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2015年05月24日

落合恵子の詩「沖縄の辞書」批判


「翁長知事・県議会は撤回せよ謝罪せよ」
「一九七一Mの死」
4月30日より県内書店で発売しました。

本の説明はこちら




県内取次店
沖縄教販
○県外は書店で注文できます。
県外取次店
(株)地方小出版流通センター
  
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落合恵子の詩「沖縄の辞書」批判

◇沖縄の辞書 落合恵子

あなたよ
世界中でもっとも愛(いと)おしいひとを考えよう
それはわが子? いつの間にか老いた親? つれあい?
半年前からあなたの心に住みついたあのひと?
わたしよ
心の奥に降り積もった 憤り 屈辱 慟哭(どうこく)
過ぎた日々に受けた差別の記憶を掻かき集めよ
それらすべてが 沖縄のひとりびとりに
いまもなお 存在するのだ
彼女はあなたかもしれない 彼はわたしかもしれない

沖縄の辞書を開こう
2015年4月5日 ようやくやってきたひとが
何度も使った「粛々と」
沖縄の辞書に倣って 広辞苑も国語辞典も
その意味を書きかえなければならない
「民意を踏みにじって」、「痛みへの想像力を欠如させたまま」、「上から目線で」と
はじめて沖縄を訪れたのは ヒカンザクラが咲く季節
土産代わりに持ち帰ったのは
市場のおばあが教えてくれた あのことば

「なんくるないさー」

なんとかなるさーという意味だ と とびきりの笑顔
そのあと ぽつりとつぶやいた
そうとでも思わないと生きてこれなかった
何度目かの沖縄 きれいな貝がらと共に贈られたことば「ぬちどぅ たから」
官邸近くの抗議行動
名護から駆けつけた女たちは
福島への連帯を同じことばで表した

「ぬちどぅ たから、いのちこそ宝!」
「想像してごらん、ですよ」
まつげの長い 島の高校生は
レノンの歌のように静かに言った
「国土面積の0・6%しかない沖縄県に
在日米軍専用施設の74%があるんですよ
わが家が勝手に占領され 自分たちは使えないなんて
選挙の結果を踏みにじるのが 民主主義ですか?
本土にとって沖縄とは?
本土にとって わたしたちって何なんですか?」
真っ直すぐな瞳に 突然盛り上がった涙
息苦しくなって わたしは海に目を逃がす
しかし 心は逃げられない
2015年4月5日 知事は言った
「沖縄県が自ら基地を提供したことはない」
そこで 「どくん!」と本土のわたしがうめく
ひとつ屋根の下で暮らす家族のひとりに隠れて
他の家族みんなで うまいもんを食らう
その卑しさが その醜悪さが わたしをうちのめす
沖縄の辞書にはあって 
本土の辞書には載っていないことばが 他にはないか?
だからわたしは 自分と約束する
あの島の子どもたちに
若者にも おばあにもおじいにも
共に歩かせてください 祈りと抵抗の時を
平和にかかわるひとつひとつが
「粛々と」切り崩されていく現在(いま)

立ちはだかるのだ わたしよ

まっとうに抗(あらが)うことに ためらいはいらない


 落合恵子さんが『沖縄の辞書』という詩を4月10日付の毎日新聞夕刊に発表した。落合さんが自分の目で見たこと読んだこと感じたことを詩に書いているという。ただ、落合さんは東京に住んでいて沖縄にはたまにしか来ないから沖縄の現実を自分の目で見るのには限界がある。詩に漂う言葉はリアルな言葉というより情報の紙の上に浮いている言葉を拾ったように感じる。
 
 2015年4月5日の翁長知事と菅官房長官が会談したことを詩の題材にしているが、会談の中心テーマは普天間飛行場の辺野古移設に関することであった。WEBで調べれば分かるが、辺野古移設とは宜野湾市の人口密集地の中にある普天間飛行場を海と山に囲まれた辺野古崎に移すことである。新しく米軍基地をつくることではない。辺野古基地建設は沖縄の米軍基地を撤去するしないの問題とは違う。単純に普天間飛行場の危険性をなくすかどうかの問題であった。沖縄の米軍基地に反対し、撤去を求める問題と辺野古移設問題は違う問題である。

2015年4月5日の翁長知事と菅官房長官の会談は辺野古移設についてであり、もし、会談を題材にした誌を書くならそのような事実を自分の言葉として書くべきである。しかし、普天間飛行場の移設については落合さんは一言も書いていない。

「粛々と」「民意を踏みにじって」、「痛みへの想像力を欠如させたまま」、「上から目線で」は落合さんの言葉ではない。全て翁長知事の言葉である。辺野古移設の本当の問題を無視した落合さんが翁長知事の言葉をそのまま自分の言葉にしたのである。あまりにも安易なやり方である。
菅官房長官は会談で普天間飛行場の危険を1日も早くなくすために辺野古移設を粛々と進めていると言った。それに対して翁長知事は上から目線であると須賀官房著刊を非難した。落合さんが翁長知事に同情する気持ちは分かる。私も地方の人間だから中央からやってきた菅官房長官の淡々とした冷たい言葉には反発する。昔、清田政信という詩人が「ローカルテロル」を主張したことがあった。地方が立ち上がり中央を撃つという主張だった。地方に住んでいても中央に勝てる文学や思想を築けるのだと言う清田政信の主張に若い私は感動したものだ。中央からやってきた菅官房長官に反発したい気持ちはあるが、やみくもに反発する気持ちはない。内容を検討する必要がある。
冷静に考えると、辺野古移設問題は沖縄対中央の問題ではない。また沖縄の米軍基地を撤去するしないの問題でもない。普天間飛行場を県内の辺野古に移設するという単純な問題である。菅官房長官は淡々として話し、彼の冷たい態度に反発はするが、普天間飛行場の危険性をなくすために辺野古に移設するとい菅官房長官の言うことは正論である。上から目線だと言ってまともな反論をしない翁長知事のほうが政治家としては失格である。
人口密集地のど真ん中にある普天間飛行場で飛行機が墜落したら多くの市民の命が失われる。実際に2004年8月13日に在日米軍(アメリカ海兵隊)のヘリコプターが沖縄国際大学に墜落した。架空の問題ではない。現実的な問題だ。
飛行機の離着陸の騒音が普天間第二小学校の授業を中断するし、住民も騒音被害を受けている。沖縄米軍基地に反対しているとしても、普通の人間であるならば、辺野古移設に賛成するだろう。
古くから沖縄を知っていて関心がある落合さんなら普天間飛行場の問題を知らないはずがない。沖縄国際大学にヘリコプターが墜落した事件を知らないはずはない。落合さんは普天間飛行場の被害に心を痛めたはずである。それならば辺野古移設に賛成すると思うのだが、落合さんは辺野古基地建設に反対している。詩には普天間飛行場のことは全然書いていない。まるで辺野古問題と普天間飛行場は関係がないようだ。
普天間飛行場をそのまま維持しながらの辺野古飛行場建設であるなら落合さんが反対するのは理解できる。しかし、辺野古飛行場は普天間飛行場を閉鎖・撤去するのが目的である。そのことを前提しない限り辺野古移設問題を語れない。
落合さんの詩はおかしい。





落合さんが普天間飛行場移設の問題を無視していることは「新基地はいらないと、沖縄が声を大にして訴えている」と述べたことにあらわれている。
落合さんが辺野古飛行場建設は普天間飛行場を移設するためであるということを知らないことはあり得ない。普天間飛行場は危険だから移設しようということが問題の始まりだった。辺野古海上に移すことから始まり、県外移設、国外移設などを検討した結果、最後に辺野古に移設することが決まった。つまり普天間飛行場の移設が問題の中心であった。そのことを落合さんが知らないはずはない。とすれば「新基地はいらないと、沖縄が声を大にして訴えている」と書いたのは落合さんが普天間問題に目を背けたからである。
落合さんは普天間飛行場の危険性やヘリコプター墜落の事実に目を背けて「新基地はいらないと、沖縄が声を大にして訴えている」と書いたのだ。詩は本当の気持ちを表現するものである。落合さんは本音で新基地はいらないと思っているようだ。
新基地は新基地でも普天間飛行場を移設するための新基地なのだから本当の意味での新基地ではない。辺野古基地建設のいきさつを知っているのなら「新基地はいらない」ということは普天間飛行場をどうするのだという疑問が湧いてくるはずだか落合さんは湧いてきていない。落合さんの心の中で何が変わり、普天間飛行場のことは考えなくなったのだろうか。

現在70歳になる落合さんは大学生時代に初来県してから、毎年のように沖縄を訪れているという。50年近く沖縄を見てきた落合さんは、悲惨な沖縄戦を経てなお過重な基地負担に苦しむ沖縄と向き合い、国のあり方、平和について考えを深めていくという。沖縄の米軍基地問題に強い関心があるのは理解するが、国のあり方について考えを深めていくのなら、危険な普天間飛行場を安全な辺野古に移設することは市民の安全を守ることであり、正しい国の在り方であると判断すべきではないだろうか。落合さんのいう国の在り方とはどんなものだろうか。分からない。

平和にかかわるひとつひとつが
「粛々と」切り崩されていく現在(いま)

辺野古移設は米軍基地が維持されるから現状維持であって、平和が「粛々と」切り崩されていくのではない。
落合さんに話しても理解してくれないだろうが、実は、米軍基地があったおかげで沖縄は戦後70年間平和であった。戦前に比べて生活ははるかに豊かになった。悲惨な戦争を体験したほとんどのおじいおばあは悲惨な沖縄戦に比べて戦後の沖縄は平和で豊かになったといっている。戦後の沖縄に感謝しているおじいおばあがどんなに多いことか。「米軍基地があるから戦争が起こると真っ先に沖縄が襲われる」と言うおじいおばあも居るが彼らのほとんどは共産党や社民党支持の革新派であり、反米主義思想家である。
沖縄の事実は戦後70年間戦争はなかったことである。人口は戦前の60万人から140万人と2倍以上に増えたことである。沖縄の戦後の歴史的事実は平穏で生活が豊かになったことだ。だから人口は2倍以上に増えたのだ。

東京から沖縄を見るということは沖縄2紙を読み、沖縄基地関連のニュースを見るということである。その積み重ねによって、沖縄二紙が報道してきた沖縄を本当の沖縄だと信じるようになってしまうことである。沖縄を発信する沖縄二紙を見れば、沖縄は軍事植民地にされ、県民は米軍基地被害に悩まされていると感じてしまう。しかし、沖縄に住み、沖縄二紙を読まなければ、沖縄は平和でのどかであると感じる。沖縄二紙と日常生活には大きなギャップがある。
嘉手納飛行場の近くに住んでいる私が散髪屋で店主と話す世間話は「沖縄いいねえ。気温は本土より寒くはならないし暑くもならない。本土のようにあくせくしないでも生きていける」などであり嘉手納基地のことはほとんど話さない。落合さんは信じないだろうな。しかし、日常生活と嘉手納飛行場はほとんど関係がない。嘉手納飛行場の騒音はひどい時もあるが、それはたまにあるだけだ。ヘトナム戦争時代は爆音がひどくテレビの音も聞こえなかった。嘉手納飛行場を爆破したいと思ったこともある。ベトナム戦争が終わりアジアが平穏になるに従い、嘉手納飛行場の騒音は少なくなった。アフガン・イラク戦争の時は騒音がひどくなったことがあったが、ベトナム戦争時代に比べれば静かなほうだった。イラクでISへの空爆が始まったが嘉手納飛行場の騒音は変わらない。日常生活の中では嘉手納飛行場の影響はほとんどない。
それに嘉手納飛行場から数キロ離れた場所は騒音が全然ない。浦添市、那覇市以南は嘉手納飛行場や米軍基地とは無縁である。  
米軍基地による過重負担と言われるが、なにを過重負担と言っているのか私に思い当たることがない。

「国土面積の0・6%しかない沖縄県に在日米軍専用施設の74%があるんですよ」といっても、ほとんどの米軍施設は静かであり騒音を発しない。普天間飛行場、嘉手納飛行場くらいが騒音被害があるがそれほどでもない。ホワイトビーチは勝連半島の先にあり、人家から遠く離れている。嘉手納飛行場の四倍の広さである嘉手納弾薬庫は山と原野の中にぽつりぽつりと米軍施設があるだけだ。キャンプキンザ、キャンプコートニー、トリイ通信基地など多くの米軍基地は静かである。国頭にあるキャンプシュワブ、訓練場なども静かである。米軍基地の過重負担というが県民の生活に米軍基地が過重負担をかけていることはない。
テレビで横田基地の近くの住宅でインタビューしている番組を見たが、基地の騒音は沖縄で一番ひどい嘉手納飛行場よりりひどいと感じた。騒音は横田基地のほうがひどいのではないだろうか。しかし、報道しないから沖縄のほうが騒音被害はひどいと思われていると思う。
嘉手納飛行場の騒音に比べれば普天間湖飛行場の騒音は微々たるものである。ところが普天間飛行場移設問題が始まってからは沖縄二紙は普天間飛行場の騒音問題を中心に扱うようになった。沖縄二紙を読んでいると嘉手納飛行場より普天間飛行場のほうが騒音はひどいように思うだろう。でもそれは紙の上のことであり、事実は嘉手納飛行場の騒音のほうがひどい。
沖縄二紙がつくりあげる沖縄は事実を捻じ曲げた沖縄である。落合さんは沖縄二紙や沖縄関連の本の影響を受けていると思うが、それは捻じ曲げられた紙の上の沖縄である。

辺野古新基地建設は普天間飛行場を辺野古に移設するのが目的である。宜野湾市民の騒音被害、命の危険性をなくすのが目的である。
自然破壊をするのは埋立予定地の160ヘクタールだけであり、大浦湾、辺野古の海も破壊しない。
辺野古新基地建設の本当の問題は、普天間飛行場周辺の宜野湾市民の安全を守るか、辺野古の埋立予定地の160ヘクタールのサンゴや藻の命を守るかである。


「なんくるないさ」はもともとは「なんとかなるさ」の意味ではない。「そうとでも思わないと生きてこれなかった」というように、どんなに努力しても神に祈ってももどうにもならないから、ほっといて自然に任せるという琉球王朝時代の農民の過酷な生活の中から生まれたあきらめの心情の言葉である。

「ぬちどぅ たから」も琉球王朝時代の生きるだけで精いっぱいだった極貧の生活から生まれたものだ。戦争反対や平和を願ったことわざではなかった。反戦平和のことわざに転換させたのは革新だ。「ぬちどぅ たから」は反戦思想からうまれたものではない。明日生きれるかどうかわからない極貧生活の中から生まれたものだ。
普天間飛行場は命の危険がある。「『ぬちどぅ たから』だから辺野古移設しよう」が正しい「ぬちどぅ たから」の使い方である。戦争に反対、平和を願う、「ぬちどぅ たから」だから辺野古基地反対は間違った「ぬちどぅ たから」の使い方である。

「わが家が勝手に占領され 自分たちは使えないなんて」は1950年代の強制土地接収のことを指していると思うが、1960年代からは強制土地接収はなかった。1966年に旧具志川市の昆布で土地接収をしようとしたが住民の反対で土地接収はできなかった。まるで米軍が傍若無人であるように書いているが、それは間違っている。

2015年4月5日 知事は言った
「沖縄県が自ら基地を提供したことはない」
そこで 「どくん!」と本土のわたしがうめく

沖縄に住んでいない落合さんだから翁長知事の歯の浮くような嘘の言葉に「うめく」ことはあると思う。しかし、沖縄の基地問題はそんな単純な問題ではない。沖縄に民主主義と豊かな生活をもたらしたのは米軍であって沖縄の政治家ではなかった。沖縄の政治家は沖縄の現実を真剣に考えて言葉を発するのではなく、自分の都合のいいような言葉を発する。翁長知事がそうである。「沖縄県が自ら基地を提供したことはない」と翁長知事は言ったが、土地の強制接収は1950年代のことであり朝鮮戦争などアジアの共産主義と緊迫した状況があった。アジア情勢を考慮すれば簡単に「提供したことはない」と言えるものではない。それに、辺野古が基地のお蔭で経済発展したのをきっかけに進んで基地を提供した地域も出てきた。翁長知事の発言は正しくない。
しかし、沖縄のことを知らない落合さんは翁長知事に騙されていることを知らないで、「どくん」とするのである。

ひとつ屋根の下で暮らす家族のひとりに隠れて
他の家族みんなで うまいもんを食らう
その卑しさが その醜悪さが わたしをうちのめす

沖縄は米軍基地があるゆえに悲惨な生活を送っていてかわいそうだ。沖縄は不幸だ。それなのに私は平和で豊かな東京に住んでいる。そして、「他の家族みんなで うまいもんを食らう」。そのことで落合さんは自分を卑しいと責めている。自分を卑しいと思うのは「沖縄は不幸だ」と信じ込んでいることの裏返しである。
私は落合さんに言いたい。沖縄は不幸ではない。決して決して不幸ではない。67年間沖縄で生きてきた私はそう確信している。不幸であったら人口が60万人から140万人に増えるはずがない。

子供の頃、ご飯を食べるときは家の戸を開けっ放しにした。冬の寒い日でも。祖母は「戸を閉じていると、こっそりとおいしいものを食べていると近所の疑われる」からと言っていた。その考えは戦前の貧しい生活から生じたものである。戦前の沖縄の思想は貧困と封建性が基盤になっていた。子供の頃のの大人の教えは息苦しいものであった。沖縄は女性差別の社会であった。
私の家の近くに貸家がつくられ,アメリカ兵と沖縄女性のカップルが住んだ。小学生の頃だ。カップルは白昼堂々と一緒に歩いていた。男と女が二人で歩くのは卑しく思われていた時代であり、沖縄の若い男女が一緒に歩いているのを見ることはなかった時代である。2人は友達のようであり、女性はいつも楽しそうであった。男と女の上下関係は感じられなかった。
沖縄の女性差別社会を嫌い、自由を甘受できる米兵との恋に走った沖縄女性は多かった。膚で感じる自由、平等、民主主義は米兵にはあったが沖縄人にはなかった。基地被害はあったが自由、平等、民主主義を沖縄に広めたのは米軍であったのは事実である。

東京に住んでいる落合さんは東京と沖縄を比較するだろう。沖縄に住んでいる私は戦前の沖縄と戦後の沖縄を比較する。大人から聞いた戦前の沖縄はとても貧しかった。女の子は辻(遊郭)売り、男の子は糸満(漁師)売りは戦前まであった。貧しいゆえに屈折した思想、差別が沖縄にはあった。戦後は基地のお蔭で経済は発展した。戦前に比べて生活は豊かになった。しかし、沖縄の思想や差別は戦後も根強く残った。落合さんは復帰するまで沖縄では売春が公認されていたことを知っているだろうか。本土では売春禁止法は1957年に施行されたが、沖縄では売春禁止法は復帰するまで施行されなかった。売春が公認されていたのは米軍が統治していたのが原因ではない。沖縄に関する法律を制定するのは琉球立法院であった。琉球立法院が売春禁止法を制定しなかったのだ。だから、沖縄では売春は戦前のように公認されていた。復帰して自動的に売春禁止法が施行されたが、復帰していなかったら現在も売春禁止法はなかったかもしれない。
米国は売春を禁止している。だから、沖縄には米兵相手の売春宿はなかった。米兵相手の売春はAサインバーで働く女性やコールガールがホテルを利用していた。

落合さんは沖縄の米軍基地のある沖縄を東京から見て、沖縄は米軍支配に苦しめられているだろうと思っている。沖縄の米軍基地の隣に住んでいる私は米軍基地の功罪を直視する。米軍が沖縄に与えてくれた功の大きさを認識する。そして、沖縄だけを見る落合さんと違って、沖縄に居る私は沖縄からアジアも見る。
落合さんは「傷め続けられてきた沖縄を防波堤にして、日本の安全や安定があるというのに」と沖縄が痛め続けられてきたと思っているがそれは間違っているし、沖縄の米軍基地は日本の防波堤になっていると思っているのも間違っている。日本の防波堤になっているのはむしろ自衛隊である。中国軍機が侵入した時にスクランブルをかけるのは自衛隊機である。日本には22万人の自衛隊員がいる。22万人の自衛隊が日本の防波堤になっている。沖縄の米軍基地が日本の防波堤になっていると考えるのは間違っている。沖縄が地理的に日本の防波堤になっているというのも間違っている。
現代の戦争は沖縄戦のような兵士同士の肉弾戦ではない。ミサイル戦である。もし、中国と戦争になったら一気に九州から北海道までミサイルが飛んでくるだろう。現代戦争に沖縄戦のようなものはない。沖縄が防波堤になっているというのは間違っている。むしろ、沖縄は東アジアの扇の要である。韓国、台湾、フィリピンなどに非常事態が起こった時沖縄から飛び立つことができる。沖縄の米軍はアジアの民主主義国家の防波堤であるというのが正しい。
落合さんは沖縄は過重な基地負担に苦しんでいると思い込んでいるから、沖縄の米軍基地のアジアにおける働きを見ることができない。沖縄がかわいそうだと思いこんでいるから米軍がアジアの平和を守っていることを認識することができない。
韓国に北朝鮮が侵略した時、嘉手納飛行場からすぐに戦闘機が韓国に飛び立つ、オスプレイも飛び立つ。中国が台湾に侵略した時も同じだ。そのような体制を取っているから北朝鮮も中国も侵略をしなかったのだ。
ミンダナオ島のイスラム原理主義とフィリピン軍と一緒に戦ったのも米軍である。現在、中国が南シナ海の南沙諸島周辺で埋め立て作業をけん制しているのも米軍である。もし米軍がいなかったら中国はフィリピンの領土にもっと侵略していただろう。

落合さんは放送界の人間である。多くの報道を得て、報道の中で考え判断していく。いつしか報道の世界に埋もれていく。本当と嘘を振り分けるのも報道に埋もれた世界の中でやっていく。なにが本当でなにが嘘かも報道の中で判断していく。

沖縄県知事選で翁長知事が当選した。だから落合さんにとって翁長知事の主張が本当であり、民意である。「民意を無視して政治に何が可能なの。民意を聞こうよと語り、書き続けないといけない」と落合さんは言う。翁長知事の「民意を踏みにじって」、「痛みへの想像力を欠如させたまま」、「上から目線で」をそうだそうだと受け入れる。報道世界に埋もれて生きている落合さんは報道の川の流れに身を任せているから、「あれ、辺野古移設が駄目だったら普天間飛行場はどうなるのだろう」と立ち止まり疑問を持つ能力を失っている。落合さんは覚悟を込めた詩『沖縄の辞書』を書いたが、所詮落合さんの覚悟を込めた詩といっても、結局は紙の上の報道の流れに流されまま適当に他人の言葉を寄せ集めた詩でしかない。真実とはかけ離れた詩である。

 台湾や香港の民主化運動では若者たちが立ち上がり広がっていった。しかし、辺野古移設反対運動に若者たちは立ち上がっていない。なぜなのか落合さんは疑問を持ってもいいのではないか。

 松尾芭蕉の俳句に

猿を聞く人捨て子に秋の風いかに

というのがある。7・7・5で芭蕉の俳句としては珍しく字余りである。
 猿のキーキーと鳴く声は断腸の思いを感じさせる。だから、俳句では断腸の思いの表現として猿の声を用いるのが常であった。しかし、芭蕉は安易に猿の声を使うことを批判した。

 断腸の思いに猿の声を使う人よ。目の前に飢えている捨て子が秋風に晒されている。あなたはそれを見てどう思うか。

芭蕉は自分の目で見たことを俳句にするべきであって、何も見ないで部屋に閉じこもって俳句を作るものではないと指摘したのである。
 俳句や詩は自分の目で見て自分で考えることが大切だと思う。落合さんの詩は安易に他人の言葉を受け入れている。落合さんは沖縄を素直な目ではなく先入観で見ている。沖縄二紙によって描かれた紙の上の沖縄を本当の沖縄だと勘違いしている。
 落合さんは「沖縄の辞書」を覚悟の詩というが、紙のように軽くて安直な詩である。
 沖縄を安直に捻じ曲げた落合さんの詩が多くの人に読まれ、沖縄を誤解してしまうのは残念である。

だからわたしは 自分と約束する
あの島の子どもたちに
若者にも おばあにもおじいにも
共に歩かせてください 祈りと抵抗の時を

落合さんが一緒に歩もうとしているのは沖縄の子供たちではなく、若者でもなく、おばあでもなくおじいでもない。反米主義、日米安保廃棄を掲げている社会主義の革新の人たちである。



翁長知事は、戦後、米軍の占領下での「銃剣とブルドーザーによる接収」と米軍が弾圧してきたように言っているが、米軍が最初にもてがけたのは、沖縄の衛星・医療、生活の向上であった。

米軍の衛星・医療に関する貢献について


1946年1月には、米海軍指令90によって、公衆衛生部の管理機構の再編が行われ、公衆衛生部の運営管理責任を、米海軍政府長官から軍政府本部専任軍医に委譲し、軍政府職員、沖縄人職員の診療、医療の一切の責任を持つこととした。
戦後公衆衛生行政の力点
戦後公衆衛生行政が最も活発に動いたのは、1945年から10年~15年間ぐらいと考えられる。


抹消された米軍の功績… 劇的に改善した衛生事情★(5)
zakzak2013.03.03
 沖縄の地元紙は、米軍軍人が事件・事故を起こすと大きく報道するが、米軍将兵が県民の命を救ったり、臓器を提供しても一切報道しない。まして、戦後、沖縄発展の基礎を築いた米国の功績は完全に抹消されている。
 1972(昭和47)年5月、沖縄は27年ぶりに日本に復帰した。日本政府が驚いたのは、戦前、「感染症のデパート」の様相を呈していた沖縄の衛生事情が一新されていたことだ。人口も戦前から31万人増えて90万人に達していた。
 戦前の沖縄は亜熱帯の風土もあり、マラリア、結核、ハンセン病、赤痢などの罹患(りかん)率が全国平均の5倍以上を記録していた。人々は感染症になると、医師の診断を受けず、ユタ(巫女)を尋ねて、祈祷にすがった。ユタは「先祖供養が足りない」「石油を飲めば治る」などと、非科学的な発言を繰り返したため、一家が全滅する不幸も発生していた。
 沖縄を45(同20)年から統治した米国は、県民教育の必要性を痛感し、米国式のプライマリ・ケア(=総合的医療)の確立を図った。沖縄振興のために10億ドル以上の国費を投入し、マラリアをはじめ種々の感染症を撲滅した。
 看護学校も46(同21)年に創立し、50(同25)年には、入学基準を高校卒に引き上げた。高度最新医療を学ぶには、日本基準の中学卒では困難と判断した。学校は全寮制で3年間。教育指導は米軍ナースと元日本陸軍看護婦がスパルタ式で行い、卒業までに4500時間の実習が課せられた。
 加えて、米軍は沖縄に極東最大、最先端の陸軍病院を建設した。そこを沖縄看護学校学生の研修の場に提供した。沖縄の看護学生をびっくりさせたのは、米軍ナースが全員将校であり、大男の看護兵をアゴでこき使っていることだった。これは、沖縄の男尊女卑の悪習に風穴を開けた。
 看護学校卒業後、看護婦の資格を付与された女性は現場に赴任するが、米政府は、看護婦資格を1年更新制とした。更新には、最新の看護学、医療機材の取り扱い法を受講した証明書を持参することが前提だった。
 大阪国立病院は57(同32)年から、沖縄の看護学校を卒業した看護婦を毎年2人、1年間研修させた。彼女らが救急外来で患者に応急措置を施し、担当医に引き継ぐ光景に、院内は騒然となったという。現在の特定看護師のシステムを、沖縄では50年以上も早く実施していた。
 日本復帰を3年後に控えた69(同44)年、日本の看護婦資格試験を看護学校の最上級生に受験させたところ、全員が高得点で合格し、日本政府を仰天させた。
 このような看護教育システムも、復帰後は日本式に改められた。つまり、「座学偏重型の教育」と「医師の御用聞き的看護婦育成システム」となった。米国式教育を受けた関係者からは「日本復帰に伴い、沖縄の看護教育は後退した」との批判が続出したという。 (八重山日報論説委員長・惠隆之介)

平成27年5月27日水曜日に放送された『沖縄の声』。本日は、キャスターの又吉康隆­氏に「辺野古移設問題を故意に米軍基地問題へ転換している」、「落合恵子・詩「沖縄の­辞書」を批判」の2つのテーマについてお話いただきます。



次回放送は平成27年6月10日水曜日です。




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この記事へのコメント
落合恵子は、自分で自分に酔ってます。自分こそが誰よりも沖縄のことを知っており、沖縄の痛み・怒りを我がものにしていると思い込んでます。哀れでなりません。
Posted by NTRC特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥 at 2015年05月25日 23:01
復帰前、私が本土に居たとき、18歳頃だったと思う、

確か、深夜ラジオ番組の放送で、「レモンちゃん」とか言われ、若者に大変人気のある番組でした。

私も、大フアンでしたが、今、考えてみると、、
彼女の頭の中は、、今で言う「ノー天気」「脳内お花畑」のおしゃべり方で若い頃夢中になってましたが、この年になって何だか恥ずかしいく思いました。

今は、読んでみて脊髄がうずくというか、、、、、
しそうです。
Posted by 義挙人 at 2015年05月26日 13:21
 
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