2011年12月25日

「琉球処分」は嘘の歴史論

「琉球処分」は嘘の歴史論


「琉球処分」は嘘の歴史論


 廃藩置県を琉球処分であったと主張する政治家・知識人は琉球王朝時代は中国との貿易で栄え平和で豊かであったと主張する。しかし、豊かであったのは武士家の中の5%の身分の高い370家の士族で、で身分の低い95%の7000家の武士は貧しかった。全人口の95%を占める農民や漁民はなお貧しかった。
 琉球の中でももっとも貧しい生活を送っていたのが宮古・八重山だった。宮古・八重山はともと琉球王朝の領土ではなかった。琉球を統一した後に琉球王朝が八重山と宮古に軍隊を送り植民地にした。だから、沖縄本島の農民よりも宮古・八重山は過酷な税を強いられ搾取されていた。過酷な税が人頭税である。

 明治時代になっても琉球王朝の氏族は人頭税を継続し、不当な搾取を続けていたのだ。「宮古の農業を発展させるには、人頭税を廃止させるのが先だ」と城間正安と中村十作は「人頭税廃止運動」を始めた。「人頭税廃止運動」を弾圧したのが島役所や県庁を牛耳っていた琉球王朝の士族たちであった。
正安たちは士族の妨害を乗り越えて本土の新聞社や知識人、国会議員に訴え、人頭税廃止の要求書を内務大臣に渡すことができ、1895年、第八回帝国議会で「沖縄県政改革建議案」が可決されて1903年に人頭税は廃止された。

 琉球王朝が人頭税をつくり明治時代になっても琉球王朝の士族は存続をさせようとした。琉球王朝が続いている限り人頭税は存続していたのだ。明治政府の日本国民は四民平等であるという政治姿勢があったから「人頭税」は廃止された。

 琉球王朝時代で、豊かであったのは武士家の中の5%の身分の高い370家の士族だけで、身分の低い95%の7000家の武士は貧しかったことやや今回のブログに書いてある人頭税の話は、琉球新報の小学生向けの記事から引用している。小学生向けの歴史でさえ琉球王朝時代は極一部の士族だけが豊かであり、多くの人たちは貧しかったと述べている。

 それなのに廃藩置県を琉球処分だと主張する革新政治家や知識人は、琉球王朝時代は平和で豊かであったと言い、琉球処分で沖縄は不幸になったと主張するのだ。小学生用の歴史とさえ違う解釈をする「琉球処分論」はまやかしの理論であり、嘘の歴史論である。


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