米軍のヒューマニズム

ヒジャイ

2016年12月19日 13:52






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県内取次店 株式会社 沖縄教販
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米軍のヒューマニズム
 皆さんはこの写真を見たことがあるだろうか。私は少年の頃にこの写真を見てとても感動した。感動したのはこの写真の芸術的な強烈さである。少女の足や腰の曲がり、手のしぐさ、水を飲んでいる顔、水筒、黒人兵の姿が強烈に印象に残った。
 とても印象に残った写真であるが、そんな写真があったことをいつの間にか忘れていた。2年前に沖縄市で沖縄戦の時の子供たちの写真展があり、この写真も展示していたので思い出した。原画はもっと大きく、下の方に道路があり、二人は写真のように大きくは写っていなかった。この写真は「沖縄と住民」という月刊沖縄社が1978年に出版した本の表紙にしたものである。

 




写真展では、戦争中に子供を保護したらすぐに浴びせて清潔にする写真や、戦時中であるにも関わらず米軍は学校を開いて運動場で遊んでいる写真があった。
 戦争中であるにも関わらず学校を開設した話は聞いたことがなかったので私は驚いた。そのことを書いてある本をネットで探したが見つからなかったが、最近上の写真を表紙にしている「沖縄と住民」という本を見つけたので購入した。
 本には戦争孤児収容所や学校の様子の写真が掲載してあった。



 

 この写真は戦争中の孤児収容施設の写真である。
 髙江洲小学校は4月6日に開設したという。泡瀬に米軍が上陸したのは4月3日であった。その3日後に開校したのである。米軍は捕虜収容と同時に学校を開いたということである。
 捕虜収容所だから虐待されていただろうと思うが、そうではなかった。米軍は捕虜の健康と食糧に気配りしていたし、生活は自由であった。笑みが多かったのが捕虜収容所であった。

米軍は蚊やシラミなどを退治するためにDDTを散布した。住民に散布のやり方を指導している写真である。


 DDT散布は私が子供の時もやっていた。
 蚊を退治してマラリアをなくしたのは米軍である。
 沖縄戦から5年間は米軍が統治していたから軍政府であった。
 米軍が直接統治していたが、米軍は沖縄の人々の健康や生活そして教育に気を配っていた。
 米国は民主主義国家であり、軍隊はシビリアンコントロールされているから、軍隊も民主主義を基本としている。それは現在も同じである。
 海兵隊は市民の生命を優先する。市民の生命を守るために自分の生命を賭けて行動するのが海兵隊の義務となっている。
 米軍の精神の根底にはヒューマニズムがある。そのことを理解していないのが沖縄の政治家や識者である。

 オスプレイの夜間給油訓練で給油ホースがプロペラに接触してプロペラが傷ついた。操縦士が普天間飛行場への帰還を止めたのは当然である。辺野古を目指したが、辺野古への着陸をあきらめて矢部岬に不時着を選択したのも当然である。理由は市民犠牲を避けるのが米兵の義務だからである。
オスプレイが不時着した場所を海の方から撮影した写真を見ると、海岸は高い崖になっている。オスプレイが爆発しても破片が陸地に散ることはない。辺野古海岸には崖がないから住宅地に破片が飛ぶ可能性があった。
 操縦士や乗組員は不時着する時に死を覚悟したはずである。覚悟しながらも優先したのは県民の生命であった。

 安慶田副知事は「謝罪は全くなかった。本当に植民地意識丸出しだなと感じた」と述べているが、米軍に政治意識はない。「植民地意識丸出しだ」と感じたのは軍人の答弁を政治家の答弁と混同したからであり、安慶田副知事は政治家と軍人の違いを理解していない。
在沖米海兵隊トップのニコルソン四軍調整官に対し抗議する前になぜ事故が起こったかを安慶田副知事は詳しく聞くべきである。聞いたうえで、オスプレイが県民に危険を及ぼす可能性があったら抗議するべきである。不時着して機体がバラバラになっただけで抗議することは間違っている。最初に知るべきは事故の原因である。
不時着をしただけで軍人に謝罪を要求するのは安慶田副知事が政治と軍事の違いを理解していない無知の性である。

翁長知事は事故現場を見ただけで「オスプレイの危険性を改めて感じた」と言った。肝心な問題はオスプレイの事故が県民に危険を及ぼす可能性があったかどうかである。安部岬への不時着が県民に危険を及ぼすことがなかったのはプロペラ欠損から安部岬不時着までの過程を検討すれば分かることである。しかし、翁長知事は検討しない。検討すれば米海兵隊が県民の被害を極力避けていることが明らかになるからだ。
翁長知事は伊江島に駐留しているオスプレイを点検するために普天間飛行場に帰還させることを「新型輸送機オスプレイの飛行再開」として決めつけ、「とんでもない」と言って反対している。
不時着の原因は夜間給油訓練でのプロペラ破損である。機体の問題ではない。伊江島に駐機しているオスプレイを点検しないで放置することが事故の危険性は高くなる。「とんでもない」は逆にオスプレイが事故を起こす可能性を高めることになる。

自分にとって都合の悪いことは無視して、都合のいいことだけが事実であるように振る舞う。それが翁長知事であり、オスプレイの不時着を墜落だと決めつける政治家、識者、マスコミである。
彼らは、米軍が学校や戦争孤児院を開設したこと、捕虜収容所の生活は健康や食料に気配りしていた事実を無視している。また、マラリアを撲滅したのは米軍であることも無視している。
 ただいたずらに米軍を非難することに狂奔している翁長知事、共産党。社民党、識者、沖縄二紙は真剣に沖縄のことを考えているか疑問である。

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