坂を自転車で通ったことがある。60年以上前のことである。ギヤーなどない昔の自転車でだ。地図もなく、やんばるの迷路のような山道を三日間さまよったことがある。きつかった。

 二見情話に「辺野古坂の上り下りよ」という歌詞がある。それがキャンプ・シュワブの坂のことだ。

自転車でやんばるの道路を進んでいる時に何もない国頭に突然現れたのが長い坂と米軍基地だった。こんな山の中に米軍基地があるのかと驚いたことを覚えている。
 
 二見情話は好きな歌である。二見情話を初めて聞いたのはイトマンに住んでいる時だった。歌っているのは乙女椿という女性グループだった。乙女椿という糸満の女性グループだった。

 若々しい女性グループの歌だった。私は乙女椿の新曲だと思っていた。しかし、そうではなかった。戦後間もない時に作られた歌だった。それには驚いた。乙女椿の二見情話の前にこの歌を聞いたことはなかったからだ。だから、新曲と思っていたのだ。それに他の民謡に比べて若々しい女性の新鮮な歌だった。

 歌詞にも新鮮さを感じた。

行逢たしや久志小
語たしや辺野古
想て通たしや 花ぬ二見ヨ

 久志と辺野古、二見は遠く離れている。それに道は険しかった。久志で出会い、辺野古でデートし、恋心が深くなって彼氏のいる辺野古に通ったという歌詞である。恋愛を久志、辺野古、二見と離れた場所を結びつけるような歌詞は沖縄の民謡にはない。
二見情話は沖縄民謡にはないスケールの大きい歌詞であった。二見情話のような歌詞は他の民謡で聞いたことがなかった。だから、歌詞にも新鮮さを感じた。

 二見情話を作詞作曲したの照屋朝敏氏である。彼は二見情話だけを作った。彼は教員だった。民謡の世界とは関係のない人であったのだ。そのことを知った時、私が他の民謡にはないのを歌詞に感じた理由が分かった。二見情話は民謡の世界とは関係のない人が作ったからプロの民謡歌手は歌わなかったのだろう。ラジオで流れることもなかったのだ。だから、二見情話を知らなかったのだ。

 二見情話を最初にレコーディングしてラジオから流れるようにしたのは乙女椿だろう。二見情話をヒットさせたのは乙女椿であると思っている。
 なぜ、国頭の二見の歌を遠く離れた糸満の椿乙女が歌ったのだろうか。不思議である。



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この記事へのコメント
拝米主義者ヒジャイ。
辺野古はまだまだ終わらないよ、日本が独立するまでは。日本の国家主権を犯す占領軍(米軍)の肩を持ち、反対する沖縄人を執拗なまでにバカにする。君は本当に沖縄生まれの沖縄人かい?とてもそうは思えない。僕の目には売国奴にしか見えないのだが。
そんな人間が二見情話? 悪い冗談はやめてくれ。
Posted by 金城武男 at 2024年10月10日 02:55
金城へ。
辺野古はすでに終わった問題です。県民はそんなことに興味はない。最高裁判決でも負けたのを忘れたのか?
最高裁判決に従うのは国民の義務。君の感情論なんぞ必要ないんだよ。
Posted by あいう at 2024年10月10日 08:38
あいう君。
君は本当にしつこいね。レベルの低い議論は無視するに限るが、辺野古をめぐる問題は日本の将来に大きな影響を及ぼす案件なので、あえてコメントしよう。辺野古側の埋め立ては終わり、大浦湾側の埋め立て工事が始まっている。そして最高裁判決も出た。今の状況を考えて辺野古は終わった、と言っているようだが視野の狭い結論だ。
視野を広げてみよう。そうすると辺野古問題の本質は、日本の国家主権を犯す占領軍(米軍)の駐留を認めるか否かの問題に直結していることが見えてくる。辺野古問題は単に沖縄県と日本政府の間の問題ではなく、占領軍(米軍)・米政府と日本政府が解決すべき問題であることが視野に入ってくる。
沖縄県は当事者の一人ではあるが、占領軍(米軍)・米政府と日本政府という強大な権力に挟まれて常に不利な立場にあり、民意を踏まえてどんなに反対しても厚い壁に阻まれてきた歴史がある。辺野古移設問題は1995年に発生した米兵3名による女子小学生暴行事件に遡る。この事件は全国的に大きく取り上げられたために、日本政府は沖縄県の占領軍(米軍)基地の過重負担軽減に重い腰を上げて動き出す。橋本龍太郎総理大臣は大田昌秀知事の要望を聞き入れて、普天間飛行場の移転を閣議決定した。しかし、それは県内移設であることがわかり、大田知事は過重負担軽減にはならないとして県内移設に反対。
この時から普天間飛行場の移転問題は県内移設を認めるか否かで揉めに揉め続けた。大田知事、稲嶺知事、仲井真知事、翁長知事へと県知事が変わる中で、安倍政権は2017年、辺野古移設工事に着手した。辺野古移設に反対する翁長知事の時だった。安倍政権は強硬策に打って出たのだ。県内移設に反対した大田知事時代から2017年までの経過を詳しく説明すれば一冊の本ができるくらい長くなるので、問題点だけに絞る。占領軍(米軍)基地問題が絡むと沖縄県知事は常に苦渋の選択を迫られてきた、という歴史的経緯がある。革新系だろうと保守系だろうと例外なく沖縄県知事は占領軍(米軍)基地問題で苦しんできた。その根底には沖縄県知事にはウチナーンチュというアイデンティティがあるからである。翁長知事が沖縄はイデオロギーよりアイデンティティと言って革新と保守(一部)を統合してオール沖縄を結成したのは、沖縄人同士に独自の郷土愛という強い結びつきが背景にあるからである。翁長知事という強いリーダー亡き後のオール沖縄は衰退しつつあるが、翁長知事の理念は決して間違ってはいなかった。むしろ占領軍(米軍)基地問題に対しては革新も保守も一体となって問題解決にあたるべきである。しかし現実はそうはなっていない。なぜか?
その原因ははっきりしている。日本はアメリカの属国であり、政権を担う自民党は対米従属政党であり、沖縄自民党はその系列下にあるからである。このどうしようもない現状を根本から変えるにはアメリカから独立して真の主権国家になるしかない。
だから僕は、日本が独立するまで辺野古は終わらないと言っている。たとえ工事が進行してもだ。なぜなら辺野古問題は日本政府と占領軍(米軍)・米政府との間の国家理念をめぐる問題だからだ。主権なき属国を続けるのか独立するのかが問われる問題である。
そこまで視野を広げて考えないと、辺野古移設問題の真実は見えてこない。占領軍(米軍)の軍事的要求を最優先する日米合同委員会が存在する限り、対米従属の自公政権が沖縄県の要望を受け入れるはずがない。だから沖縄県知事は常に苦悩し、苦渋の選択を強いられてきたのだ。今の玉城知事もそうである。民意に則ってどんなに抗議しても工事は強行され進んでいく。普通なら心が折れて屈服しても良さそうなものだが、玉城知事が諦めないのは、日本の主権が占領軍(米軍)に犯された状態のままでいいわけがないという信念があるからだ。
あいう君。
君が言う通り、確かに沖縄県は最高裁判決で敗北した。これは事実だ。しかし、それがどうした? 現実をもう少し深く見ようじゃないか。日本の三権分立は形ばかりでまともに機能しているとは思えない。日本の司法はまだまだ未熟だ。その証拠に多くの冤罪事件がある。9日に無罪が確定した袴田巌さんの件もその一つである。君が言うように「最高裁判決に従うのは国民の義務。」をすんなり認めるなら、袴田さんはとっくに死刑されていただろう。しかし裁判の不当性を訴え続けて無罪になった。死刑判決を覆して再審無罪が確定したのは戦後5例目であることを考えると、日本の司法の未熟性が理解できるだろう。不当な裁判を認める必要はない、最後まで抗い続けることが重要である。
辺野古訴訟で疑わしいのは、占領軍(米軍)の軍事的要求を最優先する日米合同委員会の存在だ。その組織図を見ると、日本側代表の中に外務省北米局長、法務省大臣官房長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官などの高級官僚がいることがわかる。これら高級官僚と占領軍(米軍)の高官たちが、占領軍(米軍)の軍事的要求を最優先する審議が月2回行われている。つまり辺野古訴訟で司法側が占領軍(米軍)の有利となる判決を下したとしても少しも不思議ではない、と言うことだ。
裁判では実質的審議も行われず、門前払いすることも多かった事実がその可能性を示唆している。憲法の上に君臨する日米合同委員会に沖縄県が裁判で勝てるわけがない。アメリカから独立しない限り、日本の三権分立を無邪気に信頼してはいけないと言うことだ。
Posted by 金城武男 at 2024年10月10日 15:59
 
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