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2018年08月31日

自称沖縄保守の左翼玉城デニー氏出馬表明



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自称沖縄保守の左翼玉城デニー氏出馬表明
 自由党幹事長の玉城デニー衆院議員は29日、翁長雄志氏の死去に伴う沖縄県知事選(9月13日告示、30日投開票)への出馬を表明した。
 デニー氏は、
「翁長知事の遺志を継ぎ、辺野古の新基地建設を阻止する」
と述べた。

玉城デニー氏が会見冒頭で述べたのは、
「ウチナンチューが心を一つにして戦う時には、想像するよりも遥かに大きな力になる」
という翁長前知事の言葉であった。その知事の姿が玉城氏の背中を押したとデニー氏は述べた。そして、
「県民が心を一つにすることを深く望み、県民が持つ力を誰よりも信じ、揺らぐことのない自らの決意が県民とともにある」と、最後の瞬間まで命がけで発し続けた翁長知事の強さ。その思いは、県民の胸の奥に確かに静かに刻まれているとデニー氏は述べ、
「その知事の強さ、優しさ、沖縄への愛情はここにいる私の背中を押し、決意と覚悟をもたらしてくれていると感じています」
と県知事選に出馬する決意を述べた。
デニー氏の言葉は翁長知事への尊敬の気持ちが満ち溢れている。翁長知事をずっと尊敬し続けているように感じる。しかし、デニー氏は政治デビューしてからずっと反自民に徹している。一方翁長知事はずっと自民党であり、自民党の幹事長の経験もある。翁長知事が自民党を離れたのは2014年の県知事選からである。それまでは翁長氏とデニー氏は対立関係にあった。
翁長氏は2014年に自民党を離れ、知事選に勝つために共産党などの左翼政党と共闘した。翁長氏は自民党時代は県外移設を主張していたが、普天間飛行場の閉鎖・撤去を主張して辺野古移設反対していた左翼政党と共闘するために左翼と政党同じ辺野古移設反対を選挙公約にした。そして、当選した。
 デニー氏は翁長氏が辺野古移設に反対したから反対するようになったのではなく翁長氏が辺野古移設反対を主張する前から反対だったのである。

 デニー氏は保守を自認しているが彼の思想は左翼的である。彼の政治歴を見ればそのことが分かる。
 
2005年、沖縄3区から民主党公認で出馬するも、落選。
2009年沖縄3区から民主党公認で再び出馬。自民党前職の嘉数知賢を破り、初当選した。民主党では沖縄県第3区総支部長、沖縄県総支部連合会副代表などを務めた。
2012年の消費増税をめぐる政局では、野田内閣による消費増税法案の閣議決定に抗議して民主党を離党。
同年造反議員らを中心に国民の生活が第一が結党され、デニー氏もこれに参加した。
同年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙では、嘉田由紀子滋賀県知事が代表を務める日本未来の党の候補として沖縄3区から出馬。小選挙区では落選したが、比例九州ブロックで復活当選した。同年末、未来の党の分党に伴い生活の党の結党に参加。
2014年の第47回衆議院議員総選挙では、翁長雄志沖縄県知事が推薦する「オール沖縄」の候補として生活の党公認で沖縄3区から出馬。日本共産党、社会民主党、沖縄社会大衆党、緑の党そして基地の県内移設に反対して自民党を除名された「新風会」の支援を受け、自民党新人比嘉奈津美(比例九州ブロック復活当選)を破り、議席を取り戻した。
2017年の第48回衆議院議員総選挙で、希望の党が結党されると自由党の多くの候補者は合流に向かった。しかし玉城は「希望の党と私の考えは水と油。無所属で普天間飛行場移設反対の公約を貫く」として党籍を残したまま無所属で出馬。翁長雄志知事を支える「オール沖縄」の全面支援があり、4期目の当選を果たした。

 デニー氏は沖縄3区から出馬しているが相手候補は常に自民党であった。民主党時代に消費増税に反対して、離党し、未来の党、生活の党、自由党と所属政党が変わっていったが、徹底しているのは反自民であることである。保守政党である希望の党も嫌っている。デニー氏が保守であることにこだわるのならデニー氏は保守政党を嫌う沖縄保守ということになる。

 翁長氏が自民党であった時はデニー氏は翁長氏と対立していた。しかし、2014年に自民党と対立して共産党などの左翼政党と共闘として辺野古移設反対を選挙公約にした時にデニー氏と親しい関係になったのである。二人に共通して存在するのが左翼政党である。
 翁長知事は知事在籍中の4年間で身も心も共産党に支配され、完全に左翼化されていった。翁長知事が自分と同じように辺野古移設に反対し、安倍政権と敵対して左翼になったからデニー氏は翁長知事を尊敬したのだ。

 玉城デニー氏出馬会見で、
「しっかりと翁長知事の遺志を引き継ぎ、辺野古新基地建設阻止を貫徹する立場であることをここに表明致します」
と述べた後に、
「『世界一危険』と認めながら、その危険を放置し続けているのは、いったい誰なのでしょう。こんな『政治の堕落』を認めて良いはずがありません。一日でも、一秒でも、速やかに普天間飛行場を閉鎖し、返還をなすよう、国に強く要求します」
と述べている。
 デニー氏の主張は、
○普天間飛行場の閉鎖・撤去
○辺野古移設反対
である。この主張は共産党と同じである。左翼的な主張であり、保守の主張ではない。
 
 保守を自認するなら、現実的に普天間飛行場の辺野古移設問題を考えるべきである。
 普天間飛行場を閉鎖・撤去すれば普天間飛行場の危険問題は確実に解決する。しかし、閉鎖・撤去が現実的に実現できるか否かが問題である。閉鎖・撤去するには日米両政府が合意しなければならない。安倍政権とトランプ政権は賛成しないし、政権が変わっても自民党政権である限り閉鎖・撤去することはあり得ない。
 普天間問題は日米政府に訴えることが大事ではなく解決することが大事である。つまり普天間飛行場を閉鎖・撤去を実現することが大事である。辺野古に移設する以外に普天間飛行場を閉鎖・撤去する方法はない。デニー氏が辺野古移設に反対するなら、辺野古に移設しないで別の方法で普天間飛行場を閉鎖・撤去実現案を提案しなければ保守とは言えない。日米政府に実現できない要求をするだけの左翼と同じである。
 普天間飛行場の辺野古移設は、
2006年 島袋名護市長と政府がV字型滑走路で辺野古崎沿岸に建設で合意。
2008年 仲井眞知事と政府が埋め立て範囲で合意。
2014年 沖縄防衛局の提出した埋め立て計画を審査した県は公有水面埋立法に則っていることを認めて仲井眞知事が埋め立てを承認した。

ルールに則り、民主的な手続きで辺
野古移設計画は進められてきた。この
事実を隠ぺいしているのが左翼である。そして、この隠ぺいに気が付いて
いないのが多くのマスコミであるし、それだけでなく自民党県連もきちんと説明する政治家が居ない。
 辺野古移設容認を毅然と論理的に主張できる自民党政治家が居ないことが沖縄の政治の不幸といえるかも知れない。

 沖縄保守を自認しても普天間飛行場閉鎖・撤去、辺野古移設反対を主張するならば左翼と同じである。

 共産党のロボットになり左翼の魂の塊なってしまった翁長知事は辺野古移設阻止に執着するだけであった。翁長知事の県政は辺野古移設阻止に尽きた。
 デニー氏は翁長雄志前知事の遺志を引き継いで「辺野古新基地建設阻止を貫徹する」と明言した。辺野古移設阻止はデニー氏の主張してきたことであり二人の遺志と意志ががっちりかみ合うことになる。
 知事の権限でできる最後の「最大の切り札」が承認撤回である。翁長知事は死去直前に埋め立て承認撤回をすると宣言した。しかし、死去して承認撤回をすることができなかった。翁長知事の残された最後の遺志が承認撤回をすることである。デニー氏が県知事になったらすぐにやるへきであったが、承認撤回は県知事選挙の一か月前である8月31日に謝花副知事がやってしまった。唯一残っていた翁長知事の遺志がデニー氏が知事になってやる前に謝花副知事らよって実行されたのである。
県が承認撤回をしたので埋め立て工事の法的根拠が失われ、工事が止まる。土砂投入は当面は不可能となる。しかし、政府は承認撤回の効力をなくす執行停止を裁判所に求めて、一カ月以内には工事は再開するというのが一般的な見解である。
そして、政府と県の裁判が始まる。裁判の期間は分からないが、判決の結果は分かる。結果は承認取り消し裁判と同じで県が負ける。承認撤回で辺野古埋め立て工事を止めることはできない。県もそのことを知った上でやったのである。なぜか。
知事選前に承認撤回をやったのは、翁長知事の遺志としての承認撤回を県民に訴えて県知事選でデニー氏に有利にするためである。

 デニー氏が出馬会見の冒頭で述べた、
「ウチナンチューが心を一つにして戦う時には、想像するよりも遥かに大きな力になる」
というのは確かであるが、翁長氏やデニー氏にウチナンチューの心を一つにする能力があるはずはない。いや、そんな能力は誰にもない。
そもそも心を一つにすることは不可能であるから過半数で決めるという多数決を採用した議会制民主主義が生まれたのだ。県知事選は議会制民主主義の一環てある。デニー氏は議会制民主主義政治の基本を知らない。左翼と同じである。


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Posted by ヒジャイ at 20:18│Comments(0)沖縄知事
 
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