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リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」を追求する
1863年、ゲティズバーグで演説したリンカーン大統領の絵画である。絵画にするほどにゲティスバーグで演説した「人民の人民による人民のための政治」は民主主義を象徴しているとして有名である。
しかし、人民は何千万人、何億人といる。人民が一つの場所に集まることは不可能であるし、全員で討論することも不可能だ。全員の賛成反対で政策を決めるのは現実としては不可能である。実現が不可能である原因がもう一つある。
人民は生活をするために働いている。もし、政策を真剣に考えるのなら仕事をする時間がなくなる。仕事をしないで政策に打ち込めば収入がなくなり生活ができなくなる。仕事をして生きている人民が直接政治に関わることはできない。人民の人民による政治を実現することは不可能である。それは真実である。
リンカーン大統領のいう「人民の人民による」政治は実現不可能である。リンカーン大統領のいう「民主主義は実現不可能である・・・と考えるようになった。リンカーン大統領は実現できないことを言ったのだ。リンカーン大統領は嘘つきだ。リンカーンは国民を騙して支持を集めて大統領なった・・・と中学生の時に思った、
民主主義は実現不可能な夢の政治なのか・・・。教科書にゲチスバーグのリンカーン大統領の写真が掲載されているのを見てからあれこれと考えるようになった。
戦後の沖縄は米国が統治していた。私が生まれ育った読谷村のほとんどは米軍基地であった。米軍が沖縄を統治していると聞かされた。「沖縄は米国の植民地なのか・・・」という疑問があった。しかし、植民地としては自由である。米人は支配者に見えなかった。統治しているのは米軍ではなく米民政府であることを知った。
沖縄を統治しているのは米政府であって米軍ではない。
沖縄に存在するのは米民政府であって米軍政府ではない。米国が統治している地域に米軍政府は存在しない。米政府の支部が存在する。米軍が統治していることと米民政府が統治しているのとでは何が違うのだろう。米国は三権分立の国であり、政府と議会が政治をしていて軍が政治をすることはないことを知った。
リンカーンのいう「人民の人民による人民のための政治」民主主義政治は実現不可能である。しかし、それに準じる政治は実現できるし、米国では実現している。それが選挙である。リンカーンは大統領である。大統領は人民の選挙で選ばれる。人民に選ばれたのだから人民の代理である。選挙制度は人民に選ばれた人民の代理による人民のための政治ということになる。選挙で選ばれた者だけが政治をやるのが議会制であり、議会制は民主主義であるということである。米国はそれを実践している。
「人民の人民による人民のための政治」の民主政治は存在しない。しかし、その民主政治に準ずる政治がある。それが選挙で選ばれた者が政治をする議会制政治である。議会制政治は民主政治ではないが民主政治に準ずる政治ある。だから民主政治に準ずるのが民主主義政治であるのだ。議会制民主主義が現実に存在する民主主義であると考えるようになった。
米政府に統治されている沖縄で育った私が高校を卒業するまでにたどり着いた民主主義論である。米政府に統治されている沖縄では立法院の議員は選挙で選ばれたが、知事である主席は米民政府が任命した。だから、沖縄は本当の民主主義ではなかった。米国の植民地かと言えば植民地でもなかった。
沖縄の学校制度は日本と同じであったし、使用する教科書はすへて日本の教科書だった。学校は完全に日本式であったし、立法院の議員、市町村の首長や議員も選挙で選ばれた。米民政府が任命する主席以外は選挙で選ばれた。だから、米民政府が統治している沖縄であったが議会制民主主義に近い政治体制だった。
沖縄は1972年(昭和47年)5月15日に、アメリカ合衆国から日本国に施政権が返還されて、日本の地方自治体になった。議会制民主主義になったのである。
普天間飛行場の辺野古移設は県投票で反対70%を超えた。「人民の人民による人民のための政治」から考えれば移設を中止した方が正しいということになる。しかし、県民は辺野古の埋め立てについて正確には知らない。知らない県民が埋め立てするかしないかを決定していいのかという問題がある。直接民主制であったら埋め立ては中止していた。しかし、日本は議会民主制であり、県民投票には決定権がない。だから、埋め立ては中止できなかった。
埋め立ては終わった。県民は海が汚染されるという情報を信じて埋め立て反対したが、海は汚染されなかった。海が汚染されるというのは嘘だったのだ。県民は騙されて埋め立てに反対したのである。仕事をしている県民は辺野古に関する情報を調査して正確に判断する時間はない。だから、もっともらしい嘘に騙されたのだ。
「沖縄に内なる民主主義あるか」「捻じ曲げられた辺野古の真実」で辺野古移設の真実を書いたが無名の私の本が県民に注目されることはなかった。もし、県民が私の本を読めば辺野古移設に賛成したはずである。
埋め立ては終わった。騙されていたことに県民は気づいた。騙されない県民は辺野古移設に反対しない。反対するのは一部の反米主義者たちである。
議会制民主主義は完璧な民主ではないが民主に一番近い政治体制である。そのことを辺野古問題で実証した。議会制民主主義は素晴らしい政治体制である。。